内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

生成する生命の哲学 ― フランス現象学の鏡に映された西田哲学 第一章(十七)

2014-03-20 00:00:00 | 哲学

3.3 歴史的生命の論理による世界像

 歴史的生命の世界とは創造的世界であり、その世界においては、その基礎或いは質料として予め要求されるいかなる実体や物質も前提することなしに、その世界そのものにおいてあらゆる形が形成される。それが「作られたものから作るものへ」と向かう世界である。それは、自己形成的な世界であり、絶えず自らにある形を与え、無限に多様な形の下に自己限定してゆき、これらの形はそれぞれ互いに相異なった形を自らに与えつつ、様々な構成形態を形成してゆく。それは、つねに現前する現実の世界であり、外部から来るいかなる所与も前提としない。それは、表現の世界であり、その構成要素が自己表現することによって自己表現する。とりわけ、私たちの身体的自己は、世界が自らを表現するパースペクティヴがそれに対して開かれる焦点であり、まさにそれゆえに世界が自己自身の内部において自己を表現するパースペクティヴの一中心である。歴史的生命の世界は、また行為的直観の世界でもあり、そこでは身体的自己が行為を通じて自らに見える形を与え、それと同時に、世界は、その行為する身体的自己に対してある形の下に組織される。行為的直観によって、世界は、直接的に把握され、それによって、世界は、自己についての原初的根源的知識を自らに与える。純粋経験の前反省的な直接的明証性は、歴史的生命の世界における行為的直観によって与えられる根源的知識として捉え直されているのである。歴史的生命の世界は、各瞬間に自らを限定しながら、すべての出来事をうちに含む。それは、また、自覚の世界であり、そこで私たちの身体的自己は、この世界に自ら形を与えることそのことによって世界の自己形成作用の一作用点として働き、そこにおいて歴史的生命が自らに直接現れることとしての自覚が成立する。西田哲学において始まり続ける哲学の〈始源〉は、この歴史的生命の世界の根本構造としての自覚において顕現している。