Light in June

文学やアニメ、毎日の生活についての日記。

やっぱりおもしろいラピュタ

2009-11-21 01:11:19 | アニメーション
ということで、やっぱりおもしろいです。
ラピュタはもう何度観ているか知れませんが、それでもおもしろいです。
完璧だ、と思ってしまう。完璧なおもしろさだ、と。

宮崎アニメは、ある時期からプロットが変調してゆきますが、その兆しがラピュタやナウシカに既にあったのではないか、ということに興味を持った時期があって、まあ今でも関心のあるテーマではありますが、その考えで行けば、ラピュタにもおかしいところはあるわけです。ぼくの意見ではありませんが、最後のパズーとシータの行為は自殺ではないか、そういうまとめ方でいいのか、とか。ナウシカの有名な「宗教画」のラストも、安易だという批判があるわけで、宮崎駿は昔からなし崩し的に映画を終了させてきた、とも言えます。だから本当に完璧な映画はカリオストロくらい(もちろん完璧というのは相対的な評価ですが)、ということになる。

ラピュタにしても、山場が中盤に来てしまうんですよね。ティディス要塞からのシータ救出とか竜の巣のシーンとか。ラピュタに着いてからは、あれほどの盛り上がりはない。その点はポニョと同じかな、とも思います。もちろん傾向が似ている、というだけで、あそこまで徹底的に物語の結構を崩しているわけではないですが。

しかし、このおもしろさはなんでしょうね。プロット構成上の欠点を補ってあまりあるものがあります。というか、欠点なんて見えないわけです。とにかくおもしろくて。文字通り手に汗握るシーンもいいですけど、ポムじいさんとの出会いや、ラピュタに着いてからの園丁ロボットとの触れ合いとか、単なる冒険活劇では括れない叙情的要素もあって、しかもそれがお決まりのベタなものではなくて、光る石が星のように輝く光景や異形のロボットと人間とが心を通い合わせるところなんかを見せ、いい。ロボット兵が長い手を伸ばしてシータに花を差し出すシーンは、釜爺が千尋にさぶとんを掛けてやるシーンを前もって反復していますよね。ああいうのが監督は好きなのかなあ。あと、もじゃもじゃしたものを掻き分けるシーンとか。ムスカが樹の根っ子を両手で掻き分けるところは、アシタカがタタリ神の触手(うにょうにょ)を掻き分けるシーンに似ています。

ちょっと脱線しましたが、他にも見張りのタコでパズーとシータが一つの毛布に包まるところとか、特に昔はものすごい好きでした。あとさりげない描写を挙げていけば本当にキリがないわけですが、とにかく心にびんびん響いてくるんです。雲の絵一つ取ってみてもいいです。あの重量感ある質感たっぷりの雲、新海誠が影響を受けたと言っていますが、頷けます。

こんなものが作り出せたらなあ、と夢想してしまいますね。そういえば、小学生の頃は、ラピュタを観ると三日間はろくに寝られなくなってしまうのでした。もう頭の中がラピュタで一杯で、興奮しすぎて。

最後の台詞、いいですよね、「なにしろ時間がなくてよ。」
やばい、かっこよすぎる・・・