内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

親鸞が伝導する「信楽の炬火」― 武内義範『教行信証の哲学』に触れて

2017-08-31 17:05:38 | 哲学

 六月に著者の岩田文昭先生ご自身から頂戴した『近代仏教と青年 近角常観とその時代』(岩波書店、二〇一四年)について、拙ブログで七月三日から六日にかけて取り上げた。この御本の中に、三木清の親鸞理解に決定的な影響を与えた一書として、武内義範『教行信証の哲学』(初版は一九四一年、弘文堂より出版。私の手元にあるのは、二〇〇二年に法蔵館から出版された新装版)のことが詳しく取り上げられている。
 この武内書に出てくる「信楽」という言葉が、今日、目に止まった。「しんぎょう」と読み、仏教で、教法を信じ、これに喜び従うことを意味し、浄土真宗では、特に、弥陀の本願を信じる心をいう。
 武内書には、親鸞晩年の信仰について「信楽の炬火」(しんぎょうのこか)という表現が出てくる。

親鸞は晩年に至っても、衰えない気力を保っていた。彼の十八種の力作は、その大部分が八十三歳から八十八歳の間に製作せられた。「すでに眼も見えなくなった」と彼は、その頃の消息で語っているが、このよう衰残の身にも、なお烈々と信楽の炬火が燃え続けていたことを、これらの述作の調子の高い文章が、もっともよく示している。〔武内前掲書八頁〕

 この「信楽の炬火」という表現を武内は近角常観についても用いている。

灼熱せる先生の信楽の炬火は、不良導体の私の心までも、同じ高熱に燃え上がらせたごとくにも見えた。〔岩田前掲書二五七頁。武内義範「真宗教化の問題」(一九五〇年)からの引用〕

 いずれの場合も、弥陀の本願を喜び信じる心が烈々たる篝火のように人々の心を照らし、伝導し、導く、ということであろう。











精神の「脱水状態」に陥らないための「水分」補給、あるいはスピノザにおける自由の問題

2017-08-30 17:42:49 | 哲学

 当分ほとんど哲学書は読めない状態に今はあるけれど、哲学にまったく触れずにいると、いわば精神が「脱水状態」に陥り、下手をすると精神の「熱中症」にかからないとも限らないので、ちょうど身体がそうならないために水分をこまめに補給するように、ここ数日、数頁ずつ読んでいる本がある。
 Hourya Benis Sinaceur, Cavaillès, Les Belles Lettres, coll. « Figures de savoir », 2013 がそれである。著者は、近現代の数学および科学の哲学の歴史的研究のフランスにおける第一人者である。この一冊が含まれるモノグラフィー叢書 « Figures de savoir » は、対象とする哲学者・数学者・科学者たちの学説について、そのスペシャリストの一人が非専門家にもわかるように比較的平易に紹介した良質な入門書シリーズである。
 この本を読むことで、私はカヴァイエスの数学的哲学の基本を理解したいと思っている。しかし、上にも述べたように、速く読み進めることが目的ではなく、知的水分を補給するために読んでいるので、気になるところは繰り返し読んでいる。だから、なかなか前に進まない。が、今はそれでいい。
 昨日来繰り返し読んでいるのは、カヴァイエスにおけるスピノザ哲学の刻印について述べられているところなのだが、今日は特に自由について述べられた頁を何度も読み返した。そこから「数滴」引用する。

La liberté c’est la libération de l’illusion de liberté engendrée et alimentée par l’ignorance de la nécessité. Être libre c’est d’abord connaître la nécessité. La libération est un effort d’autonomie, une réduction d’hétéronomie (op. cit., p. 59).

自由とは、必然性を知らぬがゆえに生まれ増大した自由の幻想からの「解放」である。自由であるとは、まず、必然性を知ることである。解放とは、自律の努力であり、他律の減少である。












日常的飲酒者の「合理主義的」自己弁護、あるいは飲んだくれのほろ酔い詭弁

2017-08-29 18:47:10 | 哲学

 新学期が始まってしまえば、大学で執務する時間がおのずと長くなり、大学から自宅に戻ることで一応仕事の区切りを「場所的には」つけることができるだろう。とはいえ、この九月は大学でも家でも休日返上で働かなくてはならないだろうから、朝から晩まで働きづめということにもなるだろう。一人密かにこの九月を「恐怖のブラック月間」と呼んで、恐れおののきつつ、深い溜息をついている(まだ溜息をつける暇があるだけいいか)。
 普段、終日家で仕事しているとき、つまり、哲学的思索に一日中耽っているとき、夕方になると、「今日はこの辺までにするかな」と自分で区切りをつける必要がある。そのためには、その区切り以降は仕事をしないように「工夫」しなくてはならない。いや、それでは手緩い、もうどうにも仕事ができない状態にする合理的かつ効果的な措置が必要である。
 そのために私はワインを飲む。酔えばもう仕事はできないからである。その効果は絶大である。つまり、ワインを飲むことは、私にとって、「健全な」職業生活を送るための sine qua non なのである(誰ですか、勝手に言ってれば、とあきれているのは)。
 しかし、これだけでは、仕事をしない休日にもワインを飲むことを正当化できないではないか。それゆえ、私は週日・週末関係なく、毎日仕事をする。そして、夕方になると、「さて、今日はこの辺までにするかな」と、いそいそとワインボトルの栓を抜くのである。
 つまり、私は、「合理的な」理由によって毎日ワインを飲むために日々仕事をしているようなものなのである。












まぎれもない孤独の中で〈絶対〉に対することなく、人は人に繋がれるのだろうか

2017-08-28 21:00:12 | 哲学

 他なるものと繋がること、あるいはそれに寄り添うこと、あるいは自分に寄り添うものに支えられることで自己の安心を得ようとするのは、人間の自然な傾向性と言ってよいだろう。しかし、何かに依存しなければ得られない安心は、いとも容易く失われもする。その喪失はたとえこちらに落ち度がなくても起こりうる。
 だからといって、誰にも頼らずに一人で生きていくのだと肩肘張って頑張っても、恒常的な安心が得られるわけでもない。その状態がネットワークの中で孤立しているだけの欠如態でしかないのならば、繋がりを求めるのと同じ地平にとどまったままなのであり、実は何の問題の解決にもなっていない。
 いつのころからか、「チーム〇〇」という表現をテレビや映画でよく聞くようになった。確かに、チームを組まなければできない仕事があり、チームの中ではじめて開花し活かされる才能というものはあるだろう。しかし、いかなる繋がりも帰属も共同態も自己にとって本来的・本源的なものではない。
 すべての繋がりや伴侶や仲間や帰属や共同性が絶たれ消し飛んでしまう孤独の中でしか〈絶対〉に相対することはできない。その〈絶対〉においてしか、ほんとうに他なるものと出会うこともできない。したがって、己に出会うこともできない。












他人のつらさを自分のつらさのように感じることができるか ― 吉野弘「夕焼け」を読んで

2017-08-27 18:18:14 | 哲学

 昨晩、人とレストランで夕食を一緒しながら話していて、ふと2004/2005年度にパリ第七大学で担当した学部三年生の日本語作文の授業のことを思い出した。
 出席者は毎回四十人前後。毎回こちらでお題を決め、四百字の作文を書かせ、翌週提出させ、その次の週には、添削で真っ赤になり、裏にはコメントを記したを原稿用紙を返す、ということを一年間続けた。
 その一年、学期中は毎週末それらの作文の添削にかかりきりだった。その作業を覗きに来た当時十歳の娘が学生たちの奇妙な日本語を見て笑っていたのを思い出す。
 毎回の授業は、前週に提出された作文についての全体的な講評と添削していて気づいた問題点などを指摘することから始めた。その後、次の作文に使ってほしい表現を具体例を挙げて説明した。
 肝心な毎回のお題はどうやって決めていたかというと、日本語あるいはフランス語のテキストを教室で学生たちに初見で読ませ、そのテキストから私の方で一つのテーマを引き出して、それを一つの問いの形にして学生たちに与えていた。
 読ませたテキストは様々だったが、それらの中には、哲学的な文章(ピエール・アドの対談やレヴィナスの葬儀の際のデリダの弔辞など)もあったし、テキスト自体は文学的だったとしても、そこから私が引き出した問いは哲学的であることが多かった。
 だから、学生たちは、単に感想を述べるだけようないわゆる作文を書くわけには行かず、むしろ彼らが大学に入る前にすでに書いた経験がある dissertation に近いものを、短いとはいえ、不自由な日本語で書かなければならなかった。
 最初は、そのあまりにも哲学的な問いを前に学生たちは戸惑っていたが、問いそのものの大切さが納得できると、真剣にその問いに取り組んだ文章を書いてくれた。中には本当に優秀な学生が何人かいて、彼らの書いた作文を読むのは毎回楽しみでさえあった。その他の学生たちもかなり熱心に毎回書いてくれたから、こちらもそれに応えるべく、丁寧添削した。
 その甲斐があったのか、年度最後の授業の終わりに、学生たちが感謝の徴として拍手してくれたのは本当に嬉しかった。フランスで教え始めて十九年になるが、この一年間の作文の授業が自分にとって最もうまくいった授業として今も記憶に残っている。学年末のアンケート調査でも学生たちから最も高く評価された授業だったと後日学科長から聞き、単なる自己満足でもなかったと自信にもなった。
 その作文の授業で、吉野弘の代表作の一つ「夕焼け」を読ませたことがある。三年生ともなれば、初見で辞書無しで読んでもすぐに理解できるほど平易な日本語で書かれた詩である。国語の教科書にも載っていることが多いから、特に詩に興味がなくとも読んだことがある方は少なくないであろう。
 その時のお題が今日の記事のタイトルである。












歴史的現実の中で概念の生成を論理的に生き抜いた一個の生として示された倫理

2017-08-26 15:51:43 | 哲学

 物事の本質はどこかにすでにそれ自体としてあって、私たちが生きている現実はその部分的な表象でしかない、その不完全な反映でしかない、さらに悪くすると、私たちをその本質から遠ざけるだけの歪んだ或いは偽りの像しか与えないと思い込んでいると、現実は生きづらい。
 ましてや、その現実によって強いられる瑣細なことやつまらないことに時間を取られると、どうしてもイライラしてしまう。なんでこんなこと自分がやんなくちゃならないんだ、と腹も立つ。そんなことが度重なると鬱にもなるだろう。最悪の場合、過労自殺ということになる。
 そのような不幸な結果に至るのは、どこかで思考が論理的に誤っているからだと疑ってみる必要はないであろうか。
 まったく逆に、物事の本質は、あらかじめ与えられているものではなく、現実の中でその物事に私たちが参加することではじめて充填されていくものだと考えるとどうであろうか。
 しかし、それは私たちの考え方しだいで現実はどうとでもなるという主観主義とは違う。実存は本質に先立つと主張する意識の哲学とも違う。どちらもお目出度すぎる。
 現実は私たちの自由にはならない。歴史は書き換えることができない。私たちにできることは、与えられた場所と時において歴史的現実の運動に参加することだけだろう。この参加によって、生きられる現実は必然化され、概念が概念として論理的に生成する。歴史的現実の中での概念の生成の論理の探究が哲学にほかならない。
 二十世紀のフランス哲学の中で今読まれるべきなのは、どこまでも勇敢なレジスタンスの闘士としてゲシュタポに銃殺されるその瞬間まで論理を生き抜くことで、まさに身をもって倫理を示したジャン・カヴァイエス(1903-1944)である理由がここにある。












哲学に「触れる」事、事に「触れる」哲学、哲学は忙裡偸閑にあり

2017-08-25 20:57:56 | 哲学

 このブログの明日からの記事は、原則、何らかの仕方で哲学に「触れる」内容にしたい。一般に哲学の分野に属するとされるテキストを読む時間が今後しばらくほとんどないからこそ、そうしたい。その日その日に、つべこべ言わずに待ったなしでこなしていかなければならない仕事があるからこそ、哲学に「触れる」時を、ブログの記事を書くことそのことで保持したい。
 具体的に、どのような仕方でそれは実践されうるのか。
 例えば、日常の具体的な事柄一つ一つに即して、そこに実質的に含意されている問題を哲学的に概念化することでそれに言語的表現を与える。あるいは、逆に、自分たちが直面していると思い込んでいる問題がそもそも誤った問題の立て方ゆえに発生している疑似問題に過ぎないことを明らかにする。あるいは、混沌として見える具体的な現実を哲学的概念によって解析し、一定の順序にしたがって解決可能な一連の問題群として、論理的に定式化する。
 とはいえ、本人がそのつもりでも、実際は哲学に触れ損なうということもあるだろう。それはそれ。何があろうと、毎日続けることが肝要だと思う。
 忙しくて時間がない、というのは、哲学を放棄する理由には決してなりえない。忙裡偸閑、それこそ哲学の「はじまり」であろう、と私は思う。












私的夏期休暇最終的一日悲哉 ― 夏休み日記(39)

2017-08-24 00:18:33 | 雑感

 今日24日が実質的に今年の私の夏休みの最後の一日になる。ただひたすらに悲しいことである。泣きたいくらいである。
 今日は一日、日本から来た友人を連れてレンタカーでアルザス観光をする。まあいい加減なガイド兼運転手みたいなものである。注意しておくが(なに、その高圧的な言い方)、「いい加減な」という連体修飾語はガイドにしか、かからない。なぜなら、私は車の運転には熟練しており、かつ慎重だからである。
 ちなみに、若き日には(おお、そんな日々もかつては私にもあったのだよなぁ)、オートバイに狂っていた。暁方の峠道を攻めることを生き甲斐としていた街道レーサーであった。どうでもいいことではあるが、一言注記しておかなければ、と、私の心が叫んでいる。だから、こう記しておく。
 明日から大学で仕事があるわけではないが、別の機関の会議に出席するためにコルマールまで行かなくてはならないから、これはもう出張みたいなものである。
 新学科長として新入生を迎えるオリエンテーション(迎える方も迎えられる方もフレッシュマン!)は、九月六日だから、まだそれまで二週間近くあるが、明後日土曜日からは、新学年開始に向けて最終的に準備しておくべきことに集中的に取り組まなくてはならない(やだなぁ~)。
 来年出版する二つの原稿の締切りがそれぞれ今月末と来月末。九月は講演、研修、会議など授業外の仕事も多い。来年度カリキュラムの締切りも九月末。
 それやこれやあれやで、九月は毎日が嵐のような一ヶ月になるだろう。想像しただけで、もうぞくぞくしちゃいますよ(助けてぇ~)。













誕生日の夢想、思考の嵐の中を鉱脈を求めて彷徨う ― 夏休み日記(38)

2017-08-23 17:11:38 | 雑感

 先週日本からこちらに戻って以来、仕事机の上には、今回日本から持ち帰った本と送った本合わせて数十冊が山と積まれ、その脇にはここ数日間にこちらで購入した十冊ほどの本が読みさしのまま広げられている。
 この机上の散乱は、現在の私の頭の中の状態を反映している。それらの書物に含まれた多種多様な概念や切れ切れの命題の破片が頭の中を飛び交い、どうにも収拾がつかないままなのだ。
 人が見れば、開かれた書物の同じ頁をぼーっと眺めているだけか、堆く積まれた本の背表紙を虚ろな眼差しで追っているだけにしか見えないであろう。
 しかし、頭の中では、嵐のように思考が渦巻いている。そして、その嵐の中をよろよろ彷徨いながらも、何か大きな鉱脈に近づいているという予感だけはある。
 もしその鉱脈を掘り当てることができたら、それを人に知らせ、一つの共同研究計画を立てたい。
 これが今年の誕生日の夢想である。












精神の恒常的懸垂状態 ― 夏休み日記(37)

2017-08-22 13:51:29 | 雑感

 大いに大げさな言い方だけれど、二十一年前にフランスに来てからの自分の心の底の恒常的精神状態を具象化してみると、ずっと鉄棒に懸垂状態にある、とでも言えばよいであろうか。
 より詳しく言うと、なんとか器械体操でいうところの懸垂を試み、頭を鉄棒の上まで両腕の力だけで持ってこようと足掻きながら、それができず、しかし、それでもあきらめきれずに、性懲りもなく鉄棒にぶら下がっている状態ということになろうか。
 しかも、鉄棒は分不相応に高い位置にあり、下手に手を放すと着地の際に骨折しかねないほど地面から遠い。
 長時間ぶら下がっていれば、当然腕は痺れてくるし、徐々に自分自身の体重によって下方へと引っ張られていく。遅かれ早かれ、自分自身の重みに耐えかねて、落下するだろう。
 そんなにっちもさっちもいかない状態から早く自分を解放してやりたいと思うことが一再ならずある。が、どうすればいいのかわからない。いや、わかっている。誰も助けてくれない以上、両手を放して地面に落下するに任せるのが唯一の解決方法なのだ。
 幸い生命を危険に晒すほどの高さではない。うまくすれば軽い骨折くらいですむかも知れない。このまま無理を続けても何が得られるわけでもなさそうではないか。「もう、いいか」という思いが頭をよぎる。
 でも、放してしまったら、もう二度と同じ高さの鉄棒に飛びつくことはできない。再度そう試みるにはそれはもうあまりにも高いところにある。
 地に落ち、そこで這いつくばって生きることを格好悪いと嫌忌しているのではない。生きていてなんぼ、であろうから。
 だが、あきらめることはいつでもできる、頑張れるところまでは頑張ってみようと、今日もまた、鉄棒より上方を見据えながら、両腕に渾身の力を込める。