堂島米会所
大阪堂島米会所淀屋が淀屋橋南詰に創設した米市場は、
元禄10年(1697年)に新地が開発された堂島に移転し、
享保15年(1730年)には江戸幕府公認の米市場となった。
諸藩や米商人の蔵屋敷は中之島に135棟が並ぶなど、
江戸時代の大坂は物資集散地として市場経済の
中心地となり大いに賑わった。
堂島米市場は幕末まで活況を呈したが、
明治に入り米の流通に統制が効かなくなると
明治政府は各地の相場会所を閉鎖し、
明治2年(1869年)に堂島米会所は閉鎖された。
堂島の衰退を案じた礒野小右衛門、
武富辰吉らは米市場再興運動を興して
明治4年(1871年)に堂島米会所を開設、
明治9年(1876年)には五代らが中心となって
保証有限会社堂島米商会所を設立した。
長崎の歴史