古美術 崎陽

古唐津 茶碗 他お茶道具等 古美術全般を取り扱う「古美術崎陽」のHP日記

幕末の長崎で活躍した人~「富岡鉄斎」~14

2012-10-06 04:45:56 | 長崎の歴史
~補足~4


20代半ばの文久元年(1861)に

「支那、阿蘭陀の事情を知ろうとして」

長崎に一年間遊学。

南宋画などの人気の高かった南画家で僧の

春徳寺祖門鉄翁に学んでいる。

長崎から帰った鉄斎は聖護院村で私塾を開く。

蓮月尼の勧めで、慶応3年(1867)

近くに住む円山派の絵師・中島華陽の娘と結婚した。 

翌年長女が生まれるが、

2年後に明治天皇が再び行幸するのに供奉して

鉄斎ははじめて東京に行ったが、

その留守中に妻は病死してしまう。

このころ鉄斎は彼の私塾の講義の草案をもとに

『称呼私弁』を出版している。

これは「称謂名文は文筆者が最も注意しなければならぬもの」

として、和漢古今の文献を渉猟し、

諸学者の説を掲げ、自説をもって批判している。


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