天地わたるブログ

ほがらかに、おおらかに

最後の藪を楽しむ

2023-11-02 05:07:27 | 身辺雑記

背高泡立草のむこうの最後の森で胡桃を拾った


きのう多摩川へ胡桃拾いに繰り出した。今季7回目である。
ブルドーザーやショベルカーが入って樹木や藪を一掃したわきに最後の森があり、そこにまだ300個ほど胡桃はありそうと踏んでいた。
藪の中で1時間動き汗だく。結果380個をゲットした。最後の木も凄い籔で掻き分けて20個ほど探し出したときえらく嬉しかった。今年はトータル4270個拾った。そしてここでの胡桃拾いは終わる。胡桃の木がなくなる来年、ここでの胡桃拾いはない。
小生が河川に胡桃があると知ったのが4年前の2019年の秋。ここから4キロ上流の浅川へ句材を求めて行ったとき森番のじいさんに「胡桃要らんかね」と呼び止められたのが発端である。森の中の6畳ほどのところに胡桃がぎっしりとあり、持って行っていい、という。このとき父が割って食っていた胡桃を思い出した。
よし、戴こうということで自転車で4回これを運んだ。推定4000個あっただろう。なにせ割ればすぐ食べられる状態になっていた。ここまで手間をかけたものを呉れるというのが理解できなかった、ただただありがたかった。
このとき初めて胡桃は山より河川に多く生える木であることを知った。ならば多摩川にもあるはずと思い、見るとそこらじゅうに胡桃の木があった。人間は意識しないとそこにあっても見えないことを胡桃で知った。興味が行くことで物はやっと見えるのである。
以後3年で多摩川を主体とした河川で拾った胡桃は2万2500個に達する。自分自身で胡桃を拾ったのが3シーズンに過ぎないが10年くらい拾ってきた錯覚に陥る。それほど胡桃は小生に濃密な時間を呉れた。若いころ女にのぼせたのと同じような時間を胡桃が呉れた。恋である。
胡桃は拾ってから食べられるまでに時間と手間がえらくかかるせいかもしれない。1万6000個拾った2020年は毎日胡桃と接していた。洗浄、天日干し、胡桃割り、胡桃ほじり、と毎日胡桃をいじっていた。結の子守りをしなくていい時期であったから胡桃に専念できた。
今年は洗浄が面倒で夏ころやっと取り掛かったので今やっと胡桃を食べている。


いのこづちのような棘がぎっしりついた袋と靴。袋は捨てるしかない

来年、胡桃拾いは3.5キロ上流の四谷橋の森に限られる。拾ってもせいぜい1500個ていどであろう。でもその数を拾えるのはありがたい。そこも国土交通省が重機を入れて一掃することになるかもしれない。そのとき多摩川における小生の胡桃採取は完全に終わるだろう。年々体力が衰えるので国土交通省に引導を渡されることが妥当かもしれないと、観念している。

樹木と草を一掃したここがどうなるのか。


コメント
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