内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

生きる技としての俳句

2015-12-31 02:30:34 | 読游摘録

 フランス語であれ、英語であれ、日本語以外の言語で作られた短詩を、それがいくら俳句の音数律や句切れや季語などを尊重したものであっても、俳句として認めるかどうかは、意見の別れるところだろう。おそらく大半の日本人は、外国人が日本語以外の言語で俳句を真似て作った短詩が「俳句」と呼ばれることに抵抗を覚えるのではないだろうか。
 外国語による俳句的短詩の実践を「俳句」と呼ぶことは、外国語による解説書を読んだだけで自己流で座禅を組むことを「禅」と呼ぶことと同じほど、その本質から遠ざかっている、という批判もあるだろう。
 しかし、ここではそういう文学的経験の正当性に関する議論には立ち入らない。ただ、俳句あるいは俳諧の何がそれほどまでに外国人を惹きつけるのかだけを、昨日紹介した本に拠って、フランスの場合に限って、瞥見しておきたい。
 まず、同書が出版物としてどのジャンルに属しているかが一つの手がかりになる。同書は、Le Livre de Poche の中の « spiritualités » というカテゴリーの中に括られている。つまり、文芸書としてよりも、広い意味での宗教的・精神的体験に関する書籍の一つとして出版されているのである。フランス語での俳句に関する出版物は、優に数十冊はあり、その大半は文芸書として出版されているが、その場合でも、俳句の精神を説明するのに禅をはじめとして宗教的要素に重きを置くのが一般的傾向である。
 つまり、俳句の中に、自分の生活を新しい眼差しで見直すことを可能にしてくれるものが、さらには、生き方を変えてくれるものが見出だせるというところが強調されることが多い。あるいは、俳句の実作によって自分の生活が変わったことが実際の経験として語られ、その中でも文学的経験のいわば精神的効用が特に重視されている。
 俳句の短さがその実作を誰の手にも届くところにあるものにしていることも俳句の魅力の大きな部分を占めていることは、日本語の場合と変わらない。もちろん、それは、俳句が簡単に作れるということを意味しないことは、少しでも自分で実践してみればわかることだ。それでも、俳句のサークルなどに属して、自作を合評してもらうことで、様々なことに気づかされ、句作に上達し、それが自分の普段の暮らし方まで変えていくことがある。そのような例が同書の序文にもいくつか紹介されている。
 フランス語による haïku の実作者たちの多くは、最終的に日本語で俳句を作ることを目指しているわけではない。芭蕉や蕪村や子規などに学びつつ、あくまでフランス語の中で、俳句的精神あるいは俳諧的精神を実践しようとしている。その実践の内実がどのような言葉で分節化されているかを示している一例として、同書の序文の小見出しを順に列挙してみよう。

L’esprit haïku : une invitation à plus de vie
La voie des haïkistes
Saisir les instants précieux
S’ouvrir pleinement au réel
Exprimer son monde intérieur
Faire taire l’intellect
Se détacher
Aimer le trivial
Vivre dans la simplicité
S’incliner devant la nature
Accepter l’impermanence
Épurer
Atteindre l’équilibre
Partager

 最後の節 « partager » で、筆者は、「分かち合う」ということは、単にある同好会の合評の席で互いの作品を批評し合うという次元にとどまるものではないと考えている。
 互いの俳句に耳を傾けることで、言葉を聴くことそのことが訓練され、言葉を包む沈黙の豊かさにより注意深く敏感になる。言葉がそこから生まれて来る黙せる自然を共に前にして、より謙虚になる。自分の中の無駄なものを削ぎ落とそうとする。ものへの執着から離れようとする。そして、その分だけ、より生き生きと各瞬間を生きられるようになる。
 そのような俳句的精神に基づいた社会を筆者は夢見ている。私もその夢を共有したいと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


フランス語の俳句

2015-12-30 02:53:47 | 読游摘録

 学生たちが俳句についての展示会を来年二月上旬の大学図書館主催「日本文化週間」のために準備していることは、十二月七日の記事で話題にした。彼らが作成するパネルの原稿の締め切りが一月五日である。提出前に私がその内容を確認し、場合によっては修正し、その上で原稿を図書館の担当者に送ることになっている。十二月半ばに学期末試験が終わってから、そして本格的にはおそらくクリスマスが終わってから、原稿作成にとりかかったのであろう。数日前から原稿が届き始めている。仕上がりにはばらつきがあるが、まったく授業外のプログラムのために休暇中に時間を割いてよくやってくれていると思う。
 今回の展示では、日本の俳諧史・俳句史の解説と代表的な俳人とその何句かの紹介とに内容を限定しているが、フランスにおけるフランス語の「俳句」(« haïku » と綴る)について調べてみるのも、別のテーマとして面白そうである。
 その手掛かりとなりそうな一冊が、Le Livre de Poche から二〇一〇年に刊行された L’Art du haïku. Pouer une philosophie de l’instant という本である(初版は前年に別の出版社から刊行されている)。著者名として Bashô, Issa, Shiki とあり、翻訳者と解説の筆者として Vincent Brochard という名前が、序文の筆者として Pascale Senk という名前が、それぞれ見開き第一頁に掲げてある。
 全部で二四十頁ほどの小著ではあるが、なかなか興味深い構成になっている。まず、全体の六分の一強を占める序文の中で、心理学者で仏語俳句の実践者である筆者が、自らの俳句との出会いとその実践について語り、他のフランス人俳人たちの紹介と仏語俳句を多数引用しつつ、俳句の要諦を示そうとしている。この序文の補遺として、フランス俳句協会(現在では、フランス語圏俳句協会 Association Francophone de Haïku と改称されている)などいくつかの仏語俳句サークルのアドレス、俳句に関する若干の仏語サイトと多数の英語サイトの URL が挙げてある。それに続く百ページ余りの主要部分は、俳句の翻訳者である筆者による俳諧と俳句についての解説である。その後ろに芭蕉、一茶、子規を主にした、六十頁余りの俳句集が置かれ、さらにこの三俳人の短い伝記的紹介が続き、用語集と文献表によって締め括られている。
 本書の特徴は、序文の筆者も翻訳・解説者も、俳句の実践を一つの生きる技として捉えているところにある。明日の記事では、序文から少し引用しつつ、その内容の一部を紹介しよう。







気の重い冬休み、それでも飲むのだ

2015-12-29 07:33:42 | 雑感

 現在の勤務校に一昨年九月赴任して、これで二三年は役職から解放されて、大学行政に関わる仕事から離れることができるとホッとしていた。
 ところが、詳細は省くが、先々週に同僚たちとの会合を兼ねた会食のとき、来年度の新設ポストの公募が優先課題として話し合われたのだが、あろうことか、私がそのポストの審査委員会の委員長に「任命」されてしまったのである。
 任命というのは、実は、正確な言い方ではない。実のところ、いろいろ話し合った挙げ句、私が引き受けると一番審査しやすい委員会になるだろうということになり、「まあ、そういうことなら、引き受けてもいいけど」と、ほろ酔い気分で一言口を滑らせたのが運の尽きであった。「じゃあ、そういうことで」と、その会食の席で即「満場一致」になってしまったのである。まさに「即席」である。
 フランスの大学のポストは、国家公務員のポストということであり、すべて公募であるばかりでなく、審査委員の半数は外部審査員でなくてはならない。つまり、他大学に勤務している先生方にそれを引き受けていただくのである。審査委員会は、議長を含め、十二名からなるから、その半数である六名は外部審査員でなくてならない。しかも、男女同数あるいはそれに準ずるバランス、より正確には、「一方の性が委員会の少なくとも40%以上を占めなくてはならない」と規定されている。つまり、十二名のうち、男女いずれも少なくとも五名はいなくてはならないということである。さらに、外部・内部とも、教授と准教授が同数でなくてはならないという条件がそれらに加わる。
 委員長が最も頭を悩ます最初の仕事は、これらの条件をすべて満たした委員会の構成である。他大学の先生方にコンタクトを取り、こちらの希望する審査日二日(書類審査の日と面接の日)を知らせ、引き受けていただけるかどうか打診する。しかし、すべての審査員にとって都合のいい日を二日確保するのは、コンタクトを取ったパリの教授の返事から引用すれば、「ほとんど円積問題より困難な問題」なのである。
 大半の先生方は、自分の勤務校や他大学でも同じように審査員を引き受けることもあり(実際、私もパリの大学の外部審査委員を引き受けている)、学期中であるから講義も受け持っており、学会等で出張ということもある。
 問題をさらに困難にする条件として(まだあるの? ええ、あるんです)、フランスは、復活祭の休暇など移動ヴァカンスの時期が三つのゾーンで一週間ずつずれており、すべての大学が同じ期間に休暇になるわけではない、ということがある。来年の場合、私たちの大学にとってちょうど都合の良い時期は、パリはヴァカンス中なのである。つまり、その間、パリの先生方にはお願いできないということである。
 案の定、最初のコンタクトの返事として、二日ともOKをくれた先生は、たった一人であった。容易な作業ではないことはわかってはいたが、まったくやれやれである。同僚とも連絡を取り合いながら、審査日に少し選択肢を増やして、審査員候補者も追加して、DOODLEを使って再度お願いしなくてはならない。
 しかも、この構成作業を冬休み中に終えなくてはならない。ところが、ヴァカンス中にフランス人に仕事の件でコンタクトを取って、その休み中に返事をもらうことを期待するのは、年末ジャンボ宝くじを一枚だけ買って三等以上が当たることを期待するよりも空しいことなのである。
 自分が頑張ったからといってどうにもならない理由で作業がまったく進行しないのは、大変気の重い話ではあるし、休暇中だというのに仕事のことであまり寛げないなんて、という愚痴っぽい方向に気持ちが傾きがちではあるが、他方では、そのような感情の自然な傾きに抗し、自分の意志に拠らないことで思い悩んでも、少しも問題の解決にはならない、知るか、なるようにしかならねえんだよ、年末年始、飲むときは飲むし、遊ぶときは遊ぶぜ、ということで、今日は、日中にお願いメールを審査員候補者の先生方全員に送った後は、伝統ある或る文学雑誌の次期編集長のお誘いで、飲みに行ってまいります。








写真と俳句

2015-12-28 02:06:30 | 雑感

 今年の十月一日から、ブログの記事に写真を一枚(はじめの頃は、ときには数枚のこともあったし、栗鼠の写真の時は、十数枚一挙に投稿したこともあったが)貼り付けるようにしてきた。十一月後半からは仕事が忙しくなって、写真を撮りに出かけることもままならず、素人の自分自身にさえあまりいいできとは思えない写真を掲載したこともあった。
 十月は毎日撮り続けていた。その間に、ものを見る目が少し変わってきたのに気づいた。それまでなんでもないと思っていた日常の風景やそれを構成している諸部分に注意がいくようになった。ここからこう撮れば面白いな、とか、この角度からこう景色を切り取れば綺麗だ、とか、思いながら、周りを見るようになった。ある瞬間の光と影や彩りにも敏感になった。
 とはいえ、そこは知識も腕もない素人の悲しいところ、思い通りには撮れない。ほとんどの場合、あとでPCで拡大して見て、がっかりする。
 人の写真は本当に難しい。相手に無断で勝手に撮るわけにはいかない場合も多いという、法的な制約という問題は措くとして、その人の表情を生き生きと、あるいはその人の人柄を伝えるような写真を撮ることができたのは、これまで数百枚撮って、まぐれのように撮れていた数枚くらいだろうか。
 ただ、カメラをいつも携帯し、写真を撮り続けているうちに、当たり前の日常生活の中には、こんなにも発見されることを待っている、まだ見えていない細部が包蔵されていることが、その豊かさや多様さや意外さがわかってきた。それらの発見に驚かされ、その驚きがさらに写真を撮りたい、上達したいという気持ちにさせる。
 そんなことを思っていると、写真と俳句には共通点があることに気づいた。その共通点は、前者はカメラという機械を使って、後者は言葉を組み合わせることによって、どちらも風景の一部をある観点から瞬時に切り取って見せるところにある。もちろん、写真も俳句もこの共通点にその本質が還元されるわけではない。しかし、少なくとも、両者の実践が風景への私たちの眼差しをより注意深く細やかにし、風景をある瞬間において捉えようとする志向において重なるとは言えるのではないだろうか。







 


哲学的遺書を読む(16)― ラヴェッソン篇(16・最終回)はじまりの自覚への長い思考の旅

2015-12-27 11:23:45 | 哲学

 もし最善が始まりにおいてあり、最善が原理であるならば、どうしてそのままそこにとどまらなかったのであろうか。最初に最善最良のものが与えられているのならば、どうしてそこから離れなければならなかったのだろうか。
 古代ギリシャ・ローマの英雄譚も、ユダヤ・キリスト教の全歴史も、この根本的な問いへの答えの探究のプロセスとしてラヴェッソンは捉えようとしていたのだと私は見る。その始まりからの乖離を、あるべき姿からの逸脱として、ただ否定的に捉えるのではなく、ひとつのプロセスとして捉えることを可能にするパースペクティヴを開くこと、これがラヴェッソン哲学の根本的なプログラムだったと私は考える。ラヴェッソンの言う「英雄的な哲学」とは、このプロセスを、独りで、すべての人たちのために、歩み抜こうとした哲学のことなのである。
 この連載を今日の記事で閉じるにあたって、連載第一回目に引用した『遺書』最後の段落をもう一度引用する。

 Détachement de Dieu, retour à Dieu, clôture du grand cercle cosmique, restitution de l’universel équilibre, telle est l’histoire du monde. La philosophie héroïque ne construit pas le monde avec des unités mathématiques et logiques et finalement des abstractions détachées des réalités de l’Entendement ; elle atteint, par le cœur, la vive réalité vivante, âme mouvante, esprit de feu et de lumière (p. 120).

 神から離れ、神へと回帰し、大いなる宇宙的円環が閉じられ、普遍的な均衡が回復される。これが世界の歴史である。英雄的な哲学は、数学的・論理学的単位によって世界を構築せず、〈悟性〉の現実から切り離された諸々の抽象化の結果として世界を構成するのでもない。英雄的な哲学は、心によって、生き生きとした生ける現実に、躍動する魂に、燃えるように光り輝く精神に到達する。








哲学的遺書を読む(15)― ラヴェッソン篇(15)「複雑な単純さ」あるいは「多数の単純さ」

2015-12-26 07:41:19 | 哲学

 ラヴェッソンがなぜ英雄について語るのか、より良く理解するために、もう少しだけ、ラヴェッソンの英雄論を見ておこう。

 Les héros se faisaient des choses et de la destinée humaine de tout autre idées.
 Pour ces hommes d’élite ou de race, que Descartes et après lui Leibniz nommeront les généreux, chacun a une âme dont c’est le caractère d’être sympatique à toutes les autres et qui existe en elles autant si ce n’est même plus qu’en soi-même, et qui est ainsi ce qu’on pourrait appeler une simplicité complexe ou une simplicité multiple (p. 20).

 英雄たちは、物事や人間の運命について、一般の弱き人間たちとはまったく異なった考えを持っていた。これらの特別に選ばれた人たちは、デカルトが、そしてそれに続いてライプニッツが、「高邁なる人たち」(あるいは「寛仁なる人たち」)と名づけていた人たちのことだ。これらの「選良」たちは、こう考える。それぞれの人間には魂があり、その性質は、他のすべての魂に対して共感的である。その魂は、他のすべての魂の中に、己自身において以上ということはないにしても、同じだけは在る。かくして、魂は、「複雑な単純さ」あるいは「多数の単純さ」とも呼ぶことができるものなのである。
 ラヴェッソンにとって、英雄とは、古代の神話の中でのみ語られる、もはや失われた過去の形象ではなく、それぞれの人間が持っている最良の共通部分においてすべての人間に平等に対する存在のことである。
 ただ、それら英雄たちは、そのように生きる存在ではあっても、それを思想として語ることはない。英雄たちによって生きられたその存在性格を自覚的に思想化していく者、それが、ラヴェッソンにとって、真に哲学者の名に値する存在なのである。








哲学的遺書を読む(14)― ラヴェッソン篇(14)死すべき存在を見守る永遠の英雄たち

2015-12-25 04:39:23 | 哲学

 古代ギリシャの叙事詩人ヘシオドスは、英雄たちは、永遠のうちにいつまでも輝かしくそのままで在りながら、死すべき存在である人間たちを見守っている、と言っていた。このような思想が、キリスト教的な諸希望の間にあって、それらとは区別されるそれ固有の位置を占めている、とラヴェッソンは言う。

Les héros, disait le vieil Hésiode, veillent de leur éternel séjour au salut des mortels. C’est une idée qui a pris sa place parmi les espérances chrétiennes (p. 119).

 ラヴェッソンの英雄論をこの短い段落を読んだだけでよく理解することはできない。その理解のためには、ラヴェッソンが英雄についてかなり詳しく論じている『遺書』のはじめの方を思い出す必要がある。

La grandeur d’âme était le propre des héros. Le sort des autres les touchait comme le leur. Ils avaient conscience d’une force en eux qui les mettait en état de s’élever au-dessus des circonstances, qui les disposait à se porter au secours des faibles. Ils se croyaient appelés, par leur origine, à délivrer la terre des monstres qui l’infestaient (p. 14).

 魂の偉大さは英雄たちに固有なものであった。他者たちの命運が自分たちのそれのごとくに英雄たちの心を打った。その都度の状況を超出することを可能にする力が己のうちに具わっていることを英雄たちは自覚していた。その力が英雄たちを弱き者たちの救いへと向かわせた。英雄たちは、その生まれからして、この大地を台無しにしている怪物たちから大地を開放するべく召命を受けていると信じていた。
 ラヴェッソンにとって、英雄とは、有限の生を与えられた人間たちの運命を自分の運命として引き受け、自分自身ためにではなく、世界のために生きる半神的存在である、ということがここからわかる。








哲学的遺書を読む(13)― ラヴェッソン篇(13)ベルクソンの眼差しの翳り

2015-12-24 00:34:03 | 哲学

 第一次世界大戦を五十代半ばに経験し、半ば公人として戦中二回アメリカに行き、当時のアメリカ大統領ウッドロウ・ウィルソンに参戦を要請し、第二次大戦が始まってから一年四ヶ月後の1941年1月4日に81歳で逝去したベルクソンが『道徳と宗教の二源泉』の末尾に次のように記したのは、ヨーロッパではまだ新しい戦争の跫音が人々の耳には聞えてはいなかった1932年のことであった。

L’humanité gémit, à demi écrasée sous le poids des progrès qu’elle a faits. Elle ne sait pas assez que son avenir dépend d’elle. À elle de voir d’abord si elle veut continuer à vivre. À elle de se demander ensuite si elle veut vivre seulement, ou fournir en outre l’effort nécessaire pour que s’accomplisse, jusque sur notre planète réfractaire, la fonction essentielle de l’univers, qui est une machine à faire des dieux (Les deux sources de la morale et de la religion, PUF, coll. « Quadrige Grands Textes », 2008, p. 338).

人類は自分がなしとげた進歩の重さで半ば押し潰されてうめき苦しんでいる。人類は自分の将来が自分次第であることが十分に分かっていない。第一に、人類はこれからも生き続ける意志があるのか否かを考えてみなければならない。第二に、ただ生きることを望むのか、それとも、ただ生きることに加えて、神々を作り出す機械たる宇宙の本質的な機能が、反発的なこの地球でも果たされるのに必要な努力を払うことを欲するのかどうかを考えてみなければならない。」(合田正人・小野浩太郎訳,ちくま学芸文庫,2015年,p.436)

 この有名な一節の最後の一文は、解釈が難しく、研究者の間でも意見が分かれてはいるが、いずれにせよ、確かなことは、この宇宙で人類が生き延びるためには、己の在り方について根本的に問い直すことが人類に求められているということである。ラヴェッソンによって継承されたフランス・スピリチュアリズムの伝統の正嫡の後継者であるベルクソンの世界を見る眼差しは、以後、ますます翳りを濃くしていく。ベルクソンには、ラヴェッソンが遺した、未来に希望を託すような「遺書」はもう書けない。

 

 

 

 

 

 

 


哲学的遺書を読む(12)― ラヴェッソン篇(12)未来を信じる理由があるならば

2015-12-23 02:29:29 | 哲学

 ラヴェッソンが世界の未来に対して「天国的な」とも形容したくなるような翳りなきオプティミズムを『遺言』の終わりに記すことができたのは、ちょうど1900年という十九世紀の終わりとともに86年の生涯を終え、二十世紀に人類が知ることになる二つの世界大戦とその後も止むことのない紛争・災厄・悲惨をまったく知らずに済んだからなのだろうか。次の一節を読むと、私はそう自問したくなる。

 Si donc il y a des raisons de croire que dans une vie future les facultés intellectuelles s’accroîtront, on a des raisons aussi de croire qu’après l’expérience de la vie terrestre et le passage à une vie nouvelle qui l’éclaire d’une tout autre lumière, il sera surtout ainsi des facultés morales et que la société qui sera formée de l’humanité et de la divinité y sera serrée de liens plus nombreux et plus forts ; on a lieu de croire enfin qu’arrivés à une vie nouvelle, dont on ne peut d’ailleurs se faire des idées distinctes et détaillées, les humains n’oublieront pas les compagnons demeurés après eux ou encore à naître sur la sphère terrestre (p. 119).

 未来の生において知的能力が増大することを信じる理由があるとすれば、地上の生の経験とそれをまったく異なった光で照らす新しき生への移行との後に、道徳的諸能力がそこには備わり、人間性と神性とによって形成された社会は、より多くの、そしてより強い繋がりによって結ばれるだろうと信じる理由もある。そして、新しき生に至れば、それについて判明で精確な観念を形成することはできないとしても、人々は、自分たちの後にこの地上に残る同胞や、これからまたそこに生まれてくる同胞を忘れることはない、と信じる理由もある。

 私たちには、もう、このように未来を信じる理由はあり得ないのだろうか。


哲学的遺書を読む(11)― ラヴェッソン篇(11)魂の自己認識から魂同士の合一へ

2015-12-22 00:00:00 | 哲学

 今日の記事で引用する箇所は、『遺書』第二版の編者による本文中へのラヴェッソンの草稿からの長い挿入部分である。原文では、その挿入部分は、[ ]に括られて、『遺書』第一版の本文と区別されているが、ここでは、それを外して、原文だけを示し、その後におよその拙訳を付す。

 Au point le plus élevé de l’architectonique vitale, chez l’homme, l’esprit plane pour ainsi dire au-dessus de l’organisme ; il se reconnaît dans les objets de sa pensée ; il se reconnaît surtout en lui-même, il voit en lui, dans une intime conscience, la pensée en face de la pensée, telle déjà qu’elle sera, plus haut encore, en Dieu, où suivant la formule hardie d’Aristote, la pensée est pensée de pensée, une flamme pure qui s’éclaire de sa propre lumière (p. 118).

 精神は、人間におけるその生の成り立ちの最も高次な点において、いわは身体器官の上を滑翔する。精神は、己の思考の諸対象のうちに自己を認識する。とりわけ、己自身において自己を認識する。自らのうちにおいて、内奥の意識において、思想と向き合う思考を見る。それは神において、さらなる高みにおいて、すでにそうであろう。神においては、アリストテレスの大胆な表現を用いれば、思考とは思考の思考である。それは、自らの光によって自らを照らす純粋な炎の如きものである。

 Peut-être cette union d’une âme avec elle-même est-elle un prélude d’un autre état où des âmes différentes pénétrant dans l’intimité l’une de l’autre, comme on voit déjà ici-bas en maint exemple, réaliseront ainsi l’idéal de l’union conjugale parfaite ? Au moins doit-on y voir une ébauche d’une union plus parfaite encore des âmes avec la divinité, leur origine et leur centre commun ; union prédite dans l’Evangile comme devant consommer un jour l’identification du Sauveur divin et de ses fidèles (P. 118-119).

 おそらく、この魂の己自身との合一は、別のもう一つの状態の先触れであり、その別の状態においては、親密さの中で互いに浸透しあう魂同士が、すでに数多くの実例がこの世でも見られるように、 完全な婚姻的結合という理想を実現するのでもあろうか。少なくとも、私たちは、そこに魂らと神性との、つまり魂の起源であり、その共通の中心であるものとの、より完全な合一の素描を見なければならないだろう。その合一とは、聖書の中で、ある日救い主と忠実なる信徒たちとの同一化を完遂するべきものとして予言されている合一である。