内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

ミッドナイト朗読 ― エドワード・マクダウェル「野ばらに寄す」

2013-11-30 01:27:00 | 私の好きな曲

 ある一人の人のために、しばらく朗読を続けていたことがある。毎晩寝る前にベッドの中で読んであげた。読んだ作品は、夏目漱石、森鴎外、宮澤賢治、太宰治、藤沢周平など、どれも定番的な名作ばかり。エッセイや書簡集を読んだこともあった。いつも真剣に聴いてくれて、時には作品に感動して涙を流していることもあった。朗読はするのも聴くのも私は好きなのだが、いつも私ばかり読んでいたので、たまには読んでよと頼んで読んでもらったことがあるが、続かなかった。それは私が悪いのである。せっかく読んでくれているのに、二、三頁も聞いていると、すやすやと寝てしまうからである。まるで子供を寝かしつけるための読み聞かせみたいで張り合いがないと読んでくれなくなった。当然である。
 この二人だけの深夜の朗読タイムをまるでラジオ番組みたいに雰囲気を出そうと、その人がオープニングはこれがいいと選んだ曲がある。それが今日の記事のタイトルにある曲である。エドワード・マクダウェル(1861-1908)はアメリカを代表するロマン主義音楽の作曲家で、自身ピアニストでもあった。「野ばらに寄す」は、十曲からなる組曲風のピアノ作品集『森のスケッチ』の第一曲。演奏時間わずか二分あまりの小曲だが、なんとも可憐で郷愁を誘う素朴なメロディー。聴いていて愛おしくなる。二人で聴いていたのは、ジョセフ・クーパーの演奏。ゆったりとしたテンポで、一音一音に情感がこもったとてもいい演奏。深夜聴くのにふさわしかった。
 因みに、エンディングテーマは私が選んだ。クラウディオ・アラウ演奏ベートベンピアノ・ソナタ第八番「悲愴」第二楽章アダージョ・カンタービレ。












光なくとも歩め ― ある学生のための祝杯

2013-11-29 05:40:00 | 雑感

 昨晩は零時まで修士二年生のニつのインターシップ・レポート読み。疲労による睡魔に襲われ、どうにも読みきれなかったので、今朝(28日)は午前5時に起き、出講前に読み上げる。一つは見事なフランス語で、インターシップ制度そのもののフランス社会における現実問題を剔抉。もう一つは、どう考えてもちゃんと見直したと思えないお粗末な誤りと意味不明な表現が散見される代物。正直、途中からはページあたり数行以上読む気になれなかった。ただ、この後者のレポートの筆者である女子学生は人あたりが抜群にいいのである。それが証拠に、インターシップ終了直後に当の研修先企業から正式採用を前提とした二つのポストのオファーを受けている(おめでとう!)。
 今日の通常授業の後、この二つのレポートの口頭試問にドイツ人とアメリカ人の同僚とともに臨む。前者のレポートの筆者である学生には、ドイツ人の同僚も私も特別な思いがある。というのも、一昨年五月、修士課程の外部志望者の願書を審査している段階で、その学生の書類には、学部は理学部で物理学を履修とあるだけで、日本語能力についての何らの証明書類が添付されていなかったので、私は登録不許可という意見書を提出。それがそのまま採用され、当の学生には不合格通知が送付された。ところがそれを受け取った当の学生から、自分の日本語能力を審査する面接を希望する嘆願メールが大学宛に届いた。修士一年の入学許可については書類審査のみで、面接はしないのが原則。修士課程責任者のドイツ人同僚が、こんなメールが来たけれど、どうするかと私に聞いてきた。私もそれまでに例のないケースだったので少し戸惑ったが、本人がそこまで言うのならば、二人でその学生を面接しようと提案、その学生に召喚状を送る。その時点では、私のつもりとしては、その学生に面接の席で引導を渡すつもりでいた。ところが、面接してみて、驚いた。まったく独学であると学生自身がいう日本語で、私のすべての質問にきちんと答えたのである。学生を面接会場から退出させた後、私はその日本語のレベルの高さについてドイツ人同僚に説明し、私の前言を撤回、この学生を是非受け入れようと進言した。この同僚は私の言を信用してくれて、まったく例外的な措置だが、不合格通知を破棄し、入学を許可したのである。
 その学生は、私たちの取った措置がきわめて異例であることは十分理解していたし、そのことについて入学直後から感謝の気持を繰り返して私たちに示していただけでなく、成績はすべての科目についてすべてトップクラス、すべての教員から高い評価を受けていた。その彼がこうして二年間の修士課程を優秀な成績で終え、しかも彼自身の希望に沿ったオファーも受け、この12月から正社員として海運会社で働くことも決まっていることを、私は心から祝福したい(乾杯!)。











超克し難き人間の有限性と罪業 ― 家永史学の根源的動機

2013-11-28 05:49:00 | 講義の余白から

 今日(27日水曜日)のイナルコの講義は、昨日述べたように思想史家としての家永三郎がテーマ。昨日の記事に示したプランにほぼ忠実に講義を展開することができた。だが、今日はそれだけではなかった。三木清をテーマにしたときもそうだったのだが、私自身が知的関心からだけでなく、少なからぬ感情移入を込めて話すときは、学生たちの集中度が違うのである。今日の講義は、自分で本当にやってよかったと思えるという意味で、個人的には記念すべき講義だった。
 家永三郎は私が最も尊敬する思想史家の一人である。日本人の中でという限定さえつける必要がない。そして家永においては思想史家と思想家とは不可分であることは、8月17日の記事で引用した『田辺元の思想史的研究』の序に決然と明言されている。それは私が模範として仰ぐ学問的姿勢でもある。今日も、だから、家永の生涯を話題にした導入部分で、彼が一個の思想史家・思想家として表現の自由のために国家権力に立ち向かう勇気に触れるところでは、どうしても普段以上に感情が昂ぶり、それが言葉遣いにも現れ、声にも力が入る。やはりそれが伝わるのだろう、学生たちは全員本当に真剣に耳を傾けてくれた。
 その家永の学問の出発点において出版された最初の著作『日本思想史における否定の論理の発達』の「緒言」の原文のコピーを学生たちに与え、「自分が史を繙く毎に最も強く心を惹かれたのは何よりも先ず、超克し難き人間の有限性と罪業とに対する古人の苦悩の声であった。おのれの体験を通じで常にこのことを人一倍深く自省せざるを得ない身の上にある筆者は、古人の同じ苦しみを他人ごととして看過することが出来なかったのである」という一文の仏訳を読んでから、この一文が書かれた1940年という日本の時代状況を喚起し、その中でそれから60年余りの長きにわたって持続する学問的探究の初発の意志が当時27歳の若き学徒によっていかに宣言されたのかに学生たちの注意を促す。
 真の学問のはじまりは、単なる知的興味ではありえない。それは「人間にとって最も重要な、最も本質的な実践的関心」(同「緒言」より)からでなければならない。何一つ業績として人に誇れるような仕事はしていないつまらない人間にすぎないこの私も、少なくともこの一点において、日本近現代思想史において不世出のこの碩学の志を受け継ごうとする者たちの末席にその名を連ねることを許される者でありたい。











否定の論理 ― 家永三郎の思想的出発点

2013-11-27 02:34:00 | 講義の余白から

 今日(26日火曜日)、朝から窓枠の補修とペンキ塗り直し(この夏に私が日本に行っている間に行われるはずだったのが、こんなに寒くなった晩秋の今になってやっとですよ)のために職人さんが入り、普段の仕事部屋が使えず、台所の隅の小さなテーブルで明日のイナルコの講義の準備をする。午後、一段落したところで、昨日と同じく妖精たちのプールに行き、その後自宅近くのカフェでしばらく講義の準備を続ける。
 明日取り上げるのは、家永三郎。家永は思想史家・文化史家であって、哲学者とは言えないし、彼自身がそのように方法論的にも自分の立ち位置を決めて、それを『田辺元の思想史的研究』の結論の末尾で明言していることは、9月14日の記事で引用した通りである。その思想史家そして思想家としての家永も、フランスではまだまともに研究されているとは言えず、わずかに教科書裁判や『太平洋戦争』『戦争責任』等の著作によって一部の日本学研究者に知られているにとどまっているのが現状である。著作の仏訳としては『日本思想史に於ける否定の論理の発達』のそれが2006年に出版されているだけ。因みに、英語圏では、上記の著作の他にもいくつか訳されており、立派な家永研究も出ている。
 明日は、だから、まず家永三郎の実に多様かつ膨大な業績についてざっと概観し、特に32年に渡った教科書裁判の持つ戦後日本における思想的意義を説明した上で、家永思想史学の方法論について、いくつかの日本語原文の抜粋を読みながら、いくらか立ち入って説明をする。その後、残った時間で、1940年家永が27歳で出版した最初の著作である『日本思想史における否定の論理の発達』に見られる思想史の方法論の具体的適用例をテキストに即して考察する。この著作を取り上げるのは、仏訳があるという利点のみによるものではない。私に特に重要だと思われるのは、1974年に出版された『田辺元の思想史的研究』の「あとがき」(1973年9月末日記)で、家永の戦前の歴史研究と戦後の社会活動との間の有機的連関がよくわからないという疑問に触れて、それを「氷解するに足りる、私自身からの解答の必要を痛感せざるを得なかった」と述べ、「私の精神生活の出発点で絶大な影響を受け、その後も長期にわたり少なからぬ示唆を与えられてきた田辺哲学を、私の専門とする思想史学の対象として客観的に再評価してみることが日本近代思想史の重要なテーマに対する研究となると同時に、私個人の四十年近い思想歴の「総括」にもなるのではないかと気づいた」(『家永三郎集』第七巻475-476頁)と同書の執筆動機を家永自身が説明していることである。つまり、同書にまで至る家永の思想的立場・思想史学の方法論の一貫性について検討するためには、田辺哲学の影響下に形成された問題意識に基づいて執筆されたその処女作にまず立ち戻ってみる必要があるのである。










水の妖精たちが舞う ― ラヴェル「水の戯れ」

2013-11-26 03:47:00 | 私の好きな曲

 今日(25日月曜日)は、一日水曜日の一年生の日本文明の講義の準備。一三世紀の文学思想と歴史思想というテーマで、鴨長明の『方丈記』と慈円の『愚管抄』について話す。前者については、先週既に紹介を始め、日本語を習い始めたばかりの学生たちにかの有名な冒頭を原文で読ませるという暴挙に出たが、ほとんど平仮名に書き直した本文を与えたせいか、十三世紀初めに書かれた文章が、たとえ部分的にであれ、自分たちにもわかることが嬉しい驚きだったようだ。それに「味をしめて」、明後日は、慈円の『愚管抄』を中心に話す。さすがにこちらは難解をもって知られている原文であるから、現テキストを読ませるわけにはいかないが、同時代の出来事を「道理」を導きの糸として、当事者としていわば内側から理解しようとする試みとして、自分が生きている時代を歴史的に理解するとはどういうことなのかという普遍的な問題を提起しているということに特に注意を促したいと思っている。来週の前期最終回では、いよいよ鎌倉新仏教について話す。
 午後、講義の準備に一区切りついたところで、数カ月ぶりに15区の Keller というプールに行った。おそらく毎日同じ時間帯だと思うが、二時過ぎから一時間半ほど、小学生から中学生くらいだろうか、シンクロナイズドスイミングのジュニア・クラスの少女たちが練習にやってくる。一般の利用者のすぐ脇の一コースがその間だけ貸し切りになる。その練習中の彼女たちの水中での動きは、まさに水の妖精と呼ばれるにふさわしい。技術的には未熟なのだろうけれど、それにしてもその水中での自在な動きには見惚れてしまう(その脇でちゃんと泳ぎましたよ、私も。念のために)。と同時に、シンクロナイズドスイミングがいかに過酷なスポーツであるかもよくわかる。彼女たちは、錘を体につけ、一旦水中に体全体を沈めた後に、水面上できるだけ高く両足を上げる練習を繰り返すことがあるが、その間の水中での手の動きの規則的かつ目まぐるしい動きを見ていると、それら水面下での動きを見なければ、シンクロナイズドスイミングの半分も見たことにならないとさえ言えそうだ。
 彼女たちの水中のイメージにふさわしい曲は何だろうと考えて浮かんだのが、ラヴェルの「水の戯れ」だった。演奏は、先日の記事でも言及したアンヌ・ケフェレック。この二枚組のラヴェルのピアノ曲集は本当に素晴らしい。私の愛聴盤の一つ。













綺羅星のごとく降り注ぐ音の光 ― J.Sバッハ編曲『オルガン協奏曲 イ短調 BWV593』

2013-11-25 03:29:00 | 私の好きな曲

 今日(24日日曜日)、火曜日以来4日ぶりにプールに行った。あまり混んでいなかったし、昨日の研究発表が終わって少し安堵したこともあり、いつもよりゆっくり時間をかけて泳いだ。1時間15分で2500メートル。プールに行きたかったのに行けなかったここ数日間のフラストレーションもこれで少しは解消され、気分の切り替えもできた。プールの後は、一日中、木曜日の二年生の近代史の講義の準備。テーマは日清戦争後の三国干渉から日露戦争を経て1910年の日韓併合までの政治経済史。来週が前期最終回になる。仏訳がネット上で簡単に入手できる丸山眞男「明治国家の思想」を資料として、明治期の政治思想を取り上げ、前期の締め括りとする予定(少しくらいは思想を語ってもいいでしょう、という気持ちです)。今日はあと同じ二年生の近代史の演習の第2回小テストの試験問題作成が残っている。
 今日の一曲は、バッハによるヴィヴァルディのヴァイオリン協奏曲イ短調のオルガン曲への編曲。数年前のこと、当時よく中古CDを物色しに通っていたサン・ミッシェル大通りに面した店で、突然この曲の第一楽章が大音量で鳴り響き始めた。仰天するとともに、そのあまりの音の美しさに呆然としてしまい、その場に佇ち尽くしたまま聴き入った。それはあたかも綺羅星のごとく降り注ぐ美音のシャワーを浴びているかのようであった。それが誰の演奏であったかは知らない。その後、同曲の収録されたCDを数枚購入したが、今聞いているのは、アンドレ・イゾワールの演奏。この卓越したフランス人巨匠オルガニストの演奏はどれも安心して聴ける。この演奏ももちろん秀演。








今日で一区切り、そしてまた明日から

2013-11-24 08:11:00 | 雑感

 今日(23日土曜日)のイナルコでの発表は、司会者が電車事故で時間に間に合わず、私自身が司会兼発表者という形で始める。最初はその司会者の到着を待ちながら、発表内容の周辺を巡るような話を思いつくままにしていたが、それに対する質問がすぐにいくつか出て、それに答えているうちにいやでも発表内容に触れないわけにはいかなくなり、開始予定時刻から20分過ぎたところで、発表を始める。出席者はちょうど10人で、ほとんど全員知った顔ぶれなので、「今から発表を始めます」と言っても、とくに改まる必要もなく、ちょっと最初は気持ちの切り替えが難しかった。司会者が到着したのは、それからさらに10分以上たってからだった。そんなこんなで、少し集中力に欠けるところがあり、無用な繰り返しや、もたついたところもあり、結局1時間半ほど話した。発表途中で出た簡単な質問にはすぐに答えたが、発表後にも質問がいろいろと出て、それがちょうどこちらの言い足りなかったところ、誤解を招きやすいところ、曖昧だったところに触れていて、それらに答えることが自ずと発表内容を補う形になって、なんとか全体としては2時間で一応格好がついたと言ったところだろうか。何はともあれ、これでこの二月の一連の研究発表を締め括ることができた。発表後はいつもの流れで、残った参加者で近所のカフェに移動。そこでは皆自由に聞きたいこと話したいことが話せるので、いつも楽しい議論になる。今日はさらにその後、メトロ2番線Belleville 駅から徒歩3,4分のところにある贔屓のタイ料理レストランで会食。ここはこれまでいろいろな人に紹介、一緒に食事しているが、皆「おいしい」と喜んでくれる。店の雰囲気も肩肘張らないですむ気安さがとても心地よい。週末はいつもそうだが、今日も8時半過ぎには満席。とても楽しい会食であったばかりでなく、そこで話しているうちに閃いた考えもあって、また明日からの研究への促しを与えられもした。









媒介的社会範疇としての〈種〉の可塑性 ― 田辺元の「種の論理」の可能性 ―

2013-11-23 01:31:00 | 哲学

 今日(22日金曜日)は、朝から晩まで一日中(プールにさえ行かず)、明日のイナルコでの日本哲学研究会での発表の準備。テーマは田辺元の種の論理。タイトルを日本語に訳すと「媒介的社会範疇としての〈種〉の可塑性 ― 田辺元の「種の論理」の論争点・限界そして可能性 ―」となる。
 9月28日にアルザス欧州日本学研究所で田辺の種の論理について私が初めてした発表の内容については、同月の一連の記事で詳しく紹介したが、その時の発表言語は日本語だった。10月16日には、イナルコの「同時代思想」の講義で田辺を取り上げ、その時はだからフランス語だったわけだが、田辺について何も知らない学生たちが相手であったから、専門的な議論や原テキストの立ち入った分析には入らなかった。11月8日のベルクソン国際シンポジウムでは、ラヴェッソンの習慣論を手掛かりに、西田における〈種〉概念の導入の試みについて話したが、田辺にはその要旨で一言言及しただけで、発表ではまったく触れなかった。これら過去二ヶ月間の三回の発表内容を踏まえた上で、明日の発表は、田辺の種の論理に関する私の理解の差し当たりの総まとめということになる。
 聴き手は何人来るかわからないが、いつもの通りであれば10人ほどだろう。しかし、その多くは、西洋あるいは日本の哲学の研究者たちであり、日本人研究者もいるし、フランス人でも日本語が相当によく読める人たちも中にはいるから、こちらとしてもこれまでで一番立ち入った議論が許される聴き手たちである。発表プラン一枚と田辺の著作からの引用集三頁の四枚だけを資料として用意し、原稿なしで話す。発表時間は一応一時間が目安だが、小さな研究会だから、そのあたりは融通が利く。今は、引用文の仏訳を作成しているところ。短い引用はすでにすべて逐語的に訳し終えたが、長い引用文は、全訳してそれを配布したとしても、結局詳しいコメントなしには理解し難いであろうから、要約を口頭で示し、後はその場で聴き手の反応を見ながら適宜コメントを付けていくつもり。
 一月以上前に用意して、研究会のメーリング・リストで流してもらった発表要旨原文を以下に掲げておく。

LA PLASTICITE DE L’ESPECE EN TANT QUE CATEGORIE SOCIALE INTERMEDIAIRE
— Enjeux, limites et possibilités de « la Logique de l’espèce » de Tanabe Hajime —

Lorsque la priorité ontologique est accordée au terme d’« espèce » par rapport aux deux autres termes constitutifs de « la logique de l’espèce » que sont l’« individu » et le « genre », on se trouve forcément dans une aporie, pour autant que « la logique de l’espèce » et « la dialectique de la médiation absolue » soient indissociables l’une de l’autre. Car, selon cette dernière, chacun des trois termes constitutifs de la logique de l’espèce doit passer nécessairement par les deux autres comme médiateurs indispensables, afin que fonctionne l’ensemble de cette logique, de sorte qu’il n’y aurait aucune priorité à accorder à un de ces trois termes. En effet, Tanabe a dû être confronté à cette aporie, lorsqu’il a considéré l’État comme « l’être le plus concret », à savoir une dernière instance à laquelle tous les individus devraient être, en fin de compte, assujettis. Cette aporie serait insurmontable dans la mesure où l’espèce occupe une place prépondérante et indéclinable au détriment des individus dans l’économie de la logique de l’espèce. Cette difficulté théorique majeure nous amènerait donc à remettre en cause la priorité discutable et la substantialisation injustifiée que Tanabe aurait attribuées à l’espèce, et, par là, à envisager la possibilité de restructurer cette logique à partir de la dialectique de la médiation absolue, afin de retrouver dans la notion d’espèce la plasticité conceptuelle, le dynamisme vital et l’évolution créatrice.







詞の玉緒 、あるいは 〈ことなり〉の瞬間について

2013-11-22 02:27:00 | 詩歌逍遥

 昨日の記事で言及した時枝誠記の『国語学原論』の「詞・辞の過程的構造形式」と題された節には、時枝の詞・辞論が鈴木朗のそれに由来することが言明されているが、昨日の授業で取り上げた次節「詞・辞の意味的聯関」には、それがさらに本居宣長の「てにをは」論に遡ることが一文で述べられており、その文の中に、「詞は玉であって、辞はこれを貫く緒であり」とある。この宣長の考えは『詞の玉緒』という美しい書名の文法書に展開されているわけだが、その日本語論の中には、まさに生きた言葉の鼓動を聴き取ることができる極めて鋭敏な精神が躍動していると言えるのではないだろうか。時枝の言語過程説の中でもっとも精彩を放っていると思われる具体的事例に即した分析を読むときにも、やはり同じような精神の躍動を感じないわけにはいかない。
 この言語表現を〈緒〉によって結ばれた〈玉〉とみる表象が、ゆくりなくも百人一首中の文屋朝康の歌「白露に風のふきしく秋の野はつらぬきとめぬ玉ぞちりける」を想起させた。この歌の中では、玉に見立てられた白露がふきしく風に散る映像がそれにふさわしい音列とともに清冽に捉えられているわけだが、それを可能にしているのがまさに詞をつなぐ辞の働きであることがこの歌にはよく現れている。上の句において、白色・光・葉色・風を構成要素として含んだ秋の野の映像が格助詞によって一つのまとまりとして形成され、そのまとまりが係助詞「は」によって提題化され、そこから一挙に、下の句において、緒によって貫かれていない玉に見立てられた白露が飛び散るという一コマに焦点が絞られる視線の動性が「ける」という助動詞によって見る主体の感動とともに示されている。秋の野のある瞬間の光景をとらえたこの和歌は、時枝の言う「主客の融合した世界」の〈ことなり〉の瞬間にほかならない。







「花よ」― 〈ことなり〉のおとずれ

2013-11-21 06:51:00 | 講義の余白から

 今日(20日水曜日)のイナルコの講義は、昨日の記事で話題にしたように、時枝誠記がテーマ。本題に入る前に、日本語の特性をその深層から理解させてくれるであろう時枝の日本語理論が、なぜ、フランスの日本学者の間では、軽んじられているか、さらには無視されているか ―私にはどうしてもそう見えるのだが、その理由がどこにあるのかについて少し触れた。おそらく、少なくともその理由の一つは、時枝が植民地時代の朝鮮の日本語普及に関与し、皇民化政策の時期には、朝鮮人に対し朝鮮語の完全なる廃棄と日本語の母語化を求め、さらにその具体的な方策として朝鮮人女性への日本語教育を重点的に行うことを訴えたとされていることがあるだろうと思われる。戦時下の日本帝国主義への政治的関与と事後的に十把一絡げにされるような日本の学者たちの行動に対して、フランス人研究者たちは、あからさまに口にこそ出しはしないが、一様に非常に警戒的、さらには教条的に批判的である。同じ理由で、西田、田辺に対しても、ほとんど一顧だにしようとしない。日本学者であるにもかかわらず、まともに原テキストを読むことなしに、一度「日本帝国主義への協力者」とレッテルを貼られた思想家たちに対してこのような非学問的な否定的態度を取ることが一般であるように見えるのは、果たして私の僻目なだのだろうか。そうであってほしいと切に願わざるをえない。
 さて、講義の本題であるが、すでにこれまでの講義の中で〈主観〉と〈主体〉の違いについては繰り返し言及しておいたので、学生たちはそこまでは一応理解してくれたようなのだが、時枝のいう「場面」を理解させるのには予想以上に手間取った。例えば、「場面は純客体的世界でもなく、又純主体的な志向作用でもなく、いわば主客の融合した世界である。かくして我々は、常に何等かの場面に於いて生きているということが出来るのである」(『国語学原論(上)』岩波文庫、60-61頁)という箇所を引いて、このような場面においてしか言語活動は可能ではないという時枝の主張を理解させるのは必ずしも容易ではなかった。日本語を学習しているとはいえ、常にフランス語で思考している彼らにとって、〈主体〉もそこにおいて初めてそれとして分節化されてくるような世界というのは、そう簡単に理解できるものではないのだ。
 〈詞〉と〈辞〉の説明のところでは、これは予想通りだったのだが、非常に強い関心を彼らは示した。「詞辞の意味的聯関」と題された短い節(同書265-271頁)を一文一文丁寧に解説しながら読んだのだが、それを聴いて、これまで腑に落ちなかった日本語の特性について、「なるほどそういうことか」と得心がいったところがあったようだ。時枝がその節で例として最初に挙げている「花よ」という表出について、ある特定の〈場面〉において、一方で、花という客体のそれとして分節化(〈ことなり〉の現実化)があり、他方で、「よ」によって主体の情感表現の分節化(これもまた〈ことなり〉の現実化)が顕現し、それによってその〈場面〉そのものが自らを「ことならせる」ということを特に念入りに説明した。
 昨日の記事で述べたような講義計画、つまり、時枝理論とフランスの言語学者リュシアン・テニエールの構造統語論との共通問題を際立たせて、それによって開かれる問題場面において西田の述語論理を考察し、そこからさらに西田の場所の論理の核心に迫るという、どう考えても向こう見ずな計画は、やはり二時間という枠では実現不可能だった。最後15分でそれらの問題を点描的に示すのがやっとであった。