
褒めたい句、貶したい句が混在する不思議な句集である。ひとことでいえば玉石混交で
石のほうが多い印象。
難解で読み取れない句は少ないのだが、表題とした
はつこひに蓮見のうなじさらしけり
はよくわからない。
最初「はつひこ」と読み違え、これは信長がわきにおいたような美形草食系男子をイメージできいかにも竹岡らしい男色系の秀句と思ったが、抽象的な「はつこひ」でわからなくなった。なお「嫂」なら禁断の恋ゆえよく理解できるのだが……。
もう一句、
はつこひに浴衣の花が濃くなりぬ
もよくわからない。よもやこの「花」は「血痕」であろうか。というのは次のような句があるからだ。
少年は少女に触れず滴れる
こういう句があるので「浴衣の花」は少女の破瓜を連想していいのだが一句で立っていない花は弱い。
かくもあからさまに俳句を使いたい竹岡の真意がわからない。
竹岡の少年少女ものは異様に多い。それが彼の原点である「ふるさとのはつこひ」なる憧憬になるのか。
少年が少女と遁れ祭絶ゆ
少女には少年の雷よく見える
夏痩の少年少女月を研ぐ
少年が少女に請はれ灼きつくす
少年が少女跳び越え喜雨降らす
少年に瀧と聳ゆる少女あり
少年が少女へ銀河起こしけり
少年ヒルコ少女ヒルメに花野明く
少年が少女を探す原爆忌
少年の氷柱に少女赫へり
はっきり言って観念的でおもしろくない。
少年が少女の臍に霰置く
これはナイーブで茶目っ気があってニヤリとするが…。
とにかく観念的、抽象的概念から入っている句が目立つ。その一つが「比良坂」など日本の神話への興味。
比良坂の蛹のどかにして爆け
比良坂に水たばしるや百千鳥
比良坂に植う新しき桃の苗
雛市を抜け比良坂に出でにけり
啓蟄の黄泉軍(よもついくさ)のいろいろよ
比良坂を温く留めたる蝶番
比良坂のぬめりや蛭のなつかしむ
比良坂や涙のやうに蛆零る
人くさきとは比良坂の草いきれ
匂ひけり桃の比良坂緋の参道
竹岡はあとがきで「俳句は詩の特攻である」という。これに気づいたとき迷わなくなったというがナマの発想をそのまま見せるような露悪趣味に走っているように思えてならぬ。
炎帝を射る弓矢なら俺が死蔵
寒瀧に打たれ戦争とは俺だ
狐火にのしかかる骨灰の俺
「俺」という自己顕示をしたいのだろうな。すべて強引であり次の句あたりがのめるところ。
涅槃絵の端に吼えをる鬼が俺
参道にサルビヤ濡るる産科かな
うすものを着てねえさんはテロリスト
核ミサイル初日に二万発勃起
双六の上り全面核戦争
こういうことを川柳人の石部明などがかつて『バックストローク』で盛んに行っていた。この手のおもしろさをまっとうな俳句と竹岡は考えているのだろうか。
「詩の特攻」といってもここには青磁を爪弾くような詩の響きがないのでは。
ぼくは俳句の詩韻というのは青磁を爪弾いたときの音だと思っている。
竹岡はわざわざ石を詰め込んでいるように思うのだが以下の句には才能のほとばしるさまを見ることができる。以下の句は竹岡しか書けない珠玉といっていい。
手毬唄長者滅びて橋残る
抱かれて仔猫は少女灯しけり
幼帝の輿ほうたるのあふれけり
赤蟻の煮え熔くるごと群がりぬ
老兵が草笛捨てて歩き出す
人間の息に囲まれ原爆忌
町枯れてゆふやけ色の象の足
捨身とも天突き上ぐる鯨とも
世を憎む少女の息が鎌鼬
豊艶にして報国のイルカたち
俳句にしては破綻するほどいろいろなことを言いたがる質の竹岡だが、詰め込んで飛び散らせつつまとまりを得る能力は非凡。
狩られても腸が羽撃く血が吹雪く
これだけ悪態をつける句集はおもしろい。安心して悪態をつけるのはずば抜けた秀句があるからである。
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