国分寺市民室内プール近くの森の中
藤田湘子が60歳のとき(1986年)上梓した句集『去來の花』。「一日十句」を継続していた時期にして発表句にすべて日にちが記されている。それをよすがに湘子の4月下旬の作品を楽しみたい。
4月21日
蝌蚪の紐細りしところなびきをり
蛙の卵は長い半透明の袋のようなものに入っている。それを蝌蚪の紐という。細くなったり太くなったりしている。微細なところに注目した。
部屋深く来てゐし虻と行きちがふ
驚いたことだろう。虻は外へ行ったのか。
4月22日
花過ぎぬ酒場に置いて船箪笥
船箪笥は文字通り船で使われる箪笥。欅材を使い、木目を美しく浮き出させる拭き漆が使われている。箪笥の前面に厚みのある金具が使われ強固。酒場の隅にあって絵になる。花過ぎが効いているかわからぬが存在感がある内容。
お吉忌はいつかと聞けば過ぎゐたり
斎藤きちの命日は3月23日。下田で芸者をしていた17歳の時、日本との条約交渉に下田に来ていたアメリカの初代総領事ハリスが体調不良で看護人を求めらた。これに吉は応えた。看護人なのか妾なのか憶測を呼び以後、外国人への偏見などから「唐人お吉」と呼ばれるなど差別を受けた女性。湘子は彼女にどんな興味をもっていたのか。
ちなみに小生は藤田湘子の命日(今月15日)をこの句を読んでやっと今日気づいた。やれやれ。
4月23日
垣繕ふ日を賈文に失したり
賈文は売文。原稿書きに垣根の修繕ができなかったという句意。原稿終えてやればいいのだからこれはかっこつけた句。
鴉の子生れて相模一の宮
「相模一の宮」へ行ったことがないが由緒ある神社だろう。この句はこの言葉の音感が効いて読んで楽しい。俳句はそれでいい。
ふくらんで割れたるガムや百千鳥
わかりやすい内容。百千鳥が来てうきうきする。ガムが割れたていどでは鳥は逃げないだろう。
4月24日
ラブホテルなども眺めや鯉幟
上五中七おもしろい。ラブホテルは派手な色や凝った外観があり見ものである。この季語で子供を連想するが子供のできる場所と連結させるのは下衆。
4月25日
嗄聲を放てば椿落ちにけり
嗄聲(かれごえ)はしゃがれた声。それで椿が落ちたというのである。まあついていける虚構の範疇。
4月26日
山の唄アスパラガスを炒めつつ
屈託がなくてよい。アスパラガスがうまそう。
泥の手の乾くはやさや蝶生る
いかにも春の遊びを感じる。健康感いっぱい。
4月27日
れんげ田に膝折つてまだ戀知らぬ
こういう把握の仕方に作者らしさを存分に感じる。この抒情こそ湘子である。
大楠の蔭のひろさの暮春かな
楠は大きくなる木。その蔭のひろさの暮春。季節を感じる。
4月28日
春の暮山の電車は山登る
俳句は当然のことを言って楽しくなる場合がある。箱根など思って愉快。
4月29日
金魚見ることを男にうながせる
うながしたのは女と考えられる。男は金魚などにそう興味がなかったと思われる。男と女の関係はどんなか、想像がひろがってゆく。
4月30日
佐保姫に仕へしぶりて虻低音
「佐保姫」は春を擬人化した季語。要するにこの句は「虻低音」がテーマ。それにいたる文言は蛇足であるが蛇足をおもしろく見せるのは芸。
紙風船ひとづまの息三たび込め
「ひとづま」は「人妻」であろう。この句を読むと人妻がえらく蠱惑的。「息三たび込め」のせいか。先生はほんとうに女好きである。だから俳句がふくよか。
一膳の筍めしに刻かけて
下五でそのうまさがよく出ている。
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