古美術 崎陽

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幕末の長崎で活躍した人~小松帯刀(9)

2010-05-10 18:15:05 | 長崎の歴史
「小松清廉」


(9)


平成20年(2008)のNHK大河ドラマ『篤姫』では

主人公・篤姫の幼馴染という設定で、

篤姫との友情・恋慕が描かれた。

しかし、実際には両者が接点を持っていたという記録はなく、

これらのシーンは全てドラマ内の創作である。


坂本龍馬と小松帯刀は、

天保6(1835)年の同じ年の生まれである。

どちらも27・8歳頃から、国事に奔走し始め、

龍馬は大政奉還の直後に33歳の若さで

帯刀は明治新政府成立後まもない明治3年(1870)36歳で

命を落とす。

坂本龍馬が天下の大人物として9人をあげ

その中に小松帯刀の名もある。

新政府の人事構想では、

西郷、大久保、桂らを抑えて、筆頭に挙げられていた。


『幻の宰相』といわれた。

下級武士に過ぎなかった西郷や大久保らを

近代日本史に残る英傑へとその才能を引き出し支援したのが、

27歳の若さで薩摩藩家老となった小松帯刀その人だったと

いわれています。

ちなみに、小松は西郷よりも7歳、

大久保よりも5歳年下でした。

当時、身分差にうるさい薩摩では珍しく

開明的な人物で、実力主義者だったともいえます。

若くして死んだ事もですが

功を誇らなかった人柄からもと言われています。

龍馬が生きていれば戊辰戦争はなかったともいわれるが、

もしも小松帯刀が生きていれば

西南戦争の悲劇は防げたのではないかとさえ言われている。


鹿児島市原良町にある小松帯刀屋敷跡には

樹齢約300年といわれる臥竜梅がある。

幕末の偉人たちも見たであろう梅の花。

毎年、春の訪れを伝えてくれているそうだ。

薩摩藩はよそ者の入国をかたくなに拒んだ国だった。

だが、幕末の小松邸からは

龍馬がたしなんだ三味線や、

帯刀が得意とした琵琶の音色が

賑やかに聞かれたかも知れない。


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