気まぐれ日言己2

日々の出来事や趣味の事、時事ネタなどを気まぐれで書き込みます。

芸予要塞(1)

2017-11-05 10:26:00 | 軍事ネタ
10月にしまなみ海道ツーリングに行ったときに、芸予要塞に
寄りました。

芸予要塞は、日清戦争後に対露戦争を想定した帝国陸軍が、
瀬戸内海へのロシア艦隊の侵入を阻止すべく建設された要塞の
一つ。

広島県の大久野島とここ小島(おじま)に要塞が建設されています。



糸山公園から見た小島の全景。
この小さな島が丸ごと要塞となっていました。

ご覧の通り、連絡橋はなくバイクではいけません。

波止浜港にバイクを止めて渡船で向かうことになります。



釣り人のおっちゃん達と一緒に小島へ。
聞くと、小島周辺は絶好の釣りポイントとのこと。
暇さえあれば小島へ釣りに出かけているらしく、渡船の乗組員とは
顔なじみになっています。

来島経由で約10分で小島に到着。
釣り人のおっちゃん達も含めて乗客全員が下船。



我々を残して渡船は馬島目指して出港。

島から脱出する手段は泳ぐこと以外になくなりました。

島に上陸した釣り人のおっちゃん達は、それぞれの釣りポイントに
向かって移動していったので、港というか桟橋に残されたは私ら
だけ。



とりあえず桟橋近くにあるコレが気になったので見に行きます。



二十八糎榴弾砲・・・・・・のレプリカ。

実物ではなく、NHKのドラマ『坂の上の雲』で使用された、
実物を忠実に再現した撮影用のレプリカで、それを譲り
受けて置かれています。

二十八糎榴弾砲は帝国陸軍が開発した榴弾砲で、
明治25年(1892年)に制式化された砲。

対艦用の榴弾砲として日本の海岸や島の要塞などに配備され、
この小島にも6門が配備されていたとか。

日露戦争が勃発すると、バルチック艦隊の日本近海への派遣が
現実味を帯びてきたので、朝鮮海峡の防備のために二十八糎榴弾
砲を転用することになり、芸予要塞から撤去されることに・・・。

しかし旅順要塞総攻撃が失敗したことから、攻城砲として用いら
れることになり、榴弾砲は乃木大将の第三軍に送られ、旅順攻略戦
に投入され、露軍に大きな被害を与えました。

一説には小島から撤去された6門のうち2門が旅順に送られた
そうです。

ちなみに本物の二十八糎榴弾砲は、昭和14年(1939年)秋まで
実戦に参加していたとのこと。

<<続く


最新の画像もっと見る

コメントを投稿