けろっぴぃの日記

最近、政治のことをはじめとして目を覆いたくなるような現状が多々あります。小さな力ですが、意見を発信しようと思います。

朝生の「慰安婦問題とメディアの責任」を見て(3)~今後の展開について~

2014-10-05 20:51:31 | 政治
先日からテレ朝の朝まで生テレビの「激論! ”慰安婦問題”とメディアの責任」についてコメントしてきた。今日はその最後で今後のことについて考えてみたい。

アゴラでは出演者の池田信夫氏が朝まで生テレビのまとめを公開している。

アゴラ2014年9月27日「池田信夫:朝まで生テレビのメモ

池田氏のメモでは、ポイントを4つに絞っており、概ね下記の様な整理になっている。

・既に「強制連行がなかった」ことは朝日新聞も認めており決着済み
・植村記者が行った「金学順氏の発言にない『強制連行』との表現の記事」を書いたのは明確な捏造行為である
・捏造以上に重い隠蔽工作は、「泥棒が警官に出世して、自分の犯罪をもみ消した」に等しい形で行われた
・今や問題は「強制連行」ではなく、国際的には「人身売買=性奴隷」的な誤解が問題化している

私も概ねこの様なところだと思う。既に朝日新聞の第三者委員会も人選が完了し、池田氏はこの第三者委員会へのアジェンダも整理している。

アゴラ2014年10月3日「朝日新聞の第三者委員会のためのアジェンダ

こちらの方も、第三者委員会の要点として下記の3項目を挙げている。こちらは原文で引用する。

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・検証記事では「強制連行」について曖昧な記述をしているが、記者会見で杉浦編集担当は「強制連行はなかった」と認めた。この事実関係を明確にし、訂正すること。
・1991年8月の植村記者の記事には捏造の疑いが強く、当時のソウル支局長(小田川興氏)が大阪社会部にスクープを提供することもありえない。この2人に事実関係をただすこと。
・1997年の特集記事について、当時の清田外報部長が自分の誤報を握りつぶした疑いがある。これも本人を呼んでただすこと。
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上述の4つのポイントの1番、2番、3番にそれぞれが対応しており、この3つが最重要であることは同意するところである。ただ、細かいところでは、3つ目の「誤報の握り潰し」を明確に定義する為、誤報の内容も個別に整理し、それぞれがどの時期からどの様に隠蔽されたかを明らかにする必要がある。朝まで生テレビの中では「吉田証言」の方が重要視されていたが、私は「挺身隊と慰安婦の混同」の方が寧ろ罪は重いと感じている。先日のクマラスワミ報告の中でも挺身隊と慰安婦の混同を受けた記述がそのまま採用されているが、せめてこの点が訂正されていればもう少し韓国の国民感情に注がれた油の量が軽減され、あそこまで炎上が激しくはならなかったかも知れない。「挺対協」なる組織のいかがわしさはその名前からして明らかになり、「挺対協」が韓国国内であれだけの権力を握る事態を回避できたかも知れない。実際、これは池上彰氏が「新聞ななめ読み」のコラムで指摘している様に、朝日新聞の検証記事を読み解けば1993年時点で朝日新聞は「挺身隊と慰安婦の混同」があったと気が付いていたことを白状しているので、この点の訂正を行わずに隠蔽してきたことは罪に問われて然るべきである。朝生でも紹介されていたが、私の大嫌いな朝日新聞の若宮元主筆は政治部長時代の1997年に、当時の清田外報部長に慰安婦報道の訂正報道の提案を行ったが握りつぶされた逸話が明らかになっている。これらの内容から、個別の課題がどのタイミングで誤報と気が付き、どの様に社内で議論され、隠蔽されることとなったかを明らかにして頂きたい。この中で、朝日新聞が誤報を生む土壌の全てを白日の下にさらして欲しいと思う次第である。

ただ、ここまでの話は国内の問題であり、国際的な対応としてはそう単純ではない。例えば、河野談話に関しては吉田証言が河野談話に与えた直接的な影響はゼロである。首相官邸も吉田証言の嘘っぽさには気が付いていたので、霞が関文学の最高峰と揶揄される河野談話の文章からは、吉田証言のみが根拠となる記述は完全に排除されている。この意味で、今回の朝日新聞の一件を根拠として河野談話の撤回を求めるのは国際的な戦略として浅はかである。勿論、国際世論的に河野談話を出さざるを得ない状況に至った背景には吉田証言は大きく貢献したが、直接性と言う視点では議論の余地はないので、この辺は河野談話の撤回は必要ない。というか、この霞が関文学的な視点で見れば、概ね何処にも嘘がない記述になっているのでここを議論のポイントとするのは不毛である。

クマラスワミ報告に関するブログでも指摘したが、本丸はこれが歴史的に類のない「人道上の罪」「人類に対する罪」とまで言えるほどの大事件であったのか否かが重要な訳で、河野談話をそのまま読み解けば、これがホロコーストまがいの残虐性を認めた談話とはなっていないことに着目するべきである。つまり、河野官房長官(当時)が強制連行の有無について記者会見で認めてしまったことは事実としてあるが、あくまでも公的な文書化された書面に記されたことまでを基準とするならば、国際的な条約にも時効にも縛られない事案と見なされる現在の風潮に対し、その法的根拠を広く国際社会に求めることが第一歩だと思う。つまり、証拠能力を有する当事者からの裏づけのある1次資料(証拠)と、証拠能力の乏しいその他の2次3次資料とを区別して精査し、その中で慰安婦問題とは戦時中の様々な犯罪行為のひとつとして見なされるべきものであり、それらの中の悪質なものは実際に東京裁判でB、C級戦犯として罰せられた事実を鑑みれば、国家の組織的犯罪と位置付けられる「人道上の罪」「人類に対する罪」に該当しないことは論理的に説得できるのではないかと思う。

今しばらくは、国際社会に誤解があることを情報発信することが重要だが、その様な疑問が国際社会に芽生え始めたら、その時こそ国際司法裁判所にこの問題を提訴し、法的解釈でこの問題を議論してもらうのが正しいと感じた。クマラスワミ報告の撤回はその第一歩だろう。

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