内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

「自然な」日本語から「国際語」としての日本語へ ― 日本語を開くために(上)

2015-10-31 04:01:06 | 日本語について

  

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 どの言語であれ、それを外国語として習得する場合、特に学習開始年齢が青年期以降であれば、到達できるレベルには自ずと限界があろう。私などは27歳になろうという年にフランス語を始めたから、もうほとんど絶望的な限界がある。フランス語で講義ができるくらいは話せ、一応論文らしきものがフランス語で書けるということとフランス語の精妙なニュアンスがわかるというということとの間には、それこそ天と地ほどの差がある。私は、今後も、死ぬまで、ただ地を這いつくばりながら、日々怠らずに、一歩でも上達することを「健気に」目指すばかりである。しかし、そのような地を這う虫にも、しかもこれから知力は否応なく下り坂にむかっていく年齢になっても、なお上達の可能性が残されている、つまり学ぶべきことがまだ無尽蔵に残されているという、まさにそのことが、圧倒的な絶望感と同時に、一条の光明のような希望を与えもするのである。
 各言語が有っている精妙なニュアンスが十全に感じられるようになることだけが語学学習の最終目的であるわけではもちろんない。身も蓋もない言い方をすれば、必要に応じて使いこなせるようになれば、それでいいとも言える。
 私がここで考えてみたいのは、しかし、学習者の立場から見た外国語の難しさについてではない。ある言語が、学習者にとってより学びやすい言語になるには、どのような条件が満たされなければならないか、という、言語の「国際語化」の問題について考えてみたいのである。もちろん、ある言語が国際語化するための条件は種々あり、簡単に論じることはできない。今日と明日の記事では、その中の一条件と私に思われるものについてのみ、若干論じてみたい。
 ある言語がそれを母語としない人たちにも普及していくための、そのかぎりで国際語化していくための、少なくとも一つの条件は、その言語の学習に際して障害となりやすい特異な固有性を敢えて切り捨てる、とまでは行かなくても、それを最小限に抑え、できるだけ少ない規則と語彙で運用できるように、「自覚的に」限定していくことだと私は考える。
 日本語に即して、この国際語化のための一条件について考えてみよう。
 昨日までの四回の記事で取り上げた日本語の難しさは、一言で言えば、日本語の円滑な運用のために前提とされる文脈依存性にある。文脈上明らかだから「省略されている」要素を読み手・聞き手が補うことができてはじめて、理解が成立する。さらに踏み込んで言えば、「省略されている」という言い方さえ、適切ではない。なぜなら、それらの要素は顕在化しないのが普通だからであり、あるべきものが敢えて省略されているわけではないからである。仮にそれらの要素を全部文中に顕在化させると、それは日本語としてかえって読みにくい文になってしまう。不必要な衣服を過剰にまとったかのように、重たくて、動きの鈍い、「不自然な」文になってしまう。
 これらの「自然に」隠された「見えない」要素が「自ずと」わかるようになることが、日本語ができるようになることだ、と言うこともできる。実際、学生たちの日本語理解能力をこの一点からだけでも判断できるほどである。
 しかし、まさにそうであるからこそ、「省略」要素を大量発生させるこの文脈依存性を軽減させることが日本語をよりわかりやすい言語にすることにもなる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


日本語の難しさ(4) 「全身像」であるフランス語に対して、「トルソー」のような日本語

2015-10-30 02:03:08 | 日本語について

   

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 しかし、言うまでもないと思うが、いくら文脈上自明な主語(「が」によって示される)および提題(「は」によって示される)を省略するのが日本語運用の一般的使用規則だからといって、それを乱用し、あまりにも極端に主語あるいは提題を省略してしまっては、日本人同士の間でも誤解が生じてしまう。それは、話し手・書き手と聴き手・読み手との間に同一の前提が十分に形成・共有されていないからである。
 フランス人学生たちに日本語運用のこの一般的使用規則を説明するのに、日本語における日本人同士の間の「普通の」自己紹介の仕方を私はよく例として挙げる。日本語を習い始めた学生に自己紹介してごらんというと、まず例外なく、「私は〇〇です」と、文頭に「私は」を付ける。間違いではないどころか、「完璧な」日本語である。ところが、日本人は、まず、「私は」を付けない。いきなり「〇〇です」と自己紹介する。それが普通だ。なぜか。自己紹介をするというテーマが既に文脈として与えられているから、「私」を提題として明示する必要はもうないからである。これが日本語運用の一般的使用規則である。
 「自明な」提題(「-は」)あるいは主語(「-が」)は省略されるという条件の共有が言説理解の前提となるという、日本語運用のこの一般的使用規則が、フランス人たちを悩ませる。命令文、一語文、省略表現、感嘆表現などを除き、そもそも主語のない文などフランス語にはあり得ないからだ。
 そのような主語を欠いた文を目の前にするのは、彼らにとって、あたかも胴体部分だけを見せられて、誰だか当ててみろと言われているようなものである。彫刻に喩えれば、フランス語が「完全な」全身像であるのに対して、日本語は、トルソーのようなものに思えるのである。
 もちろん、その部分から誰だか特定できる場合もある。しかし、それで日本語としては「欠けるところのない作品」なのだと自分を説得しようと試みても、その文に「文法的に欠落がある」という印象を完全に拭い去ることは、彼らにとって、箸で小豆一粒を摘むことよりも、麺類を音を立てて食べることよりも、難しいことなのだ。そして、その「欠落」を補うべく、できるだけその文の近くに答えを探そうとする。その結果、昨日の記事に例として挙げた訳ような「初歩的な」誤りを犯してしまうのである。
 文脈依存性と自明的要素の省略志向とを強く有った日本語運用の一般的規則が、いわゆる「文法的に完全な」文を多用することを、「うるさく」、「ぎこちなく」、「不自然に」感じさせる。言い換えれば、その談話あるいは文章に瀰漫する「エーテル」を即座に感じ取り、その場面あるいはその文脈で、どの要素を省略しても誤解の余地がないかを瞬時に的確に判断できるということが、日本語がよく「わかる」ということなのである。それが「自然な」日本語が話せ、書けるということなのである。
 だが、この「自然で」「調和した」日本語空間の中に、この一般的規則をまだ共有していない日本語話者が入って来たらどうするべきか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


日本語の難しさ(3) 随筆「ケーベル先生」を浸している情感的エーテル

2015-10-29 05:11:27 | 日本語について

  

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 昨日の記事で話題にした漱石の随筆「ケーベル先生」の問題箇所である最後の段落を、最後の一文を除いて、全集版(1994年)から引用する。

京都の深田教授が先生の家にゐる頃、何時でも閑な時に晩餐を食べに来いと云はれてから、行かずに経過した月日を数へるともう四年以上になる。漸く其約を果して安倍君と一所に大きな暗い夜の中に出た時、余は先生は是から先、もう何年位日本に居る積だらうと考へた。

 仏訳はこうなっている。

A l’époque où le professeur Fukada, qui est de Kyoto, habitait chez Koeber, celui-ci lui avait dit qu’il pouvait venir dîner à sa table n’importe quand s’il n’avait rien d’autre à faire et quatre ans s’étaient écoulés sans qu’il ait répondu à son invitation. A présent qu’il avait enfin concrétisé la proposition, quand je me suis de mon côté retrouvé dans la rue en compagnie d’Abe, dans la grande nuit profonde, je me suis demandé combien d’années encore le professeur avait l’intention de rester au Japon.

 「ケーベル先生」の文章全体を難なく理解でき、かつフランス語初級を終えられた方なら、この仏訳のどこに問題があるか、すぐにおわかりになるであろう。訳文中の « il » « lui » は、« le professeur Fukada » を指している。ところが、日本語原文を読めば、少なくともほとんどすべての日本人にとって自明なことは、ケーベル先生が晩餐に何時でもよいから来いと招いたのは、漱石であり、その招待に四年以上応えなかったのも漱石であり、どちらも深田教授ではないということである。
 そもそも、当時その家に住んでいた人間に、いつでもよいから晩餐に「来い」などと声をかけるのも奇妙な話ではないか。それに、「漸く其約を果して安倍君と一所に大きな暗い夜の中に出た時」とあるのだから、そこからだけでも、「其」約束を果たしたのは、筆者漱石だと確定できる。それに、随筆の冒頭から、漱石が「安倍君」と一緒にケーベル先生を訪問するところであることは、既知の情報である。
 問題は、文脈からしてほとんど誤解の余地のない箇所であるにもかかわらず、どうしてこのような「初歩的な」勘違いが日本語に通暁しているはずの翻訳者に起こってしまったのか、ということである。
 もう一度、問題の文章を見てみよう。

京都の深田教授が先生の家にゐる頃、何時でも閑な時に晩餐を食べに来いと云はれてから、行かずに経過した月日を数へるともう四年以上になる。

 「云はれた」という受動態の動詞に対する主語がない。誰が誰に言われたのか。あるいは、この「云はれた」を尊敬表現と見なすこともできなくはない。その場合、誰が誰に仰られたのか。「行かず」の主語もない。誰が「行かず」に四年以上過ごしたのか。
 この随筆の文脈からまったく切り離して、この文だけを読み、文法的な可能性だけを考えると、「深田教授がケーベル先生に」言われ、「深田教授が行かず」にしまったと取ることも間違いだとは言えない。しかし、文法的には不可能ではなくても、文脈上あり得ない、と、ほとんどすべての日本人は即座に断定することであろう。なぜ、「欠けている」文法的要素について、そんなに自信を持って断定できるのか。
 このエッセイは、漱石のケーベル先生についての思いを述べている文章である。その最後の段落に来て、もしこの文脈の中でその主題との関係で特に重要ではない人物が主語である文があったとすれば、その主語が省略されるということは日本語でも通常はない。誰のことか誤解を招くからだ。逆に言えば、日本語では、その文章の主題は、一旦提示されれば、それが変更されないかぎり、明示されなくても、常に前提され、書き手・話し手と読み手・聞き手とに共有されている。
 この文章の主題は、言い換えれば、この文章全体を浸している「エーテル」は、漱石のケーベル先生に対する敬愛の念である。この前提に基づいて、主語その他の文法要素の省略が実行される。もちろん、漱石がそう意識して実行したのではない。そして、それでも、読み手はその前提を漱石と共有できるのである。それができないと、たちまち文章の理解に支障をきたす。日本語とはそういうものなのだ、あるいは、少なくとも、これまでの日本語はそうなのだ、と言わざるを得ない。




















日本語の難しさ(2) 漱石の美しい仏訳、そして『徒然草』第百九段を想起する

2015-10-28 04:07:42 | 日本語について

  

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 私がつい数日前につくづくと実感した日本語の難しさは、昨日の記事で取り上げた丸山眞男の文章のそれとは別種の難しさである。

 漱石の仏訳者として数十年間に渡って素晴らしい仕事をしてこられ、それ以外の日本文学の翻訳によっても多大な貢献をしてこられた方を存じ上げている。何度かお目にかかってお話をうかがったこともある。豊かな語彙を操り、ユーモアに富み、アイロニーのスパイスにも欠けていない見事な日本語で、止めどなくお話しになる方である。日本在住四十年以上であり、ご主人は日本人である。その方の漱石仏訳は、出版されるとすぐに買うことにしている。
 今月、一九二六年に三巻の巻物として出版された毛筆で筆写された『草枕』に付されていた三十点ほどの絵画すべてを再録した新仏訳 Oreiller d’herbe ou le Voyage poétique が出版された(こちらを参照されたし)。大変美しい絵画に彩られたこの見事な仏訳で『草枕』を読むのは、一つの新たな『草枕』の読書経験と言っても過言ではないであろう。
 その同じ方が Une journée de début d’automne という漱石の仏訳エッセイ集を二〇一二年に出版されている(その二年後の二〇一四年に同書のポッシュ版が刊行されている)。このエッセイ集のタイトルは、ちょうどその百年前に発表された漱石の随筆「初秋の一日」から取られている。全部で七つの長短のエッセイが収めれらているのだが、その中に、漱石の数ある随筆の中でも私にとって最も愛着のある文章の一つである「ケーベル先生」を見出して、嬉しく思った。漱石のケーベル先生に対する敬愛の念が隅々まで染み通った、まことに滋味溢れる名随筆である。
 この随筆の原文と仏訳とを比較しながら読んでみた。その名訳に感嘆しつつ、最後の段落まで来たとき、私は我が目を疑った。思わず、「まさか、うそでしょ」と声に出てしまった。
 これまで拙ブログを読んできてくださった方ならわかっていただけると思うが、私は他人の粗探しをして、悦に入るような人間ではない。むしろ翻訳の大変さはよくわかっているつもりだし、そもそも完璧な翻訳などありえない。
 しかし、そのとき、何か踊りの名手が基本的な所作のところで思わずバランスを崩してしまったのを図らずも見てしまったかのような驚きを禁じ得なかった。そして、『徒然草』第百九段の高名の木登りの一言、「あやまちは、安き所に成りて、必ず仕る事に候ふ」を思い出さざるを得なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


日本語の難しさ(1) 丸山眞男の文章、あるいは克服可能な困難について

2015-10-27 05:28:34 | 日本語について

  

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 今日から四回に渡って、日仏語間の翻訳の問題をきっかけとして、日本語の難しさについて最近考えたことを書く。その上で、「国際語」としての日本語の将来について、一言私見をのべたい。

 自分の研究論文作成ためや大学での演習において、日本語とフランス語の間を日常的に往還しているから、両語間の翻訳の問題がどうしても日頃からとても気になる。特に、日本語の文学作品や文学的エッセイなど、その味わいをフランス語で伝えるために、翻訳家たちはどんな工夫をしているのか、原文と比較しながら読むことで学ぶことも少なくない。そして、翻訳家たちの人知れぬ苦労を思いやったりもする。
 他方、ああ、一見なんでもないようなところに落とし穴があるのだなあと、外国人にとっての日本語の難しさに改めて気づかされることもしばしばある。それは決して日本語の微妙なニュアンスに関わる箇所とは限らない。それは誰にとっても難しい。むしろ、日本人にとってはほとんど自明のことが、日本語に精通したフランス人にとってさえ、必ずしもそうではないと思い知らされるときがある。翻って、こちらがどれだけフランス語がわかっているのかと自問せざるを得なくもなる。
 修士の演習で今読んでいる丸山眞男の『日本の思想』は、学生たちにとって相当に手強い文章である。彼らの仏訳を見てみると、全然構文が理解できていないこともしばしばある。しかし、これは彼らの現在の日本語のレベルからしたら、まったく無理からぬことである。丸山の主張が難解なのではない。それについてこちらがフランス語で説明すれば、彼らはちゃんと理解できる。彼らにとっての困難は、主に、やたらと複雑な構文と語彙の難しさにある。
 しかし、このような難しさは、実はそれほど大きな問題ではない。なぜかというと、読んで訳している本人たちが、訳している文章の難しさを自覚しているからであり、自分の訳にどこかおかしいところがあることがわかっているからである。そして、一旦議論の筋道が見えてくれば、大きな過ちはもう犯さなくなる。それは先々週まで五週間かけて読んだ「超国家主義の論理と心理」の彼らの仏訳が週を追うごとに目覚ましく改善されていったことからもわかる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


ヘテロトピー(異所・異空間)としての鏡 ― フーコーから西田へ、そして田辺へ

2015-10-26 05:14:24 | 読游摘録

  

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 昨日の引用の続きを再読しよう。「ヘテロトピー」(異所あるいは異空間のこと。フランス語の音写としては、「エテロトピー」の方が忠実だが、ここでも英語式に音写する)としての鏡について述べられた箇所である。

Mais c’est également une hétérotopie, dans la mesure où le miroir existe réellement, et où il a, sur la place que j’occupe, une sorte d’effet en retour ; c’est à partir du miroir que je me découvre absent à la place où je suis puisque je me vois là-bas. À partir de ce regard qui en quelque sorte se porte sur moi, du fond de cet espace virtuel qui est de l’autre côté de la glace, je reviens vers moi et je recommence à porter mes yeux vers moi-même et à me reconstituer là où je suis ; le miroir fonctionne comme une hétérotopie en ce sens qu’il rend cette place que j’occupe au moment où je me regarde dans la glace, à la fois absolument réelle, en liaison avec tout l’espace qui l’entoure, et absolument irréelle, puisqu’elle est obligée, pour être perçue, de passer par ce point virtuel qui est là-bas.

 鏡は、また、ヘテロトピーでもある。現実に存在し、私が居るこの場所への一種の回帰的実効性を鏡が有っているからである。つまり、鏡によって、私は私を鏡の向こう側に見ているのだから、私が今こうして居る場所に私は「居ない」ことに気づかされる。この鏡の向こうの虚空間の底から、いわば私に向かって注がれた眼差しによって、私は己へと回帰し、己自身へと己の眼を向け、私が居る場所に自分を再構成し始める。
 鏡がヘテロトピーとして機能するというのは、次のような意味においてである。鏡は、私が鏡の中に私を見ているそのときに、私が占めているこの場所を、それを取り巻く全空間との関係において、絶対的に現実的なものにするが、それと同時に、その場所が知覚されるためには、鏡の向う側にある虚像点を介さなければならないがために、その同じ私の占めている場所を絶対的に非現実的なものにもしている。
 鏡は、この意味で、絶対矛盾的自己同一の場所だと言うことができる。西田が場所の論理を説明するのに多用していた鏡のメタファーと、フーコーのヘテロトピーの説明との間にいくつかの共通点を見出すことができるのは、だから、単なる偶然ではないのである。かくして、フーコーによるユートピアとヘテロトピーという両義性を有つものとしての鏡の説明を辿り直すことによって、私たちは、意外にも、西田哲学へと通じる「地下道」を発見したことになる。
 それだけではない。ヘテロトピーとしての鏡の持っている本質的な媒介性は、田辺において絶対媒介の弁証法に他ならない種の論理の構造を照らし出す一つの強力な光源となってくれる。
 このように、いささかの強引さは承知の上で、日仏の哲学者たちを共時的に構造化して読み直すこと、それが私の哲学の「主戦場」である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


ユートピアとしての鏡 ― 場所なき場所で与えられる私自身の可視性

2015-10-25 10:48:40 | 読游摘録

  

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 昨日引用したフーコーの文章の中から、ユートピアとしての鏡についての記述のところだけ、再掲する。

Le miroir, après tout, c’est une utopie, puisque c’est un lieu sans lieu. Dans le miroir, je me vois là où je ne suis pas, dans un espace irréel qui s’ouvre virtuellement derrière la surface, je suis là-bas, là où je ne suis pas, une sorte d’ombre qui me donne à moi-même ma propre visibilité, qui me permet de me regarder là où je suis absent ; utopie du miroir.

 鏡がユートピアだと言われるのは、それが「場所なき場所」(« lieu sans lieu »)だからである。鏡の中で、私は自分がそこにはいないところに自分を見る。そこは、鏡面の向こう側にヴァーチャルな次元として開けている非現実的な空間だ。私は「あっちに居る」けれど、そこに私は居ない。一種の影のようなものが私に「私自身の可視性」(« ma propre visibilité »)を与えてくれる。それが、私がそこには居ないところに私を見ることを可能にしてくれる。
 私の知覚世界にはそれを見ている私の視点は対象として含まれていない。その見ている私を可視化するためには、それを私が居ない場所に投射しなくてはならない。この投射を可能にしているのが鏡だ。あるいは、鏡以外の反射面に己の姿を投影しなくてはならない。今日のように、だれでも簡単にヴィデオカメラで自分をリアルタイムで映し出し、その自分の動く姿をモニター画面で見ることができるようになっても、私たちの知覚身体の基礎構造が変わったわけではない。
 この映された可視的な自己への自己の到達不可能性がもたらした悲劇がナルシス神話だ。しかし、これは過去のある時に一度きり発生した悲劇の物語ではなく、人間の実存的条件の一つのアレゴリーになっているからこそ、現代の私たちにも訴えかけてくるものがあるのであろう。
 私たちは、ユートピアなしに己を十全に知ることはできないが、そのユートピアの中に生きることはできない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


鏡 ― ユートピアと異空間との間にあるもの

2015-10-24 06:02:04 | 読游摘録

  

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 1967年3月14日にフーコーがパリである建築家たちの研究グループを前にして行った講演 « Des espaces autres » は、昨日まで読んできた1966年12月7日のラジオ講演 « Les Utopies réelles ou Lieux et autres lieux»(フーコーの生前には印刷されることなく、タイプ原稿として出回っていた)を読んで刺激を受けた同グループのメンバーからの依頼によるものであった。この1967年の講演の出版をフーコーはずっと許可せず、ようやく許可したのは死の直前の1984年春のことであった。Dits et écrits の中でも、だから、1984年に出版されたテキストの最後に収録されている。
 この1967年の講演にあって、前年の講演にはない一節の一つに私は特に注目している。それは、鏡について、 « utopie » と « hétérotopie » の中間に位置し、それらどちらにも属するものとして、言及している箇所である。そこを読んでみよう(昨日の記事で示しておいたが、同講演の邦訳は、『ミッシェル・フーコー思考集成 X』に「他者の場所――混在郷について」というタイトルで収録されている。鏡に言及している箇所は、同テキストの中でここだけであるから、邦訳でもすぐに特定できるだろう)。

Ces lieux, parce qu’ils sont absolument autres que tous les emplacements qu’ils reflètent et dont ils parlent, je les appellerai, par opposition aux utopies, les hétérotopies ; et je crois qu’entre les utopies et ces emplacements absolument autres, ces hétérotopies, il y aurait sans doute une sorte d’expérience mixte, mitoyenne, qui serait le miroir. Le miroir, après tout, c’est une utopie, puisque c’est un lieu sans lieu. Dans le miroir, je me vois là où je ne suis pas, dans un espace irréel qui s’ouvre virtuellement derrière la surface, je suis là-bas, là où je ne suis pas, une sorte d’ombre qui me donne à moi-même ma propre visibilité, qui me permet de me regarder là où je suis absent ; utopie du miroir. Mais c’est également une hétérotopie, dans la mesure où le miroir existe réellement, et où il a, sur la place que j’occupe, une sorte d’effet en retour ; c’est à partir du miroir que je me découvre absent à la place où je suis puisque je me vois là-bas. À partir de ce regard qui en quelque sorte se porte sur moi, du fond de cet espace virtuel qui est de l’autre côté de la glace, je reviens vers moi et je recommence à porter mes yeux vers moi-même et à me reconstituer là où je suis ; le miroir fonctionne comme une hétérotopie en ce sens qu’il rend cette place que j’occupe au moment où je me regarde dans la glace, à la fois absolument réelle, en liaison avec tout l’espace qui l’entoure, et absolument irréelle, puisqu’elle est obligée, pour être perçue, de passer par ce point virtuel qui est là-bas.

 鏡というテーマは、私にとってとても重要な哲学的テーマの一つであることもあって(2012年と2013年、二年連続で「鏡の中フィロソフィア」というタイトルで集中講義を行った。その内容については、このブログでも、2013年7月から8月にかけて、かなり詳しく取り上げた)、この箇所を最初に読んだときには、鏡への関心を新たに強く引き起こされた。
 ユートピア(フランス語では、« utopie » だが、無用な混乱を避けるためにカタカナ表記は英語の音写に従う)とは、その定義上、「現実にはどこにもない場所」である。それに対して、フーコーは、現実に存在しながら、その他のすべての場所と根本的に異なった場所として社会的に機能している場所をそれとして名指すために « hétérotopie » という造語を導入した。
 鏡は、その両方が「混ざり合った」(« mixte »)経験を私たちにもたらす。この「混ざり合った」という意味の形容詞の直後に、フーコーは、« mitoyenne » と付け加えている。これはとても含蓄のある形容詞だと私は思う。なぜなら、この言葉は、「二つのものの間にあり、それらを区別すると同時にそれら両方に属する」ということを意味するからである。それは、どちらにも属さない「中間地帯」や単なる「仕切り」とは違う。曖昧な「境界領域」というのとも違う。むしろ積極的に両義性を帯びた「場所」なのだ(因みに、フランス語で « maison mitoyenne » といえば「テラハウス」、つまり、お隣さんと壁を共有した住宅のことである)。
 しかし、この点をここで特に強調するのはフーコーの意図から離れることになるから、明日以降の記事では、まずフーコーのテキストを忠実に辿り、その上で、〈鏡〉というテーマを、私自身の関心領域へ引きつけて、より自由に論じてみよう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


船舶を持たぬ文明は、両親が大きなベッドを持っていない子どもたちのようなもの

2015-10-23 04:14:19 | 読游摘録

  

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 昨日まで読んできたフーコーのラジオ講演原稿 « Les Utopies réelles ou Lieux et autres lieux» は、現在出版されている « Les hétérotopies » とほぼ同一の文章である。内容的には、翌年のパリでの « Des espaces autres » と題された講演の内容と多くの点で重なっているが、相互に他方には含まれていない表現やテーマがある。後者の講演の邦訳は、『ミッシェル・フーコー思考集成 Ⅹ 倫理・道徳・啓蒙』(筑摩書房、2002年)に「他者の場所――混在郷について」というタイトルで収録されている(手元にはなく、未見)。
 どちらの講演も、「異所」(hétérotopie)の典型としての船舶について言及することで締め括られている。大筋は同じだが、ラジオ講演の方にだけ見出される表現があって、それが私たちの想像力をより刺激するように思われる。
 船舶は、漂う空間の一片、場所なき場所、それ自身によって生きており、それ自身の上に閉ざされており、ある意味で自由な、しかし、無限の大海原に否応なく委ねられている。十六世紀から二十世紀に到るまで、大洋を航海する船舶は、ヨーロッパ文明にとって、単に経済発展のための最も強力な道具であったばかりでなく、想像力の最も大きな貯蔵庫でもあった。船舶を持たぬ文明は、その上で遊ぶことができる大きなベッドを両親が持っていない子どもたちのようだ。夢はそこで枯渇し、冒険は諜報活動に取って代わられ、陽光に輝く美しい海賊たちは醜悪な警察に取って代わられる。

Et si l'on songe que le bateau, le grand bateau du XIXe siècle, est un morceau d'espace flottant, un lieu sans lieu, vivant par lui-même, fermé sur soi, libre en un sens, mais livré fatalement à l'infini de la mer et qui, de port en port, de quartier à filles en quartier à filles, de bordée en bordée, va jusqu'aux colonies chercher ce qu'elles recèlent de plus précieux en ces jardins orientaux qu'on évoquait tout à l'heure, on comprend pourquoi le bateau a été pour notre civilisation – et ceci depuis le XVIe siècle au moins – à la fois le plus grand instrument économique et notre plus grande réserve d'imagination. Le navire, c'est l'hétérotopie par excellence. Les civilisations sans bateaux sont comme les enfants dont les parents n'auraient pas un grand lit sur lequel on puisse jouer ; leurs rêves alors se tarissent, l'espionnage y remplace l'aventure, et la hideur des polices la beauté ensoleillée des corsaires.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


すべての社会はその内部に異所(ヘテロトピー)を構成する

2015-10-22 09:30:04 | 読游摘録

   

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 ヘテロトピー(hétérotopie)という言葉は、今では「異所」という訳語とともに、生物学や都市学の分野でも使われているようである。
 しかし、フーコー自身は、「異所位相学」(« hétérotopologie »)を、社会構成の原理の一般的な探究を目指す、新しい学として構想しようとしていた。おそらく、異所をその内部に作り出さない社会というのは存在せず、それはあらゆる人間集団の一つの定数であろうとフーコーは言う。その異所は、つねに極めて異なった諸形態を取りうる。おそらく、人類史を通じてどの社会にも共通する定常的な異所はこの地上には存在しない。むしろ、その社会が好んで構成する異所に応じて、人間諸社会を分類することができるであろう。

De cette science qui est en train de naître, il faut donner les tout premiers rudiments. Premier principe : il n'y a probablement pas une société qui ne se constitue son hétérotopie ou ses hétérotopies. C'est là, sans doute, une constante de tout groupe humain. Mais à vrai dire, ces hétérotopies peuvent prendre, et prennent toujours, des formes extraordinairement variées, et peut-être n'y a-t-il pas, sur toute la surface du globe ou dans toute l'histoire du monde, une seule forme d'hétérotopie qui soit restée constante. On pourrait peut-être classer les sociétés, par exemple, selon les hétérotopies qu'elles préfèrent, selon les hétérotopies qu'elles constituent.