内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

日記の記述の背後に隠された宣長の深い心情の推理(中)

2018-04-25 03:47:02 | 読游摘録

 偉大なる先達賀茂真淵との「松坂の一夜」に描出されたような感動的な面会をしたはずの宣長は、それからわずか二週間後の宝暦13年6月7日に次のような文章を書いている。

 右『紫文要領』上下二巻は、年ごろ丸が心に思ひよりて、この物語をくり返し心を潜めて読みつつ考へ出せるところにして、まつたく師伝の赴きにあらず。また諸抄の説と雲泥の相違なり。見む人あやしむことなかれ。よくよく心をつけて物語の本意を味ひ、この草子と引き合せ考へて、丸がいふところの是非を定むべし。必ず人をもて言を棄つることなかれ。かつまた文章・書きざまはなはだみだりなり。草稿なるゆゑにかへりみざるゆゑなり。重ねて繕写するを待つべし。これまた言をもて人を棄つることなからんことを仰ぐ。(新潮古典集成『本居宣長集』の本文による)

 これは『紫文要領』の跋文である。現代語で意を通せば、以下のようになろうか。

 この源氏物語論は、数年来私が繰り返し『源氏物語』読解に沈潜した結果として打ち出された考えであって、師から教わったものではなく、既存の諸説ともまったく異なる。そのことを怪しく思わないでいただきたい。よくよく注意して『源氏物語』そのものを味わい、この拙論と引き比べて、その是非を判断してほしい。私が無名の若輩だからというだけで拙論を否定しないでほしい。確かに、文章整わず、乱雑な書きぶりであることは認める。それはまだこれが草稿だからで、そういうことには構わなかったからだ。いずれ清書するからそれまでご辛抱いただきたい。ただ、文章の乱雑を理由に拙論を棄却することなきよう伏して乞う。

 この異様とも見える激越な調子はどこからくるのであろうか。いったい誰を念頭において書かれた文章なのであろうか。
 大野晋は、この激越な調子の理由を次のように説明する。

 『紫文要領』を貫く根柢の考えは、恋は人間にとって重要なことである。その恋の種々相をこまかく的確に書いている点で『源氏物語』は極めて重要な作品なのだ、というところにあるのです。今から見ればそんな意見は当り前と思われるかもしれません。しかし、当時の社会では、色恋などということは、一人前の男子である武士や学者が取り上げるべきことではなかった。男と女の色恋沙汰を一生の大事と考えるなどは、道にはずれたおかしな奴のすることだとされていたのです。恋は人生、人間の大事なことなのだと明確に断言することは、当時としては異例のことに属します。だから宣長は「人をもて言を捨つる事なかれ」と激しい調子で言っているのです。(『語学と文学の間』岩波現代文庫、2006年、23-24頁。)

 確かに、当時としては思想的に過激な内容をもった『紫文要領』を公にすることには勇気が必要だったであろう。だとすれば、もっと文章を整え、いらぬ誤解を招かぬよう慎重を期してもよかったのではないか。実際、『紫文要領』の改訂増補である『源氏物語玉の小櫛』を33年後の寛政8年に完成させ、そのさらに3年後に出版している。
 しかし、だからこそ問わねばならないことは、まだ三十代前半の若き無名の学徒に上掲の「危険な」跋文を書かせた情熱はどこから来ているのか、何に裏づけられているのか、ということである。言い換えれば、なぜ若き宣長は世間の常識に反した独自の主張を敢えて危険を冒してまでしなければならなかったのか、ということである。











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