一身二生 「65年の人生と、これからの20年の人生をべつの形で生きてみたい。」

「一身にして二生を経るが如く、一人にして両身あるが如し」

寒山拾得

2013年09月28日 | 仏教

寒山(かんざん、生没年不詳)は、中国代に浙江省にある天台山国清寺に居たとされる伝説的な風狂の僧の名である。『寒山子詩』の作者とされる。後世、拾得と共に有髪の姿で禅画の画題とされる。

伝歴は不明な点が多く、時代も初唐の人とされるが、それは『寒山子詩』の中唐以降の詩風とは一致していない。その名は、始豊県(天台)西方70里の寒巌を居所としていたことにちなむものとされる。その風姿は、痩せこけたもので、樺の冠をかむり、衣はボロで木靴を履いた奇矯なものであったという。食事は、国清寺の厨房を任される拾得から残飯を得ていたといい、寺僧に咎められると、大笑いして走り去ったという。虎を連れた姿で知られる豊干禅師の弟子とされ、豊干を釈迦、寒山を文殊、拾得を普賢の化身に見立てるものもある。

台州刺史の閭丘胤が国清寺を訪ねた時、拾得と共に大笑しながら寒巌に姿を隠し、二度と姿を見ることは無くなったとされる(森鴎外が、「寒山拾得」として作品化している)。その後、山中の諸処に書かれていた詩300篇余りが発見され、それが『寒山子詩』であるとされている。

宋高僧伝』巻19「感通篇」に、「唐天台山封干(豊干)師伝」があり、寒山子・拾得として附伝されており、『景徳伝灯録』巻27にも、「天台豊干禅師 天台寒山子 天台拾得」として記録されている。

なお道教史書を数々編纂した五代杜光庭による『仙伝拾遺』中にも、寒山が収められており、そこでは道士が『寒山子詩』を集めたことになっている。

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拾得(じっとく、生没年不詳)は、中国代に浙江省にある天台山国清寺に居たとされる伝説的な風狂の僧の名である。豊干禅師に拾われて仕事を得たのが、名前の由来とされる。寒山と拾得は仲が良く、いつも子供のように遊び回っていた。その様子があまりに風変わりだったため、後世の人によって特別視され、寒山は文殊菩薩、拾得は普賢菩薩の化身とする説が生まれた。

寒山と共に有髪の姿で禅画の画題とされる。巻物を持った姿で描かれる寒山に対して、拾得はを持った姿で表現される。

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