今月刊行されたばかりの『小泉八雲東大講義録 日本文学の未来のために』は、2004年に筑摩書房より刊行された『さまよえる魂のうた』(ちくま文庫、池田雅之訳、小泉八雲コレクション)から、同じ訳者が、ハーンが東京帝国大学で行った講義録十六篇を選び、大幅に改訳・修正のうえ新編集したものです。ハーンの東大での講義については、昨年の6月10日の記事で一度話題にしていますので、そちらもご覧いただければ幸いです。ハーンの死後にこの名講義が出版されるまでの経緯については、訳者による解説を参照してください。
訳者が言うように、もし生前に講義録出版の話が持ち上がったとしても、文章の彫琢に長年心を砕いてきたハーンが、草稿も作らず、わずかなメモだけを頼りに行った講義の学生たちによって取られたノートに基づいた講義録の出版を承諾したとは思えません。確かに、この講義録は、厳密には、ハーンの著作ではありません。しかし、「たとえ口述筆記されたものであっても、作家として成熟期にある人間の口吻から淀みなく湧き出てきた言葉であるゆえに、ハーンの『作品』としてその価値と権利を主張してもよいのではなかろうか」という訳者の考えに私も賛成です。
私たちは、学生たちが充分書き取れるほどゆっくりと澄んだ美しい英語で講義したハーンに対してはもちろんのこと、彼の講義を熱心に聴き、その克明な筆記ノートを残してくれた当時の学生たちにも感謝しなくてはならないでしょう。そして、講義ノートをタイプさせたハーン文学の愛好者でハーンの友人でもあったミッチェル・マクドナルドにも、アメリカでの出版に尽力したコロンビア大学の英文学の教授ジョン・アースキンにも。彼らみんなのおかげで、今もこうしてハーンの名講義を読む、いや「聴く」ことができ、実際の講義の雰囲気を感じることができるのですから。
本書の翻訳からでももちろんそれを感じることはできますが、英語原文で読めば、あたかもハーンの講義を教室で聴講しているかのような臨場感を味わうことができます。『文学の解釈 Ⅰ・Ⅱ』(Interpretations of Literature, 1915)の原書へのリンクは、昨年の6月10日の記事の中に貼ってありますので、そちらを御覧ください。ここには『人生と文学』(Life and Literature, 1917)の原書へのリンクを貼っておきます。
二番目にご紹介するのは、昨日の記事で紹介したエミール・ギメの日本旅行に同行した画家フェリックス・レガメが1905年に出版した『明治日本写真帖』(原題は Le Japon en images)です。フェリックス・レガメについては、今年の1月16日の記事ですでに取り上げていますので、そちらも参照していただければ幸いです(原書へのリンクもそちらに貼ってあります)。
本書の著者フェリックス・レガメ(1844-1907)は、明治時代に二度来日したフランス人画家です。一度目は、明治九年(1876)、エミール・ギメの宗教調査旅行に挿絵画家として同行しました。二度目の来日は、その二十三年後の明治三十二年(1899)、図画教育視学官として、東京での学校視察を主な目的として二ヶ月半ほど滞在しました。この二回目の来日のときの記録と収集した資料と自らのスケッチを基にして、『東京の学校におけるデッサンとその教育』『日本』という二つの著作を刊行しました。
本書『明治日本写生帖』は、この二著の図像を中心として再編集されており、よりわかりやすい形で日本の風俗や文化を紹介したレガメ最後の著作です。その図像資料は、「私たちの目の前に、明治時代の日本の姿を生き生きと浮かび上がらせてくれる。とりわけ、レガメの手になる素描は、写真や映像の持つ正確さにはかなわないものの、それゆえに彼の眼差しや視点をより色濃く反映し、趣深い味わいをもたらしている。」(訳者林久美子による「まえがき」より)
レガメは、フランスのジャポニスムブームの火付け役の一人であったにもかかわらず、本国フランスにおいても、「今日では忘れ去られた人物となっている」こともあり、訳者は、解説でその生涯を詳しく紹介しています。レガメの文章(その日本人・日本文化へのあまりの称賛ぶりはこちらが恥ずかしくなってしまうほどですが)と245点の図版からなる本訳書の本体そのものがきわめて魅力的で興味深いものである上に、懇切丁寧な訳者解説があるだけでなく、国際日本文化研究センター・総合研究大学院大学教授の稲賀繁美さんによる「日仏文化交流史のなかのギメとレガメ」と題された、当時の日仏文化交流史の中にギメとレガメの足跡を位置づけたとても情報量の多い解説も巻末に収められており、令和最初の月であるこの五月に刊行された本書は、文庫としては破格の贅沢な構成になっています。
今日から三日間、角川ソフィア文庫から最近刊行された三冊の本について書きたいと思います。
三書に共通するのは、日本にただならぬ関心を持ち、旅行者として或いは居住者として日本の文化・風俗・風習を直に観察した欧米人の著作だということです。特に最初の二冊は、明治九年(1876年)一緒に日本を旅行した二人のフランス人によって書かれました。原書はもちろんフランス語です。もう一冊は、一昨年昨年、このブログでもしばしば取り上げたラフカディオ・ハーン(小泉八雲)の東大講義録(抄訳)です。これは、正確には、ハーン自身の手になる著作ではなく、聴講した学生たちが自分たちのノートを基に復元した講義録です。ハーンの講義はすべて英語で行われました。ありがたいことに、この三書は、いずれも原書の電子版が無料で入手できます(リンクはそれぞれ別々に貼り付けます)。
さて、トップバッターは、フランス人実業家エミール・ギメです。パリにある現在のフランス国立ギメ東洋美術館の基となったギメ宗教博物館の創設者です。『明治日本散策 東洋・日光』(原書のタイトルの直訳は『日本散策 東京―日光』)は、ギメの文章に、旅行に同行した画家フェリックス・レガメ(二番バッターです)の挿画140点を添えて1880年にパリで出版されました。原著は、その二年前に出版された『日本散策』の続編で、題名からわかるように、東京と日光の旅行記です。本訳書(平成最後の月であるこの四月に刊行)には、ギメ美術館で司書、館長顧問として長年勤務され、ギメ研究の第一人者である尾本圭子さんの詳細な解説が付いていて、ギメの生涯と仕事と芸術に対する愛について知ることができます。文献表も邦文・欧文ともに行き届いていて、さらにギメについて知りたい人たちにとってよきガイドにもなっています。
訳者は、美術史家・翻訳家である岡村嘉子さんです。訳は、尾本さんの校閲も経ており、原文の軽快でユーモアに富んでリズミカルな調子をよく伝えるとても良い訳です。レガメの繊細な描画がすべて再現されているのも嬉しいことです。私が持っているのは電子書籍版ですが、紙に印刷された描画の質感は望むべくもありませんが、文庫版の小さな挿画を拡大して細部までよく見ることができるという利点があります。
どんな調子で書かれているか見てみましょう。「芝」と題された一節から一部引用します。
さきほど遠方からごく小さく見えた、火伏せの神を祀る愛宕神社は、山の急な斜面にどこまでも続く、長い階段の上にあった。
この地の人々は、日本の馬ならこのような急な段でも踏み外さずに下りられると断言する。私は日本の馬に賛辞を贈らずにはいられない。
ところで日本の女性は、馬と同様の能力には恵まれていないようである。というのも、この階段よりもずっと緩やかで狭い階段が薄暗い雑木林を通る道にあるのだが、その名を女坂と呼ばれているからである。
高台からの町や海の眺めに見惚れていると、魅力的な娘たち―その一人はマリー=アントワネットの横顔をしている―がお茶はいかが、と声をかけてきた。
原文をお読みになりたい方は、こちらからどうぞ。マリー=アントワネットの横顔をしている女性のレガメによるポートレイトもご覧になれますよ。
ルイ・ラヴェルの著作を読んでいて味わうことができる喜びはどこから来るのだろうか。それは、名演奏を聴いたときや名人の舞踊を観たときの美的経験の喜びに似ていると思う。たとえ生演奏や舞台上の実演ではなく、録音や録画による鑑賞であっても感動を与えられることがあるのは、そこにその音楽や舞踊を生動させている精神の躍動と緊張と動的平衡が現に感じられるからであろう。同じようなことがラヴェルのテキストを読んでいるときにも感じられる。ラヴェルのテキストは精神の行為の実践として書かれているから、それを読むことでその精神の運動に直に触れることになる。音楽の演奏や舞踊の実演を要約することができないように、ラヴェルのテキストの所説を要約してしまうと、精神の生動は消失してしまう。テキストからラヴェルの哲学的主張を抽出してしまうと、それはたちまち抜け殻のように干からびた概念の組み合わせに変質してしまう。ラヴェルは、書きながら絶えず行為としての精神を再起動し続けていた。その生けるテキストを読むことは、だから、絶えず更新されるその精神の行為に感応する読み手の精神の現在の行為でなければならない。そのような読み方をせずに、ラヴェルの哲学的言語を形而上学的な概念的な構築物として固定化することは、ラヴェルの哲学を殺してしまうことに外ならない。逆に言えば、ラヴェルのテキストを生かす読み方とは、そのテキストを書かせた精神の運動を読み手が己のうちに再生させるような読み方だということである。
もちろん、これはラヴェルのテキストについてだけ言えることではないだろう。しかし、では、他に誰のテキストを同様な経験ができる例として挙げることができるかと探してみても、私にはすぐに見つからない。それは、単に私の読書経験が貧しく、感受力が足りないからに過ぎないのかも知れない。それはそうとして、ラヴェルの諸著作を読むことは、私にとって、生動する精神の高貴な美しさに触れることができるとても大切な読書行為なのである。
昨日紹介したピエール・アドの本には、ルイ・ラヴェルのコレージュ・ド・フランスの開講講義と十年間の講義要旨が一書に纏められた L’existence et la valeur. Leçon inaugurale et résumés des cours au Collège de France (1941-1951), 1991に寄せた序文が収めれている。ラヴェルのこの本は、UQAC のこちらのページからWORD版 ・PDF版・RTF版が無料でダウンロードできるし、開講講義だけならアマゾンで電子書籍版を 5,99€ で購入することもできる。
アド自身が序文の中で断っていることだが、数頁の序文にしてはラヴェルの著作からの長い引用が多い。それは、当時まだラヴェルの大半の著作がきわめて入手しにくい状況にあったので、読者にできるだけラヴェルの文章そのものの息吹に触れてほしいという願いからだった。それに、当時は現在ほどラヴェルに対する関心も高くなかったから、より広い読者層にラヴェルの哲学を知ってほしいという願望もあっただろう。
アドは、他の著作の中でも、若い頃からの愛読書としてラヴェルの L’erreur de Narcisse にしばしば言及している。この序文でもかなりのスペースを割いて同書を紹介している。アドがこの序文の中で特に強調しているラヴェル哲学の要諦は、哲学とは、各自己の現在の精神の行為(acte)であり、その行為によって志向されるかぎりにおいてしか真理は存在しないし、それなしには真理を目指す者たちの間のコミュニケーションも成り立たない、ということである。ラヴェルの公刊されたすべての文章は、その都度のこの行為の実践であり、それらの文章は読者に自らそれを実践することを促してやまない。
加藤典洋の『人類が永遠に続くのではないとしたら』(新潮社、2014年)を読みながら、福島原発事故のことを改めて考えたり、現在進行中のアマゾンの森林火災についての情報をネットで追いかけたりしていると、どうしても地球の未来について悲観的なイメージしか浮かんで来なくなり、憂鬱になってしまう。そういう精神状態だと、何をしていてもどこか落ち着かず、上の空になりがちで困る。私が独り悶々と悩んだところで何にもならないのだから、せめて目の前の仕事に集中するほうがよいとはわかっていても、暗澹とした気分が心に浸潤してきて、ついぼんやりとしてしまう。
これではいけない、気分を変えようと、手に取ったのが Pierre Hadot, La philosophie comme éducation des adultes. Textes, perspectives, entretiens, Vrin, coll. « Philosophie du présent », 2019 である。フランスに戻る直前にアマゾンに注文しておいた本で、土曜日の帰宅時にはもう届いていた。講演、対談、インタビュー、雑誌への寄稿、他の著作家の本の序文など、入手が困難な文章が集められている。その中のいくつかはすでに読んだことがある文章だし、その他の文章の中にも何か特に眼新しい所説が見られるわけではないけれど、逆に言えば、どれだけ多くの様々な機会に「生き方としての哲学」をアドが繰り返し強調してきたかが改めてよくわかるような構成になっている。
哲学者は、アドによれば、人々に何を教えるのか。何か特定の仕事ではない。一言で言えば、「人間という仕事」を教えるのが哲学者である。
この本を少しずつ読みながら、哲学者たちの教えに耳を傾けることで、気持を立て直したい。
昨晩、無事自宅に帰り着いた。帰路は、すべて順調、なんのトラブルもなかった。
機内では、最後尾窓側の席を選んだ。席のすぐ後ろがトイレで、若干その臭いが気にならなくもないが、座席の後部に小さな荷物は置けるし、後ろの座席を気にする必要もなく、通路側に一席あるだけで、出入りもしやすいというのが選んだ理由。昨夏利用したエール・フランスでも同じ席を選んだ。そのときは、トイレの使用音がかなり気になったが、今回利用したJAL便ではそんなことはなかった。
機内では、映画を観て過ごすことが多い。しかし、今回は特に観たい映画も見つからなかった。かといって、本を長時間読むのも眼に辛い。何か音楽でも聴こうかと、リストを眺めても、これといった曲目がなかなか見つからない。
唯一、ジョージ・セル指揮、チェコ・フィル演奏のドボルザーク交響曲第八番が目に止まった。1969年のルッツエルン国際音楽祭での演奏のライブ録音。セルの「ドボ八」といえば、逝去の年1970年に手兵クリーブランド管弦楽団を指揮しての演奏が歴史的名演として有名で、これは私もかねてより CDを所有しているが、その前年のこのライブ録音も本当に素晴らしい演奏だ。ヘッドホンで聞く音が痩せているのは仕方ないが、それでもライブの熱気とチェコ・フィルのキレがあるのに暖かく柔らかい演奏の魅力は感じることができた。
ここ二年ほど、自宅でも音楽はストリーミングで「聞き流す」ことが多くなってしまい、真剣に聴くということがめっきり少なくなってしまった。昨日は、思いもかけず、久しぶりに交響曲の演奏を集中して鑑賞することができた。今日、早速当該のCDを注文した。付録としてMP3の音源も付いてくるので、Bose SoundTouch で再度聴いてみた。セルならではのきりりと引き締まり統率された演奏でありつつ、各楽章、各パートがそれぞれにとても表情豊かで、ますます気に入ってしまう。
機上で思わぬ贈り物をもらったような気分である。
10時40分発のパリ行きJAL045便を待ちながら、この記事を書いています。
ちょうど一ヶ月間の東京滞在を終え、フランスに帰ります。7時間の時差のおかげで、今日24日夜にはストラスブールの自宅に帰りつけます。
今年も酷暑に見舞われた八月でしたが、今週は、曇天と雨模様で、比較的気温も下がり、その分過ごしやすく、体調も良好です。今回は、滞在中に小旅行はせず、ずっと東京に居ました。妹夫婦の家に居候させてもらい、すっかりお世話になり、おかげで気持ちよく一月間過ごすことができました。滞在中、十数名の人と会い、それぞれに楽しく歓談し、そこから新しい繋がりも生まれそうで、実りある滞在だったと言えます。
帰国の翌日日曜日から、さっそく九月に向けていろいろと準備を始めないといけないので、今日が実質的に夏休み最終日で、「夏休み日記」も今日で終わりです。
お目にかかった皆様、どうぞお元気でお過ごしください。再会を楽しみにしています。
八月に連続して Facebook にアップした四匹の猫たちも元気でね。年末年始にまた会いましょう。
明日からは、またストラスブールから発信します。
今回フランスに持ち帰る加藤典洋氏の著作の残りの四冊は以下の通り。
『完本 太宰と井伏 ふたつの戦後』(講談社文芸文庫、2019年、初版2007年)。太宰や三島に仮託して自分の考えを表明してきたそれまでの思想的場所から立ち位置を変え、彼らとははっきり違う足場に立って本書は書かれているという(「単行本あとがき」203頁)。「その足場を一言で言うと、生きている人間の場所、ということになろう。あるときから、生きている自分が、自殺することを選んだ太宰治や、三島由紀夫にあんまり共感するのは、変だよ、と思うようになった。そこから考えていると、どうも自分が苦しくなる。それはそうだろう。彼らは思いつめて死んでしまった。それなのに筆者は、のうのうと生きている。そこに、自分にとって一つの問題があるらしいと気づいてから、この太宰治論の仕事に、身が入るようになった。」(同頁)
『人類が永遠に続くのではないとしたら』(新潮社、2014年)。本書については、今月20日の記事ですでに取り上げているので、そのとき引用したのとは別の箇所を引用しておく。
この本を書くなかで、私の環境にも変化があった。それは、息子の加藤良が昨年二〇一三年の一月一四日、不慮の事故で死んだことである。享年三五歳。このことで、私は突然、この世に自分がひとり、取り残されたと感じた。
彼は私に人が死ぬということがどういうことであるかを教えてくれた。(417頁)
『戦後入門』(ちくま新書、2015年)。著者はこの本を高校生くらいの若い人や大学生にも読んでほしいという。「過去との結びつきを感じたいというのは人間の健全な渇望である。これまで、それをことさら切断することに力点をおきすぎてきたかもしれない、と感じた。戦前と戦後は断絶している。しかし、それですむなら、世話はない。そのことを残念に思うこころが、「ねじれ」を作る。私たちは、その「ねじれ」をうまく生きる技法、作法を身につけるべきだ、と考えるようになった。」「戦後の国際秩序にフィットした・そして持続可能(サステイナブル)な・「ねじれ」をうまく生き抜く・「誇りある国づくり」こそが、大切だ。この本にはそのことを書いたつもりである。」(631-632頁)
『9条入門』(創元社、2019年)。著者の最後の著作である。著者は、丸山眞男の「復初の説」(1960年)を引きながら、「初めにかえれ」という。この「初め」とは、1945年8月15日のことである。この日には、まだ、何もなかった。平和主義も憲法9条も。「初めにかえる」とは次のようなことである。
私は、もし、この日に、私たちが、空を見上げ、この後いったい自分たちはどうすべきか、何が一番、自分たちにとって、大切なのか、どうすることが、いま自分たちにほんとうに必要なのか、と考えたなら、その答えは、さまざまなものとなったと思います。けれどもそこでさまざまな問いと、その答えを受けとりつつ、私たちの多くが、またいつか、危機に際して、何度も、自分たちは、そのつど、ゼロの地点から、この問いをくり返すだろう、と思っただろうと思うのです。(326頁)
しかし、一番大切だったはずのその原初の問いは、戦後七十四年間、結局正面から問われることのないまま、事ここにいたっていると著者は言う。本書は、著者が「読者のみなさんと共に八月十五日の「廃墟」という、“何もなかった場所”にまで立ちかえり、「新しい日本の建設」について考えようとした試み」である。
私もまた、読者の一人として、著者と共に、「何もなかった場所」にまで立ちかえり、何が新たに構築されるべきなのか、考えていきたい。
今回の帰国中、例によって、フランスに持ち帰る書籍を少なからず購入した。最も多くその著作を購入した著作家は、この五月に亡くなられた文芸評論家の加藤典洋である。それにはいくつかの理由がある。来年度後期サバティカルで不在の同僚に代わって「現代文学」の講義を担当するので、その準備のための参考文献としてというのが一つ。戦後日本の思想史・精神史について考察するにあたって読むべき文献としてというのが一つ。そして、憲法問題、特に第九条について考える上で外せない論考であるからというのが一つ。
これらの条件に該当する加藤氏の著作に限っても、とても全部は買いきれないので、八つの著作を持ち帰ることにした。そのうちの四冊について今日の記事に摘録しておく。
『敗戦後論』(ちくま学芸文庫、2015年、初版1997年)。本書に収録された論文「敗戦後論」(『群像』1995年1月号)は、多くの批判を巻き起こし、戦後を代表する大論争にまで発展したことで有名である。同じく収録された「戦後後論」「語り口の問題」と併せて、本書は、戦後日本思想の特異性を考える上で必読文献の一つである。
『戦後的思考』(講談社文芸文庫、2016年、初版1999年)。『敗戦後論』の続編として構想された。「文芸文庫版のためのあとがき」によると、『敗戦後論』が受けた批判を正面から受けとめ、これを「黙らせよう」と、「このときだけは、手加減なし、批判者たちの『息の根』をとめるつもりで書いた」という。
『[増補改訂]日本の無思想』(平凡社ライブラリー、2015年、初版1999年)。西欧に生まれた公共性の思想への抵抗のうちに、「日本の無思想の精華でもある現今のタテマエとホンネのニヒリズムが、そこからありうべき日本の思想に向けての自己更新を行うカギも見つかるはずだ、というのが、私がこの本で結論として述べようとしたことにほかならない。」(300頁)
『増補 日本人の自画像』(岩波現代文庫、2017年、初版2000年)。本書は、『敗戦後論』『戦後的思考』での所説に対して、その「原論」のような位置を占めると著者自身によって規定されている(391頁)。「人は『内在』の方法からはじめるしかない。しかし、その『内在』の方法をどこまでも愚直に貫徹すれば、必ず、関係世界のとば口で、躓く。けれども、その躓きがなければ、人に、『関係』の方法へと転轍しなければならない理由は、生まれない。」(同頁)