天地わたるブログ

ほがらかに、おおらかに

見よ翠富士の剛腕

2023-11-22 07:36:43 | 大相撲

高安の猛攻をしのぐ翠富士

大相撲九州場所、前頭5枚目の翠富士の相撲が光っている。
7日目北青鵬と水入りの長い闘いで負けたとき3日分の疲労を背負い込んだのではと懸念したが、以後、8日目妙義龍を掬い投げ、きのう高安を小手投げで下した。妙義龍戦では寄られながらのとっさの剛腕で相手がすっ飛んだ。きのうの高安も正対して押されて危ないと見たとき翠富士は相手から身を引き離し間合いを作って投げた。対戦相手はみな大きいので見る方はいつもハラハラしつかまって押されればああ負けかと思う。しかし、翠富士は機を見るに敏でありとっさの相撲勘が冴える。最近は並はずれた腕力があるのではと思う。
翠富士の体は全身これ筋肉ではなかろうか。身長171cm、体重117kg。もう10 kg体重があったら少し楽になるか動けなくなって不利になるか。とにかく怪我をしないで長く幕内にいて欲しいと願う。同じような小さな体で活躍した舞の海さんが「私と違って真っ向勝負するのが魅力。私は怖くて立ち合い当たれなかった」と称賛する。

伊勢ヶ濱部屋は横綱照ノ富士が長期離脱しているが熱海富士8勝2敗、翠富士7勝3敗と個性異なる二人が元気である。

とっさに左腕をたぐる

小手投げが決まる

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落葉は空からの贈り物

2023-11-20 10:20:04 | 身辺雑記


きのう結を武蔵台野球場横公園に連れて行った。公園の名前は知らない。むかし鳩に餌をやる老人3人組がいたところである。ここの滑り台は高いうえに空間の多い梯子を渡らなければならず結は怖がる。なじまない公園であるが欅の大樹が多く多量の木の葉が散在している。
結はそれに夢中になった。なにがおもしろいのか落葉を手に持って何度も宙から降らせる。同じ趣味の女の子がいて助手のようにくっついて遊ぶ。子供は大人からとうに消えてしまったものへの関心をしかと持っている。芭蕉が3歳の子供のこころで俳句を詠め、とはよく言ったものである。それはわかっていても3歳にはなれない。余計なものをいっぱい身につけてしまったことを結を見て感じるのみ。

いま思うと、結にとって窓枠は店であり、アイスクリームを売っているらしい。



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玉砕に美あり翠富士

2023-11-19 06:47:31 | 大相撲



大相撲九州場所七日目。北青鵬と翠富士の対戦に注目した。
北青鵬、身長204.0cm、体重177.0kg。
翠富士、身長171.0cm、体重117.0kg。身長で33 cm、体重で60 kgの差がある両者。まるで大人と子供である。北青鵬は恵まれた身体ながら今場所は4連敗して2勝4敗という情けない成績。この一戦はまわしを取れるので勝てると予想し勝ったのだがその中身はひどかった。
まわしが取れたのは自分が大きく手が長く相手が小さいからである。何か工夫したわけではない。まわしを取ってから自分では何も仕掛けずただ相手が出るのを待っていた。それで4分経過して水入り。その後もただ立って受けていた。翠富士は果敢に攻め足技で揺さぶったり投げに行ったりと見せてくれた。しかし相手が大きすぎて揺るがない。6分41秒翠富士は下手投げに行ったところを潰すような上手投げでやっと仕留めた。
連敗を4で止めた北青鵬は付き人とグータッチして笑顔を見せた。「相手の攻めを待っていた。疲れはなかった。」とけろっとしていたが、情けないのひとこと。
いつもは上手一本で相手を振り回して決めるがきのう翠富士にそれができなかった。そうすれば返されて負けそうな予感があったからだろう。翠富士は身体に恵まれていないが心・技が充実していて自力がある。ただし体がない。
一方、北青鵬は体だけがずば抜けて心・技はまるで空虚。相撲文化というようなものがまるで体の中にない。北青鵬が突っ張りを覚えたら横綱を狙えると書いたがわかっていればすでにそうしているだろう。やはり体だけの男か。
相撲は強いだけでなく美しくあらねばらなぬ。やっと勝った相手から学ぶことは多いだろう。勝ってグータッチしている場合ではない。
負けた翠富士に太平洋戦争で負けた日本が重なった。戦争が長引けば長引くほど勝ちは遠のいてゆく。待っていても負けるなら自分から仕掛けよう。悲愴な敗戦であった。

下手投げを打ち返されて散った翠富士


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敗荷や休むと言はず休む人

2023-11-18 07:50:20 | 俳句


小生の運営するネット句会でもっとも古いのが「流星道場」。13名全員鷹同人である。小生が立ち上げて全メンバーを引っ張ってきて構成した。よってこの会の座長である。途中から大西正輝氏の開発した「俳句の壺」を導入し句会運営は劇的に改善した。座長の役目は投句から選句へ、選句から結果発表への切り替えと、兼題当番を決めることと減少した。切り替えは小生が死ぬなどの支障を鑑みパスワードを全員に公開した。これで座長の役目は兼題当番を決めることだけになった、と思った。
けれど人が集まっているところには問題が必ず生じる。それは参加者の健康問題等であり予期せぬ欠席である。

いちばん健康問題を抱えているのがB氏。彼は現役のとき金融関係で働いていてアメリカのハーバード大学へ派遣されて10年経済学の研修を積み、博士号を取得したという経歴を持つ。帰国して経済より俳句のおもしろさに取り付かれたらしい。小生は龍ヶ崎句会で彼に会い、変な句を書くので「流星道場」に誘った。そのとき周りの人が「ハーバード大卒よ」と言っていたのはそう外れてはいなかった。
B氏は大きな交通事故を経験して後遺症にずっと苦しみ入院と退院を繰り返す。先月はインフルエンザ予防接種後の嘔吐、高熱で入院し、句会を欠席した。小生は今月は復帰するだろうと思ったらその通りになった。けれど投句してまたすぐ入院した。
11/17、B氏から連絡が来た。「選句が最終になり、すみません。携帯はナースステーション保管で、午前午後各30分利用できますが、回診や検査で使えない日もあります。なにかとご迷惑をおかけすると思いますが、唯一の楽しみなので、お赦しください。昨夜から気圧の急変で喘息が酷くなり、ステロイドの点滴も余り利かなくなり、食欲もなく、頑張り所です。」

B氏の場合健康問題が歴然とあるので休んでもそれは理解できる。流星道場が「唯一の楽しみ」というのは嬉しいではないか。
困るのがA子。しばしば無断欠場する。今月も無断で休んだ。彼女とは福岡で十数年前吟行をして知った。当時、ばりばりの看護婦であった。それから研鑽を積んで今、若い看護士を指導する取締役みたいな立場だと聞いている。小生より10歳は若いはずである。1回は投句したものの選句をしなかった。そのときすっかりそれを忘れていたというのでえらく驚いた。投句と選句はセットという感覚をたいていの俳人は持つ。
仕事が忙しいのは理解できるがこうも20日を失念するとは、アルツハイマーが始まっていないか懸念する。そうであったら職業柄、とても笑えない事態である。
もしかして忘れているのではなく俳句ができないのではないか。本人は頑張っていて19日になっても3句しかできない、ということかもしれない。それで休むとも言えずにずるずるしてしまう。そうだとすればA子はそうとう苦しいだろう。しかしそれに手を差し伸べることはできない。

句会というきわめて狭い人の集まりにおいていろいろなことが生じる。A子もB氏も見ているしかない。A子さん、辞めてください、とは言えない。しかと欠席の意思表示をして欲しいと思う。

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湘子は11月中旬どう詠んだか

2023-11-16 05:38:07 | 俳句



藤田湘子が60歳のとき(1986年)上梓した句集『去來の花』。「一日十句」を継続していた時期にして発表句にすべて日にちが記されている。それをよすがに湘子の11月中旬の作品を鑑賞する。

11月11日
辨当の壓されし飯や神の留守
弁当の飯が押し付けられて美味くないとよく思う。特に焼売弁当でそれを感じる。この感覚にやや寒くなってきた神無月とが呼応する。
鶏頭の芯に到らず夕日消ゆ
鶏頭という花は桜や菊と違い花弁という感じがまったくない。よって「芯に到らず」という心理を納得する。秋の暮の感慨。

11月12日
丹波とふ國は行かねど薯蕷(つくねいも)
つくね芋は通称大和芋とも呼ばれ長芋の仲間。丹波は山国にてつくね芋がよく採れるのだろう。行かないところへの挨拶句である。
山茶花にいま燈のつきし袂かな
「山茶花にいま燈のつきし」はすぐわかる景色。庭にこれが咲いていて家の廊下なの電灯がついたとみる。これに対して「袂かな」が意表を突く。電灯をつけた人(女性)がそこにいるのか。ともかくこの下五への飛躍は凄い。

11月13日
冬といふほのめきに川けぶりをり
「春といふほのめき」ならわかるが冬である。常人はほのめかないのだが……。
宿帳のわが名わが歳冬に入る
旅をした。宿帳を出されて記名した。ああ年を取ったと感じたのか。「冬に入る」は納得できる季語であるし、この些細なことを句になした技量はやはり先生である。

11月14日
干蒲團絵巻のやうにうち竝び
巨大な団地の百も二百も並んで干されている蒲団を思う。「絵巻のやうに」で美しい句にになった。
夜學生泡なすものを飲みて去る
コカ・コーラみたいなものか。やっと授業終わった、眠かったなあ、というところ。季語に「泡なすもの」を合わせたところに芸がある。

11月15日
菊師ほど冷たき指はなかるべし
要するに菊という花が冷たいのである。ほかの花と比べて実際はどうか知らぬが心理的に菊は冷たい。それを菊を扱う人に託した、その指に。湘子の基本は繊細なのである。

11月16日
長汀に道来て合へり秋の暮
「長汀に道来て合へり」の解釈に悩んだ。普通、「桟橋にAと会う」という形で文脈をなすところ「長汀に道来て合へり」であり、会ったのは人ではない。歩いてきた道が汀になって行った、というだろう。このレトリックにしばらく翻弄された。

11月17日
踏切の長鳴り湖の白鳥へ
たとえば琵琶湖のそばの湖西線を渡ろうとするようなときか。むこうの湖に白鳥がたくさんいる。広がりのある風景句である。切り取り方が巧い。

11月18日
百千の鴨日の波へ日の波へ
17日の湖と同じところか。たくさんの鴨と広い湖が簡潔に描かれている。湖にいるたくさんの鴨を見て句を書けと言われて、このような句を小生は詠めないだろうと思って読んだ。言われてみるとできそうだが、ここまで持ってこれない。
覚めてまだ大枯野より他知らず
朝、目が覚めて窓の向こうに広い枯野を見た。それだけのことを詩にしている。この句も巧みなレトリックが冴える。
鮭漁も末の死屍なり洲といはず
下五の言い方に芸がある。「洲といはず」の次を省略していて補えば「瀬といはず」であろうか。要するに川じゅうが鮭の死骸でいっぱいなのだ。18日の3句のレトリックの巧さは際立っている。俳句は表現を磨かねばならぬと痛感する。

11月19日
鮭のぼるみちのくのこの朝月夜
朝方の月がそうとう明るい。そこを鮭が上ってゆく。見たままだが力強い。
鮭番屋晴天にして誰もゐず
晴天なら働いていそうなものだが無人。そこがおもしろい。

11月20日
望遠鏡白鳥の首大寫し
百円入れたら大きな首が映った。なんだ白鳥の首かといた驚き。瞬間の印象を詠むのが俳句である。
雁の竿東北線をよぎりつゝ
東北線をもってきて一句になった。鉄道の旅情を雁の飛ぶ風情と重なる。
菊人形問答もなく崩さるる
そりゃ相手は菊だから壊すぞといっても答えはない。けれどそう言ってみてそこに抒情が通う。菊人形の一物として秀逸ではなかろうか。
コメント (1)
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