内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

私はサマータイム制が大嫌いです。どっちに向かっているかわからない、中空に漂うかのような開(解)放感が好きです。

2024-03-31 14:35:06 | 雑感

 今日から夏時間。ヨーロッパでの現行のサマータイム制は確か1974年からのことで、とすれば今年でちょうど五〇周年である。少しも目出度くない。28年前にフランスに来たとき以来毎年のことで慣れっこになってはいるが、正直、大嫌いである。強制的に生活のリズムを変えさせられるのに無性に腹が立つ。たった一時間、時計の針を進めるだけのことである。たいしたことはない、と言う人もあろう。しかし、病院・学校・役所等の公共機関の時間割も交通機関の時刻表も商業施設の開閉店時間もこの時間変更に合わせなくてはならない。個人の生活リズムを権力が問答無用で操作するなんとおぞましい制度であろう。施行当初には省エネ効果という大義名分があった。が、それは現在ほぼ完全に有名無実化している。むしろ健康への悪影響を指摘する声は多い。私は幸いなことに何事にも鈍感にできているので健康被害を実感したことはないが。2019年に欧州議会で2021年での廃止が可決されたにもかかわらず、コロナ禍でそれどころでなくなり、以来、有耶無耶のままである。一日も早い廃止を切願する。
 さて、時計で計測される同じ時間を長いと感じるか短いと感じるかは主観的な問題だ。私の個人的な感覚として、今年最初の四半期はなんかやたらと長かった。といって「リア充」だったわけではまったくなく、「元旦からいろいろあったけど、それからまだ三ヶ月しか経ってないのかぁ」ってな感じです。他方、「あれもこれもまだやってないなぁ」という焦りによる冷や汗も背中を流れて続けていて、満足感とも充実感とも程遠い。
 どっちに向かっているのかわからない、中空に漂うかのような、このそこはかとなき開(解)放感の理由を強いて探すならば、さしあたり、以下のようにまとめることができるかも知れない。
 いろいろあって、あれこれ考えてもさ、まっ、できないことはできないし。これから頑張ってどうなるものでもないし。ぶっちゃけ、希望も期待も企画も目標もないし。見苦しいほどにじたばたせず、じじい、とっととくたばれと人様から内心煮え立つ憎悪とともにつぶやかれるほどの迷惑はかけずに、それなりに穏やかな最期を(願わくは、麗しき大和の国の満開の桜の木の下で)迎えることができれば、それ以上何をのぞむことがあろうか、という、なんとも夢想的で、他者に対してとことん無責任で、救い難く非社会的(でも、反社会的ではない、ですよね)な、サトリのキョウチが向こうから仄かに見えはじめている。
 これもまた儚き幻影に過ぎぬかも知れぬが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


「九死に一生を得た」の誤用をきっかけとして始まった辞書の中の「旅」

2024-03-30 15:33:13 | 日本語について

 ネット上のある記事のなかに「九死に一生を得た」という成句が二度使われていて、それがどちらも誤用だった。筆者紹介によると、「出版社に勤務後、編集プロダクションを設立。書籍の編集プロデューサーとして活躍し、数々のベストセラーを生みだす。その後、著述家としても活動。」とのことだが、どうも御本人この成句に関してはまったく誤用に気づいていないようである。その記事の筆者を批判することがこのブログの目的ではないので、記事の筆者は匿名とし、どのような文脈で「九死に一生を得た」という成句が使われていたかだけ簡単に説明する。
 二箇所とも、もし予定されていた船あるいは飛行機に乗っていたら、事故に遭い命を落としていた、というエピソードのなかで使われている。予定していた船あるいは飛行機に乗らなかったのは、まったくの偶然で、何かの虫の知らせでもないし、乗船あるいは搭乗前に命を脅かされるようななんらかの危機的な状況に置かれていたわけではまったくない。偶然のめぐり合わせで命拾いをしたとでも言うべきところである。このような場合に「九死に一生を得た」を使うのは、言い訳のしようのない誤用である。
 『角川必携国語辞典』(14版、2016年)には、「九死に一生を得る」が立項してあって、語釈は「ほとんど助かる見こみがなかったところを、どうにか助かる」。注記として「九分の「死」と一分の「生」という意味から。」とある。
 手元にあるその他の小型辞典四冊はいずれも「九死」を立項し、その項内に成句として「九死に一生を得る」を挙げている。その四冊中「九死」について最も詳しいのは『新明解国語辞典』(第八版、2020年)―「救いが来るとか情勢が急転換するようなことが無ければ当然死ぬであろうと思われる、絶体絶命の危機。「―に一生を得る〔もう少しで死ぬあぶないところを、やっと助かる〕」。
 「九死」とは「もう助からないと思われるほどに危険な状態」(『明鏡国語辞典』第三版、2021年)ということである。ところが、上に言及した記事内の二例の前提となっている状況は、そのような危険な状態ではない。だから誤用なのである。
 漢和辞典で「九」の項の熟語としての「九死一生」を見てみると、文脈あるいは時代によって異なった用法があったことがわかり、興味深い。日本語の成句とほぼ同義とみなしてよい場合ももちろんあるが、『角川 新字源』(改訂新版第3版、2019年)では「いくたびも死にそうになったが、かろうじて助かること〔楚辞・離騒・注〕」となっている。古代文学ではむしろこの意味で用いられたということだろうか。
 他方、『漢字源』(学研、改訂第六版第一刷、2018年)は、「ほとんど助からない状態だったが、ようやく助かること。〔紅楼夢〕」となっていて、一八世紀の小説にこの用例があることがわかる。
 『新明解現代漢和辞典』(三省堂、2020年、第九刷)は、「絶体絶命の場面で、奇跡的に助かる。九死に一生を得る。〔「十死一生」新書・匈奴から〕」と出典を示している。『新書』は、「前漢の賈誼の著。秦滅亡の原因を論じた「過秦論」をはじめ、政治や学問に関する論説を収める」(同辞典「書名解説」による)。
 『漢辞海』(第四版第五刷、2021年)には、「危機一髪の状態から、ようやく助かる。きわめてあやうい状態にいるさま。真徳秀・再守泉州勧論文」とあり、同項の注には「もとは「十死一生」と書かれていた。」と記されている。真徳秀は十二世紀から十三世紀にかけて南宋の学者である。この説明からは、まだ助かるかどうかわからない危険な状態にいることも「九死一生」(あるいは十死一生)が意味しうることがわかる。
 『日本国語大辞典』の「九死一生」の項は、「(一〇のうち「死」が九分、「生」が一分の意) ほとんど助かるとは思えないほどの危険な状態。また、そのような状態からかろうじて命が助かること。」となっており、最初の例として、平安中期の『左経記』の例が挙げられていて、そこでは「ほとんど助かるとは思えないほどの危険な状態」という意味で使われている。この意味での「九死一生」が先に導入され、後に「そのような状態からかろうじて命が助かる」という意味が「得る」を加えることで出てきたのだろうか。中国ではもと「十死一生」だったというが、いつ「十」が「九」に取って代わられたのだろうか。
 長い歴史の中で同じ表現にも意味の揺らぎがあることは当然だし、それをめぐるさまざまな疑問がすぐに解けるわけではないが、言葉の歴史を追い求める辞書の中の「旅」もまた楽しからずや。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


自分では気づきにくい口癖の意味、たとえば「なんて」

2024-03-29 23:59:59 | 日本語について

 どんなに注意して何回読み直しても、自分の文章だと誤りを見落としてしまうことがある。それが一冊の本になるような長い文章であれば尚のことである。だから校正には他人の目が入ったほうがよい。人から指摘されてみれば、なんでこんな初歩的な誤字や脱字に気づかなかったのだろうと唖然としてしまうこともある。
 自分の文章を少し間を置いて読み直してみて気づく誤りもある。書いた直後は内容に引きずられて、見逃がされていた誤りが間を置いたことによって目に見えるようになる。このブログでもよくある。恥ずかしい間違いが後日もう数え切れないほど見つかって、赤面したり、がっかりしたり、自分に腹が立ったりする。
 さらに始末が悪いのは、誤用を正しいと思い込んでいる場合で、これでは何度見直しても誤りには気づけない。辞書を読む効用の一つは、このような思い込みに気づかせてくれることである。ある言葉の意味を調べるために辞書を引くときには気づきにくいが、特にあてもなく並んでいる項目をウインドーショッピングのように「ひやかし」ているとき、自分の誤用に気づかされることがある。
 誤用ではないが、ある言葉づかいが相手に不快な思いをさせていたことに後日気づく、あるいは人から気づかされることもある。場合によっては愕然とする。
 『舟を編む ~私、辞書を作ります~』の第一話に、主人公の岸辺みどりが、それまで自分が無意識に連発していた副助詞「なんて」がもっている意味を辞書で調べて、知らずに相手を傷つけていたことに気づき、思わず涙するシーンがある。「なんて」は「軽く見る気持ちをあらわす」(『新選国語辞典』第十版、二〇二二年)ことがあり、彼女の使い方はまさにそれだったのだ。その後、彼女はつい「なんて」を使いそうになると、別の言葉に慌てて言い換えるようになる。
 自分の口癖になっている言葉を辞書で引いてみると、思いもかけなかった自分のポートレートの断片が見つかるかも知れない。その発見が自分が変わっていくきっかけになるかも知れない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


精神医学における institutionnel とはどういうことか

2024-03-28 23:59:59 | 哲学

 小学館ロベール仏和大辞典に拠ると、institutionnel という形容詞には二つの意味が挙げてある。「制度(上)の;制度化した」という意味と「(病院、学校などの)制度そのもののあり方を問う」という意味である。後者の意味で用いられるようになったのは1960年頃から精神医学の分野でのことである。文脈によっては、既存の制度を問い直すという意味でも使われるから、その場合、前者の意味とほとんど対立することになる。にもかかわらず「制度的」と訳してしまっては誤解を生んでしまう。「制度論的」と訳すことによってその誤解を回避することはできるとしても、何が問題なのかわわからないままである。
 Le Grand Robert は心理学用語として « qui concerne l’influence exercée par les groupes sociaux (famille, structure sociale) sur le développement de la personnalité » という語釈を与えている。ただ、これだけでは、どうしてそういう意味で用いられるようになったのかよくわからない。その欠を補っているのが以下に引用する用例である。

On peut distinguer deux grands types de caractérologie, l’une constitutionnelle, qui s’intéresse surtout à la constitution d’un individu et aux facteurs innés, l’autre institutionnelle qui s’intéresse surtout à l’histoire d’un individu et aux facteurs acquis. La première est à orientation biologique, la seconde à orientation sociologique. On peut appeler névroses institutionnelles celles qui apparaissent comme le développement d’un complexe, cristallisant un certain type de rapports entre l’individu et un groupe qui est généralement mais non toujours la famille. Ce groupe des névroses institutionnelles, qui est d’une grande importance en caractérologie clinique, s’oppose au groupe des névroses événementielles qui apparaissent comme la conséquence d’un événement plus ou moins fortuit, d’un accident, d’un traumatisme.

Jean DELAY, Introduction à la médecine psychosomatique, 1961, p. 87-88.

 この引用に出てくる constitutionnel という形容詞は、性格学の分野で「体質の、体質による」という意味で使われる。引用文によれば、個人の体質と先天的要因に特に関心を払うタイプの性格学をこう呼ぶ。それに対して、institutionnel な性格学は、個人史と獲得形質に特に注目する。前者が生物学的指向であるのに対して、後者は社会学的指向である。神経症が institutionnel であると言われるとき、その神経症は、感情の複合体の発展として発現し、個人とその個人が属するグループ(多くの場合家族だが、つねにそうとは限らない)とのある関係の型を固定化する。この神経症のグループは、臨床性格学において大きな重要性をもっており、他の神経症のグループである遇発神経症と対立する。遇発神経症は、多かれ少なかれ偶発的な出来事、事故、心的外傷の結果として発症する。
 この説明を前提とすると、institutionnel は「(社会)関係論的」と訳したほうが問題の所在についてより明示的であり、いらぬ誤解を回避することができるだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


本の整理と頭のリセット、そして再起動

2024-03-27 23:59:59 | 雑感

 25日・26日の2日間の国際シンポジウムに、24日の歓迎夕食会から始まってシンポジウム終了後の最後の夕食までフル参加した。発表者としていらっしゃった方々といろいろお話できて楽しかった。それで、今日はちょっと気が抜けたようになってしまった。
 ここ十日ほど、自分の発表の準備に関連して参照した数十冊の書籍が机上に積み重なっていたが、それらをすべて元の場所に戻したり、どうにも場所が足りなくなって買い足した小型の本棚二つに移動させたりして、机上に一冊の本もない状態にするのに半日費やした。この作業は頭のリセットを兼ねてもいる。
 今日は少し頭を休ませ、明朝、「再起動」して別の仕事に取り組むモードに切り替える。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


オンリー・サイテーション・モード(6)岡潔「発見の鋭い喜び」より

2024-03-26 09:38:36 | 読游摘録

よく人から数学をやって何になるのかと聞かれるが、私は春の野に咲くスミレはただスミレらしく咲いているだけでいいと思っている。咲くことがどんなによいことであろうとなかろうと、それはスミレのあずかり知らないことだ。咲いているのといないのとではおのずから違うというだけのことである。私についていえば、ただ数学を学ぶ喜びを食べて生きているというだけである。そしてその喜びは「発見の喜び」にほかならない。

『春宵十話』(毎日新聞社、1963年)所収。後、多数の文庫版有り。角川ソフィア文庫版(2014年)が最新版。


オンリー・サイテーション・モード(5)西田幾多郎「我が子の死」より

2024-03-25 00:00:00 | 読游摘録

親の愛は実に純粋である、その間一毫のも利害得失の念を挟む余地はない。ただ亡児の俤を思い出ずるにつれて、無限に懐かしく、可愛そうで、どうにかして生きていてくれればよかったと思うのみである。若きも老いたるも死ぬるは人生の常である、死んだのは我子ばかりではないと思えば、理においては少しも悲しむべきところはない。しかし人生の常事であっても、悲しいことは悲しい、飢渇は人間の自然であっても、飢渇は飢渇である。人は死んだ者はいかにいっても還らぬから、諦めよ、忘れよという、しかしこれが親に取っては堪え難き苦痛である。時は凡ての傷を癒やすというのは自然の恵であって、一方より見れば大切なことかも知らぬが、一方より見れば人間の不人情である。何とかして忘れたくない、何か記念を残してやりたい、せめて我一生だけは思い出してやりたいというのが親の誠である。

初出 藤岡作太郎『国文学史講話』序、一九〇八年(『西田幾多郎随筆集』岩波文庫、一九九六年)所収。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


オンリー・サイテーション・モード(4)三木清「辞書の客観性」より

2024-03-24 01:58:03 | 読游摘録

辞書は引くもので、読むものではないというのが通念であろう。だが私は今、この考え方を改めて、辞書は読み物であり、しかも恐らく最上の読み物の一つであるとおもっている。仕事に疲れた時、無聊に苦しむ時、辞書を読むのは、なかなか楽しいものである。小型のもの、大型のもの、その時々の心理状態に応じて適当に取り出すことにする。語学の辞書なども面白い読み物であるといえる。

初出「学燈」一九四〇年五月、後、単行本『讀書と人生』一九四二年に所収。


オンリー・サイテーション・モード(3)『イザベラ・バードの日本紀行』より

2024-03-23 06:56:57 | 読游摘録

I am very fond of Japanese children. I have never yet heard a baby cry, and I have never seen a child troublesome or disobedient. Filial piety is the leading virtue in Japan, and unquestioning obedience is the habit of centuries. The arts and threats by which English mothers cajole or frighten children into unwilling obedience appear unknown. I admire the way in which children are taught to be independent in their amusements. Part of the home education is the learning of the rules of the different games, which are absolute, and when there is a doubt, instead of a quarrelsome suspension of the game, the fiat of a senior child decides the matter. They play by themselves, and don't bother adults at every turn. I usually carry sweeties with me, and give them to the children, but not one has ever received them without first obtaining permission from the father or mother. When that is gained, they smile and bow profoundly, and hand the sweeties to those present before eating any themselves.

Isabella Bird, Unbeaten Tracks in Japan, 1880.

わたしは日本の子供たちが大好きです。赤ちゃんの泣き声はまだ一度も耳にしたことがありませんし、うるさい子供や聞き分けのない子供はひとりも見たことがありません。子供の孝行心は日本の美徳の筆頭で、無条件服従は何世紀もつづいてきた習慣なのです。英国の母親たちのやる、脅したりおだてたりして子供たちにいやいや言うことを聞かせる方法は、ここにはないようです。わたしは子供たちが遊びのなかで自立するよう仕込まれるやり方に感心しています。家庭教育の一部にさまざまなゲームのルールを覚えるというのがあり、このルールは絶対で、疑問が起きた場合は、口論でゲームを中断するのではなく、年長の子供が命令をしてことを決着させます。子供たちは子供たちだけで遊び、なにかあるたびにおとなの手をわずらわせるというようなことはありません。わたしはふだんお菓子を持参し、子供たちにやりますが、ひとりとして先に父親または母親から許しを得ずに受け取る子どもはいません。許しを得ると、子供たちはにっこり笑って深々とお辞儀をし、その場にいた仲間に手渡してからようやく自分の口に運びます。

イザベラ・バード『イザベラ・バードの日本紀行』(講談社学術文庫、2008年)


オンリー・サイテーション・モード(2)レイチェル・カーソン『センス・オブ・ワンダー』より

2024-03-22 10:29:19 | 読游摘録

I sincerely believe that for the child, and for the parent seeking to guide him, it is not half so important to know as to feel. If facts are the seeds that later produce knowledge and wisdom, then the emotions and the impressions of the senses are the fertile soil in which the seeds must grow. The years of early childhood are the time to prepare the soil. Once the emotions have been aroused—a sense of the beautiful, the excitement of the new and the unknown, a feeling of sympathy, pity, admiration, or love—then we wish for knowledge about the object of our emotional response. Once found, it has lasting meaning. It is more important to pave the way for the child to want to know than to put him on a diet of facts he is not ready to assimilate.

Rachel Carson, The Sense of Wonder, 1965.

わたしは、子どもにとっても、どのようにして子どもを教育すべきか頭をなやませている親にとっても、「知る」ことは「感じる」ことの半分も重要ではないと固く信じています。子どもたちがであう事実のひとつひとつが、やがて知識や知恵を生みだす種子だとしたら、さまざまな情緒やゆたかな感受性は、この種子をはぐくむ肥沃な土壌です。幼い子ども時代は、この土壌を耕すときです。美しいものを美しいと感じる感覚、新しいものや未知なものにふれたときの感激、思いやり、憐れみ、賛嘆や愛情などのさまざまな形の感情がひとたびよびさまされると、次はその対象となるものについてもっとよく知りたいと思うようになります。そのようにして見つけだした知識は、しっかりと身につきます。消化する能力がまだ備わっていない子どもに、事実をうのみにさせるよりも、むしろ子どもが知りたがるような道を切りひらいてやることのほうがどんなにたいせつであるかわかりません。

レイチェル・カーソン『センス・オブ・ワンダー』上遠恵子訳、新潮文庫。