鍋島直正-11 2015-08-16 06:55:23 | 長崎の歴史 盟友であった大老の井伊直弼が桜田門外の変で横死した後の、 激動の中央政界では佐幕、尊王、 公武合体派のいずれとも均等に距離を置いたため、 「肥前の妖怪」と警戒され、 参預会議や小御所会議などでの発言力を持てず、 伏見警護のための京都守護職を求めるものの実らず、 政治力・軍事力ともに発揮できなかった。 長崎の歴史 « 鍋島直正-10 | トップ | 鍋島直正-12 »
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