ママちゃんへの道

モニョモニョくんとの未知なる世界

あいうえお

2008-07-08 00:25:06 | 
         


特に文字を教える気はありませんでした。

いえ、もともとはあったんです。もっと小さい頃。もしかして覚えたりしないかな~。とか、たまにいるよね~、文字の形が好きだったりする子。とか。だから、モニョさんの名前を紙に書いて壁にはったりしていました。一歳過ぎ頃。ま。特に興味ナシ。って感じでしたが。


文字だけに限らず、以前はなんでも早くできる事が素晴らしい。と思っていたところが無意識にあって、例えばトイレでも、文字でも、早くできないかなぁとぼんやり思ったり、遊びにしても、言葉にしても、早くできるとなんだか嬉しかったものです。

しかし、毎日の子育てをしている中で、ある時フト気がついたのです。なんでも時期を待ってあげるのって大切だなぁ。と。

「溢れ出る瞬間」というものがどんな時にもあるような気がするのです。少しずつ少しずつ水を溜めるように溜めていって、ある時突然、あぁ!溢れた!という瞬間が。その瞬間がくるまでは、きっと親や周りがあれこれヤキモキしても思ったようには進まないような気がするし、逆に言えば、周りが特に何か働きかけをしなくても、その瞬間がくれば自然に且つ突然にやるようになるのです。

それに気がついてからは、それまでとは逆に、「それならばゆ~っくりゆ~~~っくり、どうせならできるだけ良い水を溜めて欲しい。」と思うようになったような気がします。(それもある意味すごく欲張り?)特に文字などの、いつかどうせ出来るようになること、学校に行くようになれば先生に教えてもらうことのできること、は親が今焦って教えることもないかも。と考え始めました。その代わりその時間を全部つかって、今、母親である私にしか教えられないことを教えたり、これでもかってくらい一緒にいてそれだけでお腹が一杯になるほどの時間を過ごしたり、きっとずっと後年にも大事になってくる母と子の絆というかパイプというか、そういうものを今、太く頑丈にするべき時なんじゃないか。と思って毎日を過ごしています。

自分で。自分で。も我が家では実はあまり言っていません。外に出ると、例えば靴やお片づけなど、「自分でできるかな~?」とか先生などに言われたりするので、私も遠くから「自分でしてよ~。」と軽く言ったりもするんですが(周りの目を気にして?これこそ、ホントは良くない事よね・・・。と思ったりもしつつ。)、いつかたとえダメと言っても「自分でやるからっっ!!!」と手を振りほどかれる日が絶対にくるので、男の子だし、思う存分今のうちに甘えておきんしゃい。って思ってます。その証拠に買い物から帰ってきて家の玄関では「お母さんが~お母さんが~~~(靴脱がせて)。」と決してきれいとはいえない玄関マットに顔をしこたまこすりつけて、お尻をプリプリ足をクネクネさせて、いつまでたっても自分で脱いであがってこないのですが、お友達のお家に遊びに行かせてもらったりすると、玄関で私が挨拶をしたりしているあいだにさっさと靴を脱いでスタコラさっさと上がり込んでしまいます。トイレだって、実は行けるのです。

そんなわけで文字は教えていません。でも、本屋さんでこの手の本を随分長い間押したり押したり押したり押したりしていたので、たまたまもらった図書カードもあったことだし、いつか使うかも。という感じで買って本棚にたてていました。やり方が分からず、当然文字も分からず、故につまらないので、ずっとほったらかしでした。

しかし先日、突然思い出したように出してきて長い間あれこれしつつ、結局1日半くらいでだいたい覚えてしまいました。しかもかなり自力で。私もそんなに相手をしていられないし、別に覚えんでも。とシレっと思っていたので、たいして熱心にもせず。「これ何?」と聞かれた時に教えた程度。覚えたと言っても形を覚えたわけではなく「アリさんのあ」「イスのい」「ウシさんのう」とかそんな感じですが。でも、「エビのえ」なのに「エンピツのえ」とか時々アレンジしたりしているということは、一応システムが分かったということなのかしらん?



ウシシ。何にしろモウケ。
音の出る本サンキュー。