
むかしチュニジアで古代ローマの遺産を一緒に見た旅友Мがやってきた。
Мはそうとうな世界史通。今度はマケドニアへ行ってきたらしくぼくの前にガイドブックを置いた。
マケドニア語ゆえさっぱりわからない。Мは表紙の銅像の人を指してこの人物がわかるかいう。
マケドニアで誰も知っている大物といえばアレクサンドロス大王である。
これは当たった。
あとはその家庭教師であったアリストテレスくらいしか知らない。
ぼくの持っている世界地図は古くてマケドニアはまだユーゴスラビア連邦に入っている。したがって首都スコピエがとりたてて目立つ表記がされていない。
現在この国は南にギリシャ、西にアルバニア、東にブルガリア、北にコソボとセルビアと接する。
旅友はマケドニアが誇るもう一人の偉人を質問したがぼくはわかなかった。アレクサンドロス大王のほかに知っているのはその家庭教師であったアリストテレスくらい。

旅友はマザー・テレサ記念館を訪れたという。
マザー・テレサは1910年8月26日オスマン帝国領コソボ州(現代のマケドニアのスコピエ)に生れたとウィキペディアはいう。
父が隣のアルバニア出身だったためマザー・テレサの記念館はアルバニアにもあるとか。観光の目玉を二つの国が共有しているそうだ。
旅友は箱舟伝説のあるアララト山(現在のトルコ共和国東端の標高 5.165mの山)あたりへ行かないかとぼくを誘うが断った。
あそこはクルド人居住区。彼らは独立したくてトルコ政府と対峙している。物騒だ。
もうバックパッカーをするほど若くないし変な死に方はしたくない。
「競馬で30万ほど当ったらね」といって別れた。
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