考えるのが好きだった

徒然でなくても誰だっていろんなことを考える考える考える。だからそれを書きたい。

かけ算は、何より「単位」の認識が大事なのだ

2013年01月26日 | 教育
 茂木健一郎さんのツイッターで、かけ算の順序が議論されているけど、論点がずれている。
 あれは、「順序」が問題ではなく「単位」が問題なのだ。
 しかも、「単位」を認識することが非常に重要なのだ。

 6人に8本ずつ鉛筆を与える式、8本×6人=48本は、6人×8本=48本でもかまわない。6人が8本の列車(列車じゃなくていいのだけど、本の単位で表せるもっと良い例を思いつけない。)に乗ると、6人×8本=48人、8本×6人=48人で、どっちでもかまわない。
 ここで、上記の6×8=48、8×6=48を比べてみよう。答えの「数値」はどちらも同じ48である。
 しかし、「答え」はちがう。前者は、「48本」、ところが、後者が「48人」と同じ48の数字が持つ意味が異なる。
 単位が重要なのだ。
 
 たぶん、子供は、8と6の順序をどっちでもいいとなると、「答えの単位の付け方」を「ついつい」間違えるのである。
 「なんとなく」「うっかり」間違えるのである。

 うん。

 だって、私、覚えがあるもの。

 たぶん、初めて九九を習ってかけ算を習った小学2年生の時、計算をしていて単位を間違えそうになったときがあったような気がするのだ。そのとき、「最初の数字に単位をつける」と習ったのは、とても役にたった。最初の頃は、必ず数字の後には単位をつけて式をたてたのを覚えている。先生も、単位の付け方はしつこく言っていたのを覚えている(というか、思い出した)。中には単位がいい加減で間違えていた子がそれなりにいたと思う。
 
 朝日新聞の記事の疑問は「ずつ」という言葉を使うから生じたのだ。親御さんが合点がいかないのもだからだと思う。
 「単位」の重要性で考えれば納得いくはずだ。

 でも、真の納得には、まだ説明が必要だろう。
 1つだけのかけ算の式なら、実は、単位をどっちにつけるかは、議論されているとおり、どっちでもいいからだ。
 しかし、勉強が進むと、問題が発生する。

 いくつも式を並べて書いていくときである。たくさんの式が並ぶと、どの式のどの数字が単位を表すかがわからなくなって、出てきた答えの単位を勘違いして、次の計算を間違える。
 多い間違いは、単位の違うもの同士を足してしまったり、かけ算したりする間違いだろう。(ああ、この間違い、遠い記憶の彼方で、思い当たる気がするなあ。)
 この点、「最初の方の数字に単位をつける」と決めておけば、そんな間違いをしにくくなる。常に、「単位」に意識が行くからである。

 「ずつ」の方を先に書く、つまり、「単位」をつける方を常に意識して先に書くのは、かような「間違いを防ぐ」効果があるのだ。
 また、「単位」の認識をはっきり持てば、割り算でどっちで割るかがわからなくなる心配も減るはずだ。

 茂木さんは、頭がいいから、ふつーの能力の人間がどんなところで間違えそうになるかがわからないんだと思う。

 私は、ツイッターをしてない。だから、どなたかが、茂木さんに伝えてください。
 『本来は順序を決める必然性はない。しかし、かけ算の初心者には「便宜的に最初の数字に単位をつけることを習慣化させる」方が、たくさんの式が並んだときや式が複雑になった時に、特に単位に関わる計算の不注意間違いをしないで済むようになる』と。

 ついでに言うと、今の学習指導の多くは本質を突いて行われていないのではないかと私は疑っている。
 「わかりやすく」教えるために、本質に関わる抽象的な表現が避けられだり曖昧に表現されていたりするのだ。(今回の「ずつ」もその一つだろう。「単位」は「ずつ」に比べるとずいぶん抽象的な概念であり語である。)だから、真の意図が学習者やそれを取り巻く人たちに伝わらない。
 別の言い方をすると、今の教え方は「最初はちょっと手間がかかったり多少難しいかもしれないけれど、ヘンな勘違いやとんでもない間違いをしない勉強の仕方」が軽んじられていると私は思っている。(語学学習における文法軽視もこれだ。)
 だから、子供たちがかわいそうだ。
 彼らは、一見わかりやすそうだけれど実は「本質を突いていないわかりにくい」、しかも、「次のステップに入ったら仕切り直しをしなければならない」、「要領の悪い」勉強の方法を強いられている。(この意味では、「ずつ」を先に書く式を立てさせる教え方は間違っていない。)
 四半世紀以上にわたって高校生に英語を教えてきて、私はそのように感じている。

(追記)
 積分定数さんからコメントをいただき、単位に関わる数を先にする「順序」という計算の手段が、授業の場において目的化している陥穽を教えていただいた。教える側が、大事なのが「単位」であることを知らないのが原因である。詳しくはコメントに書いた。


16 コメント

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初めまして (積分定数)
2013-01-26 22:39:05
はじめまして。

順序を固定した方が理解しやすいなら、そうすればいいと思います。

 実際には、「正しい順序がある」としてそれを書かせることが目的になってしまっています。小学校高学年まで順序に拘るケースがあります。

 目的と主眼が混乱していると思います。

いちごパンツで本能寺 1582年

他の語呂で覚えても構わない。「いちごパンツ」で覚えないと駄目、などというのは馬鹿げています。

まして、「明智光秀はいちごパンツを愛用していた」というのを史実だと思うのはもっと馬鹿げています。

 実際には、教える側の多くが「かけ算には正しい順序があるから、教えなくては」と考えています。
http://www.asahi.com/edu/student/teacher/TKY201101160133.html

↓当たりを読んでいただければ分かるかと思いますが、何が理由があってかけ算の順序に拘っていると言うよりも、足し算・引き算を含めて、抽象化否定の傾向があって、かけ算でも同様、とうことだと思っています。

http://8254.teacup.com/kakezannojunjo/bbs/t7/
訂正 (積分定数)
2013-01-26 22:40:18
>目的と主眼が混乱していると思います

 目的と手段が混乱していると思います
ひぇ~ (ほり(管理人))
2013-01-27 00:06:02
積分定数さん、ご訪問&コメントをありがとうございます。

思いもよらなかったご指摘、ありがとうございます。
そもそもの原因は、↓これですよね。

>目的と手段が混乱していると思います

この頃、教育に関してとみに感じていることです。
(どこかに手段と目的をはき違えることについての記事があると思う。)

ご紹介の先生の教え方も、順番にこだわっていますね。
確かに、ヘンですよ~。

5円のアメを3個買うなら、私の時代、昭和40年代(年がばれる・笑)は、必ず、最初は、5円×3個という単位をつけた式を立ててました。で、5円の単位を十分に認識させられました。かけ算の意味がよくわからない子に、5×3なんて、数字だけでは表さなかったですよ。
その結果出てきた式の数字は確かに5×3ですが、順番が大事なのでは断じてないです。
3つの耳があるウサギが2匹なんて、どうでもいいことだと思います。(この先生の記事を書いた記者の知性も疑いたくなる。)
思考の次元が全く違うと思います。

こうした誤った(と考えていいでしょう)教え方がはびこる要因の一つは、今の小学校の先生たちの学力というか知性がいい加減だということだと思います。
マークシート世代(センター試験などの世代)の多くは、根本原理から教科の学習をしてないんですよ。(レベルにも依るだろうけれど。)だって、試験に「答え」は必ず書いてあるからゼロから自分で考える出す必要がない。だから、思考力が育ちにくい。だから、自分の思考がヘンだとも気がつかない。

私は長年に渡って生徒を教育大や教育学部に送り込んできました。だから、彼らの知性がどの程度か、正直、わかります。
竹内薫氏が、小学校の教科書に載せる文章を依頼され、書いたが現場の先生からクレームがついて小学校の先生の頭の中を疑った、それで、依頼を断った、と何かに書いていたのを読みました。私はそのとき決して驚くべきことだと思いませんでした。
彼らは、自分は社会的に見て良いとされる大学に合格した「成功者」だから自信を持っている。本当の意味での抽象的思考は苦手でも「ことば」をどんどんあげつらうことはできるから自分は賢いと思っている。(だから、合併だの順番だのを取り上げるようなこと、本質と関係のない奇をてらうようなことを思いつくのだろうなぁ。)

と、めちゃくちゃ書きましたが、「生兵法は怪我の元」ならぬ、「生半可な思考は国家存亡の危機」ですよ。

もう、日本中の知性がいい加減な教え方で破壊されそうです。(今の政治のいい加減さの原因も同じだろうな。)
たぶん、教科書の検定をする人の知性も似たり寄ったりの同類だろうから、気がつかないのだろうな。
かわいそうなのは、子供たちです。

と書くと、「そんな小学校教師のタマゴを育てたあなたはどうなんだ?」とおっしゃる方が出てきそうですが、私の言うことを理解する同僚や管理職も、「きわめて希」です。
たいてい、「あなたが言っていることだけが正しいわけではない」とおっしゃいます。
というわけで、このブログに、いろいろ書き散らしているわけです。
(今回の類の愚痴に関しては「偏差値55前後が世間を動かす」をお読みいただければ幸甚です。)
仰る通り、単位が問題 (taketyann)
2013-01-27 12:08:21
こんにちは。ご無沙汰してます。

ほり先生のおっしゃる通り、「単位」が問題だと思います。順番にこだわって指導する方法の裏には、おそらく遠山啓さんの「水道方式」があるのでしょう。

2年生の掛け算なら、2本/匹×3匹(兎が3匹いた場合)

これが割り算になると、6本を2で割るのか3で割るのかによって、答えの単位が違ってきます。(これが等分除と包含除)

さらに高学年で単位当たり量の学習になると、0.93g/㎤×2.74㎤ というように発展していくわけです。

ですから、うさぎの耳を三本にした先生の気持ちはわからなくはありません。抽象的な思考ができる子は場合によってきちんと使い分けますが、算数の苦手な子は「どっちでもええのや」と思い込むと、もう終わりですから。

ただ、最近の先生(特に若い人)は水道方式など知らない人が多いですから、事の本質を理解しないで指導している可能性はあると思います。

足し算の順番にこだわるなどは、確かにナンセンスです。ただ、私の場合、順番を変えて立式した子にはこう聞くようにしています。
「あなたの式は問題の順番とはちがうけど、何か理由があるのかな?」
文字化けしました (taketyann)
2013-01-27 12:10:09
すいません。文字化けしてました。

正しい表記は「立法センチメートル」です。
きちんと整理する難しさ (ほり(管理人))
2013-01-27 14:19:15
taketyannさん、コメントをありがとうございます。
お久しぶりです。

「水道方式」は、そういえば、小学校教員をしていた母がこの言葉を発していたことがあったような。。

>2本/匹×3匹

これって、分数の計算と同じですよね。
「単位」の概念が難しいのは、分数だったからなんだ!と発見。

>「どっちでもええのや」と思い込むと、もう終わりですから。

勉強は、ことに算数などは、「きちんと分けて整理する」ことが大事だと思います。
でも、「きちんと分ける」のって、めんどーだから、いやがるんだよね。
ちょっとややこしい英文が理解できない生徒も分けて考えることが苦手です。
「順序」も、分けて考える一手段です。

「分けて考える」ことが内面化している人が、「どっちでもええのや」というのと、未熟な学習者が「どっちでもええのや」というのは、全然違います。
この違いが大事なのですが、思考が中途半端だとこれをごっちゃにする。
本質を見極めることは、本当に難しいです。
Unknown (積分定数)
2013-01-27 20:39:32
>ひぇ~ (ほり(管理人))さん

 多分私と同世代だと思いますが、私自身は、単位に関してどう指導されたのかは記憶にありません。先生によって違うのかもしれません。私自身が単位を明確に意識したのは、高校で物理をやったときです。
 かけ算の順序は、単位の話とからめて語られることが多いのですが、単位については微妙な問題をはらんでいるので、例えば常に単位を書かせることを義務化するなどはやめた方がいいと思っています。
その辺の懸念を↓に書きました。
http://8254.teacup.com/kakezannojunjo/bbs/t23/l50

 私自身は自宅を塾にして、高校生に物理・数学を教えていますが、理系進学志望の子ですら、数学は与えられた解法を覚えて問題を解くものと思っています。

 試行錯誤して定理・公式を自分で見つけだす喜びを味わってほしいのですが、学校の授業が、詰め込みと大量の演習になっているようで、消化不良を起こしているケースが多いです。

 また、勉強というのが、「どうすれば出題者が丸をくれる解答が掛けるのか」ということに習熟する「お勉強」という風潮があり、物事を批判的に検証するということとは縁遠くなっている現状があると思います。

 こういう状況なので、教育学部に進学し小学校教諭になる人が、算数・数学が必ずしも十分に理解していないということは致し方ないと思います。

 いじめの問題とか色々対処しなくてはならなくて、なおかつ全教科を教えなくてはならない状況では、算数の授業を、指導書などのマニュアルに頼るのも無理はないと思います。

 私がまかり間違って小学校の教師になったら、苦手科目に関しては指導書に頼ることになると思います。

 一番に責められるべきは、おかしな指導書を作っている教科書会社や、おかしな流儀を広げようとしている、算数教育界中枢だと思います。
Unknown (積分定数)
2013-01-27 21:01:09
遠山啓は、かけ算の順序を逆にするとバツにすることに批判的でした。
http://8254.teacup.com/kakezannojunjo/bbs/t15/l50
の35あたりからがそれです。

ただ、遠山啓は連続量では等分除と包含序の区別があるといっています。それへの批判を↓に書きました。
http://suugaku.at.webry.info/201103/article_4.html

また、水道方式や数教協関係者が順序を擁護することも多いです。
酷いのはこの例↓
http://ts.way-nifty.com/makura/2009/07/post-4df6.html
>「えきに電車が5台あります。あとで3台きました。えきには何台電車がありますか。」
などの問題です。
これは、5+3ですが、3+5、とはなりません。
この考えは理科の実験で試薬を作るときも同様です。
試薬を添加する順番があるからです。
添加を教えるときは「順番」は大切なのです。

>大人にとって何気ないことでも小学1年生にとっては、
たし算の魔法なんですよね。
どういう言葉で書かれてくる問題がたし算に、
またあるときは引き算になるか、、、
を、しっかりと見ていくためには国語の力によるのですが、、、
「合併、添加、増加」は子どもにとって明らかに違う文法なのです。

子供の抽象化能力を過小評価して、無用な区別をさせる。

また、銀林浩も、「かけ算は、数では交換法則が成り立つが、量では成り立たない」と意味不明なことを言っているし、

数教協全般が「内包量・外延量」などというよく分からないものに拘ってしまっています。
http://8254.teacup.com/kakezannojunjo/bbs/t3/


しかし、昨今のかけ算の順序は、水道方式とはあまり関係ないと思います。

TOSSの様に、水道方式を批判する団体
筑波大学附属小学校算数研究部など水道方式とは別潮流

などを含めて、算数教育界の主流・傍流含めて、「正しい順序がある」という点では一致しています。


 現場の先生が試行錯誤する中で「順序を意識させた方がかけ算の理解が促される」という結論になり、それで順序に拘る教え方がなされているのであれば、まだ納得がいくのですが、

 現状は、算数教育界のおかしな流儀でそうなってしまっているようです。

 おかしな流儀は、ここ20年ぐらいに強まったと推測しています。

http://8254.teacup.com/kakezannojunjo/bbs/t15/
の38以降に、

過去から現在までの教科書の変遷を報告しましたが、
ここ20年ぐらいの間に
原理的には分類不可能な、足し算の分類 引き算の分類 を子供にさせるという具合になっています。

 このことのおかしさを多くの人に知ってほしいと思っています。

失礼しました。
視点の転換の重要性 (ほり(管理人))
2013-01-28 00:31:31
積分定数さん、コメントをありがとうございます。

単位については、そんなに長期に渡って書かされたようには思いませんが。。(なにせ、遠い遠い日のあるかないかの記憶です。。。)
3人×5=15人みたいな書き方でしょうか。5の方には単位を書かなかったような。。。

>おかしな流儀は、ここ20年ぐらいに強まったと推測しています。

ほりの「偏差値55が世間を動かす理論」によると、共通一次(センター試験世代?)が世間を牛耳り始めた頃ではないでしょうか。(笑)
私は文系でしたが、「文系だったら、社会は日本史と世界史を取るべきだよね」みたいな誇りがありました。点数じゃないんだよ、と。でも、今は、(「公民」が出来たせいはあるけど)より少ない勉強時間でより多くの点がとれる教科をすることに意義を見いだす。
思考の根っこが全然違う。

順序や、(実はどうでもいい)途中の考え方の重視は、マーク試験の場合、問題作成者の思考法の中に自分の思考を入れ込まないとたぶん問題は解けないことと関係ないのかな。
ことに数学の場合、作問者と異なる思考法を取ると、絶対に解答できないでしょう。
マーク世代は、これが骨身にしみているんじゃなのかな。だから、順序が大事とか何とかになる。本来は並列させるだけで良いものを、順序を大事にしなかったら、点につながらなかったから。
この思考法が、自由に記述して良い問題にも影響した。
このような問題が生じた要因に関するほりの推論は↑です。

3人にリンゴを2個ずつ配る場合、2個×3人=6個だろうけど、3人に1個ずつ2回配るとなると、3個×2回=6個です。だから、どっちでも良い。ただ、説明できなければならないと思うけど。でないとただの暗記になる。(私は算数を教えたことはないです。)子供に、それぞれの式の意味を考えさせる方が面白いんじゃないのかなあ。

どの教科、どんな勉強にもいえることは、視点(ものの見方)を多く持つことでしょう。
最も重要なのは、そうしたことから自由に意図的に視点を転換できるようになることです。

も-、今の学校教育は、それがわかってない!
教える方がわかってないことが多いと思います。

積分定数さんが酷い例としてあげた方の思考法、めちゃくちゃですよね。高校教員として、私はこの人の高校時代の勉強法とマーク試験と記述試験の成績を知りたい。

近頃思うのは、私までの世代は、かなりマトモな初等教育を受けさせていただいたということです。
昔の文部省に私は感謝してます。
当時はまだ大学進学者数も少なく、よって、教科書やカリキュラムなどを作る人は、それなりに学問のなんたるかをわかっている方たちだったのでしょうね。

はあ。。

Unknown (積分定数)
2013-01-28 14:01:27
>ことに数学の場合、作問者と異なる思考法を取ると、絶対に解答できないでしょう。

たしかに、問題文の誘導に乗れないとやりにくいですね。
http://8254.teacup.com/kakezannojunjo/bbs/t21/582-585

>近頃思うのは、私までの世代は、かなりマトモな初等教育を受けさせていただいたということです。

これにかんしては、今思い出しても、変な先生はいたし、どうなんでしょうね。代用教員がいたのも覚えています。それでも何とかなっていた。教える側もいい加減で、それが、良い加減だったのかもしれないと思います。答えさえ出ればうるさいことは言わない、うるさいことを言う方も面倒くさい、といことで結果的に良かったのだと思います。

 困った算数の授業をする先生は真面目な人が多いようです。


 以下は推測ですが、算数の教科書がおかしくなったのは、約20年前の「新学力観」と関係があるかもしれないと思っています。

 直接両者に因果関係がなくても、何らかの関係がありそうです。

 そのころ、「日本の子供は計算は得意だけど思考力がない」という声があって、「考え方を重視しよう」という動きがあり、それで、「足し算の意味は合併と増加」、「引き算は求残と求補と求差」、「これらの式の意味をしっかり教えよう。区別させよう」などと、むしろ逆に自由な考え方を制約する方向にいってしまったように思えます。

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