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天地わたるブログ

ほがらかに、おおらかに

乳繰り合ってぬたくって一句

2023-06-15 05:14:32 | 俳句



小川軽舟句集『朝晩』に、「長靴で毬ちえちえくりて栗拾ふ」がある。
これを読んだとき、やられた、と思った。栗の毬を剝く長靴で「ちえちえくり」を使った適切さと大胆さに拍手した。以前から「乳繰り合う」を使って一句をなしたいと考えていた矢先、主宰に置いて行かれた気がした。
乳繰り合うは、男女が密会してたわむれあうことである。広辞苑は「乳」は当て字というがこの字もこの内容におおいに参加している、と小生は思う。英語でこれをmake loveとでもいうのか。明解だが薄っぺらで日本語の情念から遠い。
気を取り直し、蝶と菜の花の関係に「乳繰り合う」の可能性を探ったが浮いてしまった。「ちぇちぇくる」「ちゃちゃくる」といった言い換えもあり、音感が実体をほのめかすような和語を使いこなしたいとずっと思っていた。
こういった言葉の濃密さは一物仕立ての俳句をなすのに向く。一物仕立てを虫や動物でやりたいという気持ちは、「かたつむりつるめば肉の食ひ入るや 永田耕衣」を読んだときからずっと持ち続けている。肉が食い入るなんてどきどきする。まさしく性行為である。
近いところでは奥坂まやがいて初期から「蘭鋳の爆発寸前のかたち」(縄文)みたいな一物をものにしている。まやさんはラグビーでいうハードタックラー。対象にぶつかってボールを強奪するジャッグルを得意とする。その姿勢をずっと仰いできた。
二三年前から鷹主宰は鷹衆は取り合わせの句は巧いが一物は弱い。また柿を兼題に出すと柿日和、菊を出すと菊日和と情緒に流す傾向があることに警鐘を鳴らした。それはそれで一応の句になるが物足りない。もっと物に、季語そのものに向き合うべしと。それは自分自身も感じていた。俳句はまやさんのように物に正面からぶつかってスパークすることではないか。それを俺もやりたい。
配合の句はつくりやすいが忘れられることも多い。画期的な五七、または七五は覚えてもらえても、季語なんだったっけ、となることが多い。季語そのものを書こう。
枝の先尺蠖宙をぬたくるや わたる
この句はそう考えていない。目前の事態に言葉をあてがっただけである。尺蠖の動きを神秘と感じた。けれどこれからどうなるのか、こんなに動いて疲れないのか。
「ぬたくる」のほか「のたうつ」「のたくる」など似た言葉があり「のたうつ」はもっと大きな動物のほうがいいか、などと音感を楽しむとともに辞書を泉のように感じた。
あの尺蠖がその後どうなったか見届けていない。もう30分そこにいるべきであった。見届けなかったことに悔いが残る。まだまだ執念が足りない。


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