内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

生成する生命の哲学 ― フランス現象学の鏡に映された西田哲学 第一章(十四)

2014-03-17 00:00:00 | 哲学

3.2.2 〈自己形成〉

形成作用とは、環境と生命と一である世界の自己限定ということでなければならない。現在が現在自身を限定するということでなければならない。現在が現在自身を限定する永遠の今の自己限定に於て、環境と生命とが一であるのである。

 形成作用とは、形を与えることである。西田の言う〈形〉は、一般的な意味での見えるもの或いは触れうるものの形だけを指しているのではなく、或る物の内部構造、事物間の関係、諸々の具体的行為、諸現象、諸事物がその中で機能するシステムなど、この世界において他のものと相互に限定しあいながら何らかの現れ方をするものすべてを指している。
 歴史的生命の世界の形成作用は、真実在の自己形成作用にほかならない。真実在は、それ自身によって在り、それ自身によって働き、自己自身を限定するものであり、他のものによって限定されるものはすべて真実在ではないのであるから、真実在の形成作用は、つねに現在の自己限定として捉えられなければならない。

物を見る、物が見られるということは、自然が物を形成することである、物が自然に形成せられることである。歴史的自然が自己自身を限定すると云ってもよい。

 物がある形を取って見えるものとして現れるということを歴史的生命の論理に従って説明するとどうなるか。ある物を見ているのは私である。しかしある物がそこに見えるものとして現れさせているのはそれを見ている私がではない。しかし、またその物が私にそれをそれがある場所に見えるようにさせているのでもない。ある物を見る、ある物が見られるということは、自然が自らのうちに見えるものを形成し、自らに見える形を与えるということである。見えるものがあるということそのことにおいて、自然は、自らに形を与えているのである。自然自身が〈見るもの〉―〈見えるもの〉という相対的な二極に自己を差異化していると言ってもよい。

真の形成作用というのは、歴史的実在の世界の自己限定として、永遠の今の自己限定として、成立するものでなければならない。それは歴史的生命が自己自身を見ることである。

 私たちが生きるこの世界にある形があるというこの単純な事実は、歴史的現実の世界が各瞬間に自らにある限定された形を与えているということに他ならない。世界は、自ら自己自身を連続的に創造し続けている。真の形成作用である歴史的現実の世界の自己形成作用は、瞬間ごとに十全に具体化され続けている。この作用が各瞬間を掛替えのないものにしている。このようにして、歴史的生命は、自らのうちに自らある形を与えることによって、自己自身をその都度の今において十全に見ているのである。