氣楽亭 日乗

大阪生まれで奈良県広陵町の長閑で氣楽な田舎暮らしの氣功師が氣ままに綴る懐かしい昭和の年代記です。

信言不美 美言不信

2006-10-11 00:01:15 | 名言
老子の名言です。
「信言は美ならず 美言は信ならず」
老子の言葉を肝に銘じて美味しい言葉や綺麗な言葉に惑う事なく生きて行きたい
ものです。
甘い言葉や儲け話に乗せられて人生を台無しにしない様に注意したい。
お世辞や恋愛中の甘い言葉にはさほど実害は有りません。
金銭絡みの投資や金儲け保証人の依頼などは一つ間違うと取り返しのつかない
悲惨な状況に成ります。

蜜が溢れるような甘い話は信用出来難いと考えて下さい。
飾り気の無い話ほど信用出来るのでは無いでしょうか?
耳に痛い話はもっと信用出来ると思います。

大道廃有仁義

2006-10-10 08:05:21 | 名言
老子の名言 「大道廃れて仁義あり」
頃日のニュースは殺伐とした世相を写し出しているのか遣り切れない事件を報道しています。
日本人は病んで居るのでしょうか?
我々大人が病んでいるので少年少女も病んでいるのか?
子供は大人の模倣をします、恥を忘れた大人への警鐘なのか?
自信を持てない大人の社会への閉塞感がそうさせるのか?
老子が生きた紀元前の世相も21世紀と同様な社会で有ったのか?

「仁」・・・弱者を幇助し慈しむ心。
「義」・・・物事の道理に叶う事。
「大道」・・人の行うべき道。

此れも所詮は「無い物ねだり」なんでしょうか?

ブルーシャトー

2006-10-09 00:01:22 | 懐かしいメロデイ
昭和40年代の初めに「ジャッキー吉川とブルーコメッツ」の「ブルーシャトー」
が大流行しました。

そしてこんな替え歌も大流行します・・・
森トンカツ~ 泉ニンニク~ かコンニャク~ まれテンプラ~ 
 静かニンンク~ 眠ルンペン~ ブルーブルー~ ブルーシャトー・・・」

ブルーシャトーの歌詞の終わりが食べ物の名前になる・・・一箇所だけ違うが
何とも変な歌詞です。
ナンセンスながら面白くてつい唄ってしまいました。
何処の誰が作詞したのか? 不明です。
しかしくちコミで全国的に流行しました。
地方により歌詞は少し異なるかもしれません。
ここに紹介したのは大阪バージョンです。

違う歌詞があれば教えて下さいね・・・

ソーダー村の村長さん

2006-10-08 00:03:46 | 懐かしいメロデイ
幼い頃に唄った懐かしい歌です。
ソーダー村の村長さんが~ソダー飲んで死んだソーダー~葬式饅頭~
大きいソーダー~中の餡子は小さいソーダー~ソダーソダー・・・」
何だか不気味な歌でしたが大好きでした。
意味不明で洒落言葉が続くところが日本のマザーグースかも?

私は「ソーダー水」や「クリームソーダー」が大好きでしたから「ソダー村」が
実在すると思っていたのです。
しかし子供心に「ソーダー」飲んで死ぬの・・・?と不思議に思っていました。
それに大阪では葬式饅頭は見た事が有りません。

婚礼の大きな紅白の饅頭を貰いこの歌を唄って顰蹙を買いました。
母親には叱られるし・・・難儀な子供だったのです。

夜さり

2006-10-07 00:05:21 | 懐かしい言葉
夜の事を「夜さり」と言う言葉もほとんど聞く事が無くなりました。
昔に私のお祖母さんが言っていたのを覚えています。
奈良の方言でしょうか?
大阪でも聞いたように思います。

夜遊びして遅く帰って来るとお小言を貰いました。
「夜さりまで何処をほっつき歩いているのや!」
懐かしいお叱りの言葉です・・・


あいやこ

2006-10-06 00:13:00 | 懐かしい言葉
「あいやこ」も死語になりました。
品物を「共同で」とか「仲間で」使う意味です。
昔は皆が貧しくて品物を個人一人で独占して使用する事は少なかった。
雨傘や長靴、自転車なども家族や兄弟共同で使います。

私は一人っ子なので独占出来ましたが兄弟が多い家庭では「あいやこ」でした。
漫画本や野球のグラブ、バットなども同じく共同です。
社会性や協調性が「あいやこ」で養われたのでは?

個人が何時でも何処でも好き放題に使うのが当たり前に成った・・・
便利な事は否めませんが我慢や辛抱は養われません。

PC、TV、電話、自動車、etc・・・全てが個人的に何時でも使用出来る。
でもこれで良いのだろうか?
私は家族や夫婦共同でシエアしながら使う事も考え直したいと思います。
此れからは懐かしい「あいやこ」を復活させたいと考えている・・・

おんべこ

2006-10-05 00:02:01 | 懐かしい言葉
「おんべこ」と言う懐かしい言葉は大阪の方言でしょうか?
最近は死語と成ったのか・・・ほとんど聞く事は無くなりました。
「おあいこ」と言う意味です。
どちらかと言えば子供言葉かもしれません。

「痛み分け」が近い感覚です。
お互いに嫌な事をしたりされたりした挙句に報復合戦がエスカレート・・・
絶対に喧嘩に発展しそうな時に使われる言葉が「おんべこ」です。

休戦和平の「おんべこ」で何度も救われる。
納得出来なくて鬱屈したが「おんべこ」で水に流す。
なんとも素敵な懐かしい言葉でした。

Kent Club

2006-10-04 10:21:54 | 懐かしい思い出
昭和40年代の初めに「Kent Club」と言うお店が有りました。
周防町の畳屋町と心斎橋の間を南に入る小路の奥に有ります。
VANの直営店「Kent」の奥にそのお洒落な喫茶店が有ったのです。

我々より年上の素敵な常連さんが沢山いました。
生意気にも高校生の私達が最年少の客です。
洋服の着こなしや趣味の話・・・大変勉強に成りました。

その後時代は変わり「Kent」は「Mr、Van 404」へと変わる・・・
そして「Kent Club」も無くなりました。

40年も昔の懐かしい思い出です。

カフェテリアG・G

2006-10-03 00:42:49 | 懐かしい思い出
昭和40年代の初め三ッ寺筋と御堂筋の交差点東南の角に「カフェテリアG・G」
が有りました。
ガラス窓が大きくて素敵な喫茶店です。
何時訪れても我々の遊び仲間が誰かしらたむろしていた馴染のお店でした。
バナナジュースが美味しくていつも注文してしまう・・・
アメリカンスタイルのお店がお気に入りでした。

我々の先輩はジャズ喫茶の「バンビ」や「スーボン」にたむろしています。
お店の中が暗くてお客も年上が多く余り行きませんでした。
「カフェテリアG・G」は窓が大きいので店内は明るくて良い雰囲気です。

高校時代はこのお店で違反行為(喫煙等)は日常茶飯事でしたが・・・
幸いにも一度も補導はされませんでした。
生意気盛りのあの頃が懐かしい・・・

明治軒

2006-10-02 10:09:33 | 懐かしい思い出
昭和30年代の後半に心斎橋へ出かけたら「明治軒」で「串カツ定食」を食べる。
心斎橋の大丸百貨店の向かいに古ぼけた八百屋が有った。
その八百屋の奥に洋食の「明治軒」が有ったのです。

その当時は「串カツ定食」が150円でした。
温キャベツに串カツが5本付いてドミグラスソースが少々・・・美味しかった!
大阪の庶民に人気の名店は安くて早く美味しい事が必須条件です。

「安い!早い!美味い!」この三拍子が揃わないと・・・駄目。
大阪は食べ物商売の難しい場所です。
しかし最近の風潮は少し変わったように思います。
行列の出来る食べ物屋が大阪にも出現?
私は並んでまで食べる気にはなりません。

「明治軒」の「串カツ定食」に舌鼓を打ったあの頃が懐かしい・・・