気まぐれ日言己2

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芸予要塞(3)

2018-01-02 11:21:00 | 軍事ネタ
昨年10月末に行ってきた芸予要塞のレポ、
年越してしまいました~ m(_ _)m

とりあえずUpして行きます。

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●中部砲台跡

弾薬庫跡入口から中部砲台跡に向かいますが、ここから遊歩道の
勾配がきつくなり始めます。

四捨五入したら五十路という管理人、すぐにバテ始めます。
おまけに晩秋対応の防寒装備でしたので、熱がこもるこもる・・・。



本道から中部砲弾跡に向かう道に入る頃には、汗だくになって
いました。

中部要塞跡に向かうコンクリ舗装路。
要塞建設時に舗装された舗装路でしょうか?

先ほどの弾薬庫から一発約220kgの二十八糎榴弾砲の
砲弾を運ぶことを考えれば、舗装していても不思議ではありません。
明治期の舗装路ですかね?

戦後、今治市が行った整備事業で整備された舗装路かも
しれません。

さてさて、急坂を登って行くこと数分後・・・



中部砲台跡に到着。



丸い円形の部分が二十八糎榴弾砲の砲座跡。

中部砲台には6門の砲が据え付けられていたそうです。
2門づつ3箇所に配備され、海峡を睨んでいたとか。

ちなみに砲台周辺は山で囲まれており、海上の敵艦艇からは
全く見えない構造になっています。



ここから司令塔からの指示により、敵艦艇に向けて射撃するわけ
です。

飛行機がない時代の戦いなので、敵艦艇からはどこから撃ってくる
か分からないわけで、非常に厄介な要塞だったといえます。

もっとも敵艦隊が来島海峡にやってくる時点で、戦況は日本に
とって非常に厄介な状況になっていたのでしょうなぁ・・・。

なお、ここにあった二十八糎榴弾砲は、前述の通り、日露戦争時に
取り外され他に転用。

中部砲台にあった砲のうち2門が最終的に乃木将軍の第三軍に渡され、
旅順攻略戦に投入されたとのことです。




中部砲台跡にある地下兵舎。
こちらも実に丁寧に建設されており、100年以上前の建築物とは
思えません。

地元の方々による手入れも行き届いており、大事に守られているこ
とがよく分かります。



中部砲台司令塔への階段。めちゃくちゃ急な階段です。

ヘロヘロでしたが、この階段を登りました。



頂上にある司令塔跡。
ここからだと来島海峡が一望できます。
海峡にやってくる敵艦隊の動きは全て把握できますね。

写真右側にある丸い穴は、おそらく伝声管でしょう。
ここから下にある砲台へ指示を出していたはずです。

今でも伝わるのか?
試そうという発想も気力もなかった管理人でした。

ここからの眺めはなかなか良いので、是非お立ち寄りください。

<<まだ続く・・・>>

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