内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

「自伝」の誕生 ― 西欧十八世紀産業社会における「人格」概念の変容

2014-03-02 00:15:00 | 哲学

 まず、ギュスドルフが Les écritures du moi の第三章冒頭で引用している Philippe Lejeune の « autobiographie » の定義をそのまま訳して掲げよう。

「自伝」(autobiographie)という言葉は、文明史の中のまったく新しい現象を指し示しており、それは西ヨーロッパで十八世紀半ば以降に発展した。その現象とは、自己自身の人格の歴史を語り公にするという習慣である。同じ時期に出現した日記と同様に、自伝は、「人格」(personne)という概念の変容を示す諸徴表の一つであり、産業文明の始まりとブルジョワ階級の台頭とに密接に結びついている。

 この引用には、当然のことだが出典についての脚注が付いている。それによると、出典は、L’Autobiographie en France, A. Colin, 1971, p. 10 だとわかる。ここまではごく一般的な手続きで何ら特別に注意を引くところはないのだが、その後が何か執念深さを感じさせるのである。というのも、ギュスドルフは、同じ主張が同書の六五頁にも繰り返され、同様の定義が同じ著者のそれ以後の他のニ著、Le pacte autobiographique (1975) とその続編である Le pacte autobiographique (bis) (1983) の中でも繰り返されていると言及した上で、「著者は、1975年に学術雑誌 Revue d’Histoire littéraire de la France 誌上に公開された対話(相手が示されていないが、文脈からギュスドルフ自身だろう推測できる)の際の一切の批判にもかかわらず、自分の立場を変えていない」と念を押している。
 引用の直後の本文の方はさらに劇しい調子である。「一切の反論を許さぬような」という意味の « péremptoire » という響きの強い言葉を使って引用文を形容した上で、それに続けて、「この小さな本の著者は、自伝という文学的分野の専門家のように見える」と揶揄し、その次の文では、「根拠がなく、誤っている、この類の見解は、それ相当の存在理由がある。それは、その上に胡座をかくのに都合がよく、かくして得られた知的安楽は、自らに様々な問いを立てることなしに済ませてくれる」からであると、その安易さを厳しく突く。つまり、自分固有の研究分野を確保するために、あたかも一つの文学ジャンルが他のジャンルと並んで存在するかのように、それを根拠なしに誤った仕方で定義し、その定義をより明確にする努力は繰り返すが、そのジャンルに立てこもり、そのジャンルの定立の根拠そのものにまで遡って問いを立てようとはしないことを批判しているわけである。
 しかし、ギュスドルフの批判の炎はそこだけでは収まらない。次頁では、かくして捏造された新しい文学ジャンルが新しい研究対象として「市場」に登場し、新しい研究テーマを半ば絶望的な気持ちで探していた学生たちがそれに飛びつき、このテーマをめぐっての論文、シンポジウムがフランスのみならず諸外国でも花盛りとなるのだと、口を極めて弾劾するのだ。今日の記事のタイトルは、記事の冒頭に引用したPhilippe Lejeune による「自伝」の定義から私が拵えてみたいかにもありそうな「研究テーマ」の一つである(本当にこんなタイトルのシンポジウムがあったかもしれません)。これをギュスドルフが見たら、怒り心頭に発すること間違いないだろう。
 上記のような批判に関して、私は必ずしもギュスドルフの立場に与さない。なぜなら、歴史的に存在しない実体をあたかも存在するかのように主張するのは論外だとしても、一つの概念に明確な定義を与え、それを手掛かりに歴史的諸現象を分析するという方法は、少なくとも学問的な作業仮説手続きとしては正当な存在理由があると考えるからである。それに、たとえ文学の研究であっても、作品流通の社会的・商業的媒体という問題は無視できないはずである。上に引用した「自伝」の定義の中で、私が「公にする」と訳した原語は « publier » で、これは「出版する」という意味にもなる。つまり、多かれ少なかれまとまった部数が印刷され、市場に出回るという流通過程というファクターもそこには入ってくる。この意味で「自伝」が商品化されるのは、近代資本主義社会が成立してからだとは言えるだろう。そして、その事実が近代人の自己意識に何らかの影響を与えたのではないか、という問題を立てることも、根拠がなく間違いだとまでは言えないであろう。
 因みに、この物質文明史と哲学的認識論史の関係という問題については、一昨年と昨年、東京での夏の集中講義で、鏡の歴史を自己認識の変化の歴史と重ね合わせて考えた時に、西洋における鏡の市民社会への普及と近代的自己意識の確立には密接な関係があることを私は指摘した(この講義については昨年七月後半から八月初めにかけて記事にした)。
 では、なぜ、ギュスドルフは、いささか度外れと思われるほどの攻撃性をもって Philippe Lejeune の「自伝」の定義を批判したのか。それは、あのような定義によって覆い隠されてしまうより根本的な問題があるとギュスドルフは考えているからである。それは、〈自己〉とは何かという端的な問いである。一昨日二月二八日の記事で示したようなギュスドルフによる « auto-bio-graphie » の定義に当てはまるエクリチュールは、自己認識の問題史的観点から見れば、Lejeune の定義に見られる時空の限定をはるかに超えた広範囲に多様な形式において見出しうる。〈自己〉とは何かと哲学的に徹底的に問うためには、それらすべてを対象として問題を考究すべきであるのに、「自伝」を十八世紀の近代西ヨーロッパに誕生した新しい現象と見なすことは、そのような広範な考究への道を塞いでしまうというのがギュスドルフの批判の要点であろう。
 私は、上記のいずれの立場を取るべきかというのは、それこそ間違った問いの立て方だと考える。ここでの問題は、どちらが正しくて、どちらが間違っているという問題ではない。対象へのアプローチの仕方がそもそもそれぞれ違うのであり、両者それぞれに意味がある。実際、Lejeune は、近代以降の西欧における「自伝」と「日記」という文学的ジャンルに関しての多数の著作を単著あるいは共著として出版しており、西欧近代固有の自己意識について生産的な仕事をしている。他方、ギュスドルフのアプローチは、広い意味で「自伝」と見なされうるエクリチュールを、古代から中世を経て現代まで、文学、哲学、宗教などの複数の分野において博捜することによって、いかに〈自己〉がそれとして自覚され、観察され、批判的に検討されうるかを、様々なタイプのエクリチュールを分析しながら、より普遍的な次元で問おうとしているのである。