少し日付が古いが、田原総一郎さんの4/2のブログ「『福島』を『フクシマ』と呼ぶのは、もうやめよう!」を読んだ。この中に、最近の原発問題の鍵を見つけたような気がした。
ブログの内容は福島で農業を営んでいる方にスポットを当てたものだった。全体的には農家の皆さんの苦労と、原発事故に向き合い、前向きに頑張る人々の努力と、その足を引っ張る現状が書かれている。マスコミが好んで使う片仮名書きの「フクシマ」という言葉が、今は差別用語と化して福島の人々を苦しめている。その彼らのもがき苦しみながら明日を信じて行なう努力の数々を紹介し、「もう、『フクシマ』と呼ぶのはやめよう!」と結論付けている。
非常に胸に痛い話なのでが、その中に実は私には予想外だった事実が書かれていた。原発事故の直後から、福島だけでなく周辺地域の農産物が全く売れないという報道を聞いていた。だから、福島であれば安全が確認されても誰もが農産物を買おうとはしなかったのではないかと思い込んでいた。しかし、田原さんのブログに寄れば、以外にも良く売れていたのだという。多くの人々が、同情と言うと言葉は悪いのだが、福島のために力になろうと考えて、それなりに多くの人が買ってくれていたのだという。そして農家の彼らも、自力で除染を考えて、チェルノブイリで行なわれていたように30cmほど地面を掘り返し、土を上下で入れ替えて放射線物質の影響を取り除こうと努力したのだという。
しかし、そんな福島の農産物が急に売れなくなった事件があった。そう、県が福島産の新米の安全宣言を行ない全面解禁となった後、一部地域の米から基準値を超える放射性セシウムが検出されてからのことだ。誰もが福島の良心を信じ、彼らの努力に我々も良心で応えようとした矢先、一部の心無い人々のせいで信頼を根底から失墜させてしまったのである。多分、農協の役員、県庁の職員および県知事は、本人たちは何の悪気もない軽い気持ちで、大して調べもしないで「安全宣言」を出してしまったのである。農家の方々は、この判断に係わった人々を決して許さないだろうが、A級戦犯の当の本人達は何の悪びれもなくケロッとして罪の意識などないのだろう。つまり、責任感の決定的な欠如なのである。きっと「今回は運が悪かった」程度にしか考えていないのだろう。本来は、その責任の大きさを深く理解した上で、1人称で責任の所在を明らかに出来る人が判断していれば、きっと今でも福島の野菜は売れ続けていたに違いない。だから、この福島の経験から、誰が責任者かを明言することが問題解決への第1歩であると気づかされるのである。
現在は、信じていた「安全」が実はちっとも安全じゃないことがバレてしまい、「安全」と言われてもちっとも「安心」出来ない状況であることに国民が気がついてしまった。もちろん、冷静な中立的な立場の有識者が明らかに「安全」と判断できるものを、「大変だ!大変だ!」と過剰に騒ぎ立てるのも問題であるが、大飯原発の再稼動に関しては、我々は正統にその安全性に疑問を呈しているのである。
今、この状態で原発の再稼動を認めなければ日本経済にどの様な影響を与えるかは分かっている。その深刻さは、ひょっとしたら日本を不況のどん底に陥れる可能性すらあることも理解している。だから私は再稼働出来る状況を望んでいるのだが、関西電力をはじめとする電力会社にはその様な状況を積極的に作る気はないらしい。明らかに無保険、無車検の車を運転しようとしているのに目を瞑れと言うのだから、その責任の所在を明らかにする義務はあるはずだ。
ひょっとしたら、野田総理は責任の所在をまもなく廃止される原子力安全保安院に押し付けようとしている訳ではあるまいか?原子力安全委員会にも責任の幾らかを負わせ、何人かに責任を分散させながら有耶無耶にさせようと思っているのではないだろうか?
藤村官房長官は今日の橋本市長との会談の後で、「政治家が安全性を判断などしていない。安全性は専門家(多分、保安院のこと)が判断している」と繰り返し発言していた。ならば、藤村官房長官は「専門家としての判断の最終責任者は保安員の院長にある」と明言すればよい。原子力安全委員会の斑目委員長は、「安全委員会の責任とは、別途誰かが作成した基準に照らし合わせて、保安院の判断が妥当か妥当でないかの判断だけである(つまり、判断基準が間違っていたのなら、保安院が間違った判断をしても、それに対しては安全委員会は責任は負えない、ないしはそこまでの責任を問われてはいない、という意味)」といった趣旨の発言をされている。きっと保安院の院長も、「別途誰かが作った基準に照らし合わせて合否判定を行なっただけ」と答えるだろう。間違いなく、「原発事故が再発し、何千人もの死者を出したとしても、その責任は私にある」と自ら断言する人は出てこないだろう。それだけは間違いない。
だから私はお願いしたい。野田内閣総理大臣様、この状況で大飯原発が安全と仰るなら、少なくとも免震重要棟すらないような明らかに欠陥施設と言わざるを得ない原発に限定してでも構わないから、その原発で次に放射性物質漏れの重大事故が起きた暁には、その責任の所在の全ては政府にあり、損失の全額を国が責任をもって保証すると宣言して頂きたい。決して一義的には電力会社の責任などと責任転嫁などせずに、「私の責任だ!」と胸を張って国民に語りかけて欲しい。
それが言えたら、きっと、多くの人が議論のテーブルに付いてくれるに違いない。
←人気ブログランキング応援クリックよろしくお願いいます
ブログの内容は福島で農業を営んでいる方にスポットを当てたものだった。全体的には農家の皆さんの苦労と、原発事故に向き合い、前向きに頑張る人々の努力と、その足を引っ張る現状が書かれている。マスコミが好んで使う片仮名書きの「フクシマ」という言葉が、今は差別用語と化して福島の人々を苦しめている。その彼らのもがき苦しみながら明日を信じて行なう努力の数々を紹介し、「もう、『フクシマ』と呼ぶのはやめよう!」と結論付けている。
非常に胸に痛い話なのでが、その中に実は私には予想外だった事実が書かれていた。原発事故の直後から、福島だけでなく周辺地域の農産物が全く売れないという報道を聞いていた。だから、福島であれば安全が確認されても誰もが農産物を買おうとはしなかったのではないかと思い込んでいた。しかし、田原さんのブログに寄れば、以外にも良く売れていたのだという。多くの人々が、同情と言うと言葉は悪いのだが、福島のために力になろうと考えて、それなりに多くの人が買ってくれていたのだという。そして農家の彼らも、自力で除染を考えて、チェルノブイリで行なわれていたように30cmほど地面を掘り返し、土を上下で入れ替えて放射線物質の影響を取り除こうと努力したのだという。
しかし、そんな福島の農産物が急に売れなくなった事件があった。そう、県が福島産の新米の安全宣言を行ない全面解禁となった後、一部地域の米から基準値を超える放射性セシウムが検出されてからのことだ。誰もが福島の良心を信じ、彼らの努力に我々も良心で応えようとした矢先、一部の心無い人々のせいで信頼を根底から失墜させてしまったのである。多分、農協の役員、県庁の職員および県知事は、本人たちは何の悪気もない軽い気持ちで、大して調べもしないで「安全宣言」を出してしまったのである。農家の方々は、この判断に係わった人々を決して許さないだろうが、A級戦犯の当の本人達は何の悪びれもなくケロッとして罪の意識などないのだろう。つまり、責任感の決定的な欠如なのである。きっと「今回は運が悪かった」程度にしか考えていないのだろう。本来は、その責任の大きさを深く理解した上で、1人称で責任の所在を明らかに出来る人が判断していれば、きっと今でも福島の野菜は売れ続けていたに違いない。だから、この福島の経験から、誰が責任者かを明言することが問題解決への第1歩であると気づかされるのである。
現在は、信じていた「安全」が実はちっとも安全じゃないことがバレてしまい、「安全」と言われてもちっとも「安心」出来ない状況であることに国民が気がついてしまった。もちろん、冷静な中立的な立場の有識者が明らかに「安全」と判断できるものを、「大変だ!大変だ!」と過剰に騒ぎ立てるのも問題であるが、大飯原発の再稼動に関しては、我々は正統にその安全性に疑問を呈しているのである。
今、この状態で原発の再稼動を認めなければ日本経済にどの様な影響を与えるかは分かっている。その深刻さは、ひょっとしたら日本を不況のどん底に陥れる可能性すらあることも理解している。だから私は再稼働出来る状況を望んでいるのだが、関西電力をはじめとする電力会社にはその様な状況を積極的に作る気はないらしい。明らかに無保険、無車検の車を運転しようとしているのに目を瞑れと言うのだから、その責任の所在を明らかにする義務はあるはずだ。
ひょっとしたら、野田総理は責任の所在をまもなく廃止される原子力安全保安院に押し付けようとしている訳ではあるまいか?原子力安全委員会にも責任の幾らかを負わせ、何人かに責任を分散させながら有耶無耶にさせようと思っているのではないだろうか?
藤村官房長官は今日の橋本市長との会談の後で、「政治家が安全性を判断などしていない。安全性は専門家(多分、保安院のこと)が判断している」と繰り返し発言していた。ならば、藤村官房長官は「専門家としての判断の最終責任者は保安員の院長にある」と明言すればよい。原子力安全委員会の斑目委員長は、「安全委員会の責任とは、別途誰かが作成した基準に照らし合わせて、保安院の判断が妥当か妥当でないかの判断だけである(つまり、判断基準が間違っていたのなら、保安院が間違った判断をしても、それに対しては安全委員会は責任は負えない、ないしはそこまでの責任を問われてはいない、という意味)」といった趣旨の発言をされている。きっと保安院の院長も、「別途誰かが作った基準に照らし合わせて合否判定を行なっただけ」と答えるだろう。間違いなく、「原発事故が再発し、何千人もの死者を出したとしても、その責任は私にある」と自ら断言する人は出てこないだろう。それだけは間違いない。
だから私はお願いしたい。野田内閣総理大臣様、この状況で大飯原発が安全と仰るなら、少なくとも免震重要棟すらないような明らかに欠陥施設と言わざるを得ない原発に限定してでも構わないから、その原発で次に放射性物質漏れの重大事故が起きた暁には、その責任の所在の全ては政府にあり、損失の全額を国が責任をもって保証すると宣言して頂きたい。決して一義的には電力会社の責任などと責任転嫁などせずに、「私の責任だ!」と胸を張って国民に語りかけて欲しい。
それが言えたら、きっと、多くの人が議論のテーブルに付いてくれるに違いない。
←人気ブログランキング応援クリックよろしくお願いいます