
九日目、対炎鵬戦で逸ノ城が審判にお詫びの一礼
9月21日付讀賣新聞によると菅内閣の支持率は74%とか。ふーん、そのうち落ちるだろういうほどの興味しかない。政治・経済はわからず大相撲などの細かいところが気になる。
それは立ち会いが合わずもう一度やり直すとき、力士が審判長の方を向いて礼をすることである。そのとき力士の世界に観客は不在で、自分の組織の上司しか視界にない。
協会が立ち会いの見直しをしたのは評価する。以前の相撲を見ているとまるで腰が下りない中腰で立っている。今の立ち会いは腰が沈んで手が下りて美しい。綻びた伝統を修復している。
それを徹底しているので監視も厳しく、違反した場合咎める視線がきついのだろうが、力士は下からのお偉方の視線など無視すればいい。
俺たちは立ち会いに生活がかかっているんだ。仕切り直しして何が悪い。というくらいの気概があっていい。見るほうだって呼吸が合わない立ち会いも興味深いのである。
間違ったらいちいち上司のほうを見てごめんなさいなどというのはプロなのか。これは一般に対しての礼を失しているのではないか。うちわのことを公の場でするべきではなく、必要ならば土俵の外でやるべきではないかと思うのである。
われわれはこのシーンを見て学ぶべきである。気がつかないうちに礼儀がうちうちの仲間同士のだけのものになっていはしないか。村の中さえ安泰ならそれでよく山を越えて向うのことには興味なしという意識がはびこっている。
わが国を象徴する大相撲に村意識が濃厚にあるのが気になっている。
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