内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

北大での講演会

2024-07-19 23:59:59 | 雑感

 今日の午後、北海道大学で講演を行った。ちゃんと数えたわけではないけれど、三〇名ほどの方が出席してくださっていたと思う。
 この講演会のお話をいただいたとき、私が一方的に話すのではなくて、参加者の方たちとできるだけインターラクティブな会にしたかった。その旨、今回の講演に招いてくださったM先生に事前にお伝えしたところ、私が2021年と2022年に『現代思想』に発表した二つの論文を事前に学生さんたちに読んでおいてもらって、それについての質問・意見・感想を講演会前に取りまとめて私に送るというアイデアを提案してくださった。
 実際の講演会では、私がまず30分余り、植物というテーマになぜ関心をもったか、個体性という概念が今どのような理由で問い直されているのか、どのような条件で動物にも「人格」を認めることができるか、という三点について、簡略に話し、論文の内容を補った上で、事前に送ってもらった質問と意見に対する私からの応答を行った。予定されていた時間は1時間半だったが、質疑応答の部分が膨らんで、結果として二時間を少し超えてしまった。
 学生さんたちから寄せられた質問すべてにちゃんと答えられたわけではないし、議論を行うところまでいかなかったけれど、司会進行をしてくださったM先生のアシストにも助けられ、いくらかはインターラクティブにできたかと思う。
 私の話がどこまで参加者の皆さんに届いたかはわからないけれど、その場で出た質問も含めて、拙論についてさまざまな質問と指摘をいただけたことが私には何よりもありがたかった。特に、このブログについての質問と感想をいただけたのは、これがはじめてのことで、しかもそのなかには私がまったく気づいていなかったことの指摘もいくつかあって、とても驚きかつ嬉しかった。
 出席してくださった皆様にここであらためて心より感謝申し上げます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


きょうから札幌

2024-07-18 23:44:54 | 雑感

 小石川植物園の正門脇の御殿坂を登りきって白山下に下っていく坂のとっつきに、住宅街にぽつんと一軒、「たこ八」という小さな定食屋さんがある。
 滞在二日目の昼、買い物帰りにふらりと入って驚く。店内の壁という壁にメニューが貼ってあるのだ。ざっと数えて五十は下らない。魚か肉をメインとした和定食のヴァリエーションが豊富。日替わりメニューの880円がもっとも安く、1000円以下の定食が十数種、一番高い定食でも1500円以下である。あまりの多さに、私のような初めての客は目移りしてしまって、すぐに決められない。
 営業時間は、週日は昼前から夜まで、土曜は夕方まで、日曜は休みとのこと。夫婦二人できりもりしている。接客はおかみさん。おそらく中国の方だと思う。日本語は流暢。とても気さくな感じ。厨房はだんなさん。黙々と調理し、もりつけている。ふたりでよくこれだけ豊富なメニューを用意できるものだと感心する。
 店内は四人がけのテーブルが七つ。混雑時は相席になる。常連さんが多いようだが、はじめてでもなんら気おくれすることなく入れる和やかな雰囲気だ。夜はお酒を飲みにやってくる人も多そうだ。ちょい飲みセットなんていうのもある。980円。
今日の昼が二回目。今日の日替わり、カニコロ&メンチカツ定食を注文。880円。この夏の滞在中、にわか「常連」になってしまうと思う。
 午後二時半羽田発のJALで札幌へ。四時過ぎ、新千歳空港に到着。札幌にはJRで5時過ぎに着き、予約してあったアパートホテルに徒歩で向かう。約十分。ホテルという名称はふさわしくなく、まったく普通のマンションの一室。1LK。25平方メートルくらい。寝室とリビングが玄関を挟んで分かれており、どちらにもドアついている。三人までは泊まれる。一人で泊まると、駅近くの普通のホテルよりちょっと安い程度だが、三人でシェアすれば安上がりだ。二口のガスレンジ、電子レンジ、炊飯器、簡単な調理器具数点、食器は数人分揃っている。冷蔵庫も高さ一四〇センチくらい。洗濯機もある。トイレと風呂は別になっている。
 予約その他、管理会社とのやりとりはメールかホテル予約サイトのチャットを使う。電話でもできるが、つながりにくいとのこと。
 外国からの旅行客で数日から一週間程度滞在する人たちにもよく利用されているのではないかと思われる。当然、客が入れ替わるたびに清掃が入っているはずだが、行き届いているとは言えない。ソファーもあるにはあるが、お世辞にもきれいとは言えず、座る気になれない。
 総合評価は、五つ星を満点として、三つ半。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


坂道による景観のダイナミクスとその歴史的奥行きを愉しむ

2024-07-13 22:20:25 | 雑感

  四時前に目が覚める。カーテンを開ける。外はまだ暗い。ベランダに出て小石川植物園の森林の木々のうえにわずかに見える空模様をうかがう。雨は降っていない。涼しい。
 昨晩立てた予定を変更して、四時半前、日の出の少し前、ジョギング・ウォーキングに出かける。もう以前のように長時間連続して走れない。ちょっと走って呼吸が苦しく、心臓が締めつけられる予兆が感じられたら、すぐにウォーキングに切り替える。落ち着くと、また走り出す。ここ数ヶ月はその繰り返し。
 まだ暗いのに、もう走っている人がいる。ウォーキングしている私の脇をゆっくりと追い越していく。私と同世代と見受けた。彼だってそうとうゆっくり走っているのだが、そのスピードでも私は長時間連続して走れない。もう心臓がそれを許さない。ちょっと悔しいけれど、仕方ない。でも、植物園からまだ仄暗く静まりかえった周囲の町に響き渡る数種の鳥の声と蜩の声を聴きながら走り・歩くのはとても心地よい。
 まず、小石川植物園の正面入口を起点として外壁に沿って一周する。全長二キロもないが、植物園の東西に坂道がある。どちらもけっこう傾斜がきつい。行きの上りは網干坂。名の由来はこちら。正面入り口に向かって下っていく坂道は御殿坂。その名の由来はこちら。どちらも江戸時代にまで遡る。
 ところで、ストラスブールには坂道らしい坂道がない。坂の上からの眺望はだから存在しない。もっとも、市郊外にはちょっと標高が高くなっている地区があって、たとえば、運河沿いに北西に六、七キロ行くと、遠くドイツのシュヴァルツヴァルトの山並みが見渡せる。先月の二〇日と二一日の記事に添付した写真がそれ。
 東京にはかつていたるところに「富士見坂」があった。実際、その坂の上に立つと富士山が見えたからである。御殿坂の別名も「富士見坂」。ここからも富士山が見えたのかと、富士のある風景を高層マンションの向こうに透視的に想像してみる。
 坂道が好きだ。登っても下っても興がある。下から見上げるとき、登り坂の向こうはいつも見えない奥行きだ。登りきったときにはじめて開ける展望や風光は、通い慣れた坂道のそれらでさえ、毎回新鮮でありうる。振り向いて見下ろす風景もよい。登っているときには見えなかった背後の景色がそこには広がっている。美的観点からする興味というよりも、もっと単純に、同じ場所の見え方が視点の高低の違いでダイナミックに変わるのが面白いのだと思う。
 今朝はジョギング・ウォーキング中に御殿坂を二度下った。かなりの急坂。走って降りるときは加速しすぎないように注意しないと、脚に負担がかかりすぎるし、つまずけば転がり落ちて怪我をしないともかぎらない。今日の記事の二葉の写真は御殿坂の上からと下から撮ったもの。
 小石川植物園の周囲は、景観のダイナミクスと歴史的奥行きをもったさまざまな坂道の面白さを愉しめる地区でもある。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


雨降る白山・小石川・春日界隈をふらつく

2024-07-12 22:23:15 | 雑感

 この記事は東京都文京区白山にある小石川植物園の正面入口の斜め前にあるマンションの一室で書いている。
 10日夕刻にストラスブールを発ち、その日はシャルル・ド・ゴール空港近くのホテルで一泊。翌朝のエール・フランス便で羽田へと向かう。羽田に着陸したのが今朝の5時55分。午後3時に31日間の短期賃貸契約をフランスにいる間に済ませておいたマンションに入居した。
 2017年にも、小石川植物園の裏手にあたる地区にやはりマンションを借りた。どうしてこの一帯にこだわるかというと、第一の理由は、夏期集中講義を行う大学に歩いて行けるという至便性である。でも、それだけの条件だったら他の地区でもそれを満たす物件は少なからずある。第二の、そしてそれが本当の主たる理由は、2017年にこの界隈を歩き回ったとき、この地区がすっかり気に入ってしまったことである。
 一部の高級マンションを除いて、高級とかオシャレというイメージが支配的ではなく、むしろこぢんまりとした質素な一戸建てがまだたくさん残っていて、表通りから一本はいると道が細く、したがって、車の通りも少なく、あっても徐行運転で、地区全体が静かに落ち着いていて、長年の住民たちが気取らずに気に入って棲んでいるという空気が感じられるのだ。その中心に小石川植物園がある。
 今回の物件は大学からの距離は前回よりやや遠いが、窓の正面は、狭い通りを挟んで小石川植物園の森という立地条件に魅了されてしまった(ただ、横断する電線に視界が邪魔されるのが残念)。入居してみて、八階建ての建物の作りもしっかりしており、セキュリティに関しても、専用キーを使わないとエントランスには入れず、合格点、部屋そのものもきれいにメンテナンスされており、申し分ない。
 ただ、一点、管理会社からあらかじめ知らされていたとはいえ、残念に思うことがある。それは、食器・調理器具がまったくないことである。コップ一個、箸一膳すらない。一月間の滞在のために、自炊のための最低限の道具を買い揃えるのは割に合わない。レンタルセットもあるが、割高だし、こちらが望んでいるものが全部揃うわけでもない。かといって、全部外食では出費もかさむし、栄養バランスもよくない。この点は改善してもらいたいと思う。
 それはともかく、雨模様の白山・小石川・春日界隈を少し歩き回ってみた。そのために折りたたみの雨傘をマンションから150メートルのところにあるセブン・イレブンで買った。これが今回の滞在の最初の買い物であった。実は、出発直前まで、傘を持っていくかいくまいか迷ったのだが、少しでも荷物を軽くするためにリストからはずした。それが裏目に出た。
 とりあえずの買い物を済ませた帰り道、Vàng Field というべトナム創作料理の店が目に止まり、ふらふらと吸い込まれるように入って、そこで早めの夕食を済ませる。飲み物の値段設定がやや高めだとは思ったが、メニューに並ぶ料理はどれも美味しそう。自家製の塩豚の炙り焼き(1280円)を注文した。塩焼きとはいっても味はまろやか、甘みさえ感じられた。ボリュームも対値段でまずまず。接客も合格点。私は5時過ぎに入り、6時前には店を出たが、私と入れ違いにつぎつぎと予約の客たちが入って来る。
 料理と一緒に頼んだ金澤ビールとサイゴン・スペシャルでほろ酔い気分になって、傘をさそうかさすまいかというほどの降りの小雨の中、買ったばかりの傘をさして「新居」まで少し遠回りして帰る。
 天気予報によれば明日も雨。ジョギングはあきらめ、散歩に出る以外は家にこもって来週の札幌での二つの講演会の仕上げに集中しようかと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


フランス国民議会選挙結果 ― 政局混迷の長期化は必至

2024-07-08 05:59:04 | 雑感

 今回のフランス国民議会選挙(下院、定数577)は、6月上旬の欧州議会選挙での極右政党「国民連合」の大躍進と与党連合の大敗を受け、その直後のマクロン大統領による「暴挙」と側近からも批判された国民議会解散宣言から、連日全メディアが情勢分析報道を長時間にわたって続けるなど、これまでにない注目を集め、今月26日に始まるオリンピック・パラリンピックなどすっかりその陰に隠れてしまった。
 飛ぶ鳥を落とす勢いの極右政党の政権獲得が現実味を帯びていたのだから、国民の注目度が高かったのは当然だが、結果としては、すでに日本の各紙も報じているように、左派連合「新人民戦線」が最大勢力となる182議席を獲得、ついで与党連合が168議席(解散前250議席)、「国民連合」とその共闘勢力は143議席にとどまった。
 第一回投票の結果を受けての左派連合と与党連合との選挙協力が功を奏したわけだが、これで何が解決したわけでもない。この結果は、国民の政治に対する強い不満を背景に今や党としての結束力ではフランスでもっとも強固な「国民連合」の強い押しに土俵際まで追い詰められた与党連合が、与党・極右に対する批判勢力である政策的には相容れない左派連合となりふり構わず手を結び、いわば二人がかりリで極右ひとりを土俵中央まで押し返したということに過ぎない。
 むしろこれで、これからフランスがどちらに向かうのか、さらにわからなくなり、政局の混迷は長期化するだろう。そもそも大統領による首相指名とその首相による組閣からして、きわめて微妙なバランス感覚が求められ、一応組閣できても、閣内での意見調整は難航し、政策立案にもそれだけ時間を要するだろう。
 なんのことはない。その割りを食うのはまたしても国民である。
 国立の大学教員として国家公務員でありながら、「移民」である私にはフランス国籍はなく、選挙権も当然ない。だから6月からの政治的喧騒を、その結果によっては自分の生活にも直接的な影響があるかもしれないと恐れながらも、それに対して何もできないという無力感と居場所のなさを痛感しつづけてきた。それは、フランスに棲息するかぎり、これからも続く。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


遠い昔に掛け違えたボタンをもとに戻って掛け直さないかぎり

2024-07-05 08:16:49 | 雑感

 最近、心を打ちのめされるようなことしかありません。
 地獄の思想を通じて死生観へという連載企画(って、勝手に言っているだけですが)は、断続的にまだ続きます。ただ、今日の記事は、なにを今さらという話に過ぎないのですが、あるテキストを読んでいてちょっと打ちのめされてしまったので、そのテキストを引用して、あとはせんない泣きごとを並べることしかできません。
 エコロジー思想のアンソロジー La pensée écologique, PUF, 2014 (本書については2022年6月7日の記事を参照されたし)をちょっと参照する必要があって頁を繰ろうとしていたとき、もうすでに何度も読んだエピローグがまたしてもふと目に止まりました。それはマックス・ヴェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』から取られたよく知られた一節です。岩波文庫版の大塚久雄訳を引きます。

ピュウリタンは天職人たらんと欲した――われわれは天職人たらざるをえない。というのは、禁欲は修道士の小部屋から職業生活のただ中に移されて、世俗内的道徳を支配しはじめるとともに、こんどは、非有機的な・機械的生産の技術的・経済的条件に結びつけられた近代的経済秩序の、あの強力な秩序界を作り上げることに力を貸すことになったからだ。そして、この秩序界は現在、圧倒的な力をもって、その機構の中に入りこんでくる一切の諸個人――直接経済的営利にたずさわる人々だけではなく――の生活のスタイルを決定しているし、おそらく将来も、化石化した燃料の最後の一片が燃えつきるまで決定しつづけるだろう。

 この一節については、上記のアンソロジーについての記事の翌日の記事で話題にしています。今回期せずしてまた話題にするのも、それだけ今の私の心にも重く深く響くからだと思います。しかし、それは、テキストの内容がよく理解できているからではなくて、読むたびに私個人の出口のないもがき苦しみを深めるからというに過ぎません。
 先月からずっと、ほんとうに毎日しんどくて、生きているのがやっとという状態が続いています。心機能に若干の不安を覚えるものの日常生活には支障なく、慢性疾患があるわけでもなく、ジョギング・ウォーキングあるいはサイクリングで毎日体を動かし、研究休暇中ですから仕事が忙しいわけでもありません。ただ、いろいろなことが重なり、見るもの聞くもの触れるものすべてに対して神経が過敏になっていて、それらがすべてネガティブな方向に心を引きずっていくのです。
 すべてが崩壊しつつあるという妄想から抜け出すことができません。だから読書もちっとも楽しくありません。必要があって読んでいる本も読むのがしんどい。ドラマや映画を観ていても、ストーリーとはあまり関係なしに、あまりにも情けない自分の人生に対する悔恨が不意に心に湧き起こってきて、涙が溢れてきます。
 遠い昔に掛け違えたボタンをもとに戻って掛け直さないかぎり、身にまとったシャツはボタンがずれたまま、誰の目にもごまかしは結局効かないということをこの年になっていやというほど思い知らされています。もうもとに戻って掛け直す時間はありません。
 負け戦とわかっていても、戦場から逃げ出すことはできず、討ち死か飢え死かわかりませんが、命が尽きるまでのジタバタの現場記録、それがつまりはこのブログなのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


紫式部の弟惟規の最期の姿が『光る君へ』に取り入れられるとすれば

2024-06-26 13:58:33 | 雑感

 紫式部はその生没年を確定できないが、少なくとも一〇一三年には生きていたことが藤原実資の日記『小右記』の記事から確認できる。式部の弟(兄とする説もある)惟規(のぶのり)の没年は一〇一一年とわかっている。越後守として任地に赴任していた父為時のもとに下向する途上で病み、越後で父に看取られながら没する。弟の病没の知らせを式部は京で受け取ったはずである。
 その最期にまつわる説話が『今昔物語集』巻三十一の二十八「藤原惟規、越中国にして死ぬる語」である。父の任地が越後ではなく越中になっていること、父の名が為善になっていること、父を博士としていることなど、史実に違う点があり、この説話を実話に基づいていると受け取ることはもちろんできないが、惟規が後世に「風流人」としてその名を知られていたことがわかる。この説話では、その惟規の病床の最期の姿を罪深いこと、悲しいことと結論づけているが、その結論は取ってつけたようで、説話の主要部分は惟規の姿を克明に描き出していて印象深い。

 いよいよ臨終間近になって、父は惟規に往生極楽を願えと、立派な僧を呼び、念仏を唱えさせようとした。その僧が惟規の耳元で次のようなことを囁く。
 地獄の苦しみが目前に迫っていること、その苦しみは筆舌に尽くしがたいこと、次の世に生を受けるまでに彷徨う中有では、鳥も獣もいない広大な野を独りとぼとぼと歩き、その心細さ、あとへ残してきた人の恋しさは耐え難いものである。
 それを聞いた惟規は、苦しい息の下に、その中有の旅の途中では、嵐に散りまがう紅葉や、風になびく薄の花などの下で鳴く松虫などの声は聞こえないのでしょうかと、ためらいながら、息も絶え絶えに尋ねる。
 この問いかけに腹を立てた僧は、なんのためにそんなことを聞くのかと惟規に問い返す。すると、惟規は、もしそうならば、それらを見て心を慰めましょうと、やはり息も絶え絶えに答える。それを聞いた僧は、狂気の沙汰だと、席を立って帰ってしまう。
 父はなおも息子のそばにつきそって見守っていると、惟規は両手をひらひらさせる。父はそれが何を意味するのかわからない。すると、脇に控えていたひとが、何か書きたいのではないかと気づく。そこで筆と紙を惟規に与えると、「みやこにもわびしき人のあまたあればなほこのたびはいかむとぞ思ふ」(わびしく都にいて、このわたしを待ってくれているあまたの人もいることだから、なんとしてでも、この旅を生きながらえて、もう一度、都にかえりたい)と歌を記す。
 最後の文字「ふ」を書き終えずに息が絶えてしまったので、父がその「ふ」の字を書き加え、形見にする。それをいつも出しては見て泣いていたので、紙は涙に濡れて、ついに破れてしまった。
 このことを父が京に帰り語ったところ、これを聞いた人たちは、みな心からあわれなことと思った。

 この説話に基づいて惟規の最期が『光る君へ』で描かれるとすれば(直接的にか、あるいは、父の語りの中の回想シーンとして)、惟規の最期について父の話を涙ながらに聞く式部の姿も必ずや組み込まれるだろう(と私は期待している)。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


大河ドラマ『光る君へ』に採用してほしい『紫式部日記』のなかの一場面 ― 弁の宰相の昼寝姿

2024-06-25 17:45:02 | 雑感

 大河ドラマ『光る君へ』には『源氏物語』から取られたエピソードや描写などが紫式部の生きている現実の世界の中に織り込まれていて、それをフィクションが歴史的現実のなかに混入しているとおかたく批判もできようが、これはドラマであってドキュメンタリーではないのだから、これはこれでなかなか心憎い演出だと私は思うし、そう思いながらご覧になっている方も少なくないようだ。
 私が特に興味と期待を持っているのは、『紫式部日記』のなかに語られた出来事や式部の内省や女房たちへの批評がどのような形でドラマに取り入れられるかである。
 式部の生涯を語るにあたってはさして重要ではないが、私が是非とも見たいと思っているのは、彰子後宮の局でうたた寝をしている弁の宰相の君に式部がいきなり声を掛けて起こしてしまう場面である。
 式部が彰子の御前から自身の局に下がる途中、宰相の君の局の戸口を覗くと、彼女はちょうど昼寝をしている。日記には、その可愛らしい姿が彩り鮮やかにかつ微細に描写されている。その姿が絵に描いたお姫様のようなので、式部は思わず彼女が被っていた衣を除けて、「物語の女の心地もし給へるかな」と声をかけてしまう。それに対して宰相の君は「もの狂ほしの御さまや。寝たる人を心地なく驚かすものか」と抗議する。その姿がまたなんとも優美だと式部は感嘆する(この段については、2014年11月30日の記事で一度話題にしている)。
 弁の宰相の君を誰が演ずるかという興味も含めて、このシーンが『光る君へ』に採用されることを放映が開始される前の昨年末から私はずっと願っている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


沈黙の中の心の叫び

2024-06-18 23:59:59 | 雑感

 午前中、来年度のために新たに募集した講師のポストの最終面接に召喚する候補者の選考を二人の同僚とテレビ会議で行い、その直後にやはりテレビ会議で、副査をお願いした別の同僚と一緒に、私が指導教官を努めている修士一年生の年度末審査を行った。午後には日課のジョギングで11キロ走る。夕方には、学科長と来年度の担当科目の割り振りについてテレビ会議で話し合った。傍から見れば、職務を粛々と執り行い、健康維持にも配慮された、特段の問題もない平穏な一日のように見えたかも知れない。
 だが、本人の心のうちはその外見とは裏腹に不安に満ち、一瞬の安堵感も許されない状態がずっと続いている。
 我が身の上に今直接関わること、職場での来年度の想定外の重い責任、近い将来に置かれざるをえない不安的な状態、ますます不寛容で差別的で排他的になってゆく社会の諸問題、もう帰る場所もない祖国、今世界で起こっている戦争、その間も深刻化し続ける環境破壊・気候変動などなど、これらすべてのことが小さき我が身にのしかかる途方もない重圧となって、近くから遠くから、四方八方から、心を締めつける毎日を送っていると、いつまでこの身がもつかわからないし、ましてやその先は想像すらできないし、かといってすべてを投げ出して遁走することもできず、誰にも助けを求めることもできず、そんな中でもなんとか一日一日を大切に生きようと朝早く起き出してもすぐに安易に流れ、瞬く間に一日は終わり、人生は情け容赦なく不可逆的に痩せ細っていき、それでもふっと蝋燭の火が消えるように静かに生を終えられる保証はなく、ただ死ねないから生きているだけで、そうしていれば苦しみは増すばかりなのに、苦しみの叫びをあげることさえ許されず、すべては因果応報と諦観に傾きつつも、きっぱりとあきらめることもできず、来世などあるはずもないと理性に囁かれ、あらゆる救済への扉は固く閉ざされている。
 これまさに「生き地獄」でなくてなんであろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


幸いにも出会うことができたなつかしき作品たちへの感謝の言葉

2024-06-17 03:13:37 | 雑感

 私にもかつてあった青年期、と言いたくなるほど今では非現実的な過去の彼方にある昔、吉田秀和の文章をよく読んでいました。その理由は、一方では、全幅の信頼を置ける音楽評論家としての彼の楽曲・作曲家・演奏家等についての評言を知りたかったからであり、他方では、どんな主題を扱っていても明度が高くてしなやかで凛としたその散文を嘆賞するためでした。
 もう茫々たる遠い思い出なので確かなことは言えませんが、名曲を解説する吉田の文章の中で、この曲をまだ知らず、発見する喜びをこれから味わえる人たちを羨むという趣旨の文言に何度か出会ったことがあります。
 そうか、知らないからこそ発見の喜びというものがあるのか、と自分の無知をいささか慰められ、嬉しかった覚えがあります。知る人ぞ知る名曲であれ、それを知らない本人にとっては、まったく新鮮な曲として聴くことができるわけであり、これは無知である者の「特権」とも言えなくもありませんよね。
 以来、知らないことを恥ずかしがらず、初めて聴いたときに、「わあぁ、これって、なんていい曲なんだろう」と、素直に喜べるようになりました。それは今もそうです。
 ことは文学作品でも同様であると一応は言えるでしょうか。ただ、音楽とはちょっと違うかなとも思います。
 高校一年生まではろくすっぽ本を読まなかった私は、いわゆる児童文学の傑作・名作は何も読んでいないに等しく、それを「大人」になってから読んでも、もう素直に「発見の喜び」とは言えません。それなりに楽しめるかも知れませんが、子どものときに読んでいたらば得られたであろう感動はもはやどうにも不可能であり、それは取り返しのつかないことです。それを今さら後悔しても始まりません。
 若い頃に読んでおくべきであった名作を今さら焦って読み漁ろうとはもう思えません。幼年期も思春期も青年期ももう帰っては来ないのですから。新しい作品との出会いを是が非でも求めるよりも、この半世紀ほどの間に馴染んできた、お世話になった、あるいは深い愛着を覚える少なからぬ作品たちを丁寧に読み返していきたい、今はそう思います。そして、読みながらそれらの作品たちそれぞれに、「ありがとうございました。あなたに出会えたことは私にとって幸いでした」と感謝の挨拶をしていきたい。昨日の記事で取り上げた『蜻蛉日記』もそのような一冊です。
 その挨拶は、同時に、出会うことのできなかった数々の名作たちへの間接的な別れの挨拶でもあります。「あなたたちの評判はかねてより聞いていたのですが、いつか読んでみたいとは思っていたのですが、ついに手にとって読む機会が私にはありませんでした。残念です。ごきげんよう、さようなら。」