故・米倉八潮
長男・米倉八潮が去年11月30日に死んでからほぼ90日が経つ。鷹3月号が来て彼奴の死にまつわる5句が載った。主宰はよく5句採ってくださった。感謝している。葬儀以外で供養した気分である。
享年四十四
冬の暮検死にわが子奪はれし
親に死を曝し馬鹿たれ冷たいぜ
子の最期知る人の無し厚氷
子が死んだ冷たい階段に座る
凩や子を焼いてきて米を研ぐ
おまけに主宰は「秀句の風景」で2句を取り上げてくださった。
小川軽舟***************************************
子の最後知る人の無し厚氷 天地わたる
「享年四十四」と記された今月の連作から。「子の最期知る人の無し」とは誰にも看取られずに死んだということだ。どんな様子で死んだのか、どんな思いで死を迎えたのか。その気持ちを汲んでやりたくても作者の声は死者に届かない。外は厳しく冷え込み、厚い氷が張っている。それが作者の無念の分厚さを思わせる。
凩や子を焼いてきて米を研ぐ わたる
亡骸を荼毘に付して家に帰る。飯を食うために米を研がねばならない。自分が生者であることを突きつけられるその行為が、あらためて死者と自分を遠ざけるに違いない。
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主宰のコメントを弔問のように受け取った。弔意に叩頭する思いである。鷹では主宰が5句採るとき(月光集に入るとき)題をつけてくださる。それを無視して自分から「享年四十四」なる前書きをつけたのは、息子の死が早すぎたという気持ちからであったか。投句者のルールから逸脱したと思う。それをすんなり受け入れた主宰に感謝している。
「親に死を曝し馬鹿たれ冷たいぜ」以外の句は、事態に無理せず言葉をあてがっただけである。この句だけは感情のあふれるに任せた。このさい感情的になってもいいじゃないかとやけっぱちな気分であった。感情があふれて俳句としていいかどうかは知らない。あとは主宰に任せようという気分であった。よくぞ採ってくださった。
人は必ず死ぬ。その齢44は一般的にみて早いが、もう、それをうんぬんしたくない。あいつはいなくなってしまった。それだけである。
死は書いて決着をつけないと生きている者が前へ進めない。死んだ者はしようがない。生きている者が大事である。
諦めも祈りも岬冬夕焼
これが息子のことでその後できた句である。死は諦めるしかない。そして生きている者に対しては祈るのみである。何を祈るか。生きていて笑えるようにである。結をみていて彼が毎日何かに感じてわっと騒いだり笑ったりする。そんな時間を持って欲しい。息子が好きだった「ごきげんよう」である。