内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

生成する生命の哲学 ― フランス現象学の鏡に映された西田哲学 第一章(十三)

2014-03-16 05:42:00 | 哲学

3.2 歴史的生命の世界を構成する四つの根本契機

 歴史的生命の論理は、その動態において包括的に捉えられた現実の世界の論理的構造として構想されていることは、以上の考察から明らかであろう。この論理によって構成される歴史的生命の世界の力動的な重層構造を決定している四つの根本契機がある。それらの契機は相互に不可分であり、それぞれ他の三つの契機を含意しているとも言えるが、以下「論理と生命」に基づきながらそれぞれの契機について西田の立論を簡潔に再構成して示していく。

3.2.1 〈自己限定〉

生命の生れ出る世界は、生命と環境とが弁証法的に一つの世界でなければならない。

 生命がなければその環境もなく、環境がなければそこから生まれ出る生命もない。生命と環境は、不可分であり、両者相俟って一つの全体をなす。しかし、生命と環境は連続的な統一体でも同質的な全体でもないと同時に、その関係は互いに外的な二項の間の関係でもない。生命と環境は弁証法的に統一されているということは、相互に限定し相互に対立しながら一つの全体を形成しているということである。環境の基底は物理化学的な世界である。それゆえ生物をその世界の一定の構成要素からなる個体として分析することができる。そのような個体としての形を取るかぎり、生命は物理化学的世界にまったく依存している。しかし、そのことは生命現象を物理化学的作用反作用に還元できるということを意味してはいない。なぜなら、生命は、単なる物理化学的世界そのものからはけっして生まれないからである。生命が生まれるためには、物理化学的な世界の原理とは異なった原理がそこになくてはならない。特定の物理化学的現象に還元しえないものである生命は、物理化学的世界に到来した出来事なのである。生命の誕生とともに、それが現れた環境はもはや単なる物理化学的世界ではなくなる。それはまさに生命の世界となる。しかし、この生命の世界をそれ固有の内的過程から直接的に理解するためには、生命と環境との相互作用や相互依存を考えるだけでは不十分である。なぜなら、生命は、それ自身によって在り、それ自身によって働き、自己自身を限定するものだからである。世界が生命と環境とに自己を差異化することによって自己を限定するというそのことが、生命の自己表現なのである。
 時系列に沿って言えば、世界は、物理的世界から人間の世界へと、生物の世界を介して段階的に形成されていく。しかし、このことは、物理的世界に生物の世界が付加され、次いで生物の世界に人間の世界が付加されるということを意味しているのではない。生物は物理的世界に生まれることはできず、人間は生物の世界に生まれることはできない。生物は生物の世界に、人間は人間の世界に生まれなければならない。この三つの世界を包括的に理解するためには、それらを歴史的生命の世界から考えなければならない。なぜなら、歴史的生命の世界がすべての現実的に限定された世界を包んでいるからであり、そこですべての出来事が生じるからであり、そこからすべての進化の過程が発生するからである 。生命とは、まさに歴史的生命の世界の出来事にほかならない 。歴史的生命の世界においてこそ、生命と環境との二元性が生物の世界の次元で形成されるのである。

真の生命とは、[・・・]限定するものなき限定として、世界が世界自身を限定することである。

 もしその外部から生命の世界を限定する限定者があるとすれば、その世界はもはや真の生命の世界ではない。真に実在的なものはそれ自身によって存在し、それ自身によって働き、自己自身を限定するものでなければならないからである。それゆえ、真の生命は、自己自身を限定するものでなければならない。生命それ自身以外に生命を限定するものはなく、生命は自己限定する世界そのものである。

限定するものなき限定としては、無数の自己自身を限定するものが成立せなければならない。

 真の生命は、無限に自己自身を限定しなければならない。もし生命が自己自身を限定しなくなれば、生命もなく死もない。それゆえ真の生命の自己限定は、無数の自己限定者の実在として具体化される。真の生命における一般者と個物との関係、つまり普遍的なものと個別的なものとの関係は、それぞれそれ自身の自己限定によって独立した実在である無数の個物として一般者が自己自身を限定することによる個物と一般者との同一性である同時に、個物における他の個物の否定・同化と自己の個別性の自己否定を介して保たれている個物と一般者との同一性でもあり、この関係が西田のいわゆる矛盾的自己同一である。