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天地わたるブログ

ほがらかに、おおらかに

哲学する小説by篠田節子

2014-05-06 04:25:50 | 文芸
  
直木賞作家、篠田節子にはまっている。
長編を一番読んだのが坂東眞砂子の14冊、次いで小川洋子の11冊であるが、篠田節子はこの二人に匹敵する魅力がある。
4月最終週に『弥勒』を読んだのを手始めに、『絹の変容』『Χωρα(ホーラ)―死都』『ゴサインタン―神の座』『女たちのジハード』と立て続けに読んだ。
ぼくの評価は
◎『弥勒』
△『絹の変容』
△『Χωρα(ホーラ)―死都』
◎『ゴサインタン―神の座』
〇『女たちのジハード』
であるが、直木賞選考委員たちの評価、選評は以下のとおり。

第116回直木賞候補『ゴサインタン―神の座―』1996
△渡辺淳一
「前作の「カノン」以来、自らのツボを得て、一段と成長した人で、今回もなかなかの力作であった。」「ラストの、男が女の生地へ入っていくところも、魅力的で美しいが、いささかつくりすぎた嫌いがある。とくに女が予言者的な能力をもちすぎるところは問題で、今回は著者の意図するところが、ややあからさまに見えすぎたようである。」
△阿刀田高
「あと一歩が足りなかった。」「私は、この作者の超現実の扱い方にはいつも違和感を覚えてしまう。(引用者中略)厳重な金庫が手を触れただけでポンと本当に開いてしまっては説明のつけようがない。」「とはいえ、この作者の力量は今回の候補作で充分に納得できた。」
●津本陽
「私は、作者の前期候補作の、心の内部へひそやかに下りてゆくような叙述がいいと思っていたが、今回の作品はどうにも納得できなかった。現実感が乏しい。」「話の後味は薄い。」
◎田辺聖子
「最も感銘を受けた」「一種のホラー小説とも読めるが、ラストはもろもろの思念が吹き払われて限りなくやさしくすがすがしい。」「リアリティある構成と、緊迫感にみちたたるみのない簡潔な文章がまことにみごとだ。」「篠田氏のお作品の中では一ばんのものと思った。」
■黒岩重吾
「アイデアの作品といえよう。読み易く前作より優れているが、この作品が持つ面白さはストーリーに頼っており、深みがない。」「彼女(引用者注:ネパールの女性)が神力を得て、夫を驚かせたり、信者を治したりするくだりは、小説としての密度が薄れてしまっている。」
■平岩弓枝
「着想が奇抜で、力の入った作品と思う。ただ、ネパールの奥地からやって来たらしいヒロインが生き神様になるくだりは余分ではないかと感じた。」
■井上ひさし
「新しい宗教集団が成立するまで、つまり前半は大傑作である。だが、その集団の核となる女主人公の失踪の理由がやや不分明であり、それを境に物語の質も文章の質も粗くなってしまったようだ。」
◎五木寛之
「前回の候補作『カノン』とくらべると、『ゴサインタン』ははるかに大きな可能性を感じさせる小説で、私に一票を投じさせる魅力があった。」
選評出典:『オール讀物』平成9年/1997年3月号

『女たちのジハード』第117回直木賞受賞 1997
△渡辺淳一
「全体として連作風であるが、個々には独立した短篇になっていて、そこにはおのずから出来、不出来がある。」「後半の短篇は小説的ふくらみが失せて平板になり、ジハード(聖戦)というには、いささか常套的である。」「この作家は前回の「ゴサインタン」前々回の「カノン」と、常に水準以上の作品を発表して惜しくも賞を逸してきた。この意欲的なエネルギーと安定感を合わせたら、すでに受賞に価する充分な力をもっている作家と見て間違いないであろう。」
◎阿刀田高
「もっともおもしろく読んだ作品であった」「連作短篇集として統一性を欠いているように読んだが、その一方で、一切がこの作家の腕力の前では、許されて魅力となってしまう。」「「ゴサインタン」のような力技も持っている方だ。期待はとても大きい。」
〇津本陽
「作者よりもながく生きてきた私の知らなかった、社会の機構を綿密に取材し、現代に生きる女性のたたかいの様相を教えてくれた。」「作品の出来ばえについてはとりたてて疵がなく、切れ味がいい。最後のページまで読者をはなさない迫力がある。」
△田辺聖子
「このタイトルは一考を要す。」「いつも負の札を引き当てて苦戦するところに女の人生の詩情もロマンもあるのだが、巻末近いあたりの短篇群は、冒頭の作品群の文学性を失う。しかし〈女の子〉の立身マニュアル、と読めば、文学性の代りに面白さがサービスされたといっていい。氏の危うげのない才能が、立証されたといえよう。」
◎黒岩重吾
「迫力には圧倒された。作者は数人のOL達に自己投入し、彼女達と共にのたうち廻ったような気がする。」「惹かれたのは男顔負けの強腕ではなく、恐怖に慄えながら前進する姿にリアリティを感じたからである。」「今回の氏の作品には、これまでの壁を突き破った強靭な小説の核が間違いなく存在している。」
◎平岩弓枝
「良いと思った。」「登場人物はみな威勢よく、力強く、いきいきと呼吸してまことに快い。」「女たちがよく描けているから、男たちもそれを反映するかのように存在感があって各々に面白く読めた。」
◎井上ひさし
「粒選りの中でも、さらに高い質を誇っていた。」「なにより感心するのは、現代女性が自分の人生をどう選ぶのか、あるいは選んでしまうのかを、人生の関頭に立つその姿を、もっと云えば、彼女たちの人生の大切な瞬間を、生き生きとしたリズムを内蔵する文章と弾みに弾む会話と軽やかなユーモアをもって描き出したことで、そこにこの作品の栄光がある。」
◎五木寛之
「いまさら言うまでもない当然の受賞と思う。」「今回の「女たちのジハード」は、優れた作家は常にオールラウンド・プレイヤーであることを示している。作中の女たちへの温かい目と、冷徹な目とが見事に共存して、複眼というか、対位法的な作品の構造に舌を巻く思いがあった。」
選評出典:『オール讀物』平成9年/1997年9月号

『ゴサインタン―神の座―』第116回直木賞落選
△渡辺淳一、△阿刀田高、●津本陽、◎田辺聖子、■黒岩重吾、■平岩弓枝、■井上ひさし、◎五木寛之
『女たちのジハード』第117回直木賞受賞 
〇渡辺淳一、◎阿刀田高、〇津本陽、△田辺聖子、◎黒岩重吾、◎平岩弓枝、◎井上ひさし、◎五木寛之
すなわち選考委員たちの圧倒的な賛同を得て篠田節子は『女たちのジハード』により第117回直木賞受賞を受賞した。

おもしろいのは津本陽と田辺聖子の評価が真っ二つであること。
『ゴサインタン―神の座―』に対して●津本陽、◎田辺聖子であるのに、『女たちのジハード』では〇津本陽、△田辺聖子。
これからわかることは津本陽と田辺聖子の性格、文芸的立場は水と油であること。よって二人の評価の基準また好悪の感覚はほぼ反対である、ということだろう。
これが『ゴサインタン―神の座―』と『女たちのジハード』という二つの作品の内容の違いを明確に語っているだろう。

小生は直木賞を取り損ねた『ゴサインタン―神の座―』のほうが篠田節子の本領ではないかとみる。これは「哲学する小説」なのだ。
憶測するに田辺聖子は篠田の哲学性を買っているのではないか。
『女たちのジハード』みたいな風俗もの(性産業の意ではなく当世の事象を写し取るような作品)なら自分だって書いている、けれど『ゴサインタン―神の座―』のような社会だの貧富の差だの階級だの宗教だのといった大きなテーマに怪奇性、神秘性をまぶした作風など自分の扱える範疇ではない、その点でこの人は凄い、というような感慨が垣間見えるのである。
篠田が直木賞候補になって落選した『夏の災厄』について選考委員山口瞳は「私は小説は男女のことを書くものだと思っている。もっとセクシーでなければ話にならない。キッチリ書き込んであるのにドラマ性に乏しい。」と酷評している。
これに対して五木寛之の「デビュー作の『絹の変容』以来、小説を作って(原文傍点)いこうという強い志向が篠田氏の作風にはある。この国の小説風土のなかに新しい世界をもたらす可能性を感じるといえば好意的すぎるだろうか。」は篠田の本質を見抜いていると思われる。

山口瞳と五木寛之のコメントは日本の文学の置かれている状況を端的に語っている。
『源氏物語』の昔からわが国の小説は色恋に季節感をまぶしたもので全小説の7割を占めるのではなかろうか。それを保守派の山口がズバリ指摘している。五木の発言のなかには日本にだって色恋だけじゃなくてドストエフスキーみたいな世界や神や倫理に踏みこんでいく作家が出てもいいのではないか、というニュアンスがある。

1997年の篠田は直木賞を取ってしまったので1998年の『弥勒』は当然直木賞選考座談会にかかっていない。
『ゴサインタン―神の座―』と同じ方向の路線であるこの作品を直木賞選考委員のかたがたはどのように見るのだろうか。小生は『弥勒』をはじめに読んだので篠田をまとめて読む気になった。『ゴサインタン―神の座―』をはじめに読んでも同じような気持ちだったと思う。
『女たちのジハード』はじめに読んでいたら次を読みたいと思ったであろうか…。
コメント (1)
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