Light in June

文学やアニメ、毎日の生活についての日記。

柊あおい「桔梗の咲く頃」

2009-11-19 01:30:24 | 漫画
やらねばならないことは多いのに、今日はなんだか全くやる気がせずだるかったので、何もせず、夕方にやっとこさ重い腰を上げ、そうして柊あおい「桔梗の咲く頃」を読むことにしました・・・

ぼくは小説はあまり繰り返して読まないのに、どうして漫画は何度も読むのでしょうかね。やっぱり手軽だからかな?それはともかく、この漫画は久々に再読。別に傑作というわけじゃあないんですけども、わりと好きな話です。

自宅の家の庭に咲いている桔梗をじっと見つめる女子高生に恋をして・・・というようなお話なわけで、当然最後はハッピーエンドで、でもちょっと擦れ違いもあったりして、とかそんなストーリーをここで紹介しても意味ない気がします。自分なりに気に入った箇所を、ちょこちょこと書きます。

少女は過去に悲しい恋愛経験があって、中学の頃に両想いだった少年が転校してしまったんですね。でもその別れが悲しい思い出だったわけではなく、少年が少女に黙って、引越しのことを何も言わずに、そのまま去っていってしまったことが悲しくて、まだ立ち直れないでいました。このエピソード自体はベタといえばベタだし、どうってことないようにも思えるわけですが、ぼくは昔同じような経験があったので(加害者側)、それなりに感情移入しました。結局、このヒロインの少女はその少年と再会して、そのときに聞けなかったこと、話したかったことをお互い確認して、それぞれの道を歩いてゆくことに決めました。ぼくの場合はそのままで、謝罪もできなかったので、彼女たちが羨ましかったりします。

友達として映画に観に行ったりしてつきあうことと、恋人としてつきあうこととを、分けて考えるのが嫌だって、桔梗(少女の名前)の言うところ。ここがいいなと思いました。まあ確かに恋人とは何か、とか、つきあうってどういうことなのか、とか、よく考えてみるとぼくにはよく分からないのですが、友人と恋人との境界線ってなんだろうな、それははっきりと分けられているのだろうか、とは前から疑問に感じていて、こういう問いはちょっとナイーヴすぎるとは自覚していたとはいえ、この漫画でこういうシーンを見つけて、ああやっぱりそうなんだな、と思いました。(ちなみに「ああそうなんだな」とか「ああそういうことか」とかいう台詞は最近のぼくのお気に入りです。)それでもやっぱりこの二人は恋人としてつきあっていこう、ということになるわけですが、どうせならこの問いをもっと深く突き詰めてもよかった気もします。

二つの話が平行して進んでいくところ。特に138-139頁。少女の側の日常と少年の側の日常とが並行して描かれていくわけですが、そのコントラストが高まるのがこの場面。少女の方では話が急展開して、過去と決着を付けるために昔好きだった少年に会いに行こう、ってことになるのですが、その次のページでは、主人公の少年の独白が、こうつづきます。「あれからも 僕はなにかを期待して 朝は あの電車に乗り 夜は 電話の鳴るのを 待っていた」。新海誠チックでいいですよね、こういうところ。まあしかし、彼の独白はリリシズムに染まりきらないところがもどかしくもあるのですが。

あとマフラーを一緒に巻くところ。これには説明はいりますまい。

こういう少年少女の淡い恋とかそういうのがぼくは好きなので、全体的に言って、わりあい好きな物語、ということになります。ところで題名にも少女の名前にもなっている「桔梗」ですが、これについて。何年も前に、花占いみたいな本を好んで読んでいたことがありまして、生年月日を調べると、その日に対応している花が見つかる、という本なのですが、ぼくの誕生日4月23日の花は、まさに桔梗でした。だから個人的に思い入れのある花でもあります。ちなみに、たしかシェイクスピアが同じ誕生日です。