けろっぴぃの日記

最近、政治のことをはじめとして目を覆いたくなるような現状が多々あります。小さな力ですが、意見を発信しようと思います。

策士、策に溺れる

2014-09-16 21:50:16 | 政治
多分、このタイトルを見て多くの方が想像される記事は朝日新聞の「吉田調書」の記事だろうが、私の意図している答えは違う記事についてである。以下の記事を見て頂きたい。

産経ニュース2014年9月15日「慰安婦聞き取り映像を公開 韓国団体

これは1993年7月に行われた(河野洋平官房長官談話の作成過程で日本政府が実施した)元慰安婦の女性に対する聞き取り調査の映像の公開に関するニュースである。元々は非公開ということであったので菅官房長官は不快感を表明したが、本質はそんなところにはない。これは16人に対して実施された聞き取り調査の中の一部の女性に対して行った映像を編集したもので、17分間に短縮されて公開されている。単純に考えて、一人に20~30分ぐらいは聞き取り調査を行っているであろうから、全体の調査を1/10以下に圧縮する編集が行われたことになる。ここでは2人の女性が「日本の巡査と朝鮮人に両腕をつかまれ連れて行かれた」とか「言うことを聞かないからといって腕をねじ曲げられた」と話すシーンもあるそうだが、その聞き取り調査に係った「太平洋戦争犠牲者遺族会」が最近の安倍政権の動きに業を煮やし、「ほうら、こんなに証拠があるんだよ!!」とカードを切ってきた状況である。

しかし、これって何処かで見た光景ではないか・・・??

そう、朝日新聞が満を持して切った「吉田調書カード」そのものである。今、日本では何が問題になっているのを彼らは理解していないらしい。いま日本で問題になっているのは、膨大な証拠資料の中の一部分をつまみ食いし、それは「事実」なのだから仮に内容が恣意的に編集されていたとしても、「事実=真実」として受け入れるべきだ!という朝日新聞の主張に対し、「恣意的な編集」はあってはならないものであり、証拠を出すのであれば編集する前の全てを公にし、それを全ての人が客観的に評価しましょう・・・という報道姿勢のあり方が問われているのである。そして、少なくとも日本ではこの様なコンセンサスが出来上がっているし、これは欧米のメディアにおいても同様であるはずである。当初、日本政府は「吉田調書」を非公開としたが、恣意的な編集がなされた報道を受けて、最終的には公開に踏み切らざるを得なくなった。

多分、言うまでもなく産経新聞や読売新聞は、日本の朝日新聞の犯した失敗を前面に出しながら、「一部を抜粋した映像では全体が把握できない。そこまで公開するのであれば、そこに恣意的な操作がなされていないことを示し情報の公平性を期すためにも、全ての映像を編集なしで公開すべきである!」と求めるはずである。そして、「日本政府の糾弾のためにも、全てを洗いざらい公開して、欧米の第三者に判断を委ねるのが近道であるはずだ!」と記事を結べば良い。そして、朝日新聞に対し紙面上の公開質問として、「朝日新聞も、慰安婦問題の究明に資すると思われる全ての情報の公開に賛同してもらえますか?」と記事を打てば、ここまで追い詰められている朝日新聞は、自らの犯した過ちと全く同じ過ちが裏にあることが疑われる今回の事態に、「No!」とは言えないはずである。

そして、昨日のブログにも書いた通り、朝日新聞が「映像の全面公開を要求!」との記事を発信することになれば、その記事は米国のニューヨークタイムズや英国のファイナンシャル・タイムズなどの海外の反日メディアでも引用される可能性が出てくる。これらの海外メディアは「まさか、韓国側の人権団体が捏造などしている訳がない」と感じているから、素直に「情報を公開し、早く、日本政府にトドメを刺してしまえ!」と訴えるに違いない。こうなれば韓国側も情報公開に踏み切らずにいられなくなる。仮に日本政府がこの映像を入手していたなら、日本政府サイドから公開される可能性もあり得るだろう。
そうなれば、そこには韓国側に都合の悪い事実も多く含まれる一方、逆に「強制連行」を裏付ける証言がないことも明らかになるだろう。これらは初期の頃の証言であり、まだ、慰安婦の彼女たちが様々な悪知恵を吹き込まれるギリギリ前の状況だと思われるから、証拠能力的にも高いものである。その後の彼女たちの証言との整合性や、彼女たちの出身地での裏取り調査なども検証できるようになるから、それがどれだけ説得力を持つのかも議論ができるようになる。どちらかと言えば、悪質なのは日本軍というよりも人身売買が横行した韓国国内の業者という側面も洗い出されるかも知れない。

繰り返すが、これは千載一遇のチャンスである。朝日新聞の度重なる失策を他山の石とせず、まさに「策士、策に溺れる」状況が再現されたのである。このチャンスを日本のメディアは是非ともモノにして欲しいと思う。

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新聞の自殺

2014-09-16 00:33:02 | 政治
最初に告白するが、このタイトル「新聞の自殺」は下記のブログのパクリである。今日は、慶応義塾大学教授の細谷雄一氏のブログを引用しながらコメントをしてみたい。

細谷雄一の研究室から2014年7月12日「新聞の自殺

大分前の話であるが、私はこのブログを最初に読んだとき、その「的を得た指摘」に非常に感動した記憶がある。7月の記事だから、今回の慰安婦や吉田調書がらみの朝日新聞の悲壮感漂う凋落の予感さえなかった時期で、その時期に「新聞の自殺」というのは少々強引なタイトルと感じる人もいたかも知れない。しかし、ここに書かれていることは吉田調書の捏造と根っこは同じ何かを持ったものである。ここで議論の対象としているのは集団的自衛権に関する政府の閣議決定であり、朝日新聞を代表とする多くの報道機関が「平和主義の終わり」、「立憲主義の否定」と新聞に大見出しを打った。このブログの最初の問題提起の部分を引用させて頂く。

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たとえば、朝日新聞の7月3日付けの記事では、「安倍首相は、憲法の柱である平和主義を根本から覆す解釈改憲を行った」と書かれております。また、7月2日付けの社説では「個人の多様な価値観を認め、権力を縛る憲法が、その本質を失う」と記されています。さらに7月2日の別の記事では、「専守防衛から大きく転換」と題して、「専守防衛を貫いてきた日本の国のかたちを、大きく変えるものだ」としています。
また東京新聞では、7月2日付けの社説で、「9条破棄に等しい暴挙」というタイトルで、今回の政府の決定は「先の大戦の反省に立った専守防衛政策の抜本的な見直しだ」と述べ、また「憲法によって権力を縛る立憲主義の否定にほかならない」といています。
本当にそう言ってよいのでしょうか?
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ここで、最後に「本当にそう言ってよいのでしょうか?」と問われているのに対し、多分、朝日新聞は大きな声で「いいんです!!!」と返すであろう。しかし、このブログではこの文章に続けて次のように書いている。

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もしそうだとしたら、すでに日本は「平和主義国家」ではない、ということになります。また、一度の憲法解釈の変更によって、「立憲主義」が失われたことになります。さらには、日本はもはや「専守防衛」ではない、ということになります。本当にそう、断言できますか?
これらをあわせれば、日本はもはや、平和主義国家でなく軍国主義国家であり、立憲主義国家ではなく専制主義国家であり、専守防衛ではなく侵略国ということになります。朝日新聞や東京新聞でこれらの記事を書いた方は、7月1日の閣議決定以後、日本という国を紹介するときには、「安倍政権での7月1日の閣議決定以後、日本はもはや平和主義でも立憲主義でも、専守防衛でもありません。軍国主義で、専制主義で、侵略国になりました」と書かなければなりません。そうでなければ、それを書いた記者たちは、ウソをついたことになります。幽霊がいないのに、「幽霊がいる!」と叫んでいることになります。
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繰り返させて頂けば、朝日新聞に代表される報道機関が「日本という国は軍国主義国家であり、専制主義国家であり、専守防衛を否定する侵略国である」と国際社会に記事を発信し続けることに対し、「あなた方は、その記事の責任が取れるのか?」と指摘しているのである。当然、その様な虚偽の記事の責任など取れるはずがない。だから、彼らの言い分は「『軍国主義国家』ではなく、『ちょっと平和主義国家ではない』と言っただけ」「その主張はあくまで日本国内向けであり、海外にどの様に発信されるかは我々の責任ではない」といったところだろう。しかし、慰安婦問題にしても吉田調書問題にしても、彼らのいう様な「日本国内向け限定」の記事ではなく、事実は世界向けの記事を発信した以外の何物でもない。しかし、木村朝日新聞社長の記者会見でも、自分たちの誤報・捏造記事が世界においてそれが事実として独り歩きし、取り返しのつかない事態になったことの責任を取ろうという発言はなかった。実際、わたしの好きな「ぼやきくっくり」さんのブログ記事「朝日の英語版慰安婦検証記事は人目につかない場所に埋めてある」に指摘があるが、朝日新聞は慰安婦報道の検証・訂正記事を英語化してネットで配信しているが、これは言い訳としての英語版記事で、これは日本語のサイトから辿って行って初めて辿り着ける記事であり、英語ネイティブの人向けの朝日新聞英語版「The Asahi Shimbun AJW」には記載がなかったという(最近では、目立たない個所に日本語版「朝日新聞」の英訳記事へのリンクが張られたという)。

つまり、国際社会への誤った情報の拡散に対し、それを訂正するための努力はゼロに等しく、その国際社会に何かを発信することは自分たちの義務とは全く思っていないらしい。

しかし、実際には彼らに記事訂正の義務が存在するのは明らかである。例えば、昨日9月13日のフジテレビの「Mr.サンデー」の中で、木村太郎氏が最後にコメントで「ニューヨーク・タイムズは朝日新聞と提携してるんですよ」と発言している。この番組ではそこまで突っ込んでいないが、ネット上での指摘を受けて調べてみると、ニューヨーク・タイムズの東京支局と朝日新聞社東京本社の住所は共に「〒104-0045 東京都中央区築地5丁目3-2」となっている。つまり、朝日新聞東京本社ビル内に部屋を借りてニューヨーク・タイムズの東京支局を運営している訳である。私はNYTでもWSJでも、海外の新聞で日本の記事が掲載されると「まず、執筆記者名を確認する」ことにしているが、反日的記事の大半は日本人名で記事が書かれている。つまり、海外のメディアと共謀して日本を貶める記事を発信し、それでいて「海外メディアがどう報じたかは、我々の責任ではない」と白を切る。

最初に紹介した細谷雄一氏のブログの後半部分には、朝日新聞を代表とする集団的自衛権がらみの報道を中心に、「事実を報道する報道機関」という立場を捨て、自らの主張に沿って、事実を適宜脚色し、あたかもそれが真実と勘違いする様な誘導報道に固執すれば、それは国民の信頼を失うと警告している。それはまさに、慰安婦報道や吉田調書において問題視された論点であり、その体質はたった二つの「慰安婦報道」と「吉田調書報道」だけに限定された話ではない。全ての反政府的報道、全ての反原発的行動、全ての反日的ネガティブキャンペーンが同一の根っこに基づいている。

しかもそれは朝日新聞だけではなく、毎日新聞や東京新聞も同様である。例えば、吉田調書問題などは裁判で争えば明らかに負ける様な捏造や名誉棄損記事であったのだが、裁判では勝負にならないような論点では開き直ることができる。例えば、世の中には様々な意見の相違があり、言論・表現の自由により「日本は軍国主義国家になった」と言っても裁判で負けることはまず考えられない。しかし、それが「単なるネット上での個人のボヤキ」であれば全く問題がないにしても、多くの国民に購読されているメジャー新聞の紙面に記載されれば、それは「嘘も100回言えば本当になる」の言葉通り、(裁判の結果には関係なく)社会的な大きな損失を生じることに繋がる。厄介なのは、多くの読者はそれを「プロパガンダ」とは気づかずに「真実」として受け入れて、長い間に「洗脳」されることになる。

報道の自由や言論・表現の自由は確実に守られなければならないが、「プロパガンダ」を「真実」と思わせて報道する姿勢にメスが入れられないのは困る。しかし、ここで本当にメスを入れてしまうと、それは「新聞の死」を意味する。だから、一連の報道は「新聞の自殺」なのである。

本当は、報道機関がもっと敏感にならなければならないことなのだが、彼らには自分事の様にその危機を感じることが出来ないらしい。自室で練炭を燃やし、直ぐそこに一酸化炭素が忍び寄っているのに、それに気が付かないで「暖かいね!」と喜んでいる様な状況だ。人はそれを「自殺」だと認識するのに・・・である。

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