内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

国際シンポジウム「『日本意識』の未来」第二日目 ― 友好的多言語空間

2014-10-31 23:52:22 | 雑感

 今日も一日、様々な発表を聞く。日本の同一性の問題、沖縄と台湾から見た日本、被害者意識のポリティックス、中国における日本像、古代日本の国際交流、石橋湛山の政治姿勢等、内容は多岐に渡り、それぞれに面白く聴くことができた。発表言語は英語と日本語。
 発表前の朝食時に、明日がご発表の川田順造先生とお話する機会があり、いろいろと貴重なお話を伺うことができた。特に先生が長年に渡って親しくされていたレヴィ・ストロースの日本滞在時のエピソードを面白く聴くことができた。先生からは思いがけなく最近著『〈運ぶヒト〉の人類学』(岩波新書)をご恵与いただく。
 発表後の夕食会は、アルザスワイン街道沿いのレストランで、日本語・英語・フランス語・ドイツ語・ロシア語が飛び交い、多いに盛り上がる。その様子を点描すると次のようになる。明日早朝発たれるロシア人の先生が見事な日本語で皆にお別れの言葉を述べる。私はと言えば、隣り合わせたやはり明日発たれるもう一人のロシア人の先生と、フランス語と日本語のちゃんぽんで、多少分かり合えないところはそれとして、楽しく話し、反対隣のオーストリア人の先生とは、日本語で、新しい研究テーマとそのためにどうやってどこから予算を取るかなど面白く話し合う。フランス人の研究者たちとは日本語やフランス語で冗談を言い合っては笑う。日本人の日本古代史の先生がドイツ語でオーストリア人の先生とビール談義に花を咲かせるのに隣で耳を傾ける。
 このように、何とも面白い多言語空間が、友好的なムードの中で、多少騒々しく、繰り広げられた。周りの客たちが、この人たちはいったいどういう集まりなのだという驚き顔でこちらを見ていたのも無理からぬことであった。













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国際シンポジウム「『日本意識』の未来」での発表を終えて

2014-10-30 23:37:18 | 雑感

 この記事は、シンポジウム初日の発表後の夕食会を終えた後に CEEJA に戻り、その宿泊施設の自室で書いている。
 今朝は七時過ぎに自宅を出る。九時開会だったが、コルマール駅での待ち合わせの都合上、同じく同駅で待ち合わせの参加者たちと十五分ほど遅れて到着。開会の辞の途中であった。
 その後は発表が一日続く。それぞれに興味深い発表であった。私の発表は今日の最後。いい加減聴く方も疲れているだろうし、遠路遥々日本からいらっしゃっている参加者の方々にしてみれば、到着翌日のシンポジウム初日の最後に小難しい哲学の話を聞かされるのは苦行以外の何ものでもないであろう。
 今回に限らず、最後に発表することになると、すでにプログラムの時間が押していることが多く、今日も予定より三十分遅れており、集会後のプログラムに支障をきたさないように自分の発表を終わらせることを第一優先にせざるを得ず、用意してきた原稿をかなり端折り、原稿通りに話すかわりに、かなりその場でまとめて急ぎ足で話すことになった。それでも約一時間かかってしまったが、その後の質疑応答では、貴重な質問もいただき、私自身としてはそれなりにやった甲斐のある発表ではあった。
 とはいえ、発表を終えて思ったことは、私が目指しているのはいわゆる歴史的研究ではなく、テキストの読解を通じて私自身の哲学的スタンスを示すことにあるので、どうもそういうのはいわゆる日本学研究の枠組みでは馴染みにくいなあと、これが初めてのことではないが、今回もまた、感じさせられる場の空気ではあった。
 自分の発表のできを棚上げし、今回参加する機会を与えらたことへの感謝を敢えて脇に除けて言えば、もう少し議論を深めうる場所で発表したいものだというのが偽らざる感想である。少なくともそれに値する問題提起ではあると思うのだが、それは独りよがりというものなのかもしれない。
 それはさておき、このシンポジウムの発表は後日に出版されるので、今日の発表原稿にはできるだけ手を入れて、少しでもましなものにしたい。











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分散ではなく、集中によって ― アウグスティヌスの時間論から九鬼周造の音韻論へ

2014-10-29 19:47:36 | 哲学

 明日の発表の準備は昼前には済んだので、今月末までに仕上げるべきもう一つの仕事である大森荘蔵の仏訳する論文の要旨に取り掛かった。「ことだま論」と「虚想の公認を求めて」は一応完了。あとは「科学の罠」の要旨のみ。今晩中にはなんとかなるだろう。
 国際シンポジウム後は九鬼周造の音韻論についての論文に取り掛かる。別にその論文の準備というわけではなかったのだが、今日の午後、塩川徹也『発見術としての学問』(岩波書店、二〇一〇年)をふと手に取り、最後の論文「ひとは今を生きることができるか」の後注を読んでいたら、アウグスティヌス『告白』第十一巻第二十九章からの引用についての説明があって、本文ではパスカルが愛読したであろうアルノー=ダンディイの仏訳の塩川氏自身による和訳が引用されているのだが、注には参考として原文により忠実な山田晶訳(中公バックス『世界の名著 アウグスティヌス』一九七八年)が引かれている。
 そこで手元にある『世界の名著』第十四巻『アウグスティヌス 告白』(一九六八年)の当該箇所を開いて、その前後も含めて読んでみる。

私は過去のことを忘れ、来たりまた去りゆく未来のことに注意を分散させずに、まのあたり見るものにひたらすら精神を集中し、分散ではなく緊張によって追求し、天上に召してくださる神の賞与をわがものとする日までつづけます。

 この名訳には多数の懇切丁寧な注が付いていて、上記の引用箇所でも「分散させずに...集中し」と「分散ではなく緊張によって」との二箇所に注が付いている。前者については特に詳しい注が付いている。その中で、原文で対比的に使われている distendere と extendere とについて、前者は、「分散した方向に心が向かうこと」であるのに対して、後者は、「精神を一つのことに集中する」という意味に用いられていることを指摘した上で、後者について、「しかし、本来この語にそのような意味はない。それは「外に」ex「むかう」tendere のことであって、「のびる、ひろがる、延長する」の意味である。なぜアウグスティヌスはこの語を、この特殊な意味に用いるか」と山田は自ら問う。
 「二つ理由があると思われる」と山田は言う。同注では、第一の理由のみが説明される。第二の理由は、『告白』の少し先の箇所でもう一度 extendere が用いられている箇所に付けられた注の中で述べられる。

「目前にあるもの」とは、たんに過去と未来とに対立する意味での現在的なものではなくて、この現在にたいしていわば垂直的にかかわる「永遠なもの」をいう。このようなものに extendere するとは、時間的現在「から出て」ex、すなわち超出して、「永遠の現在」に心を「むける」tendere ことを意味するのではないか。

 この箇所を読んで私はハッとした。九鬼周造が一九二八年にポンティニーで行なった二つの講演のうちの一つ「時間の観念と東洋における時間の反復」で問題にしている「垂直的脱自」とまさに重なり合う問題ではないか。
 私がこれから書こうとしている九鬼の音韻論についての論文は、この「垂直的脱自」という経験が現実においてどこで可能なのかという問いに対して、晩年の九鬼は、音韻論を通じて詩的経験の中に答えを見出そうとしたという仮説に立っているのだが、この山田注はその道行を照らす探照灯となってくれることだろう。
 そればかりではない。前掲の塩川論文もまた、〈永遠の現在〉という問題についてのその犀利なパスカル読解によって、多くの示唆を与えてくれることだろう。










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なぜ今「種の論理」を読み直すのか

2014-10-28 15:53:08 | 哲学

 私たちが今置かれている世界的なレベルでの危機的な状況を簡単に素描すれば以下のようになるであろうか。
 予測不可能な生態系壊乱要素が発生している。新しい種が或る地域に侵入することでそれまでの平衡状態に撹拌・混乱・壊乱が引き起こされている。相互に排他的でコミュニケーションが成り立たない種間に対立・抗争・紛争・戦争が繰り返されている。
 これら諸問題に対してどう対処すればいいのか。
 明後日の発表は、上記のような問題意識を背景に、田辺元の「種の論理」を新しい共同体構築の基礎理論としての可能性において読み直そうする試みである。
 民族・国家・宗教の名において抗争・紛争・戦争がなおいたるところで繰り返される現在の世界にあって、種の論理を新しい共同体構築の基礎理論として未来に向かって読み直すための三つの基礎概念とそこから引き出しうる差し当たりの帰結を、およそ以下のように提示することでその発表は締めくくられるだろう。
 (1)中間性(非固定的、遊動性):〈種〉はどこまでも中間的なものであり、非固定的であり、遊動性をその本性とする。
 (2)媒介性(非実体性・表現性):〈種〉はどこまでも非実体的であり、他のものの「表現」形式である。
 (3)可塑性(応答性、脱構築性):〈種〉は外的要因に応答することで自らを改変しうるものであり、場合によっては自己解体を受け入れるものである。 
 上記の三つの基礎概念が内包するテーゼから、次の三つの理論的帰結を導くことができる。
 (1)民族・国家・社会・共同体 ― これらのうちのいずれの契機も時間を超えた自己同一的な実体ではない。
 (2)いわゆる民族の自己同一性は相対的なものである。
 (3)個と民族あるいは国家との間に、さらに中間的・媒介的な自発的・限定的・可変的共同性を構築する可能性はつねにある。
 このような可塑的な共同性は、そのうちに緊張・葛藤・対立を孕み、自己解体の可能性をも内包しつつ、動的平衡を保持しようとするものでなくてはならない。そこで求められているのは、異質なもの同士の葛藤・対立・闘争を通して自己更新していく、非実体的な動的平衡とその具体的な表現形式である。
 このような共同性構築のためには、どのような作業が求められるのか。
 (1)対立する複数項の間の新しいコミュニケーションを可能にする媒介的共同性を創設すること。
 (2)それまで両立不可能であった相互排他的諸要素間に動的平衡が成立するように、それらの対立要素がそこにおいて構成要素として協働しうるより高次の「内部」を創設すること。
 (3)ある媒介項を挿入して、局所的な不安定性を「内包」することで、より高次な動的平衡を生成すること。
 (4)その新たなより高次の動的平衡の生成に伴って発生する自己関係・自他関係・共同体間関係等における多元的な変化によってもたらされる類・種・個の現実的意味作用の変化に表現を与えること。
 これらの作業を通じて見えてくるのは、どのような社会であろうか。それは、非同心円的多元的相互媒介的なネットワーク社会ではないであろうか。











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新しい可塑的共同体構築の基礎理論としての種の論理

2014-10-27 18:33:51 | 哲学

 三日後に迫った国際シンポジウムの発表原稿がほぼ完成した。結論はまだ推敲しなくてはならないが、それ以外はほぼこれでいいだろうというところまで仕上げた。引用箇所だけをまとめた資料編も作成済み。パワーポイントはまだ予備的考察の部分しかできていないが、結論の推敲が終わってから作成することにする。
目次は以下の通り。

0 〈和〉でもなく〈寛容〉でもなく ― 行動原理についての予備的考察
0.1 「以和為貴」
0.2 寛容主義
0.3 〈和〉と〈寛容〉に共通する根本問題

1 「種の論理」へのアプローチ ― 一つ外在的批判を手がかりとして
1.1 概念規定の問題
1.2 存在論的問題
1.3 政治哲学的問題

2 「種の論理」とその時代 ― 戦争と哲学者
2.1 実践的な社会哲学試論
2.2 普遍的かつ現実的な問題提起
2.3 現在における哲学的実践

3 「種の論理」の批判的考察
3.1 〈国家〉概念の両義性
3.2 国家の強制力の合理的根拠
3.3 〈民族〉の基体化・実体化・主体化
3.4 「種の論理」と「絶対媒介の弁証法」とのアポリア
3.5 〈実践〉の抽象性という脆弱性

4 可能性としての種の論理
4.1 〈種〉の可塑性
4.2 反実体主義
4.3 同一性の動態化
4.4 無限相互媒介性

結論 ― 可塑的共同体構築の基礎理論としての種の論理
1. 中間性(非固定性・遊動性)
2. 媒介性(非実体性・表現性)
3. 可塑性(応答性・脱構築性)

 見出し自体は昨年九月のCEEJAでの発表と重なる部分も多いが、中身は相当に手を入れ、改変・増幅されている。そこにさらにそれ以降の発表の成果も取り入れ、最終的には今回特に考えたところを主に結論において述べる。
 以下に掲げるのは、第三章「「種の論理」の批判的考察」の導入部分。

 「種の論理」において、その三つの構成契機である類・種・個のうち、種に他の二つの契機に対する存在論的優位性を与えてしまうと、田辺において「種の論理」と「絶対媒介の弁証法」とは不可分の関係にあるという前提に立つかぎり、どうしてもアポリアに陥ってしまう。なぜなら、絶対媒介の弁証法によれば、種の論理を構成する三契機は、種の論理において、相互に必ず他の二契機を媒介としてしかその存立を確保しえず、したがって、三契機のうちのいずれかに他の二契機に対する存在論的優位性を与えることはできないからである。
ところが、田辺は、国家を「最も具体的なる存在」として、諸々の個人を結局のところ国家に従属する存在と見なすという、自身の絶対媒介の弁証法からは決して導きえないテーゼを主張する。田辺自身が構想する絶対媒介の弁証法に矛盾しているという意味で、田辺哲学における自己矛盾と見なさざるを得ないこのテーゼは、種と見なされた国家に種の論理の中で個に対する絶対的優位性を無条件で与えるかぎり、決して克服することができない。
 田辺が陥ったこの理論的破綻の原因は、種としての国家に誤って与えられた実体的優位性にある(このことは戦後田辺自身認めている)。しかし、この破綻は論理的に不可避なものではなく、田辺自身の絶対媒介の弁証法を徹底化することによって回避することができ、さらには、その徹底化によって、種概念を可塑性と動性と創造性を有った概念として再生させることができると私たちは考える。
 本稿が以下で試みる「種の論理」の未来へ向かっての読み直しの方向を予め図式的に示せば、次のようになる。㈠ 種の論理は絶対媒介の弁証法をその根本原理とする。㈡ その弁証法におけるすべての構成契機は非実体的である。㈢ 種は可塑的であり、脱構築可能である。











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辞書を読む愉しみ ―中世における「寛容」の不在から古代における「パレーシア」へ

2014-10-26 18:47:45 | 読游摘録

 冬時間初日の今日日曜日から日本との時差は八時間に広がった。日曜日のプール開門時間は午前八時だが、昨日までの夏時間で言えば、今日の開門は午前九時に相当する。たった一日で日常の起床就寝の習慣的時間が一時間すぐにずれるわけではないから、これまでは日曜日朝の八時開門時直後には来る習慣のなかった人たちも今日は開門時間に来たのであろう。開門後たちまち混んできて、あまり快適に泳げず、僅か三十分泳いだだけで上がった。
 帰宅してからは、原稿書きに集中する。より正確に言えば、これまで書いた断片を、全体の議論の筋道に沿って章ごとに並べ直し、そこに適宜引用を挿入し、さらに出典の書誌的情報や補足事項を脚注に書き込むという作業であった。
 その作業の傍ら、ときどき確認のために辞書・事典類を参照していたのだが、論文あるいは発表原稿作成上の必要に迫られて何か特定の語について辞書類で調べるときは、必要な箇所だけをちょっと見るだけで、項目全体に目を通すとは限らない。つまり、調べ物のための道具として使っているだけである。
 しかし、辞書で「調べる」のではなく、辞書を「読む」のは、私の愉しみとするところである。かつて教室で学生たちに「私の枕頭の書の一つは、『フランス語歴史辞典』(Dictionnaire historique de la langue française, Le Robert, 2009)です。こんな面白い読み物はそうありませんよ。皆さんにもお薦めします」と言ったら、まるで異星人を見るかのように引かれてしまったのをよく覚えている。私に言わせれば、こんな宝の山を前にして心躍らないとは誠に残念な話である。
 今日は、発表原稿で「寛容」概念の起源に触れるために、同辞書で動詞 « tolérer » とその項目に派生語として組み込まれている « tolérance » のところを読み返していた。この項目を読めば、ラテン語の « tolerare » を起源とするこのフランス語が、他者の信仰の自由を認める宗教的寛容という意味で使われ始めるのは、十六世紀末からだということがわかる。
 では、ヨーロッパ中世には、今日言う意味での「寛容」あるいはそれに近い概念はあったのだろうかということが気になりだした。おそらくないであろうとは予想されたが、今度はこれもお気に入りの事典の一つである『中世事典』(Dicntionnaire du Moyen Âge, PUF, 2002)を調べてみた。そもそも « tolérance » という項目があるかどうかさえ危ぶまれたのであるが、ちゃんとあった。
 その項目の記述は大変面白くかつ示唆に富んでいるのであるが、全部訳すにはちょっと長過ぎるので、その最初の方だけを紹介する。
 「寛容」という言葉が、現実あるいは真理について、特に神学的問題に関して、複数の観点の存在の正当性を容認するということを意味するのならば、中世にはほとんどそのような態度を示す言葉を見出すことはできない。中世では、古代ギリシアの例に倣って、パレーシア(parrhèsia)― 国家あるいは教会内において、為されるべきことがらについて自らの意見を述べる自由 ― という言葉が使われることはあるが、宗教的複数性を認める態度を意味する「寛容」はまった見出し得ない。中世において、異端者あるいは不信仰者について « tolérer » という言葉が使われるときは、常にその語源的意味にしたがって、つまり、「現在のところ排除できない悪に忍耐を以って耐える」という意味においてなのであり、「違いを認める」という意味はそこにほとんどないと言っていい。中世においては、宗教的な事柄は個人の内面に属する問題ではなく、神学的に誤った考えを有っている人間をいわゆる「寛容をもって」許容することは、教会という共同体の存立を脅かしかねないものとして排除されなくてはならなかったのである。
 以上のような記述の後にトマス・アクィナスの『神学大全』からの引用がいくつかあって、今日的観点から見ても倫理学的問題として検討に値する論点が提示されているのであるが、それらについてはまだ何れ別の機会に話題にすることにして、今日のところは、上記のパレーシアについて一言付け加えて記事を閉じることにする。
 古代ギリシアにおいては、パレーシアとは「身の危険を冒してでも、公益のために真実を公的な場所で語ること、あるいはそのような勇気ある態度あるいは義務」を意味した。この点に注目して、ミッシェル・フーコーは、言説内容がある基準に照らして真理として認められるかどうか吟味することとは別に、自分が真理と信ずるところを身の危険を顧みずに述べることそのこと、そのようにして自身の真理への関係を大胆に表明し、そのことを通じて他者の感化を図ることそのことを哲学的態度として、一九八三年秋学期にカリフォルニア大学バークレー校で行なった「言説と真理:パレーシアについての問題提起」(“Discourse and Truth : the Problematization of Parrhesia”)と題された六回の講義で詳細にパレーシア概念を分析している(この英語での講義録は、出席者の一人のノートから起こされたもので、フーコーの校閲を経ていないが、こちらのサイトで全文閲覧可能であり、PDF版がダウンロードできるようにもなっている)。









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掃除と本棚整理と発表原稿

2014-10-25 15:41:03 | 雑感

 朝七時の開門に合わせてプールに行く。今日が少なからぬ人たちにとって万聖節の一週間の休暇の初日であるということ(小中高はすでに先週の土曜日に休暇に入っている。この時期に二週間も休むのはどうかと思うが)と、今日の深夜に冬時間に切り替わるということとがおそらくその主たる理由なのだと思われるが、とても空いていたのである。こうなると嬉しくなってたくさん泳ぎたくなる。しかし、今日から五日後に始まる(ええっ~、もうそれしかないの!)国際シンポジウムの原稿書きに集中しなくてはならない。二〇〇〇メートル泳いだところで、がらがらのプールを後ろ髪引かれる思いで後にする(というのは言うまでもなく誇張である)。
 ぐずぐずしてはいけないと、朝食も取らずにパソコンに向かい原稿を書き始める。快調である。やはり何週間も前から頭のどこかの片隅で考えていたことであるし、これまでの種の論理についての一連の発表を踏まえてのことであるから、知的助走が十分にできていたのであろう、淀みなく文章が綴られていく。だが、ふと、これは危険だ、筆が滑りすぎるとつい余計なことまで書いてしまいそうだと、敢えて中途半端なところで投げ出し、机の前を離れる。
 そして何を始めたか。部屋の掃除である。以前にも一度記事にしたが、これは一石二鳥なのである。雑巾や掃除機で部屋を綺麗にしていると、考えの方も整理される(ことが多い)。ひとしきり掃除をした後に机に戻ると、案の定、書きかけの原稿の間違いや無駄にすぐに気づき、それを直したり省いたりして、原稿がすっきりした。「狙い」通りである。
 しかし、今日は掃除だけでは済まなかった。昨日物置から整理棚として使えないかと引っ張り出してきた未使用の床板数枚と風呂場の洗面所の下から一昨日発見したやはり未使用のタイルとを使って机周りと本棚に二重に並べられた本をすべて背表紙が見えるように一列に並べらる作業を始めてしまったのである。実はこういう作業が大好きで、あれこれ並べ替えては、さらによい並べ方はないかと思案していると、あっという間に数時間経ってしまうこともある。
 さすがに今日は抑制が効いたが、それでも小一時間整理作業に没頭し、その結果にはいたく満足している。七つの本棚に詰め込んだ本がこれでほぼすべて一望のもとに見渡せるようになり、必要な本を取るのに、その手前に並べてある本をどけるという煩わしい手間を省くことができるようになった。高さ二メートルの本棚の上に天井一杯までさらに二段本を並べたので、脚立に乗らないと上の方の本は取れないが、まあまずもう読まないか、取り出すにしても年に一回あるかどうかという使用頻度の低い本ばかりであるから、大した支障はないであろう。
 さあ、これで原稿書きもさらに捗るというものである。
 ところがである。今晩は冬時間への移行のために夜が時計の上では一時間長い。正確に言うと、日曜日午前二時に時計を一時間戻す。だから、一時間得したような気分になる(もちろん三月末の夏時間への変更時にその「つけ」を払うことにはなるのだが)。だから、なんとなく余裕があるような気持ちになるのである。
 おお、それに今日は土曜日である。明日日曜日はすべて店がしまってしまうから(もうすっかり慣れましたけれど、やっぱり日本はいいなあ、いつもお店が開いていて)、今日明日の食料の買い出しに行かなければならない。明日は(プール以外は)本当に原稿書きのために家に籠もるし、できれば月曜日も買い物には行きたくないから、今日中に三日分の食料を買い込んでおかないといけない。
 というわけで、この記事を投稿したら、買い物に行ってきます。

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万聖節休暇前の最後の講義を終えての感想

2014-10-24 18:41:38 | 講義の余白から

 今日の古代史の講義が万聖節の一週間の休暇前の最後の授業だった。先週の試験の結果を踏まえて、今回から一文一文、用語法についても文法的にも詳細な説明を加えていくことにした。特に、一般的に使用頻度の高い語彙・表現が使われている文と構文的に複雑な文とについては、日本史的観点から内容として重要かどうかにかかわりなく、時間をかけて説明することにした。結果として、今日は僅かに一頁半読んだだけである。
 日本学科には、私が担当している古代史ばかりでなく、第二・三学年で合わせて八コマある日本史と日本文学史の講義には一貫した方針が伝統的にあって、それは、日本の高校の教科書をそのままテキストとして用い、それを学生たちに読ませながら、日本史及び文学史の全般的知識を身につけさせると同時に、日本語読解の訓練もするという二重の目的をもっているということである。
 いきなりかなりハイレベルな日本語を読ませるという点については私もこの基本方針に賛成なのだが、古代史から現代史まで全般的にこれだけの時間をかけて学習するのが妥当かどうかについては、正直なところ、いささか疑問を持っている。自分自身の考えを整理しておくために、以下、その疑問をここに書き残しておくことにする。
 日本学科なのであるから、学生たちは必ずしも歴史や文学の勉強をするために来ているわけではないのに、現行のカリキュラムでは、歴史と文学という二つのジャンル以外については、翻訳の授業で様々なテキストにちょっと触れるだけで、学部生の間はそれ以外の分野のテキストをじっくり読む機会がまったくない。これでは、学生たちが持っているであろう潜在的に多様な関心を呼び起こすことは難しいし、知識の習得という点からもバランスを欠いていると言わざるをえないのではないだろうか。
 教える側の私自身は、自分の関心領域からして、古代史、古代・中古文学史、中世・近世文学史を担当することを楽しんでさえいるのだが、学生の立場に立って考えてみると、歴史的順序に従って古代から始めるせいで、二年生になった途端に、一年生の間には本当の日本語の文章にはほとんど接する機会がなかったのに、いきなり見たこともないような複雑な漢字が並んでいる構文的にもかなりやっかいなテキストを与えられ、しかも内容は自分たちの想像力の範囲を超え出るような遠い遥かかなたの話であるというのは、日本語学習の順序と内容という観点から妥当と言えるであろうか。
 古代史と古代文学史を並行して担当していて特に問題になることは、それ以降の時代に比べれば、教科書の中で占める頁数も少なく、今学習中の奈良時代を例に取ると、文学史の方ですでに学習済みか今学習中の『古事記』『日本書紀』「風土記」『万葉集』についての説明に割かれた文章が歴史の教科書の方ではこれから出てくるというように、かなり重複部分もあることである。こういう重複は、中古以降は少なくなる。言い換えれば、歴史と文学史それぞれに異なった話題が多くなるので、講義内容の重複という問題は生じにくくなる。もちろん上記のような重複部分は歴史の方では省略するとしても、ではそれ以外に特に時間をかけて説明すべき箇所が歴史の方にあるかというとそれほどでもないのである。
 では、どうするべきだと私は考えているのか。少なくとも古代史と古代文学史は統合して履修時間数を半分に減らし、その分を他の分野のテキストあるいは歴史記述とは異なるタイプのテキストの学習に充てるべきであると考えている。学習内容全体のバランスから見てもそう考えるが、この二つの講義が現行カリキュラムではどちらも第二学年前期に配当されているだけになおのことそう考える。
 そのタイプの異なるテキストの具体的内容については、人によってさまざまな選択肢が考えられるであろうが、私自身が選択するとすれば、日本の現代国語の教科書に採用されているような、様々な分野の専門家、特に自然科学者たちが中高生向けに書いた、平易でありながら本質的な問題を考えさせるエッセイを読ませることだろう。
 カリキュラムの一部変更に相当するこのような講義内容改変は、行政的手続き上は簡単ではないのだが、今後折を見て同僚たちと意見交換を行なっていくつもりである。
 それはそれとして、明日からはしばらく講義のことは忘れて、月末のシンポジウムでの発表原稿と大森荘蔵仏訳論文集中の担当論文の仏語要旨の作成に集中する。

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『萬葉集』を読むということ ― 漢字と和語との千年を超える往還を通じて

2014-10-23 16:14:53 | 講義の余白から

 今日の古代文学史は、まず先週の試験について採点結果報告・講評・見直しを終えた後に、いよいよ古代文学史の精華である『萬葉集』の解説に入った。まずは教科書に従いながら、全般的な説明を、成立、構成・内容、作者・詠作年代、表記・用字の順にした後で、歌風の変遷の説明に入る。全体を四期に分けることができること、その中心となる時期は、第二期と第三期であることを前置きとして述べた後、第一期の説明に入る。いわゆる「初期万葉」の時代であり、それは、天智・天武両天皇の父である舒明天皇の時代から壬申の乱までの中央集権体制が確立されていく激動の時期に相当する。古代史の授業ですでにその時代の政治史については学習済みだ。
 初期万葉歌の全般的特徴を述べた後、『萬葉集』劈頭の歌である巻一巻頭歌雄略天皇御製の長歌の西本願寺本萬葉集の写真版をプロジェクターで大写しにして、今私たちに最も整った形で残されている『萬葉集』がどのように表記されているかの例として見せた。そして、その脇に同御製を原文のまま一切のスペースなしにワードで転写したものを並べ、日本語とはまったく異質な言語記号を使って日本語の音素をできるだけ正確に表記することがどれだけの困難と工夫を要したか、そして平安時代にはこのように漢字だけで表記された万葉歌を訓むことがすでに多大な困難を伴う作業であったことに思いを馳せてもらった。
 この説明の際に念頭においていたのは、岩波文庫の新版『万葉集(一)』の大谷雅夫先生による解説だった。先生には昨年九月CEEJAで京大・ストラスブール大共催のシンポジウムの席でご一緒する機会があり、食事の席で伺った万葉歌の訓みの確定を巡るお話がとても興味深かった。その時楽しい会話のことを思い出しながら、文庫の解説を昨日読み返していた。
 今は世に残らない万葉集の原本の断片が発見されたとして、それはどのような状態であろうかと想像するところからその解説は始まる。その発見された断片が雄略天皇御製歌だったとすれば、その断片の冒頭には、だだ「籠毛與美籠母乳」という漢字だけが連ねられていることだろう。

そう記した者は、その漢字列に古代日本語の歌を託し、読む者は、その漢字列の中から古代日本語の歌を読みとってきた。記す方も読む方も、歌とはおよそ関わりのない中国の文字を頼りとしてきたのである(四九六頁)。

 そして、その訓みの努力は、十世紀半ば宮中の梨壺に集められた源順ら五人の学者たちが読解を始めて以来、鎌倉時代の仙覚、江戸時代の契沖や賀茂真淵を経て、近代以降の多数の学者たちに継承され、今も続いているのである。上記雄略天皇御製歌の冒頭二句の「籠もよ み籠持ち」という訓み方も、千年を超える長い研究史を経て得られた一つの結論である。しかも、「その結論は絶対的に確実なものとは言えない」(四九七頁)。
 『萬葉集』を読むということは、漢字だけで表記された今は失われた千二百年以上前の原テキストを、千年を超える先人たちの努力を通じて今もなお生成し続けるテキストとして読むということなのであり、それはまた、漢字の殻に包まれた柔らかな和語を今に蘇らせるため感性の実践でもあり、古と今との間の、そして漢字と和語との間の終わりのない往還運動にほかならないのである。

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「敦盛最期」を読みながら、日本人の心の形を思う

2014-10-22 19:50:42 | 講義の余白から

 先週まではこの季節にしては例外的に暖かく、気持ちのよい天気だったし、昨日までは気温もそれほど下がることなく、外出時も長袖のシャツにジャッケト一枚で十分だったが、今朝外気は七度まで下がり、日中も十一度までしか上がらず、昨日までのような格好では震え上がってしまうほどの寒さであった。空も一日雲に覆われたまま。
 今週末、冬時間に切り替わる。冬の到来である。ストラスブールはパリに比べると日没時間が二十分以上早い。今日の日没が午後六時二十八分。これが冬時間に切り替わって最初の日である今度の日曜日には午後五時二十分になってしまう。もちろん日の出も時計の上では一時間早くなるわけだが、生活リズムは時計に合わせて刻まれるのが普通だから、来週からは夕方五時を過ぎるともう日没が迫る中を帰宅することになる。フランス人でもこの冬時間への切り替えによる心理的影響を嫌う人は少なくない。私ももう慣れたとはいえ、やはり人工的なこの時計の調整によって何か気分の上でも冬モードに切り替わってしまうのを感じないわけにはいかない。
 大学は今週末から一週間、万聖節の休暇に入るから、その間大学に行くことはまずないが、冬の到来を噛みしめながら、月末から十一月一日にかけてのCEEJAでの国際シンポジウムでの発表の準備のために家に篭もることになるだろう。
 今日の中世文学史で読んだ「敦盛最期」には学生たちもちょっとグッと来たようであった。もっともあの箇所を読んで何も感じないほど鈍感な感性を持つことのほうがおよそ心ある人間には難しいかもしれない。原文と仏訳を対照して見られるように、テキストをアレンジして印刷したものを渡し、パワーポイントでも同様に対訳形式で表示しながら、ゆっくりと朗読した。ところどころ立ち止まって語彙の解説を挟みながら、学生たちに仏訳をたよりに原文の朗読を追えるようにした。
 今、日本の学校ではどれほど古典がちゃんと教室で読まれているのであろうか。「国際人」を養成するためと称して、碌でもない「ネイティヴ教師」を雇用する金と時間があるのなら、小学校一年から、いや幼稚園から、『平家物語』のような、日本人の心の形そのものであるような古典中の古典を、しっかり時間をかけて音読し、ゆっくりと噛みしめるように味合わせることの方が百倍も千倍も大切だと私は思う。そのようにして心を養われなかった日本人が立派な国際人などなれるはずがないからである。

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