内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

「アイデンティティの困惑」― ヴァンサン・デコンブの対談を読む(4)

2015-06-30 08:44:19 | 読游摘録

 Vincent Descombes, Exercices d’humanité の第二章は、« Les individus collectifs »( 「集団的個体」)というタイトルが付けられている。この概念によって問題とされるのは、「国民」「国家」「社会」等、複数の要素から構成される全体を一つの個体として取り扱うことができるのか、という概念的可能性の問題である。同章の後半は、この問題と密接な関係がある「アイデンティティ」という概念の検討に充てられている。
 対談相手の Philippe de Lara が章の冒頭で立てている問いがこの章全体の導きの糸になっているから、そこをまず見ておこう。
 デコンブ氏固有の哲学的スタイルが形成されたのは、概念的あるいは「文法的」探究と人類学との出会いによってであり、それが一つの「社会哲学」(« philosophie sociale »)の領域とそこで取り組まれるべき問題群を規定している。この出会いは、次のような考えに基づいている。
 社会科学は、その学術的な探究において、概念に関する諸問題に直面せざるを得ない。その諸問題とは、経験的・実証的な探究の中で提起されるが、それ自体は経験的・実証的な次元に属さず、したがって、哲学的解明を必要とする諸問題のことである。
 これら社会科学者を困惑させる概念規定を巡る諸問題の中で、特にデコンブ氏が注意を注ぐのは、「集団的個体」の問題である。この問題の検討は、1992年にポンピドー・センターで行った、まさにこの「集団的個体」という概念をタイトルとした講演をその発端としており、一昨年2013年に出版された Les embarras de l’identité (『アイデンティティの困惑』) で再びこの問題に立ち戻り、それを詳細に検討し直している。
 この「アイデンティティ」という概念は、社会科学において実に特殊な位置を占めている。なぜなら、この概念は、不可欠でありながら、何か場違いでもあるからだ。というのも、「国民主権」や「通貨」のような社会的事実を考えるときには不可欠であり、したがって、それらの事実が問題とされる文脈では至るところで前提とされながら、この概念そのものに対しては、何か居心地の悪い思いをするからである。この居心地の悪さはどこから来るのか。
 「アイデンティティ」を問題とするとき、一方では、例えば「国民」「国家」などの集団的個体概念は、私たちの歴史の中の最も暗い時代へと連れ戻されるかのような恐れを私たちに抱かせ、他方では、実のところは在りもしない「実体」を前提とした不可解な言説を振り回しているだけではないかとの疑問が湧いてくる。
 私たちが直面するこのような困惑に対して、デコンブ氏は、何がそこでの問題なのかを明確化するために、問題を二つに分ける。
 まず、「集団的個体」のような概念に結びついたその知解に関わる困難という問題である。つまり、相互に作用し合う諸個人は、複数の相互作用する要素の集合以上のもの、一つの全体である「社会」を形成しているのか、という問題である。
 次に、「アイデンティティ」という言葉が私たちの言語の中で新たに持つようになった意味の問題である。言い換えれば、 「アイデンティティ」は、どのようにして古い意味から現在の意味へと移行したのか、という問題である。この「アイデンティティ」の意味の変化について、フランス語で、今日、« identique » と « identitaire » という二つの形容詞が使い分けられていることにその一つの徴表を見て取ることができる。古い意味は、« identique » という形容詞に対応し、新しい意味は、« identitaire » という形容詞に対応している。
 デコンブ氏がこの二つの形容詞の意味の違いを明確にするためにそこで挙げている具体例を見てみよう。
 あるフランス語圏のカナダ人がフランス語を話すとき、そのカナダ人は、その言語圏に属する人たちと「同じ」(« identique »)言語を話している、と言うことができる。これはごく一般的な用法で、例えば、お互いに咬み合わない議論をしている日本人二人について、「同じ日本語を話しているのに理解し合えない」などと言うときも同様である。これらの場合、ある一つの言語が実体的に同定可能な対象と考えられている。このような同一性が「アイデンティティ」のもともとの意味であった。
 ところが、このフランス語圏のカナダ人がフランス語を話すことは、その人にとって « identitaire » だと言うときには、フランス語がその人のアイデンティティの構成要素になっている、ということを意味している。言い換えれば、フランス語を話すということが、その人にとってあるグループへの帰属の条件になっているということである。したがって、もしその人がフランス語を話すことを禁じられてしまうと、その人のアイデンティティの少なくともその一部が損なわれることになる。逆に言えば、フランス語を話すことによって、その人はある集団的個体を肯定することに参加しているのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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「道を見失うことを受け入れる」― ヴァンサン・デコンブの対談を読む(3)

2015-06-29 05:47:03 | 読游摘録

 Vincent Descombes, Exercices d’humanité の第一章は、「哲学者になる」(« Devenir philosophe »)というタイトルが付けられていて、同じ対談叢書の他の巻と同じく、対談の主役である哲学者の知的形成過程が、対談相手の質問に答える形で述べられている。同氏のそれが長い道のりだったことを反映してか、他の巻に比べてやや長めになっている。その章の最後の質問は、同氏がその「訓練期間」を通じて身につけた態度に関わる。その質問に答えて、同氏が哲学において特に必要とされることとして強調しているのは、以下のことである。
 「自分が不十分だと感じること」(« se sentir insuffisant »)が哲学には必要だ。そう感じなければ、確かに、進歩はない。何を学ぶにせよ、時には、道を見失い、どっちに向かって進めばよいのかわからないと感じることを受け入れなくてはならない。哲学教育において大きな障害になるのは、ある哲学思想にたちまちに夢中になってしまい、もうすっかり何でもわかったようなつもりになってしまいやすいことだ。
 フランスの教育のいいところとして同氏が挙げる点は、難しい古典的テキストを早い時期から読ませることである(これは哲学には限らない。文学でも、他の人文科学でも同様)。生徒たちは、読んでもよくわからないということをそこで経験する。そのような理解の困難の最初の経験の後、哲学教師になったとしよう。若き教師として教壇に立ち、例えば、カントの『純粋理性批判』の一頁を解説しなければならないとしてみよう。生徒たちは、先生がその頁で言われていることを明らかにしてくれると期待する。彼らにしてみれば、それは当然のことだ。ところが、教師にとって、それはできない相談なのだ。
 教師にできることは、問題領域に道案内の目印を付け、何が問題なのかを規定し、使用語彙を明確化する手ほどきをし、議論のきっかけを与えるところまで。そこで困難が解消されたのではない。しかし、今やその困難ははっきりそれとして認識され、その結果として、無力感は克服される。これが訓練期間の最も大切な経験なのだ。「もっとずっと遠くまで行こうと期待してはならない」(« Il ne faut pas espérer aller beaucoup plus loin. »)。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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「一顆のレモンを最後の一滴まで絞る」― ヴァンサン・デコンブの対談を読む(2)

2015-06-28 11:56:24 | 読游摘録

 昨日は、日帰りでパリのイナルコの哲学研究会に参加してきた。それぞれ西田と田辺についての二つの英語での発表。出席者も十数人といつもより多く、発表後の質疑応答も活発で、盛会であった。会の後、いつものように発表者を囲んで参加者の何人かが残り、近くのカフェで歓談した。その際、今私が読んでいる Vincent Descombes, Exercices d’humanité を何人かの参加者に見せて、このタイトルを日本語にどう訳すか、意見を聞いてみた。このタイトルを構成している二つの名詞は、文脈によって意味がかなり変わるし、複数の意味を兼ね備えているときもあるので、訳はなかなかやっかいなのである。デコンブ氏の哲学的スタンスは、いわゆる「形而上学的」な問題をその「人間的」な文脈の中で考え直すということだから、『「人間(的)」であるための(実践)演習』というところに話が落ち着いた。
 デコンブ氏の受けた大学教育は、リクールとデリダからの薫陶を例外として、「六十八年五月革命」以前のものであるから、旧来の伝統的なスタイルの講義・演習を中心としていた。ギリシア哲学を主専攻としたから、学習の基本は、当然のことながら、古典の読解と注解であった。その「学習成果」が第三課程博士論文として提出されたプラトン主義研究であり、それは 1971年にPUF から Le platonisme というタイトルで出版され、今でも版を重ねている。
 同氏が英米の分析哲学を本格的に吸収し始めるのは、1980年代以降のことである。アメリカで間近に見た分析哲学系の哲学者たちの古典の読み方は、フランスで彼が受けた教育の中で馴染んできた読み方とは著しく異なり、それに衝撃を受けたのがきっかけになっている。
 しかし、それはまったく新しいものに出会ったというよりも、以前から予感していたなにものかを再発見したということだと言う。ここでデリダの名前が挙がる。そのなにものかとは、「伝統的な大古典に自らを関係づける哲学的なやり方」(« une façon philosophique de se rapporter aux grands textes de la tradition »)に関わる。
 デリダによる古典の引用の仕方は、デコンブ氏が他の講義や書物で見慣れていた引用の仕方と著しく異なっていた。発表のあちこちに細切れにされたテキストの引用を散りばめたり、論文にやたらに注を付けて自分がどれだけいろいろなテキストを参照しているかをひけらかしたりするだけで、結局のところは当該テキストの注解になっていないような、引用の「悪用」が横行する中にあって、デリダの古典に対する態度は違っていた。
 哲学科で「演習」(« travaux pratiques »)というと、伝統的に古典講読である。その演習の中で、デリダは、例えば、ある古典の中からある一段落或は一節を選び、それをあたかも「一顆のレモンのように取り、最後の一滴まで絞る」(« prendre comme un citron et de le presser jusqu’à la dernière goutte »)。例えば、十行の引用テキストに対して、デリダは、そこに含まれているものを引き出すために四頁書く。
 ところが、デコンブ氏は、後年、このスタイルがデリダ独自のものであるどころか、むしろ中世に遡る長い伝統的なテキスト注解のスタイルであることを、トマス・アクィナスのアリストテレス『自然学』注解、そしてその他のスコラ学者たちの注解を読むことで認識する。
 以後、デコンブ氏は、自らこのスタイルを実践しようと心掛ける。そして、それを具体的に、「テキストの価値を引き立たせることができないなら、引用しない。引用二行、自分の文章一頁」と規則化する。

Le texte était mis en honneur, il était ensuite décomposé en ses parties, puis chacune de ces parties faisait l’objet d’un commentaire envisageant toutes les lectures intéressantes possibles, les objections majeures, etc. J’ai retenu cette leçon et j’espère l’avoir mis en œuvre par la suite dans mes propres écrits : pas de citation si l’on n’est pas capable de la faire valoir. Deux lignes de citation, cela veut dire une page de votre plume, voilà la règle. Je ne suis pas sûr de l’avoir toujours appliquée, mais c’est ainsi qu’il faudrait faire (V. Descombes, op. cit., p. 23).

 












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60年代後半、ソルボンヌの若き無名のデリダ ― ヴァンサン・デコンブの対談を読む(1)

2015-06-27 06:13:10 | 読游摘録

 « Les Dialogues des petits Platons » という対談叢書は、各巻その最初の章で、その対談の主役である哲学者が、対談相手の質問に答えるという形で、知的自伝を語ることになっている。私がこれまでに読んだ巻の哲学者たちはみなほぼ同世代に属し、1940年代生まれが多い。それだけに、ほぼ同じ時期にフランスの哲学教育を受けながら、その出自、家庭環境、幼少期から思春期を過ごした土地、受けた学校教育、交友関係、師弟関係、広い意味での知的環境などの違いによって、それぞれの哲学の個性がどのように育まれていったのかが垣間見られて大変興味深い。
 フランス語の初級を終えられて、本格的な哲学書はまだ歯が立たないけれど、フランス語で哲学的に考える文章(しかし、対談であるから、話し言葉の息吹をとどめており、構文は比較的易しい)を読んでみたい方、特にその対談の主役の哲学者に関心がある方には、おススメのシリーズである。造本も、最近の出版物には珍しく、糸かがりがしてあり、堅牢である。出版社のいい意味でのこだわりを感じる。
 明日の記事から読んでいくのは、同叢書の Vincent Descombes, Exercices d’humanité — Dialogue avec Philippe Lara (2013) である。
 ヴァンサン・デコンブは、1943年生まれ。フランスではいまだに少数派だが、英米系の分析哲学、言語哲学、心の哲学、行為の哲学等に精通し、特にウィトゲンシュタインからインスピレーションを受けながら、独自の哲学を展開している(当代フランスの最も優れた哲学者の一人であるジョスラン・ブノワ(Jocelyn Benoist, 1968-)もよくデコンブを引用していて、きわめて高く評価している)。
 私は、同氏の Le complément de sujet (2004) から特に多くを学んでおり、自分の論文でも何度か引用している。奥様が日本人で、ストラスブールで一年間同僚だった十数年前から存じ上げているのだが、先日あるシンポジウムで久しぶりにご一緒したときに、この本を書くのに日本語の構造がご主人にインスピレーションを与えたかと尋ねたのだが、「まったくそういうことはありません」ときっぱりと否定された。それでなおのこと、同氏が同書の中で展開している « sujet » 論の一部がまさに日本語の構造にピタリと当てはまるのを面白く思った。
 同書の書名 Le complément de sujet(伝統文法における文の主要素としての「主語」(« sujet »)という考え方を排し、« sujet » を目的格補語と同列に見なし、動詞の補語と見なす立場を表明している)は、今日忘れられかけているフランス人言語学者リュシアン・テニエール(Lucien Tesnière, 1893-1954)の構造的統語論に依拠していることが同書中に明言されており、しばしばテニエールの主著から引用もしているから、発想の源泉という点では、もはや誤解の余地はない。しかし、同氏には、もし日本語をお読みになれるのなら、是非時枝誠記の『国語学原論』を読んでいただき、ご意見を伺いたいところであるが、それは叶わぬ夢のようである。
 デコンブ氏がソルボンヌで哲学教育を受けた時期は、いわゆる「六十八年五月革命」の前後であり、同氏がフランス現代哲学にとっても特別なその「季節」を学生としてどのように過ごされたかが対談の第一章で語られている。当時指導を受けた教授がすでに令名高きポール・リクール(1913-2005)であり、「演習」(« travaux pratiques »)を担当していたのが、「若き俊秀」ジャック・デリダ(1930-2004)であった。明日の記事では、デコンブ氏が高く評価する当時のデリダの演習の方法を紹介しよう。
 以下に引用するのは、68年以前の大学教育現場の嘆かわしい「物質的条件」と、その中に颯爽と登場する若き未だ無名のデリダに触れた一節である。フランス語初級を終えられた方ならば、辞書なしでも容易に理解できる文章である。

Avant 1968, nos études s’étaient faites dans des conditions matérielles qui expliquent d’ailleurs pour moitié des événements de Mai. Il faut savoir par exemple qu’on ne pouvait pas suivre tous les cours, car il n’y avait pas assez de place dans les salles. Par ailleurs, un étudiant était assez libre de mener ses études comme il l’entendait. À l’examen, on ne demandait pas aux étudiants s’ils avaient assisté au cours, on leur demandait de faire une dissertation. Suivre les cours était une chose, faire la dissertation en était une autre. En somme nous étions libres de nous cultiver comme nous voulions. Mais il était déconseillé d’essayer de suivre plusieurs des grands cours, parc que les salles étaient trop petites. En revanche, on pouvait suivre les cours donnés par les jeunes maîtres assistants sous le nom de « travaux pratiques » et qui étaient en réalité d’autres cours. C’est ainsi que j’ai suivi les cours de Derrida — un professeur remarquable, très impressionnant, complètement inconnu puisqu’il n’avait pas encore publié de livres (V. Descombes, op. cit., p. 9).

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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「自己」と「数」を超えた離接的思考 ― ジャン・リュック・ナンシーの対談から(承前)

2015-06-26 11:34:55 | 読游摘録

 昨日紹介したジャン・リュック・ナンシーの対談 La possibilité d’un monde を読んで考えたことを少し記しておく。
 近代文化の主要な部分が « auto »(「自己・自身・自動」を意味する。接頭辞としては、「自己が、自己を、自己に、自己で、自己の、自己から」等の多様な様態を含意する)という指標の下に構成されている、と言っても過言ではないだろう、とナンシー先生は言う(同書52頁)。
 例えば、仏和辞典で « auto » を接頭辞とする単語をいくつか例として挙げてみよう。 « autodéfense » (自衛。因みに、「自衛隊」のフランス語訳は « forces japonaises d’autodéfense »。ところが、「集団的自衛権」は、« le droit de légitime défense collective »、つまり「集団的正当防衛権」とでも訳すべきで、« auto » が含まれていないことに注意を促しておきたい)、 « autodétermination »(自己決定・民族自決)、« automate »(自動機械)、 « autonomie »(自律)、 « autorégulation »(自動調節)等々、多様な分野でいろいろに使用されている。
 〈存在〉〈行為〉〈思惟〉、これらの根拠を自己自身に置くこと、これが近代ヒューマニズムの根本的な定言命法であり、それが近代における人間存在の解放にその哲学的根拠として与って力があったことは忘れてはならない。しかし、この « auto » は、近代哲学の最も優れた次元においては、単なる「自足」(« auto-suffisant »)を意味するものではなかった。人間は自己自身を基礎づけるものではないし、自己完結するものでもない。人間は、「無限に人間を越えていく」(« passe infiniment l’homme »)。それは集団のレベルでも個人のレベルでもそうである。ところが、「共同体」(« communauté »)という観念には、「自足の上に自らを閉じる危険」(« le danger de se fermer sur une auto-suffisance » )がはっきりと含まれている(同頁)。
 現代社会で、この意味での自閉的な「自己」と相関的に機能しているのが、「数」である。〈外部〉〈他なるもの〉〈異なるもの〉への参照が欠落、あるいはそれらへの無関心が蔓延しており、超越的なものへの志向が決定的に切断され、「自己」自身を根拠とする社会では、その成員の「多数派」を自己参照することで自己を根拠づける。多数であることが自分たちを「正しい」ものとする。それは権力の側でもそれに抵抗・反対する側でも同じである。政府が、国民によって選ばれた代議士たちを「民意」の代表としてその多数の賛成を獲得することを自己正当化の根拠にするのと同じように、市民が「国民の声」を語るとき、それは自らが少なからぬ「数」であることを根拠とする。いずれの場合も、その「数」に自己同一化することが「力」になる。
 ナンシー先生は、現代世界において、「多数派」と「共同体」を超えて思考する必要性を訴える。つまり、自足・自閉することなく、「数」(数量化・数値化・統計・パーセンテージ等)を根拠とせずに思考するということだろう。〈多〉を、「離散」(« dispersion »)としてではなく、「離-置」(« dis-position » を仮にこう訳したが、この名詞が動詞 « disposer » の派生語であり、この動詞の語源的意味は « placer en séparant distinctement »(「判明に分けつつ位置づけること」)であることを念頭に置いてのことである)として考えることは私たちの義務だとも言われる。それと同時に、〈多〉を、「接続」(« connexion »)や「コミュニケーション」として考えること。そうすることが、「単一性」(« unité »)や「単なる多様性」(« pure multiplicité »)ではなく、「連合」(« union »)、「会議」(« réunion »)「集まり」(« assemblement »)をもたらす。
 ここまで、ナンシー先生の考えを、僭越かつ傲慢と恐れつつ、私なりの説明を織り込みながら、言い直してみた。以下は、先生の考えに刺激を受けた私の考えである。
 私は、上に見たような思考を、仮に、「離接的思考」(« pensée disjonctive »)と呼びたい。これがとても誤解を招きやすい表現であることは承知している。というのも、« disjonctif » は、 論理学では「選言的」に対応し、文法学では « conjonction disjonctive » は「離接接続詞」(ou, si, soit など)のことだからである。しかし、Le Grand Robert に、この後者の説明として、« qui unit les termes en séparant les idées » とあるところに注目したい。つまり、「種々の考えをそれぞれに区別しつつ、それらの構成要素を一つに繋ぐ」機能を引き受ける思考、一言で言えば、それらを「分け、繋ぐ」思考、それを「離接的思考」と名づけたいのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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「人道的」(humanitaire)ということ ― ジャン・リュック・ナンシーの対談から

2015-06-25 11:46:55 | 読游摘録

 今年の3月16日の記事で紹介した « Les Dialogues des petits Platons » という対談叢書の一冊に、私のDEAの指導教授だったジャン・リュック・ナンシー先生の対談、La possibilité d’un monde — Dialogue avec Pierre-Philippe Jandin (2013) がある。先生は、1997年の大病とその後の過酷な闘病生活以後も、現代世界の変容に敏感に反応しながら、著作や講演を続けていらっしゃる。この対談にも先生の現在の哲学的関心の所在がよく表されている。
 今日でもなお、私たちは、「人間的」(humain)や「人道的」(humanitaire)という言葉を、個々人というレベルでも人類というレベルでも、当然のごとく使い続けている。ところが、現実世界では、二十世紀に入ってから、「人間的な形」を否定し、破壊する出来事に事欠かない。

Interrogeons-nous sur ce que nous appelons les « organisations humanitaires » et sur le sens de cette catégorie d’« humanitaire » : par cette dernière, on entend ce qui doit prendre en charge avec attention suffisante, bienveillante, secourable, les nécessités, les besoins vitaux des gens, du monde, indépendamment de toutes considérations politiques, esthétiques. D’un point de vue affectif, l’humanitaire pourrait presque se traduire par le compassionnel et du point de vue effectif le plus pragmatique, par le souci des secours élémentaires (J.-L. Nancy, op. cit., p. 46-47).

 今日よく「人道的組織」という言葉が使われるが、この「人道的」とは、どのようなことを指すのだろうか。それは、いっさいの政治的な立場と無関係に、人々にとって生きるに必要なものを確保し提供するような行動のことを指している。感情面から見れば、「人道的」とは、「共苦的」とも訳せよう(上に引用した原文では、 « compassionnel » という言葉が使われていて、この語は、動詞 « compatir » からの派生語で、この動詞の意味は「他者の苦しみを他者とともに感じる」という意味である)。実践的な面から言えば、「人道的」とは、必要とされる最も基礎的な援助に配慮することを指す。

Il est question de survie. Or, la survie, ce n’est pas la vie, qui est davantage que la survie, sauf à entendre « survie » au sens que Derrida lui donne, de « plus que la vie ». Dans la vie, il y a un certain épanouissement [...], il y a une certaine respiration au-dessus de la nécessité de manger, de ne pas mourir de froid, d’être à l’abri des bombes... (ibid., p. 47)

 今日、「人道的」な活動というと、だから、何はさておき「生き延びること・生存」が問題なのだ。ところが、生存(survie)するだけでは、生活・生命(la vie)とは言えない。生活・生命は、生存以上のものである。デリダのように、この « survie » という言葉に、「生活・生命以上のもの」という意味を与えでもしないかぎり。生活というからには、何か「開花」するもの、「息吹・息ができる」ということがそこにある。それは、食べ、凍え死なず、爆撃を免れているという生存上必要な条件を満たしている以上のことのはずである。

On peut donc dire que l’invention de l’« humanitaire » est un des signes majeurs du fait que l’humanité ne se reconnaît plus comme une essence, comme définie par une qualité d’être particulière, qu’elle ne s’envisage plus que comme survie à protéger (ibid.).

 「人道的」という言葉が今日上記のような意味で盛んに用いられているとすれば(因みに、この語が使われるようになったのは、十九世紀前半からのことに過ぎず、十九世後半には、いわゆる「人道主義者」たちを指してむしろ軽蔑的な意味で使われていた)、そのことは、人類・人間性(humanité)が、もはやひとつの本質として、つまり、それぞれに異なった〈個〉という価値において定義されるものとしては認識されず、保護すべき生存としてしか考えられなくなっているということを示していると言えよう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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対話的思考の暗喩としてのテニス

2015-06-24 12:03:10 | 読游摘録

 Heinz Wismann, Penser entre les langues, Flammarion, coll. « Champs essai », 2014 (l’édition originale parue dans la collection « Bibliothèque Albin Michel Idées », 2012) の前書きに相当する文章(« Envoi » )の中に、著者ヴィスマン(1935-)自身が好む思考のタイプについて、それをテニスに準えて、面白いことが書いてある。

Alors que les sports d’équipe, nés dans le sillage de la modernité industrieuse, mettant en scène l’effort collectif tendu vers le but à atteindre, et que les sports de glisse, résolument postmodernes, exaltant l’adresse individuelle affranchie de toute finalité commune, le tennis instaure une sorte de dialogue, métaphore à la fois physique et morale de l’intersubjectivité réflexive. En effet, chaque coup de raquette évoque une question qui appelle sa réponse, et à mesure que l’échange se poursuit, la série des répliques croisées forme comme un inventaire des solutions possibles du problème posé au départ. Essentiellement heuristique, la partie s’apparente ainsi à la recherche, sans cesse recommencée, du meilleur argument (H. Wismann, op. cit., p. 11).

 近代産業の「落とし子」(とはヴィスマンは言っていませんが)のような団体スポーツは、達成すべき目標のための集団的努力をいわば「舞台化」したものであり、スキー、ボブスレー、サーフィンのような滑走するスポーツは、まさにポスト・モダン的であり、集団的に目指されるあらゆる共通目的から解放された個人的技量を賞揚する。それに対して、テニスは、一種の対話であり、反省的相互主観性の心身両面における隠喩になっている、とヴィスマンは言うのである。
 サーヴィスに始まる一連の打ち合いにおけるそれぞれのショットは、一つの問いかけであり、それに対する答えを相手に求める。その答えがまた相手に対する問いかけになり、それが繰り返される。一つのラリーは、サーヴィスによって立てられた最初の問いに対する一連の解決法だということになる。一つの試合は、この意味で、何度も繰り返される、最善の解決法の探究・発見の試みだと言うことができる。
 この暗喩は面白い。が、少し揚げ足を取ってみたくもなる。テニスには勝ち負けがあるではないか。勝った方がより良い解決法を実行できたのだとすれば、それが「正しい」答えということになるのだろうか。
 もちろん、ヴィスマンが言いたいことはそこにはない。解決探究の過程そのものであるラリーこそが思考の醍醐味だと言いたいのだ。プレーヤーにとって、勝ったから「いい試合」なのではない。対戦する二人がそれぞれに最善の答えを求めて工夫を重ね、相手の意表を突き、お互いにベストを尽くすことができたとき、それが「いい試合」になるのだ。それとちょうど同じように、議論に勝てばいいのでもなく、勝ったからといって「正しい」のでもない。お互いに解決を求めて最も思考力を発揮できたとき、それが「いい議論」になるのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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レヴィ・ブリュール『原始的心性』を読む(18)― 多様な資料に対する公平さ

2015-06-23 11:42:58 | 読游摘録

 レヴィ・ブリュールの民族学・人類学的諸著作が出版当時大きな成功を収めた理由の一つは、それらの著作が、過去四世紀のヨーロッパ人たちによる植民地化の過程を通じて蓄積された、「原始社会」についての膨大な観察記録・資料を、明晰な言語で総体的に提示していることである。
 この点において、レヴィ・ブリュールの方法は、デュルケームのそれと著しく異なっている。デュルケームは、比較的最近に人類学者たちによって観察されたオーストラリアにおける社会組織化のいくつかの形態の分析に集中し、その分析を論理的証明の出発点としている。それに対して、レヴィ・ブリュールは、できるだけ多くの異なった社会について、複数の時代に行われた観察から得られた事実の記述を積み重ね、そこからそれらに共通する特徴を浮かび上がらせようとしている。
 このレヴィ・ブリュールの方法は、『金枝篇』におけるジェイムズ・フレイザーの方法にむしろきわめて近い。フレイザーが英国流の連想心理学や進化論に由来する偏見から自由ではなかったことは批判されるべき点として認めた上で、レヴィ・ブリュールが特にフレイザーの『金枝篇』について賞賛する点は、一つの謎をめぐって、できるかぎり多様な社会から取り集められた資料を互いに結び合わせるその卓越した技術であった。
 レヴィ・ブリュールの民族学的・人類学的諸著作に付された文献表も膨大なものであり、読者はその大海のごとき資料の中で道を見失い、その航海から持ち帰ったものといえば、「原始的なもの」に接したことがもたらした眩暈ばかりということになりかねないほどである。それゆえ、航海図として役立つようにと、本文中に引用された固有名詞、地理的地域、「土着」概念、哲学的概念等の索引が付け加えられている。
 特に以下の二点がレヴィ・ブリュールの比較方法を特徴づけている。
 第一点は、出処を異にする原資料の分類の公平さである。それらの資料の執筆者は、伝道者、研究者、植民地開拓者、行政的管理者等であるが、当然、彼らの記述の目的とするところはそれぞれに異なる。例えば、植物学、動物学、言語学、民族学などの学問的な目的のために執筆された資料は、概して事実を正確に記述している。しかし、それらの資料の執筆者たちの中には、ヨーロッパの読者の好奇心を掻き立てようという意図も入り込むことがある。一方、伝道師たちは、長年彼らがその中で生きてきた社会をよく知ってはいるが、原住民たちの思考を伝道のために歪めて伝えてしまうことがある。レヴィ・ブリュールは、それら異なった見方を反映している資料を、そのことを自覚した上で、公平に取り扱おうとしているのである。
 第二点は、考察の対象とされた文化地域の驚くべき多様性である。この多様性ゆえに、モースは、レヴィ・ブリュールに対して、「原始的心性」の名の下に、あまりにも異なった社会組織形態が、いわば十把一絡げにされてしまっていると批判する。この批判に応えるべく、『原始的心性』の次の著作では、対象とする地域をより限定している。それはともかく、レヴィ・ブリュールの主たる関心は、異なった社会組織からそれらに共通する「心性」の原理を引き出す比較方法をフランスに導入することであった。この意味での「心性」を、後にレヴィ・ストロースは、「不変項」(« invariants »)と名づけることになる。
 今日レヴィ・ブリュールを読むことは、「原始的」と呼ばれた諸社会についての膨大な資料を再発見し、それを通じて、改めて次のように問うことであると言えるだろう。
 社会的権力は、様々に異なった様態を通じて、「感覚によっては捉えがたいが、しかしながら現実的な」諸力( forces « imperceptibles aux sens et cependant réelles »)の存在をどのようにして信じさせるのか。

 本日の記事をもちまして、好評(?)連載「レヴィ・ブリュール『原始的心性』を読む」を終了させていただきます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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レヴィ・ブリュール『原始的心性』を読む(17)― フッサールからの手紙

2015-06-22 13:41:14 | 読游摘録

 同時代の哲学における『原始的心性』のもう一つの受容は、ドイツからやってきた、現象学における受容である。レヴィ・ブリュールの人類学的研究は、知覚によって発生させられた原初的綜合の中に論理の諸形態を位置づけようとする「厳密科学」としての現象学の探究と交叉する。
 フッサールは、レヴィ・ブリュールに1935年3月11日付で、後に有名になる手紙を送っている。その手紙の中で、フッサールは、レヴィ・ブリュールが、一つの溌剌とした生成しつつある社会の中に、しかしそこに閉ざされたままで生きている人類(の一部)を、その「内側から感じること」(Einfühlen)」に成功していることを賞賛している。それはちょうど、後に未完の遺稿として1954年に出版される『ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学』の中で展開されている「生活世界」(Lebenswelt)についての分析をフッサールが準備している時期と重なる。
 かたやレヴィ・ブリュールは、当時自身が編集主幹であった Revue philosophique に、若きレヴィナスによるフランスにおける初期の現象学研究論文二本、« Martin Heidegger et l’ontologie » (1932) と « L’œuvre d’Edmund Husserl » (1940) を掲載している(このニ論文は、後に En découvrant l’existence avec Husserl et Heidegger に収録される)。
 そのレヴィナスは、1957年に、Revue philosophique がレヴィ・ブリュール没後二十年を記念する特集号に、« Lévi-Bruhl et la philosophie contemporaine » と題されたエッセイを寄せている。その中で、レヴィナスは、主体の形成に先立つ感情的綜合(« synthèses affectives antérieure à la formation d’un sujet »)の記述に成功している点において、レヴィ・ブリュールの思想は、「表象の崩壊」(« ruine de la représentation »)と呼ばれる同時代の運動に寄与していると評価している。
 フッサール以後、現象学において、レヴィ・ブリュールの原始的心性の分析は、厳密科学の観点からではなく、道徳の形成という観点から読まれるようになる。言い換えれば、その分析は、一つの心理学的アプローチとしてではなく、存在論的アプローチとして解釈されるようになる。
 サルトルは、「分有(融即)」というレヴィ・ブリュールの術語を取り上げ直しながら、未開民族の魔術的意識を自由の疎外形態の一つとして記述している。なぜなら、サルトルによれば、そのような意識は、本来主体に属する責任性を世界の諸事物に帰しているからである(Esquisse d’une théorie des émotions et Cahiers pour une morale)。
 原始的心性とハイデガーの「死への存在」との比較は、ミケル・デュフレンヌ(Mikel Dufrenne)の一つの論文の中心的なテーマになっているが、このアプローチは、人格の諸形態の記述に重きをおく現象学への可能性を開いている(« La mentalité primitive et Heidegger », Les Études philosophiques, 1954)。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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レヴィ・ブリュール『原始的心性』を読む(16)― 両大戦間の二人の知的巨人

2015-06-21 15:07:00 | 読游摘録

 レヴィ・ブリュールの『原始的心性』は、その刊行直後から、フランスのみならず広くヨーロッパ諸国でよく読まれた。刊行年である1922年から1947年までの四半世紀の間に十四版を重ねている。第二次大戦後、それとは対照的に、特にレヴィ・ストロースの名声の陰に隠れてしまってからは、1960年、1976年、2007年にそれぞれ異なった出版社から刊行されているだけである。今私の手元にある新版(2010年)が出て、ようやく再び簡単に入手できるようになった。
 レヴィ・ブリュール(1857-1939)は、ベルクソン(1859-1941)と同時代人であるばかりでなく、両大戦間に次世代の知識人たちに多大な影響を与えたという点において、ベルクソンとともに両大戦間の時代を代表するヨーロッパ知識人であった。二人はまた長年に渡り互いを尊敬しあう友人同士でもあった(École Normale Supérieure では、レヴィ・ブリュールは、ベルクソンの二年先輩に当たる。1928年、文学雑誌 Nouvelles littéraires がベルクソン特集号を企画したとき、レヴィ・ブリュールは、« Bergson à l’École Normale » というエッセイを寄稿し、その中でベルクソンを「哲学者の王者」(« prince des philosophes » と呼んでいる。因みに、ドゥルーズは、Qu’est-ce que la philosophie ? の中で、スピノザにこの称号を与えている。『小学館ロベール仏和大辞典』には、括弧して「アリストテレス」とあった)。
 『原始的心性』が与えた知的影響・思想的衝撃は、さまざまな学問分野に見られるが、今回の連載では、哲学の分野に限って簡単に見ておくにとどめる。今日の記事では、ベルクソンのレヴィ・ブリュール批判に一瞥を与え、明日の記事では、レヴィ・ブリュールの人類学的研究に対するフッサールの関心と現象学におけるその受容について、その要点を確認する。
 ベルクソンの『道徳と宗教の二源泉』(以下、『二源泉』と略す)は、『原始的心性』から十年後の1932年に刊行される。この最後の大著の中で、ベルクソンは、少なからぬ頁数をレヴィ・ブリュールの『原始的心性』の分析に割いている。特にそれが目立つのは、第二章「静的宗教」である。
 そこでのベルクソンの分析は、レヴィ・ブリュールの「原始的心性は偶然を知らない」(« la mentalité primitive ignore le hasard »)というテーゼに集中している。ベルクソンは、レヴィ・ブリュールが原始的心性と文明化された心性との乖離を強調しすぎている点を批判する。自分たち自身の日常の経験を内省して見れば、私たちは「未開人」たちとそれほど違わないとベルクソンは言う。例えば、ルーレットの玉がある数字のところに止まりかけているのを見ながら幸運を祈るときなどがそうである(遠い異国での試合をテレビで観戦しながら、贔屓の選手やチームの勝利を祈るのも同じ心性からであろう)。
 ベルクソンは、不測の事態や危険に際しての原始的心性による対処の仕方についてのレヴィ・ブリュールの記述を分析しながら、その因果性についての分析をさらに延長する。未開民族の狩猟者をルーレットに賭ける人に引き比べながら、どちらの場合も、ヴァーチャルな「存在物」(entité)に対して加護を求めている点で同じだとベルクソンは言う。狩猟者は「動物の精神」に、ルーレットに賭けている人は「ゲームの運」に、それぞれいわば「神頼み」しているわけである。このようにして、私たちは、自分の側の意図と狙っている目的物との間の隔たりを埋めようとしている。しかし、これらの意図は、それがヴァーチャルなものに依存しているという意味で、中身が欠けている。言い換えれば、ありもしないものが現実世界で作用することを期待しているのである(期待していた結果が実現したときだけ、私たちは「祈りが通じた!」と叫ぶであろう)。
 ベルクソンは、レヴィ・ブリュールの「超自然的因果性」(causalité surnaturelle)を「意図的因果性」(causalité intentionnelle)に置き換える。つまり、何か超自然的なものが自然の中に介入してある結果をもたらすと考える原始的心性をレヴィ・ブリュールが見たところに、ベルクソンは、ある意図によってその存在が想定されたヴァーチャルな何ものかが現実世界に作用を及ぼすことを期待するという、現代人の生活の中でも至る場面で観察されうる心的傾向を見ているのである。
 そして、ベルクソンは、この方向でさらに遠くまで議論を展開する。つまり、ある意図によってその存在が想定された何ものかが現実世界に作用を及ぼすというものの見方は、科学的思考にさえ見出だせると考えるのである(例えば、一つの仮説に基づいて実験を行う場合などを考えればいいだろう)。
 このような心的傾向に関するかぎり、宗教と科学に違いはない、いずれの場合も、行動の必要に応じて「断片的な意図」(« intentions fragmentaires »)を設定することで対処している、と見るわけである(この辺り、正直に申し上げますが、あまり自信を持って説明できていません。まったく間違っているかもしれません)。
 ベルクソンによれば、唯一完全な意図を持っているのは神秘主義者だということになる。したがって、区別すべきなのは、前論理心性と論理的心性とではなく、「静的宗教」と「動的宗教」とであるというのがベルクソンの主張である。
 このベルクソンによるレヴィ・ブリュールの批判的読解は、当時はほとんど反響がなかったのであるが、1962年、レヴィ・ストロースは、『今日のトーテミズム』の中で、このベルソンの知覚図式の分析の中に、トーテミズムの問題についての、レヴィ・ブリュールの分有理論とデュルケームの集団的表象理論との間を行く、エレガントな解決方法を見出している。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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