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天地わたるブログ

ほがらかに、おおらかに

津波からてんでんこ逃げろ

2018-03-13 05:38:35 | 言葉


3月11日、讀賣新聞の東日本大震災記念の投書の中で次の一篇に注目した。
「津波、まずは逃げて」と題した岩手県塩釜市  佐藤勝雄さん(74)のもの。

あの日、二十年来のゴルフ仲間の友人が奥さんと一緒に亡くなった。海沿いに住んでいた彼は、巨大な津波の来襲を目の当たりにし、息子と孫の2人を2階の窓から屋根に押し上げた直後、津波にのみこまれた。
数日後、遺体安置所で友人と対面した。悔しかっただろう。だが、命を投げ出して愛する家族を救えたことに安堵しているのではないかと思った。
東日本大震災では逃げ遅れた高齢者を助けようとして命を落とした若者が多くいたと聞く。亡き友のためにも、若い人に言いたい。
大災害に再び遭遇した時、若者には復興を担う力と責任がある。津波が来たら、周囲にかまわず、自分が生き延びることを優先する伝承「てんでんこ」の勇気を持ってほしい。


佐藤さんのいう伝承「てんでんこ」に興味を持ち、ウィキペディアを当った。それによると、
「てんでんこ」は、「各自」「めいめい」を意味する名詞「てんでん」に、東北方言などで見られる縮小辞「こ」が付いた言葉。すなわち、「津波てんでんこ」「命てんでんこ」をそのまま共通語に置き換えると、それぞれ「津波はめいめい」「命は各自」になる。
「津波てんでんこ」「命てんでんこ」を防災教訓として解釈すると、それぞれ「津波が来たら、取る物も取り敢えず、肉親にも構わずに、各自てんでんばらばらに一人で高台へと逃げろ」「自分の命は自分で守れ」になるという


地に根差した方言の味わいがたっぷりあるし、中身もまた豊穣である。
日本人は人を気遣う気のいい人種である、欧米人に比べて。たとえば、時代劇はどれを見ても腕の立つ主役が弱き女、子供の前に立ち、八面六臂の活躍をしてこれを守る。自分はかすり傷ひとつ負わず…。
そういう美意識が行き渡っていると、とかく人助けをする意識が火急の場でも芽生える。

しかし、自分が自分の命をまず守れ、という佐藤さんの意見は正しい。お年寄りを大切には心情として理解できるが、土壇場の選択を考えると、若い命のほうが消えゆくそれより重視されていいだろう。これは生物界の摂理である。

わが家でよく話題になる事例がある。
いま35歳の次男が大学生のとき、妻(彼にとって母)とペルーを旅した。彼女でなくよく母などのお守りをしたと思うのだが、マチュピチュの遺跡からの帰り、怪しい男たちにつけられた。
息子は絶対、追いはぎと思ったそうだ。
息子は母に「俺、走るからね。助かりたかったらかあちゃんもは走れ」といって二人でわきめも振らず、走りに走り、難を乗り切ったそうだ。
たぶん、これでよかったのだろう。これしかなかったと思う。息子が時代劇のヒーローみたいなことをしていたら、二人ともいまこの世にいたかどうか。

「てんでんこ」で命を守るしかないのである。
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リベラルとは何ぞや

2017-10-06 06:21:36 | 言葉


衆議院の選挙があるのでマスコミは政党や政治家にリベラルだ保守だとかいったレッテルを貼る。
10月5日付讀賣新聞は2面で「リベラルとは何?」というコラムを設けてその解説をしている。
「日本では革新・左派と同義語」として冷戦期の旧社会党などの勢力を示す革新、左派のことだという。また「民進党リベラル系」にも言及し、社会党出身の赤松隆元氏の名前を挙げる。大まかにいえば憲法改正に否定的、自衛隊の活動範囲の拡大には反対という立場で、低所得者に手厚い所得再分配を重視している、とする。

しかし保守というレッテルを貼られている自由民主党のその英訳は「Liberal Democratic Party of Japan」である。こちらこそリベラルではないのか?
讀賣新聞のコラムは、民進党以外のリベラルとして自民党宏池会を取り上げ、自由主義や社会の多様性の重視などを掲げ、憲法改正には党内で比較的慎重な立場だ、とする。
わけがわからない。政治用語は情緒という衣がべったりまとわりついていて真相を見えなくする。

ぼくの見方、すなわち辞書に書いてある意味において、共産党や社民党は保守そのものである。
憲法は一切変えないというのは保守である。
憲法を変えようという自民党は革新ではないのか。わけがわからない。
共産党が天皇の存在しない国の形を目指すのであればそれは革新だが、ほかの面では保守そのもののように感じてならない。
政治家たちは真相を糊塗した言葉により自らを隠しごまかし、ムードで有権者を引き込む。その手助けを的確な言葉を使おうとしないマスコミが果たしている。
選挙戦などはそういったムードが滴るような用語を駆使して有権者を気持ちよくさせて票を得ようとする。
ヒットラーに通じる人をたらしこむ術である。

情緒たっぷりの言葉を反面教師にして俳人は、物と言葉の一対一の関係を意識すべきだろう。
小川軽舟鷹主宰は大西朋の『片白草』において、「あるものを表す言葉は、そのものを表す以外に何ものも表さない」と指摘している。これは言葉が情緒化して実体から離れることを戒めたものである。大西の言葉の誠実さ、物と言葉の一対一の精度の高さを称えている。
野球にたとえると打者は来たボール真にバットの真を当てなければならない。その結果、バットの軌道とボールの飛び出す軌道は直線的になるのがいいということである。両者の真が外れるとボールの飛ぶ方向が予測できない。
政治家たちはわざと軌道がわからなくする言葉を使って有権者を煙に巻いて幻想を見させる。
けれど俳句はそうであってはいけないのである。

リベラルだ保守だといった実体がわからなくする言葉を排除しないかぎり俳句に詩は生まれない。
リベラル、保守といった類は俳句をやる者にとってとてもわかりやすい使ってはいけない言葉の見本なのである。
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読書甲子園「ビブリオバトル」

2016-09-07 04:41:34 | 言葉


「ビブリオバトル」を訳せば「良書推薦合戦」とか。
人が集まって互いに面白く読んだ本を推薦し、聞き手の興味を引いた度合いを競いあう競技である。協議は日本各地で催されているが、全国規模の大会が読売新聞の主催のもとに開かれ、2015年の高校生の部では参加校数650に上り、予選を勝ち抜いた36人が500人の観客の前で戦う、という一大行事にまで発展した。

9月5日付読売新聞の1面の「地球を読む」で山崎正和氏(劇作家)の寄稿した一文は論旨明解、展開の鮮やかな質のいいものであった。
小生は「俳句甲子園」に審査員としてかかわったので「読書甲子園」なる切り込み方に大いにひかれた。
人の薦めで本を読むことも結構ある。小生にとってヨミトモF子は新たな世界へ導く使者である。

山崎氏はビブリオバトルがなぜ成功したかについて、人は感動体験を他人に伝えたい本能のようなものがある、としている。
生物は共同体の中に生きる存在であり、人間はその共同体を言葉によって固めてきた。
言葉は古くから噂話や伝承、神話、つまり物語を伝えてきた。
語り継ぐということが人間にとってきわめて大事であり、物語は人から人へ伝わる回数が多いほど信憑性を得てゆく。

山崎氏の論考の優れているところは、ひとつの事物を多角的に検討できる視点である。
実をいえば、近代の個性的な著者も生涯に無数の本を読み、そこで学んだ言葉によって知性と感性を磨き、そのうえで書いているのだから、創造とは語り継ぎの一種だともいえるはずである。
山崎氏が語り継いでいるのは谷口忠太氏の『ビブリオバトル―本を知り人を知る書評ゲーム』(文春新書)。

言葉の再生産、再再生産をして人は日常を楽しんでいることに気づかせてくれる。
オリジナルとはなんぞや、ということを意識し、カオスの中の言葉を思ったりした。
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俳句とドイツ語

2016-08-03 16:36:49 | 言葉

Eテレ「100分de名著」より


先日、岸孝信さんから句集『ジタン・カポラル』をいただいた。集中して読みブログに感想を書くとともに礼状を出した。
この手紙に対して岸さんからていねいな手紙をいただいた。恐縮した。
この中で岸さんは、
物が先か言葉が先かはカント哲学の最大の課題の一つだった
というような指摘をしていた。
ヤバい! 岸さんはドイツ語ないしドイツ哲学か何かを大学で教えている方と仄聞する。
岸さんにぼくが近寄りにくかったのはドイツ語がぼくよりはるかにできることが遠因であったかもしれない。
ぼくも大学では独文を専攻しゲーテのミニヨンの詩など研究していたが、ドイツ語はまるでものにならなかったのである。ましてや難解なカントは数ページ読むと睡魔に引きずり込まれていた。

今朝Eテレの「100分de名著」でカントを見たのだが、テーマは戦争防止論であり物と言葉をめぐる観念論をてっとりばやくつかむに至らなかった、嗚呼。

上智大学でぼくがいちばん感銘を受けたのは木村直司教授であった。
彼はトーマス・マンの短編を教科書にしてその一字一句を、ええそこまで読むか、というくらい徹底して読み説くことをして見せた。
それは動詞の名詞化であるとか、その言葉の出所であるラテン語ではすこしニュアンスが異なるだとか、定冠詞がDemだから倒置型文型であり冒頭にあっても主語には成り得ないだとか…。
すなわちテキストはまず正しく読まれるためにあるという認識を植え付けられた。
その過程でドイツ語は言語構造の精緻さとあいまってまぎれなく意味を伝えられるものであることを知った。
日本語が得体の知れぬ「言霊」の影響を受け、読みもムードに流れることの多い風土においてドイツ語はロゴスであるということを知った時間であった。
木村先生の授業は1時間でわずか数行を読むだけであったが、ここで知ったドイツ語のエッセンスは大きかったように思う。

先日、俳句甲子園神奈川地区予選を終えて審査員をつとめた田中亜美さん等と慰労会(飲み会)をした。
そこで彼女が突如「ザッハリッヒ、ザッハリッヒ」と言い始めた。ああ、ザッハリッヒはsachlich、ドイツ語であったか。
彼女もいくつかの大学でドイツ語を教えていると知り、岸さんに対するのと同様にヤバい!と身構えた。
Sacheは英語のthing、物のことである。よってsachlichは「事実に関する」「物に即して」いった意味でありこの語感とあいまって物が意識を押してくる印象がある。

このとき俳句で典型的にザッハリッヒな句として
かたつむりつるめば肉の食ひ入るや 永田耕衣
がひらめいた。
俳句でいう「嘱目」は、現実の物に言葉を添わせるようして成すことをいう。写生という技法である。先行する物を言葉が追いかけて追いつめて隙間をなくすようにする営為である。
まさにザッハリッヒである。

わだつみに物の命のくらげかな 高浜虚子
この句は「物の命の」と言葉に物があるものゆるいハンドルのように言葉が遊んでいる。簡単にいうと海に生きてくらげがいますというだけのこと。ドイツ語に翻訳するのが至難な領域である。
かたつむりの交合を可視化した耕衣のザッハリッヒとは対極にあるだろう。
虚子は海月を写生しているのではなくそれが置かれている雰囲気を書いている。この句は物が先というより作者の思いが先、つまり言葉が先といっていいだろう。むろん虚子に海月を見てきたという蓄積があったとしても。
言霊、物の怪、生命といった言葉以前の要素が入り組んだカオスを「物の命の」という日本語独自の修辞で大づかみしている。
日本風アニミズムといっていいだろう。生命のおおらかさ、不思議さ、そしてはかなさも言葉の調べに乗せて象徴化させている。

耕衣も虚子も同じ生命をテーマにしながら手法の違いにより見え方がずいぶん違う。
岸さんがカントを引いて提示した「物が先か、言葉が先か」という問題をぼくなりに考えてみた。
いずれにせよ言葉は観念である。
ぼくは句会でよく「その句は観念的だからよくない」などと評するが、そう言いながら言葉は所詮観念なんだ、観念という言葉を皮相的に使っているなあといつも思う。
写生ということを強調するように句を仕立ててみても言葉が観念であることは間違いないのである。
物が先でも言葉が先でもどちらでもかまわない。
俳句は飯島晴子が言ったように、景が見えるが言葉が立っているか、なのである。この二つの要素は秀句において同時に果たされることが多い。
このとき晴子さんの中に「物が先か、言葉が先か」という意識がありそれを端的に述べたものであろう。

岸さんに9月奈良でお会いするだろう。そのとき岸さんがドイツ観念論をぼくに手ほどきしてもいいと思うくらい認識できていればいいのであるが。
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書いてはだめそうなるから

2015-08-12 04:52:32 | 言葉


左目の網膜剥離で入院した初日、ベッドで仰向けになって、白い壁や薄緑のカーテンをながめていた。
やおら言葉が俳句になってきて手帳に書きとめた。
手術後の自分を想定したものも浮かんだ。
たとえば、

蜩や右目は見えて俳句書く

と書いてぞーっと怖くなった。
「こんなこと書いたら俺の左目は失明する」という思いが駆けめぐりこの一行を消そうとして、自分が「言霊信仰」に侵されていることに愕然とした。
そのことについて言葉を発したり書いたりするとそのことが出来する、と考えるのを「言霊信仰」という。
言葉には霊力があるという考え方であり、われわれ日本民族の心性に萬葉集のむかしからがっちり根を張っているものである。

井沢元彦は『逆説の日本史3-古代言霊編』でこのことに言及しユニークな歴史論を展開している。
彼の指摘によると、桓武天皇が都を移しそれを「平安京」としたのはそういう命名をすれば平安が来ると信じたからだと断じる。その際、「山背国」を「山城国」と改めたのは新都に城壁をこしらえなかったのを補うためであったと。
井沢は「言霊ある限り日本に本当の自由はない」と指摘する。

言霊信仰は、言ったことと起こったこととの間に因果関係を認めることである。
十年ほど前に大腸がんで死んだ友人のこと。
彼女は死ぬまで自分がそれまでの人生でなにか悪いことをしたのでばちが当たって死病にかかってしまった、と信じ込んでいた。
そういう思いに対してはどんな言葉かけも助けにはならなかった。
死ぬのはいたしかたないとしてももっと心は自由闊達になれないかと悔やまれてならない。
彼女も完全に言霊信徒であった。

受験生がいる家庭で「すべる」「落ちる」は言ってはいけない、婚礼の際、「去る」「切る」は言ってはならぬ。われわれはこういう風習を別に異常だと思わない。「剃る」「擂る」は災いを招く忌まわしい言葉ゆえ替りに「あたる」など使う。
「ちょっと顔をあたってくれよ」とその筋の者が理髪店で言ったり、梨さえ忌まわしく「有りの実」という言い換えさえ考案している。忌詞の根は言霊である。

入院生活初日に自分にないと思っていた言霊信仰があったことを知ったのはよかった。
「蜩や右目は見えて俳句書く」はむろん消さず、「蜩や右目は残り俳句書く」と強調したりして遊んだ。
からだで左右一対あるものに手足がある。
目、手、足のうちどの片方がなくなるともっとも不便かも考えた。

独眼竜政宗は片目で活躍したわけだし目はどちらかあればとりあえず見える。手足の片方はもっと不便かもしれないなどととりとめのないことを考えていた。
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