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修業の時計を止めない教師でありたいです。

野口芳宏氏の指名なし討論批判

2010-02-10 00:57:59 | 国語
 4日の研究授業では指名なし発表があった。
 指名なし発表,指名なし討論は,有効な手段なのであろうか。

 野口芳宏氏は,1998年の日本言語技術教育学会で,指名なし討論について「放牧の授業」と批判したという。石黒修氏の著作『学年別討論の授業 小学3年』(明治図書 2000)にまとめられている。
 次のような批判である。

 基本的に,授業というものは組織されるものであり,成り行き任せではいけない。
 教師は明快にして組織だった授業ができる腕をつけるべきである。

 指名なし討論は,次のような授業である。
(1)基本的に発言したい子が発言する。
(2)教師が筋道を作らない。
(3)偶発的なことを期待して授業を組んでいる。
 
 具体的には,次のようである。

発言したがり屋が発言する。
内気な子は発言しない。
さまざまな情報がコントロールされずに出てくる。
脈絡だって,子ども一人一人が整理しにくい。
発言は行き当たりばったりになる。
場当たり的になる。
成り行き任せに,さまざまな情報が飛び交う。
情報が混乱する。
分かりにくい授業展開になる。
非能率的で,ねらっていることがぼやけやすい。
成り行き任せの授業であって,よくない。


 これらの野口氏による批判は,授業観の問題を含んでいる。
 指名なし討論をよしとするTOSSの先生方との授業観の違いである。
 したがって,指名なし討論が悪いとは一概には言えない。

 ただ,4日の研究授業では,指名なし発表によって情報が混乱し,ねらいがぼやけ,分かりにくい展開になったと,私は感じた。