内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

クロード・レヴィ=ストロース『月の裏側 日本文化への視角』を読みながら(三)

2015-01-31 05:26:08 | 読游摘録

 ある文化を外から考察する者がどうしても抱くことになる、歪曲された知識、しばしば犯すひどい評価の誤りなどを認めた上で、それらが代価をもたらすことがありうることにレヴィ=ストロースは注意を促す。

遠くからしか事物を見られないという運命を負い、詳細を知ることができない人類学者は、そのおかげで、文化のさまざまな面に、諸文化を通じて不変の性質を感じとるのです。これは人類学者が知りえない、他ならぬ差異が覆い隠しているものなのです(15頁)。

 自分が属している文化から考察する対象となる諸文化が遠ければ遠いほど、それらの文化の中で生きられているそれぞれに異なった細部は見えなくなり、その異なりが覆い隠していた諸文化間の共通性が現れてくる。この点で人類学は、ごく初期の天文学に似ているとレヴィ=ストロースは言う。

私たちの祖先は、望遠鏡も、宇宙についての知識もなしに、夜空を眺めました。星座に名前をつけて、一切の物理現的現実と無縁な、星のグループを認めました。各々の星座は、人の目が同一の面に見る星で構成されているのですが、地球からの距離はまったくばらばらです。この思い違いのおかげで、天体の見かけ上の動きの規則性が、極めて早い時期に認識されたのです。何千年ものあいだ、現在にいたるまで、星座の知識によって、人間は季節の到来を予測し、夜の時の経過を測り、洋上で邦楽を知って来ました。ですから、それ以上のことを人類学に求めるべきではないでしょう。土着の人たちだけの特権である、内側から文化を知ること、これは人類学には決してできません。しかし人類学は土着の人たちに、彼らが身近すぎて知ることができなかった全体を眺め、いくつかの図式化された輪郭に還元された眺めを、提供することは少なくともできるのです(16頁)。

 このように人類学の立場を初期の天文学になぞらえるのは、あくまで講演の冒頭で自分の日本文化へのアプローチの仕方を限定するためで、これ以上人類学的認識の一般的方法論を展開することなく、ここからあとは「世界における日本文化の位置」というテーマにそって、レヴィ=ストロースは話を展開していく。
 しかし、この講演の主たる部分をなすその展開部に入る前に、上の引用について一言感想を述べておきたい。
 初期の天文学にとって、観察対象となる星々は、そもそも近づくことのできない遥か彼方にある対象群であり、その途方もない隔たりのおかげで、それら全体が地上から見た時の一つの投射面である天空上に天文学的な観察を始める前からすでに観察可能な対象として現われていた。ところが、人類の諸文化に対してそのような距離を取れる立場に、その人類の一部をなす一つの文化内の観察者である人類学者は、最初から立っているわけではない。にもかかわらず、そのような立場に立ちうると考えるのは、初期の天文学が地上の定点からの観測に基づき、それを普遍化することで成り立っていたのと同じように、自らの立場を定点としてそこからすべてが一様に対象化できると考えているからにほかならない。
 これはまさに西欧的な思考方法で、その中では、初期の天文学に観察対象である星の一つから自分たちが住まう地上を見たらどう見えるのかという問いが欠落していたのと同じように、観察対象である一文化から見たら自分が属する文化はどう見えるのかという問いは、そもそも問われ得ない。












クロード・レヴィ=ストロース『月の裏側 日本文化への視角』を読みながら(二)

2015-01-30 20:50:37 | 読游摘録

 本書には、二つの講演、さまざまな機会に日本について書かれた六つの文章、そして巻末にK先生との対談が収められている。巻頭に据えられているのが「世界における日本文化の位置」(Place de la culture japonaise dans le monde)と題された講演で、一九八八年三月九日、京都において国際日本文化研究センター(日文研)の最初の公開講演会で発表され、同年、雑誌『中央公論』五月号に日本語訳が掲載された。その後、仏語原稿が Revue d’esthétique, n° 18, 1990, p. 9-21 に掲載された。
 この講演のタイトルは、レヴィ=ストロース自身によって選ばれたものではなく、講演会主催者側から課題として与えられたものである。この課題がレヴィ=ストロース自身にとって「おそろしく難しいもの」に思われる理由を語ることからこの講演は始まる。その理由はさまざまあるとしながら、実際的な理由と理論的な理由を特に取り上げる。
 実際的な理由とは、日本文化に関心を抱き、魅惑されてはいるが、日本についての知識は表面的であり、何よりも日本語を解さないゆえに、仏訳や英訳を介した断片的な知識しかなく、美術や工芸についても、その鑑賞の仕方は外面的だからということである。
 しかし、このような事実的な認識の制約は、ごく一部の飛び抜けた日本学者を除けば、ほとんどすべての外国人研究者に当てはまることで、特別なことではない。
 それに対して、理論的な理由として、異文化理解にとって、さらに一般的には、文化理解ということについて、根本的な問題が提起される。その部分を引用する。

人類学者として私は、一つの文化を他のすべての文化との関係のなかに客観的に位置づけることは果たして可能であるのか、疑念を抱くのです。たとえ言語や他の外面的な手立てを身につけたとしても、ある文化のなかに生まれ、そこで成長し、躾られ、学んだ者でなければ、その文化の最も内奥の精髄が位置する部分は、到達不可能なままにとどまるでしょう。なぜなら、諸文化はその本質において、共通の尺度で測ることができないからです。さまざまな文化のうちの一つを明らかにするために私たちが用いる規準は、対象となる一文化に由来しているか、他の文化に由来しているかのいずれかです。もし前者なら客観性を欠くことになりますし、後者であれば当然不適格となってしまいます。日本文化、あるいは何であれ他の一つの文化を、世界のなかに位置づけるために有効な判断をもたらすためには、すべての文化への関わりを断たなければなりません(13頁)。

 この現実にはありえない条件が整ったときにしか、ある一つの文化を他のすべての文化との関係の中に客観的に位置づけることができないとすれば、私たちは最初からそのような試みは断念せざるをえないように思われる。レヴィ=ストロースは、この後、人類学者として、このようなジレンマ ― というよりも私はアポリアとさえ呼びたいが ― の出口は、「あると信じている」という。しかし、その出口を見出すためには、どのような条件が必要で、またどれだけの代価を払うべきなのかと問う。















クロード・レヴィ=ストロース『月の裏側 日本文化への視角』を読みながら(一)

2015-01-29 14:12:46 | 読游摘録

 このレヴィ=ストロースの邦訳の原書 L’autre face de la lune. Écrits sur le Japon は、訳者であるK先生ご自身が編集され前書きを付されて、フランスが生んだこの人類学の世界的な巨匠であり、二十世紀最高の知性であり思想家の一人が一〇一歳の誕生日を一月後に迎えようとしていた二〇〇九年十月三十日に亡くなってから約一年半後の二〇一一年四月にスイユ社(Éditions du Seuil)から刊行された。刊行に合わせてル・モンドの書評欄でも大きく取上げられ、私もすぐに購入して、知的興奮を覚えながら読んだ。以後、大学の講義でもよく引用し、その都度学生たちに一読を勧めている。
 本書は、日本についての未刊の文章、学問的な刊行物など、その中にはいくつかは日本でだけ印刷されたものも含まれているが、一九七九年から二〇〇一年の間に書かれた多様な文章を、初めて集めた日本論集である。「これらの文章の多様さを貫いて、日本人に対する、寛大というのではないが、少なくとも共感に充ちた視線が、時として浮かび上がる」(邦訳9-10頁)。
 それらの文章を読みながら、一方で、浮世絵に夢中になっていた少年期の想い出にまで遡るレヴィ=ストロースの日本文化に対する深い愛着に心を動かされ、他方では、日本文化全般についての、特に日本の神話や古典についての該博な知識と日本の現在についての旺盛な知的好奇心とに驚嘆させられた。日本文化を賛嘆するその文言の中には、それがたとえ日本人の聴衆を相手にした講演だったということを差し引いたとしても、いささか点数が甘すぎるのではないかと思われる処、私としては同意しがたい見解や解釈も含まれてはいるが、いたるところに散りばめられた鋭い洞察ときわめて自覚的な方法論的態度が開く鮮やかなパースペクティブによって、何度もこちらの思考が刺激され、その度に本を閉じては、しばらく思索に耽るという知的に充実した愉悦的時間を過ごすという贅沢を味わうことができた。
 今回K先生に特にお願いして送っていただいた同書の邦訳(中央公論新社、二〇一四年)と原書とを併せて読み直しながら、同書についての自分の感想を改めて文章として残しておこうと思う。














『日本を問い直す ―― 人類学者の視座』

2015-01-28 19:01:54 | 読游摘録

 私が年末年始日本に滞在している間にK先生が私のフランスの勤務大学宛に送ってくださったご著書・編著・翻訳計十八冊を学科教務秘書課に引き取りに行ってから、今日でちょうど二週間になる。その間、毎日必ずそのいずれかを読み、引き取ってから三日後からは、このブログの記事でそれらの本の紹介とそれらの本に触発された私の感想を記してきた。
 今日話題にするのは、その十七冊目で、先生のお書きになった本の紹介としてはこれが最後になる。残りの一冊は、レヴィ・ストロースの翻訳なのだが、これについては明日以降数回にわたって記事にしていく予定である。
 今日の記事のタイトルとして掲げたのがその書名である。二〇一〇年年十二月に青土社から刊行されている。同社の月刊誌『現代思想』二〇〇八年二月号から二〇一〇年十一月号まで、「日本を問い直す」という題で計三十回書いた文章に手を入れ、一冊にまとめたものである。
 目次を見るとわかるが、折々の出来事に触れつつ政治的な問題に立ち入っている文章が目立つ。日本の近隣諸国との関係、歴史の記憶、国家のアイデンティティ、人種問題、戦争体験、戦争責任論、靖国問題等についての先生の考察と見解が、常に自分自身の経験、具体例・具体的資料、自身のフィールドワークの成果等を手掛かりとしながら、展開されている。
 十分に予め練られた構想に基づいて書き始められたものではなく、「大まかに設定した問題意識をもとに書き進み、思考が展開するままに書き継いでいったので、自分でも予期しなかった言葉の連なりが生まれた」と言う。それだけにそれぞれの回のテーマについてそのときの思索の跡が読み取れる。
 その大まかな問題設定は、第一回目の冒頭に次のように提示されている。

 人類学者である私が問い直したい「日本」は、現在の呼称での日本列島の住民がつくる、日本以前のヒトの集合であり、明治維新から七七年で滅びた大日本帝国であり、昭和二〇年八月一五日以降の戦後日本である(11頁)。

 そこには、自分もまたその中で生きてきた近現代日本史を、そこでの自らの経験に基づきながら、人類史的眼差しで根本的に見直そうという姿勢がはっきりと示されている。第七回の冒頭では、この問題設定から次のようなより明確化された問いが生まれてくる。

 この本で私が問い直したいのは、単一の人間集合で構成されて来たのではない日本列島とその文化の重層性、多元性であり、徳川幕藩体制、そして明治以後の神懸かり軍国主義と、それらによっても息の根を止められなかった、半禁欲的町人文化、市民社会との拮抗関係だ。さらに、明治維新が当時日本の置かれた国際環境において、唯一最善の撰択であったか、明治日本が、欧米列強のアジア進出に直面して、日本と似た状況に置かれていた東アジアの諸民族とは連帯せず、彼らを欧米と共に侵略する側にまわったのはなぜかについても、問い直してゆきたい(83頁)。

 この問いを出発点として、福沢諭吉の「脱亜論」が三回にわたって検討され、その「脱亜論」の中で「謝絶すべき悪友」とされた中国、「いま超大国への道を進んでいるともいわれる中国を、国家として点検するにはどうすればよいか」という問いに転じていく。そのときの手掛かりが「天安門事件」である。その数回後に「人間が国家に帰属するということ」というそれまでの議論を一般化するテーマが出される。そこから今度は「黒人であること」という人種問題へと転ずる。それを巡ってまた数回。そして、再びに、日本と台湾について考える。
 この本を読むことによって、私たちは、自ら一つ一つの問題を問い直しつつ考えていくK先生のその時その時の思索の現場に立ち会うことになる。それだけではない。そこで問われている問題を読み手もまた己の現実生活の具体的場面において考えるようにと、促されていることに気づく。












『文化を交叉させる』

2015-01-27 08:54:45 | 読游摘録

 『文化を交叉させる』は、青土社から二〇一〇年五月に刊行されているが、その「あとがき」を読むと、同書の特異な出版までの経緯がわかる。
 この本に収められた論考は、当初フランスで刊行されるはずであった。あるフランスの出版社が、K先生がフランス語で書いた文章を読んで、フランス語での一論集の刊行を申し出てくれた。しかし、その後、その出版社が経営不振に陥り、その論集の出版は取りやめになってしまった。
 その幻のフランス語版のために、K先生の長年の師であり、最も親しい友人の一人でもあるレヴィ・ストロースが序文を書くことを引き受け、その序文は、二〇〇七年九月二十五日付で、出版社とK先生宛に発送された。公刊を前提とした文章としては、この序文がレヴィ・ストロースの絶筆となった。同書の巻頭には、その序文のK先生自身による邦訳が掲げられている。
 収録されている五つの論考は、いずれも既発表の論文を大幅に加筆修正したもので、それらを貫く基本的主張は、すでに他の多数の単著あるいは共著・編著の中で縦横に展開されており、その意味では、新しい論点が本書のそれらの論考の中に見いだされるわけではない。
 それにもかかわらず、本書をとても貴重な一冊にしているのは、何よりもその「あとがき」である。九頁に渡るその文章には、最初の段落で出版の事情に簡単に触れた後は、主に最晩年のレヴィ・ストロースとの想い出と夫人が話してくれたという亡くなる前後のことが、抑制された筆致でありながら、いやむしろそうであるからこそ、感動的に綴られている。一つ一つの出来事が、その正確な日時と場所とともに簡潔に記述されている。その「あとがき」の最後からニ番目の段落の一部を引用する。

 本書の軸をなしている「文化の三角測量」の考え方は、レヴィ・ストロース先生から受けた大きな風、先生からの知的養分の吸収の中で育ってきた。[中略]文化の三角測量は、対象から引き離された視点を二つ取り、対象と計測点の三点を相互に変換することで、文化の理解における主観を相対化しようとする目論見だ。[中略]「ブンカノサンカクソクリョウ」と日本語で呼んで、辛抱強く議論の相手をして下さった先生も、いまは亡い。












『文化人類学とわたし』

2015-01-26 08:05:17 | 読游摘録

 今日の記事のタイトルが書名であるK先生の本は、青土社から二〇〇七年に刊行されている。文化人類学のあり方をめぐって書かれた論考・エッセイを主として、新聞のコラム欄に掲載された時事的な感想が巻末に収められている。最も日付が古い論考は、一九九五年の「サバンナへの夢、三〇年ののちに」、次いで一九九八年に『柳田国男全集』第12巻月報に掲載された「柳田民俗学から世界民俗学へ」、その他はすべて二〇〇二年から二〇〇七年に書かれたものである。
 全体は五部に分かれていて、それぞれ「「ヒトの学」をめざして」「自然の中のヒト」「なぜアフリカ研究を志したか」「「明治日本」を問い直す」「時代への発言」と題されている。これらの区分は編集者のアイデアによるものだと「あとがき」を読むとわかる。第五部「時代への発言」には、『信濃毎日新聞』の「潮流」欄に二〇〇二年八月から二〇〇七年八月までに掲載された、折に触れての十二の随想が収録されている。
 第一部は、現代社会における人類学という学問のあり方を根本的に問いなおす論考が集められている。それらの論考に通底する最も重要な論点は、自然史の中でのヒト中心主義の超克ということになるだろう。ヒトをヒト以外の生物とも共通する特性において見直すことで、近代的な人類史の枠組みそのものを相対化することがそこでの問題である。この問題について、K先生は、特に二〇〇〇年以降、他の著書でもしばしば論じている。
 第二部は、第一部の視座を前提として、倫理を人と人との間の問題としてではなく、ヒトとヒト以外の類との間の問題として提起する。二〇〇四年に発表されたこの部の最初の論考「種間倫理を求めて」は、まさに今現在世界のいたるところで深刻化しつつある問題を鋭く突く。

 国家の形骸化は、少数の大国と国際企業主導の経済のグローバル化にともなう、地域間の貧富の格差、大部分の貧しい地域の一国内の貧富の格差の拡大によっても、一層推し進められたといえる。敵と味方、同類と同類でないものの区別のつけ方が判りにくくなってきたことは、ヒトとヒトのあいだだけではなく、ヒトとヒト以外の生物についてもいえる(148-149頁)。

 誰(何)は殺し(食べ)てもいいが、誰(何)はいけないという区別のつけ方の問題は、いまやヒトの安全で快適な生活のための便宜といった次元を超えた、ヒトとヒト、ヒトとヒト以外の生物とのあいだにあるべき掟、いわば倫理の問題として考えられなければならないところに来ているのではないだろうか(149頁)。

 第四部には、「江戸=東京の下町という「地域」から、明治日本の国家史を覚めた目で見る視点を築けないかという関心、それに外側から呼応させて、十九世紀のアジア・アフリカの中に、明治日本が行った選択を位置づけてみたいという関心」(288頁)から、その予備的考察としていくつかの論点が提示されている。
 第三部は、上でそのタイトルにすでに言及した論考「サバンナへの夢、そして三〇年ののち」だけからなる。そこには、K先生が人類学者としてなぜアフリカを研究対象として選んだか、その動機とそこに至る出会い、そして現場での経験が生き生きと語られている。同論考の冒頭と末尾から引用する。

 遠くへ行きたい ―― 誰もが一度はもつ願望だ。それは「ふるさと」志向とは正反対のベクトルをもつ感情であるようにみえる。
 「遠くへ」というのは、地理上のへだたりだけではない。自分が馴れ親しんだ一切のもの、人、風土、衣食住の仕来り、価値の尺度などのすべてが無になり、拒絶されるところだ。そういう界域に自分をさらしたいという願望は、人間にとってかなり本質的なものなのではないだろうか。
 ただ、多くはそれが一時の漠然とした想いとして、間もなく消えてしまうか、ある期間の放浪などで一部満たされ、やがて自分が生きている社会の日常性の、手ごわい現実に呑みこまれてしまうかする。そうではなく、日常性をとりこみながら、それとは緊張ある距離を保って、「遠くへ行くこと」を一生かけて自分の仕事にしてしまう場合もある。多くの文化人類学者にとっての、研究対象である異文化とのかかわりがそうだし、アフリカと私のつきあいも、そんな一つに数えられるかもしれない(177-178頁)。

 三〇年歩きつづけたサバンナで、地平線に立つ積乱雲を見て、ほんとうに遠くまで来たのだろうかと自問している自分に気づくことがある。同時に、遠くへ行くこと、自分とは異なるはずのものを求めつづけた自分の、文化人類学者としてのアイデンティティへの問い、そうやってアフリカのことをわざわざ知ろうとしているお前は誰だという問いの前に立たされている自分にも、私は気づくようになった(192-193頁)。

 「遠くへ行く」ことが、基礎的研究方法として身につくだけでなく、生き方そのもの基本的な姿勢となるとき、そのことによって見いだされるのは、遠く未知なる異文化ばかりではなく、いやむしろ、その過程を通じて変えられていく自分、その意味でいつまでも開かれている未踏の「内なる大陸」としての未知なる「自己」ではないであろうか。












『人類学的認識論のために』

2015-01-25 03:33:38 | 読游摘録

 昨日紹介した本も今日紹介する本も、奥付を見ると、出版年はいずれも二〇〇四年、前者が七月、後者が八月に第一刷発行(岩波書店)と、立て続けに刊行されている。前者が折にふれて書かれたエッセイ集という性格を持っているとすれば、後者は、K先生の二十年来の学問研究の成果が凝縮された非常に密度が高くかつ視野の広い人類学研究の書であると同時に、二十一世紀の人類学の可能性を問う提言の書でもある。
 既刊の複数の論文あるは口頭発表を基に、それらを統合・発展させ、大幅に加筆あるいは改稿した論考が並んでいる。それらの論考で問い直されているのは、言語、民族、地域、歴史、文化、他者認識などの人類学の基本的諸概念だが、それらの論考を通じて問われ続けているのは、端的に、「人間とは、いったいどのような生き物なのか」という根本的な問いである。
 「序 人類学的認識論のために ―「私」と人類のあいだ ―」は、K先生ご自身の人類学者としての五十年近くの多方面に渡るパイオニア的な諸研究の成果に基づいた、二十一世紀に向けての新しい人類学の方法序説として読むことができる。その序は、次のように自らに問うことから始まる。

 人類学とは何か。日本の大学で文化人類学、自然人類学も含めた最広義の人類学を学び、その後五十年近く、日本やフランスやアフリカで、人類学と呼ばれる領域の学問一筋に生きてきたが、人類学とは何か、というより何であるべきかが、まだ私にはわからない(1頁)。

 改めて自分にこう問いかけたい気持ちが強くあると先生は言う。そう自問せざるを得ないのは、自らが他者たちと共に生きる時代と世界の現実と人類の未来とについて常に切実な関心を持ちつつ、自らの学問の道を切り開き、人類学研究を重ねて来られたからこそであろう。

 私にとって、人類学のこころざしの一つは、近代とされているものの総体を、根底から、つまり語義通りラディカルに、相対化することにある。相対化するとは、ヨーロッパに始まって「近代」を生み出したもの、それが発展してグローバル化しつつあるシステムや価値観の総体を支えているもの自体が、一つのローカルな生成物であることを、人類学という視野で明らかにすることだ。「グローバル」に対して「ローカル」、「メジャー」に対して「マイナー」であるのは力関係によるものであって、「グローバル」の価値が普遍的であることを意味しない。だが、なぜ「近代」はヨーロッパに形成され、他の地域ではなかったのか。元来ローカルなものとして形成された「ヨーロッパ近代」が、なぜ他のローカルなものに対して強力になり、「グローバル化」へ進んだのかが、同時に問われなければならない(2頁)。

 人類学の使命の一つが、この引用に見られるような近代の根本的な問い直しであるとすれば、まさにその近代の産物であり、しかも学問分野としては比較的歴史の浅い人類学は、近代の内在的超克を目指す学問であり、特定の専門分野として自閉することは許されず、むしろ他の諸学問に対して、その暗黙の前提を根本的に問い直す「メタ・サイエンス」として機能しなくてはならないであろう。
 近代化を基礎づけている思考は、すべてを量に換算して重要度を量ることを基本とする「定量的思考」であり、それと不可分に結び合わされている価値意識は、「目的志向」であるとK先生は言う。この目的志向性は、合理主義、能率主義、実利主義、契約にもとづく人間関係と結びつく。これら近代性を特徴づけている諸価値に対比されているのが、量の多寡に関わらず、個々のものを他から差異化している質に重きを置く「定性的思考」であり、それと結び合わされた「過程尊重」の価値意識である。
 このような見方に従うとき、「近代的思考」によって精神を疲弊させている私たちでも、「過程尊重」の「定性的思考」をすっかり忘れ果ててしまっているわけではないことに気づかないであろうか。私たちがもうほとほとうんざりしているとも言える「近代的生活」から抜け出すための扉は、私たちの日々の暮らし方の中に最初から開かれているとは言えないであろうか。











『人類の地平から ―― 生きること死ぬこと』

2015-01-24 03:29:00 | 哲学

 昨日までの一週間の記事では、人類学者K先生の編著十二冊を紹介しつつ、その紹介に若干の私的感想を加えた。
 今日の記事から五回に渡って、K先生が二〇〇四年から二〇一〇年に出版された単著五冊を、出版年月日の古い順に一日一冊ずつ紹介していく。
 『人類の地平から ―― 生きること死ぬこと』は、二〇〇四年七月にウェッジ社から出版されている。この本は、K先生の本来の仕事である学問の研究成果を発表するためのものではなく、折にふれて書かれた、「一地球市民として現代の日本に生きる」先生の、「時代と社会に向かっての発言をまとめたものである」(同書「あとがき」、二五〇頁)。どちらかというと地味な月刊誌や地方紙の依頼を受けて書き続けたコラム・エッセイが主な部分を占めている。初出で最も古いものが一九九七年のコラムで、最も新しいのが二〇〇二年十月の広島市立大学国際学部退職に際しての公開講義原稿である。
 この公開講義は、それが行われた文脈からして当然のことだとも言えるが、これから学問に志そうとしている人たちに送るメッセージという性格を持っているが、他方で、K先生ご自身のこれからの学問の志向性の宣言にもなっている。先生六十八才の時のことである。

本やインターネットから得られる知識は、すでに先人によって集められ、一定の立場から整理され解釈された情報です。そうした情報を得る行為 «、« in-f » rm »すること、つまり既に作られた「かたち」に自分をあてはめることでもあります。そのこと自体は、既知の情報を整理する上で必要なことなのですけれども、それだけに終わらず、自分の身体を積極的に使う行動によって、自分で新しく発見してゆくことの大切さを、人類学の現地調査の「体験知」に限らず、現代における知のあり方一般にも通じる問題として、私は考えてみたいのです。「パーフォーミング・アーツ」が、身体表現の芸術を指して用いられるよ« に、« per-f » r « »を« in-f » rm »とは逆の志向をもった、身体的「はたらきかけ」としてとらえてみたいのです(244頁)。

すでに「かたち」のある、安全無事な道に「入る」のではなく、誰も行ったことのないところだからこそ、理想と探求の意気に燃えて自分で出かけて行き、道をつける、そんな「パーフォーム」の精神を、私はこれからも失わずに学問をつづけたいと願っています(246頁)。

 こう言われるとき、先生は、この願いを単なる願いとして語っているのではなかった。事実、以後、このような道なきところに道をつけようと、「パーフォマー」として今日まで戦い続けている。
 「自分の身体を積極的に使う行動によって、自分で新しく発見してゆく」という姿勢は、人類学固有のものではないであろう。それは学問するものすべてにとって、本来的な使命であり、喜ばしき義務であるはずである。












 


『響き合う異次元 音・図像・身体』

2015-01-23 05:06:23 | 読游摘録

 今日の記事のタイトルが書名である本は、二〇一〇年に平凡社から出版されている。この本の基になっているのは、一九九三年から一九九七年にかけて四年間におよんだ共同研究「音・図像・身体による表象の通文化的研究」であり、その間開かれた研究会は十三回を数え、そこには人類学、歴史、文学、宗教、美術、音楽、映画などの多様な分野の研究者ばかりでなく、詩人、音楽家、映画の弁士などの表現者も参加している。
 本書そのものは、その共同研究を踏まえた上で行われた二〇〇五年九月三日の討論会の記録であり、それぞれの分野で最先端の仕事をしている人たちがそこに参加している。討論そのものの前に、四人の紙上参加も含めて、十八人の参加者の問題提起が列挙されている。
 その問題提起だけで全体の三百頁の約半分を占めていて、五章に分けられている。順にそのタイトルを挙げると、「交感するモノとヒト、痙攣から様式まで」「身体・リズム・文字」「パフォーマンスの中の図像」「ペルソナとしてのヒト、個としてのヒト、種としてのヒト」「摩滅そして円熟、我を離れる」。
 討論自体は、問題提起に提出されている論点を踏まえつつ六節に分けられ、それぞれ「人格神以前」「声とエクリチュール」「声・場・図像の一体化」「身体とその同定」「音の文化」「即興をめぐって」と題されている。これら討論の合間に、討論に参加されなかった共同研究者たち八人の短いコラムが挿入されている。
 実に盛り沢山な内容で、議論も多岐にわたっていて、とてもそれらを要約することはできない。企画立案者であり編者であるK先生の「あとがき」からその一節を引用する。

 多領域の一騎当千の若武者、老健の古強者が我勝ちに発する声々が、共鳴し、不協和音を奏で、稀に見るユニークな問題提起に溢れた一冊が、腕利きの編集者二人の手で、いま世に送られる。ここで論じられたことどもは、さらに多方向へと展開してゆくべきものばかりだ。四年余り経っても、その間に発言者の手も入っているし、腐るどころではない。これだけ多様な分野の最先端を行く人たちが一室に集まって、まる一日議論したからこそ生み出されたこの本の豊かさは、『響き合う異次元』という書名が、少しも誇大でないことを、読者は納得して下さるに違いない(284頁)。

 語り口調が全体を貫いている同書には、それぞれの発言者の専門領域・研究成果からする、広い意味での人間の身体性を巡る様々な興味深い観点・論点・見解が至るところに見出され、あちこち拾い読みしているだけで、とても刺激的である。












『近親性交とそのタブー』

2015-01-22 00:00:00 | 読游摘録

 二〇〇一年四月に京都で、『近親性交とその禁忌』をテーマに、集団生物学・霊長類学・文化人類学の最新の研究成果と問題意識を持ち寄ったシンポジウムが、日本人類学会進化人類学分科会の主催で行われた。このような学際的な視野でこの問題が論じられるのは、世界でもおそらくこのシンポジウムが初めてであり、その時の討議の貴重な成果を一冊にまとめて世に問おうという意図で本書は編まれている。同年末に藤原書店から刊行されている。
 同書に挟み込まれていた藤原書店の月刊誌「機」二〇〇一年十二月号に、編者であるK先生による同書の紹介記事が掲載されている。その一部を以下に引用する。

 近親性交とそのタブーをめぐる問題群の特徴は、[中略]性行為としての現実と、幻想、穢れ、神聖視などの心意の側面とが不可分であること、肉親とか異類というときの身内とよそ者の境のつけかたが、さまざまに変わりうること、の二点にあると言っていい。そうした夢と現(うつつ)の錯綜や自他の変転ぶりが、この問題群の一筋縄でゆかない難しさと同時に、面白味というより妖しい魅力ともなっているのだ。エディプス神話の、父を殺し母を娶ったために天災を招く永遠のドラマには、理知の及ばない闇の魅力が凝縮されているといえるだろう。
 折しも、母子相姦の結果テーバイの都に襲いかかった災厄さながら、国際テロと狂牛病の恐怖が、私たちの世界を脅かしている。近親婚忌避研究の大先達でもあるレヴィ・ストロース教授は、肉食は拡大されたカニバリスム(ヒトの共食い)にほかならならず、狂牛病は人間が牛に共食いを強いた報いだと喝破している(「狂牛病の教訓」『中央公論』二〇〇一年四月号)。国際テロをめぐる攻防でも、敵味方の境が錯綜し、かつてのような領域国家を単位とする戦争の時代が終わったことを示している。

 論理的にも生物学的にも、まったく同一なものと交わることも、まったく異なるものと交わることも不可能である。この〈同〉と〈異〉との両極の間に、交わることの可能なものの範囲が慣習上のタブーや法的な禁止によって限定されるが、その限定は時代と地域によって可変的であり、それらの禁忌が犯されることは常に可能である。生物としても人類としても、比較的〈近しいもの(親しいもの)〉同士で交わろうとする傾向がある。しかし、より交わりやすい「ちかしさ」の中にその他の「ちかしさ」とは異なる特異性を認めるかどうかで、世界認識が変わってくる。
 近親性交という人類史上至るところに観察される現象についての生物学、霊長類学、文化人類学の最新の研究成果を持ち寄ることによって同書において問われているのは、端的に、「人間とはどのような生きものか」という問いである。