昨年10月末に行ってきた芸予要塞のレポ、
年越してしまいました~ m(_ _)m
とりあえずUpして行きます。
-------------
●中部砲台跡
弾薬庫跡入口から中部砲台跡に向かいますが、ここから遊歩道の
勾配がきつくなり始めます。
四捨五入したら五十路という管理人、すぐにバテ始めます。
おまけに晩秋対応の防寒装備でしたので、熱がこもるこもる・・・。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/59/e1/dc7710fd9c4f101b4ef3058c22f7456d.jpg)
本道から中部砲弾跡に向かう道に入る頃には、汗だくになって
いました。
中部要塞跡に向かうコンクリ舗装路。
要塞建設時に舗装された舗装路でしょうか?
先ほどの弾薬庫から一発約220kgの二十八糎榴弾砲の
砲弾を運ぶことを考えれば、舗装していても不思議ではありません。
明治期の舗装路ですかね?
戦後、今治市が行った整備事業で整備された舗装路かも
しれません。
さてさて、急坂を登って行くこと数分後・・・
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/69/bd/99b418b595aa422cf6768a65a982696b.jpg)
中部砲台跡に到着。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/39/7b/5cf721b695869c09510f76d2ab4e92f1.jpg)
丸い円形の部分が二十八糎榴弾砲の砲座跡。
中部砲台には6門の砲が据え付けられていたそうです。
2門づつ3箇所に配備され、海峡を睨んでいたとか。
ちなみに砲台周辺は山で囲まれており、海上の敵艦艇からは
全く見えない構造になっています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4d/92/866179a638a4a629119b246bdc98eea3.jpg)
ここから司令塔からの指示により、敵艦艇に向けて射撃するわけ
です。
飛行機がない時代の戦いなので、敵艦艇からはどこから撃ってくる
か分からないわけで、非常に厄介な要塞だったといえます。
もっとも敵艦隊が来島海峡にやってくる時点で、戦況は日本に
とって非常に厄介な状況になっていたのでしょうなぁ・・・。
なお、ここにあった二十八糎榴弾砲は、前述の通り、日露戦争時に
取り外され他に転用。
中部砲台にあった砲のうち2門が最終的に乃木将軍の第三軍に渡され、
旅順攻略戦に投入されたとのことです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/34/3b/5a39f5a69e7c2048e1014bd9427dc3fe.jpg)
中部砲台跡にある地下兵舎。
こちらも実に丁寧に建設されており、100年以上前の建築物とは
思えません。
地元の方々による手入れも行き届いており、大事に守られているこ
とがよく分かります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/15/9d/05262d8bc23b10c45c2b34f03c10b40c.jpg)
中部砲台司令塔への階段。めちゃくちゃ急な階段です。
ヘロヘロでしたが、この階段を登りました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6e/f6/2030664f64c12b4fcea21b963e553c66.jpg)
頂上にある司令塔跡。
ここからだと来島海峡が一望できます。
海峡にやってくる敵艦隊の動きは全て把握できますね。
写真右側にある丸い穴は、おそらく伝声管でしょう。
ここから下にある砲台へ指示を出していたはずです。
今でも伝わるのか?
試そうという発想も気力もなかった管理人でした。
ここからの眺めはなかなか良いので、是非お立ち寄りください。
<<まだ続く・・・>>
年越してしまいました~ m(_ _)m
とりあえずUpして行きます。
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●中部砲台跡
弾薬庫跡入口から中部砲台跡に向かいますが、ここから遊歩道の
勾配がきつくなり始めます。
四捨五入したら五十路という管理人、すぐにバテ始めます。
おまけに晩秋対応の防寒装備でしたので、熱がこもるこもる・・・。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/59/e1/dc7710fd9c4f101b4ef3058c22f7456d.jpg)
本道から中部砲弾跡に向かう道に入る頃には、汗だくになって
いました。
中部要塞跡に向かうコンクリ舗装路。
要塞建設時に舗装された舗装路でしょうか?
先ほどの弾薬庫から一発約220kgの二十八糎榴弾砲の
砲弾を運ぶことを考えれば、舗装していても不思議ではありません。
明治期の舗装路ですかね?
戦後、今治市が行った整備事業で整備された舗装路かも
しれません。
さてさて、急坂を登って行くこと数分後・・・
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/69/bd/99b418b595aa422cf6768a65a982696b.jpg)
中部砲台跡に到着。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/39/7b/5cf721b695869c09510f76d2ab4e92f1.jpg)
丸い円形の部分が二十八糎榴弾砲の砲座跡。
中部砲台には6門の砲が据え付けられていたそうです。
2門づつ3箇所に配備され、海峡を睨んでいたとか。
ちなみに砲台周辺は山で囲まれており、海上の敵艦艇からは
全く見えない構造になっています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4d/92/866179a638a4a629119b246bdc98eea3.jpg)
ここから司令塔からの指示により、敵艦艇に向けて射撃するわけ
です。
飛行機がない時代の戦いなので、敵艦艇からはどこから撃ってくる
か分からないわけで、非常に厄介な要塞だったといえます。
もっとも敵艦隊が来島海峡にやってくる時点で、戦況は日本に
とって非常に厄介な状況になっていたのでしょうなぁ・・・。
なお、ここにあった二十八糎榴弾砲は、前述の通り、日露戦争時に
取り外され他に転用。
中部砲台にあった砲のうち2門が最終的に乃木将軍の第三軍に渡され、
旅順攻略戦に投入されたとのことです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/34/3b/5a39f5a69e7c2048e1014bd9427dc3fe.jpg)
中部砲台跡にある地下兵舎。
こちらも実に丁寧に建設されており、100年以上前の建築物とは
思えません。
地元の方々による手入れも行き届いており、大事に守られているこ
とがよく分かります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/15/9d/05262d8bc23b10c45c2b34f03c10b40c.jpg)
中部砲台司令塔への階段。めちゃくちゃ急な階段です。
ヘロヘロでしたが、この階段を登りました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6e/f6/2030664f64c12b4fcea21b963e553c66.jpg)
頂上にある司令塔跡。
ここからだと来島海峡が一望できます。
海峡にやってくる敵艦隊の動きは全て把握できますね。
写真右側にある丸い穴は、おそらく伝声管でしょう。
ここから下にある砲台へ指示を出していたはずです。
今でも伝わるのか?
試そうという発想も気力もなかった管理人でした。
ここからの眺めはなかなか良いので、是非お立ち寄りください。
<<まだ続く・・・>>
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