『On Your Mark』について。
もちろん宮崎駿監督の短編アニメーション。
この作品はほとんど注目されることがないですけど、個人的には好きな作品だし、またファンもどうやら多いようです。
観たことはあるけどどんな話だかよく分からない、という人が意外といるのではないかと思いますが、要するに、二人の警官(チャゲと飛鳥)が「翼の生えた少女」を救出して、外の世界に解き放つ、という物語です。ただ、それだけの話ですが、映画のちょっと分かりにくい構造ゆえに、一度観ただけでは理解しづらくなっています。それはどういうところかというと、歌詞のリフレインと共に、場面もリフレインされるところです。全編に「On Your Mark」という歌が流れていて台詞が一切ない作品ですが、ある場面で、その歌詞がリフレインします。そうすると、場面が巻き戻り、また新しい場面として再生するのです。しかも、先ほどとは異なる仕方で。
このようにして、少女の救出に失敗したはずの二人の警官は、再生を遂げることによって見事に追っ手から逃れます。このことから、この作品のテーマは「再生」であり、何があっても未来は変えられるんだ、というメッセージ性を読み取る人もいます。
この作品は「未来」が舞台になっています。そこでは怪しげな宗教団体が幅を利かせており、自然界は放射能汚染で放棄されているため、完全な人工都市で人々は暮らしています。それにしても、台詞のない6分40秒の映画でどうしてこれだけの情報が得られるのか?実は、自然界が放射能汚染されている、というのは観客の側の推測に過ぎません。しかしながら、それは恐らく正しい。というのも、明らかにチェルノブイリを想定して描かれた自然界だからです。ロシア語の看板が立っており、そこにはたしか「危険」とかそういう文字が書かれていたと記憶しています(「立ち入り禁止」とかそういう文字だったかもしれません)。核施設の残骸のような重々しい建物や、外の世界(自然界)へ出ることを禁じられている都市、といった背景から、われわれはこの映画の舞台を想像することができます。
ラスト、警官たちは少女を空に解き放ちますが、そこは青々とした大地であり、人工都市の喧騒とは無縁の世界でした。まるで「ナウシカ」ではないですか。汚染された後に自然自らの力によって浄化される世界。いや、この世界はまだ浄化されてはおらず、放射能にいまだ汚染されているのかもしれません。そうすると、少女の体への影響、もう都市へは戻れないかもしれない警官たちの健康はどうなるのか、ということが気になります。
音楽は終わった。もうリフレインはありません。彼らは汚染された大地でこれからどうやって生き抜いてゆくのか。そのような世界にだってやり直しはきく、「再生」はあるのだと、誰かは力強く説得するかもしれません。でも、二重の回答を提示するラストのようにぼくには思われます。これは絶望の物語なのか、それとも希望の?
この作品は結局のところ、汚染された大地の上でも生きていかなければならない、という宮崎駿の未来の人々へ向けた手紙であるのかもしれません。あれが既に浄化された世界であればいいのですが…。そうすると、皮肉なものですね、人間たちはそのことを知らずに都市でせめぎあいながら生きている。けれどもそう簡単に自然は浄化されないのですが。
もちろん宮崎駿監督の短編アニメーション。
この作品はほとんど注目されることがないですけど、個人的には好きな作品だし、またファンもどうやら多いようです。
観たことはあるけどどんな話だかよく分からない、という人が意外といるのではないかと思いますが、要するに、二人の警官(チャゲと飛鳥)が「翼の生えた少女」を救出して、外の世界に解き放つ、という物語です。ただ、それだけの話ですが、映画のちょっと分かりにくい構造ゆえに、一度観ただけでは理解しづらくなっています。それはどういうところかというと、歌詞のリフレインと共に、場面もリフレインされるところです。全編に「On Your Mark」という歌が流れていて台詞が一切ない作品ですが、ある場面で、その歌詞がリフレインします。そうすると、場面が巻き戻り、また新しい場面として再生するのです。しかも、先ほどとは異なる仕方で。
このようにして、少女の救出に失敗したはずの二人の警官は、再生を遂げることによって見事に追っ手から逃れます。このことから、この作品のテーマは「再生」であり、何があっても未来は変えられるんだ、というメッセージ性を読み取る人もいます。
この作品は「未来」が舞台になっています。そこでは怪しげな宗教団体が幅を利かせており、自然界は放射能汚染で放棄されているため、完全な人工都市で人々は暮らしています。それにしても、台詞のない6分40秒の映画でどうしてこれだけの情報が得られるのか?実は、自然界が放射能汚染されている、というのは観客の側の推測に過ぎません。しかしながら、それは恐らく正しい。というのも、明らかにチェルノブイリを想定して描かれた自然界だからです。ロシア語の看板が立っており、そこにはたしか「危険」とかそういう文字が書かれていたと記憶しています(「立ち入り禁止」とかそういう文字だったかもしれません)。核施設の残骸のような重々しい建物や、外の世界(自然界)へ出ることを禁じられている都市、といった背景から、われわれはこの映画の舞台を想像することができます。
ラスト、警官たちは少女を空に解き放ちますが、そこは青々とした大地であり、人工都市の喧騒とは無縁の世界でした。まるで「ナウシカ」ではないですか。汚染された後に自然自らの力によって浄化される世界。いや、この世界はまだ浄化されてはおらず、放射能にいまだ汚染されているのかもしれません。そうすると、少女の体への影響、もう都市へは戻れないかもしれない警官たちの健康はどうなるのか、ということが気になります。
音楽は終わった。もうリフレインはありません。彼らは汚染された大地でこれからどうやって生き抜いてゆくのか。そのような世界にだってやり直しはきく、「再生」はあるのだと、誰かは力強く説得するかもしれません。でも、二重の回答を提示するラストのようにぼくには思われます。これは絶望の物語なのか、それとも希望の?
この作品は結局のところ、汚染された大地の上でも生きていかなければならない、という宮崎駿の未来の人々へ向けた手紙であるのかもしれません。あれが既に浄化された世界であればいいのですが…。そうすると、皮肉なものですね、人間たちはそのことを知らずに都市でせめぎあいながら生きている。けれどもそう簡単に自然は浄化されないのですが。