私は天の邪鬼である。
近頃、ここ数年、「心が癒される」「癒し系」でも、何でも「癒し」という言葉がよく使われる。みんな、この言葉がずいぶん好きなようで、あっという間に広がった。「癒し」は良い意味のコトバのようだ。
が、私は嫌いである。(!)流行始めた頃から、何となく胡散臭い嫌な感じを受けていた。語感が嫌だった。「i」とか「y」の音に緊張感を感じるし、でも、理由はそれだけでなく、よく分からなかった。
ある本か何かで、謎が解けた。「癒し」の語源は「卑しい」と同じらしい。
私の感覚はさほど間違っていなかった。(!)「卑しい」が好きな人なんていないよね。
でも、なぜ、「癒し」と「卑し」が同じ語源かは書いてなかった。で、同僚とそんなことを話していて一緒に考えた。
得た結論は「いやし(い)」とは、「共に精神が弛緩して緊張感が全く欠けている状態」ではないかということだ。
「卑しい」は、「卑しい食べ方」などでわかるように、本能のまま、下品、人目をはばからない、等々、緊張感がない状態の行動を描写するのに使われる。「癒し」も、同様に、精神が弛緩している状態を表す。つまり、似たような精神構造のマイナス評価とプラス評価の違いである。
せっかくのプラス評価なら、私としては、「なごむ」とか「くつろぐ」の方が好きだけれどなぁ。何も、「卑しい」の親類みたいなコトバを使わなくて良いだろう。
と、生徒に言って笑われたことがあったが。
その本か何かに「卑しいと同じ語源の語が流行るのは、良い傾向とは言えないだろう」のようなことが書いてあった(と、うろ覚えで思う。)うんうん、同感。
だから、ところ構わずモノを口に入れ、ところ構わず化粧をするのだ。たぶん、「癒し」というコトバが、精神を弛緩させるウィルスを広めているに違いない。これも「言霊」の力に違いない。(まあ、もともとその傾向の精神構造だったから、「癒し」という言葉が流行るようになったとも言えるのはわかるが。)
だから、もっと暖かみのある品の良い言葉を広めませんか。たとえば、「和む」「寛ぐ」とかはどうですか? 漢字で書いても、心が広々、ほんわかした良い感じがしませんか?
近頃、ここ数年、「心が癒される」「癒し系」でも、何でも「癒し」という言葉がよく使われる。みんな、この言葉がずいぶん好きなようで、あっという間に広がった。「癒し」は良い意味のコトバのようだ。
が、私は嫌いである。(!)流行始めた頃から、何となく胡散臭い嫌な感じを受けていた。語感が嫌だった。「i」とか「y」の音に緊張感を感じるし、でも、理由はそれだけでなく、よく分からなかった。
ある本か何かで、謎が解けた。「癒し」の語源は「卑しい」と同じらしい。
私の感覚はさほど間違っていなかった。(!)「卑しい」が好きな人なんていないよね。
でも、なぜ、「癒し」と「卑し」が同じ語源かは書いてなかった。で、同僚とそんなことを話していて一緒に考えた。
得た結論は「いやし(い)」とは、「共に精神が弛緩して緊張感が全く欠けている状態」ではないかということだ。
「卑しい」は、「卑しい食べ方」などでわかるように、本能のまま、下品、人目をはばからない、等々、緊張感がない状態の行動を描写するのに使われる。「癒し」も、同様に、精神が弛緩している状態を表す。つまり、似たような精神構造のマイナス評価とプラス評価の違いである。
せっかくのプラス評価なら、私としては、「なごむ」とか「くつろぐ」の方が好きだけれどなぁ。何も、「卑しい」の親類みたいなコトバを使わなくて良いだろう。
と、生徒に言って笑われたことがあったが。
その本か何かに「卑しいと同じ語源の語が流行るのは、良い傾向とは言えないだろう」のようなことが書いてあった(と、うろ覚えで思う。)うんうん、同感。
だから、ところ構わずモノを口に入れ、ところ構わず化粧をするのだ。たぶん、「癒し」というコトバが、精神を弛緩させるウィルスを広めているに違いない。これも「言霊」の力に違いない。(まあ、もともとその傾向の精神構造だったから、「癒し」という言葉が流行るようになったとも言えるのはわかるが。)
だから、もっと暖かみのある品の良い言葉を広めませんか。たとえば、「和む」「寛ぐ」とかはどうですか? 漢字で書いても、心が広々、ほんわかした良い感じがしませんか?
私にとっての「癒し」の印象は、怪しい、という感覚です。特別の私を溺愛する行為の一面もあるのかなとか。なでなで。
実は、ほり、一度書こうかなと思っていた「『癒し』嫌い」を、本日、たまたま書いてupし、その直後「大学生の考えごと」を訪問したら、なんと、なんと、shooting_starsさんが、使っておられるではありませんか!
もうビックリ。で、当惑し、我が畏友(と、勝手に思っております)shooting_starsさんの気を悪くしてはなるまいと思ってあわてて消した次第です。
そしたら、コメントくださっている。。
えっっ、ばれてる。。ほんの10分か15分、UPしてあっただけだったのに。。なんでそんなに素早いのよぉ~~~
というわけで、私が「癒し」について書いたのは、全くの偶然です。「なでなで」の記事を読んでから書いたのでないんです。
「なでなで」してどうぞ心を和ませてください。(ほりが表現するとどうしてもこうなる。)
しかし、おっしゃるとおり、「怪しい」と言う感覚、理解できます。イメージとして「薄暗さ」とか。「和む」は怪しくないし、もっと光あふれて明るい感じがありますね。
少し前にMyBlogListにも勝手に入れさせていただいてますm(__)m
いつもこっそり覗いてて申し訳ないな、と思っていたので
読ませてもらっています、とご挨拶を、と思い、書き込みさせていただいてます。
「癒す」は、まず病を得ている状態があって、それを治癒させるというイメージがありました。
和む方が同じ平面状にいるようで、心地好いですね。
我が家にはお勉強の苦手な高1の長男(と、中1の次男)がいるので
ほりさんの言葉を受け留めて反省したりしてます^^;
また伺いますね。
↑のぴよ♪さんのコメントにあるように、私も「まず病を得ている状態」があるはずだと思って、病はなんなのかを私なりに考えてみたということです。だから結局、私たちの言葉を私の言葉にすり替えるマジックであって和んでいるわけではなく、感動より惰性を感じる。そこには、依然として特別な観念的な自己(あるいは安心感を伴わないプライド?)が居座っている。で、最後は自分に対する皮肉として、(自己)溺愛と書きました。すいません屈折していて(笑)。
で、ほりさんのブログを見てコメントをしようと思ったら、できなくて。ページを更新したら消えていたので。もしかして? 気を使っていただいたのならいけないと思って、あえて消えた記事についてコメントをさせていただいた次第であります。お気遣いありがとうございました。
私のなよなよした態度の問題点がよくわかりました。説明することの面倒臭さを回避して惰性に引きずられていたようです。ここで説明させていただいたことをもとに、編集しなおしてきます。
ではー。
ずいぶん前から訪問いただいていたそうで、恐縮します。それでまた今回はコメントいただきまして、どうもありがとうございました。こんな風に読者のお顔が見える(?)と嬉しいです。
そうかー、保護者の方なんですねー。(照れ笑)まあ、こんなことを言ってる教員もいるということで何かの参考にして頂ければ幸いです。
>>「癒す」は、まず病を得ている状態があって、それを治癒させるというイメージ
治癒の「癒」ですから、そうですよね。
現代人は日常的に病に罹っているということなのでしょうか。でも、何だか納得できそうで、コワイです。。
同僚と記事の話をしたのは、もう、4,5年前だったんですが、状況は変わっていませんね。
ぴよ♪さん、今後もどうぞよろしくお願いします。またいつでもコメントください。
shooting_starsさんには、全てがお見通しだったんですね。こちらこそありがとうございました。感激です。
消去記事のコメントを頂いたことで、私にも「覚悟」ができて、再度UPできました。深謝します。
実は、今回の件で、今まで通り、ふつーに自分の言いたいことを言いたいときに書く、今後もこの方針で行くという「覚悟」ができました。(しかし今回はあまりの偶然に驚愕~。。)
さて、「癒し」ですが、マイナスからの回復ですから「良く」なっている訳じゃない。だから、プラスイメージの言葉「感動」より、マイナスイメージの言葉「惰性」と繋がるんですね。(よく分かってないと思うけど。。荒っぽい読み方ですみません。)
>>自分に対する皮肉・・・溺愛
自己に拘泥しているわけでなくて、ちょっと離れて自己を見つめるの姿勢って、良いですね。