天地わたるブログ

ほがらかに、おおらかに

立秋と結婚の中身

2023-08-08 05:01:10 | 身辺雑記



写真は、今年の国分寺市のゴミ出しカレンダーである。
これを窓に貼った6月末日これからの2ヶ月の暑さを想像した。8月第2週の今日が「立秋」であることも意識した。

秋立つや瀬音にまじる風の音 蛇笏
暑さの中でゆだっていてもこの名句があるかぎり立秋が存在する。けれど蛇笏のころ立秋がかくも暑い日でなかったはずである。いま「立秋」は9月上旬にもって行きたい気さえする。立秋は中身が変わってしまった。
同様に中身が変わりそうなものに「結婚」がある。小学生のころ結婚と聞くと男と女の契りのことと思って顔が赤らんだ記憶がある。それが今、男と男、女と女の契りまで加えてほしいという風潮がある。それを国家が認めろという運動が起きていると聞く。
結婚という言葉は男と女の契りのことであってほしい。男と男がくっつくことに目くじらはたてないがそれに結婚という言葉をあてがうと何もかもめちゃくちゃになってしまう。「同性婚」が今のところいちばん穏当ではなかろうか。
立秋の中身と結婚の中身が変わりつつある。一つは自然、もう一つは人事とまるで別のジャンルのことのように見えるが、自然と人事はつながっているとうのが虚子の花鳥諷詠の考え方である。
人間が産業革命以来火を燃やし過ぎたから地球がべらぼうに暑くなった。そういう人類の歴史と男女間以外の結び付きを公に認定してほしいという欲求とは細い糸で通じるものがあるのではないか。人類が発展しているかどうかはわからない。変貌しているだけかもしれない。

葛切や世に追ひつかぬ辞書と我(鷹2005.9)
18年前にこの句を書いたが今やますます世の中との距離を感じる。蛇笏の時代との距離も。

コメント
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