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一身二生 「65年の人生と、これからの20年の人生をべつの形で生きてみたい。」

「一身にして二生を経るが如く、一人にして両身あるが如し」

予定説(ジャン・カルヴァン)

2013年03月08日 | 聖書

予定説とは、聖書からジャン・カルヴァンによって提唱されたキリスト教神学思想。カルヴァンによれば、救済に与る者と、滅びに至る者が予め決められているとする(二重予定説)。神学的にはより広い聖定論に含まれ、その中の個人の救済に関わる事柄を指す。

全的堕落と共にカルヴァン主義の根幹を成す。

予定説を支持する立場からは、予定説は聖書の教えであり正統教理とされるが、全キリスト教諸教派が予定説を認めている訳ではなく、予定説を認める教派の方がむしろ少数派である。

予定説に従えば、その人が神の救済に与れるかどうかは、予め決定されており、この世で善行を積んだかどうかといったことではそれを変えることはできないとされる。例えば、教会にいくら寄進をしても救済されるかどうかには全く関係がない。神の意思を個人の意思や行動で左右することはできない、ということである。これは、条件的救いに対し、無条件救いと呼ばれる。神は条件ではなく、無条件に人を選ばれる。神の一方的な恩寵である。

救済されるのは特定の選ばれた人に限定され、一度救済に与れた者は罪を犯しても、必ず神に立ち返るとされる。これは、聖徒の堅忍と信仰後退者の教理である。

Calvin


Talmud

2013年02月13日 | 聖書

The Talmud (Hebrew: ????????? talmūd "instruction, learning", from a root lmd "teach, study") is a central text of Rabbinic Judaism, considered second to the Torah. It is also traditionally referred to as Shas (???), a Hebrew abbreviation of shisha sedarim, the "six orders" of the Oral Law of Judaism. The Talmud has two components: the Mishnah (Hebrew: ????, c. 200 CE), the first written compendium of Judaism's Oral Law, and the Gemara (c. 500 CE), an elucidation of the Mishnah and related Tannaitic writings that often ventures onto other subjects and expounds broadly on the Hebrew Bible. The terms Talmud and Gemara are often used interchangeably.

The whole Talmud consists of 63 tractates, and in standard print is over 6,200 pages long. It is written in Tannaitic Hebrew and Aramaic. The Talmud contains the opinions of thousands of rabbis on a variety of subjects, including law, ethics, philosophy, customs, history, theology, lore and many other topics. The Talmud is the basis for all codes of rabbinic law and is much quoted in other rabbinic literature.

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激動の歴史を生き抜いた民族のバックボ-ン聖典タルム-ドはユダヤ五〇〇〇年の知恵の宝庫。心・耳・眼・頭・手・足の六章構成で、わかり易く人間の心底をうかびあがらせ、人間、いかに生きるべきかを示唆


ヨハネの黙示録

2013年02月12日 | 聖書

ヨハネの黙示録(古典ギリシア語: 'Aπōκάλυψις Ιωάννηςラテン語: Apocalypsis Johannis)は、『新約聖書』の最後に配置された書であり、『新約聖書』の中で唯一預言書的性格を持つ書である。

ヨハネの黙示録』は、単に『黙示録』あるいは『ヨハネによる黙示録』、『神学者聖イオアンの黙示録』(日本ハリストス正教会)、『使徒聖ヨハネ黙示録』(天主公教会)ともいわれ、プロテスタント福音派では(冒頭の言葉から)『イエス・キリストの黙示』と呼ばれることもある。現代訳聖書では『ヨハネが受けたキリストの啓示』である。

タイトルの「黙示」とはギリシャ語の「アポカリュプス(古典ギリシア語: 'Aπōκάλυψις)」の訳であり、原義は「覆いを取る」ことから転じて「隠されていたものが明らかにされる」という意味であり、英語では「revelation」。黙示録という名前は定着しているが、本来、「黙示」は法律用語では「もくじ」と読んで、「明示」の反対語であることからも明らかな通り、訳語としては「啓示」が相応しい。『黙示録』はキリスト教徒の間でも、その解釈と正典への受け入れをめぐって多くの論議を呼びおこしてきた書物である。今日、歴史的キリスト教会では正典と認められている。

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最後の晩餐

2013年02月12日 | 聖書

最後の晩餐は、キリスト教新約聖書に記述されているキリストの事跡の一つ。イエス・キリストが処刑される前夜、十二使徒と共に摂った夕食、またその夕食の席で起こったことをいう。

正教会では最後の晩餐とは呼ばず、機密制定の晩餐(きみつせいていのばんさん)と呼ぶ。「晩餐」はイエスの復活後にも弟子達とともに行われていたほか、現在に至るまで聖体礼儀として教会に継承されており、本項で述べる晩餐は「最後の」ものではなかったからだとする。また、正教会では「機密制定の晩餐」のイコンイコノスタシスの王門の上におく規定がある

日本聖書協会による新共同訳聖書では、該当する聖書の記述箇所に「主の晩餐」との見出しがつけられている。

この場面に関して数々のイコンが描かれて来たが、芸術作品としての絵画ではレオナルド・ダ・ヴィンチによるものが有名である

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ダニエル書

2013年01月30日 | 聖書

『ダニエル書』は、旧約聖書の中の一書。キリスト教では「預言書」のひとつとして『エゼキエル書』の後におかれているが、ユダヤ教の分類では(「黙示文学」として)「諸書」に入る。聖書学の高等批評的研究によって、本書はマカベア書の時代に書かれたものであり、旧約聖書中もっとも新しい時代にかかれたものであるという学説もある。しかし、福音派の中には、その説を退ける教派もある。

題名はこの書の主人公であるダニエルに由来する。彼は捕囚の民の一人としてバビロニアに連行されてくるが、その賢明さによってネブカドネツァル2世に重用されたとされる人物である。

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エルサレム神殿

2013年01月30日 | 聖書

エルサレム神殿は、古代エルサレムに存在したユダヤ教の礼拝の中心地。唯一の神ヤハウェの聖所であり、アロンの家系の祭司とレビ人と呼ばれるレビ族出身の非祭司階級が祭祀に当たった。

歴史的には、

がある。 しかし、紀元70年ユダヤ戦争において、ローマ帝国軍、並びにその同盟軍であったハスモン王朝の母系子孫でありヘロデ大王の曾孫にあたるアグリッパII世は、13のトーチカを3日で作ってシオンを包囲し、ユダヤ人兵糧攻めにし、投降してくるユダヤ人をにし、ユダヤでは真夏に相当する第6月8日、9日、10日の3日間に渡って聖所に火を放ち、立て篭もったユダヤ人をホロコーストして、その後に神殿を破壊した。

現在「嘆きの壁」と呼ばれる部分は、このヘロデ神殿を取り巻いていた外壁の西側の部分とされ、ユダヤ人は「西の壁」と呼んでいる。この部分を含め外壁はその基礎部分がほぼすべて残されている。

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ヨブ記

2012年11月06日 | 聖書

The Book of Job ( Hebrew: ??????? ? iyobh), commonly referred to simply as Job, is one of the books of the Hebrew Bible. It relates the story of Job, his trials at the hands of Satan, his discussions with friends on the origins and nature of his suffering, his challenge to God, and finally a response from God. The book is a didactic poem set in a prose frame. The over-riding and oft-asked question asked in the book of Job is, "Why do the righteous suffer?"

The book of Job has been included in lists of the greatest books in world literature.
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詩篇

2012年11月06日 | 聖書

The Book of Psalms (Tiberian: T?hillîm; Modern: Tehillim, ?????????, or "praises"), commonly referred to simply as Psalms, is a book of the Hebrew Bible, the Christian Bible, and the Islamic Zabur. Taken together, its 150 poems "express virtually the full range of Israel's religious faith."

Hermann Gunkel's pioneering form-critical work on the psalms sought to provide a new and meaningful context in which to interpret individual psalms ? not by looking at their literary context within the Psalter (which he did not see as significant), but by bringing together psalms of the same genre (Gattung) from throughout the Psalter. The main genres are:[38]

1.Hymns
2.Lament/complaint psalms
3.Royal Psalms
4.Thanksgiving psalms
5.Wisdom psalms
6.Smaller genres and mixed type
Psalm forms or types also include:[citation needed]

Songs of Zion ? Psalms 48, 76, 84, 87, 122, 134;
Historical litanies ? Psalms 78, 105, 106, 135, 136;
Pilgrim liturgies ? Psalms 81, 21;
Entrance liturgies ? Psalms 15, 24;
Judgment liturgies ? Psalms 50, 82;
Mixed types ? 36, 40, 41, 68

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徳善義和「マルティン・ルター」(2012)

2012年10月07日 | 聖書

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ことばの真理を追い求め,聖書を読んで読みぬく.ひとりの若き修道士の飽くなき探究心が,キリスト教の世界を根底から変え,新しい時代の幕をひらいた.マルティン・ルター.宗教改革者.聖書のことばをひたむきに見つめ,ヨーロッパに中世と近代とを画する歴史の転機をもたらした生涯を描く.

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イトケン:改革は静かに始まり、最後にはローマ・カトリックという権力と衝突せざるをえなかったが、ルターはキリスト教・聖書の「言葉」のみを信じて行動をして、一生を貫いた。聖書は、第一に「祈り」をもって読むべきだ、第二に黙想して繰り返して読むべきだ、第三に試練の多い実生活のだだ中で読め、と人々に心構えを示している。実に、鮮やかな63歳(1483-1546)の人生です。


新約聖書

2012年10月02日 | 聖書

『新約聖書』(ギリシア語: Καινή Διαθήκη, ラテン語: Novum Testamentum)は、紀元1世紀から2世紀にかけてキリスト教徒たちによって書かれた文書で、『旧約聖書』とならぶキリスト教の正典。また、イスラム教でもイエス預言者の一人として認めることから、その一部(福音書)が啓典とされている。『新約聖書』には27の書が含まれるが、それらはイエス・キリストの生涯と言葉(福音と呼ばれる)、初代教会の歴史(『使徒言行録』)、初代教会の指導者たちによって書かれた書簡からなっており『ヨハネの黙示録』が最後におかれている。「旧約聖書」「新約聖書」の「旧」「新」という言い方を避ける(旧だから無視してよい・誤っている、新だから正しい、のではない)ため、旧約聖書を『ヘブライ語聖書』、新約聖書を『ギリシア語聖書』と呼ぶこともある。


旧約聖書

2012年10月02日 | 聖書

旧約聖書は、ユダヤ教およびキリスト教正典である。また、イスラム教においてもその一部(モーセ五書詩篇)が啓典とされている。「旧約聖書」という呼称は旧約の成就としての『新約聖書』を持つキリスト教の立場からのもので、ユダヤ教ではこれが唯一の「聖書」である。そのためユダヤ教では旧約聖書とは呼ばれず、単に聖書と呼ばれる。『旧約聖書』は原則としてヘブライ語で記載され、一部にアラム語で記載されている。

上記3宗教の文化圏では近代の考古学によって古代文明の詳細が明らかになるまで、世界最古の文献と信じられてきた。


カトリックとプロテスタント

2012年09月26日 | 聖書

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≪カトリックとプロテスタントの共通点≫

カトリックとプロテスタントの信じる神は全く同じ共通の唯一の神です。
キリスト・イエスもまったく同じです。
どちらも聖霊の働きを認めます。
聖書もだいたい同じです(カトリックには外典があります)。
洗礼も同じです。プロテスタントの洗礼をうければ、カトリックの洗礼は受ける必要はありません。

≪カトリックとプロテスタントの相違点≫

教会
プロテスタントは地上の教会は人間の作った組織と考え、民主主義的な特徴をもった組織よって運用します。
教皇や教会の権威は認めていません。プロテスタントにとって教会は目に見えない信仰でむすばれたものです。

一方、カトリックの教会は、聖ペトロの後継者であるローマ教皇を中心として形成される信者の集まりです。
したがって、カトリックの教会はその位階制度として目に見える存在です。
教会の司牧に関する権威はイエズス様によって直接与えられたものです。
また、カトリックの教会はキリストの神秘体としての霊的な目に見えない存在でもあります。
カトリックの教会は人間的要素と神的要素の一体化したものなのです。

聖書
プロテスタントは聖書中心主義です。聖書の解釈は個人の良心に任されます。

一方、カトリックは聖書を聖書としたのは教会であると考えます。
聖書があって教会があるのではなく、教会があって聖書があると考えるのです。
したがって、聖書の解釈は教会の仕事です。
*参考図書『キリスト教の常識』(セラフィノ・フィナテリ著、聖母の騎士社pp238-257)

秘蹟
多くのプロテスタント教会は洗礼・堅信または洗礼・聖餐を除きカトリックのすべての秘蹟を認めていません。

ミサ
プロテスタントにはミサはありません。
カトリック信徒には少なくとも年に一度、ミサに与る義務があります。

神父と牧師
牧師はプロテスタント教会の信徒の代表で基本的に信徒と同じ身分です。また、結婚できます。
一方、カトリック教会の神父は叙階の秘蹟をうけて神父になります。
また、神父には秘蹟を中心とする信徒にはない権能が与えられています。
とくに告解の秘蹟では神の代理として信徒の罪を許します。
信徒の悩みや罪を聞くため、ふさわしい知識と人格が求められます。
そのため、神父になるには長い勉強と修練が必要です(イエズス会では10年以上)。
ちなみに神父の行う秘蹟は神父がどのような状態であれ有効です。
つまり、神父の人格や罪に関係なく成立します(1584)。
神父は独身でその生涯を司牧に捧げます。
司祭はその犠牲に対して特別な恵みを受けています。それは次のようなものです。
「司教が受ける恵みはおもに勇気の恵みです。すなわち、すべての人、とくに貧しい人、病人、困窮者
に対する無償の愛をもって、父のように、羊飼いのように、教会を力強く賢明に導き擁護するための
恵みです。」(1586)

マリア
大部分のプロテスタントの教会はマリアを特別に考えません。「イエスはヨセフとマリアの自然の子である」(マルティン・ルター)というのが、その基本姿勢です。

一方、カトリックでは、マリア様は天使のお告げを従順に受け入れ、汚れのないまま(処女のまま)イエズスを懐胎し、生んだため、特別の恵みを持ち,地上の生涯を終えると、肉体と霊魂とともに天国に上げられたと信じます(聖母マリアの被昇天)。
信徒はマリア様に主へのとりなしを求めます(天国にいるマリア様に対し、神様にいっしょに祈ってくれるように頼む)。
マリア様は女神ではありません。マリア様はわたしたちの誰よりも早く天に上げられた恵まれた方です。

教会のおきて
プロテスタントには教会のおきてはありません。カトリックにはあります。それは次の5つです。

1.主日(日曜日、または日本では土曜の夜も認められる)と守るべき祝日(復活祭、クリスマスのミサ)を聖とし、ミサ聖祭に与るべし。
2.少なくとも年に一度は必ず告白すべし。
3.少なくとも年に一度はご復活祭のころ聖体を受くべし。
4.定められたる期日(日本では灰の水曜日と聖金曜日)には償いの務め(大斎、小斎)を果たすべし。
5.各々の分に応じて(日本では収入の2~5%とされる)教会維持費を負担すべし。

*カトリックの歴史が長い国・地域によっては毎週金曜日に肉を食べないところもある。

告解
カトリックでは犯した罪を司祭に告白し、許しを請います。司祭はその権能により、神に代わって
罪を許します。これを告解の秘蹟といいます。七つの秘蹟の一つです。信徒は大罪をもったまま死ぬと
天国に入れないので告解の秘蹟によって罪を許してもらう必要があります。
プロテスタントには告解はありません。

離婚
カトリックでは婚姻の秘蹟によって結び付けられた男女の関係は解消できません(不解消性)。
民法上の離婚は、倫理的に容認されていますが、容認には条件を伴います。
別れて再婚すると、その人は恒常的な姦通の状態にあると考えます。
また、結婚前の性的交渉も禁じています。

飲酒・喫煙
カトリックでは度を越した飲酒、喫煙は慎むべきであると考えますが、適度の飲酒・喫煙なら禁じてはいません。
プロテスタントでは概して飲酒、喫煙を禁じています。

避妊・妊娠中絶
カトリックでは自然に反するような避妊行為(コンドーム、経口避妊薬など)を禁じています。
妊娠中絶も禁じています。
プロテスタントは概して容認する立場を取ります。

聖人
カトリックには聖人がいますが、プロテスタントは認めていません。よく知られた聖人は
セント・ニコラウス(サンタクロース)と、セント・バレンタインでしょう。


バビロン捕囚(紀元前597年)

2012年09月20日 | 聖書

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紀元前597年、ネブカドネザル王はエルサレム市街に入城し、住民のうちもっとも有力な若い者をユダヤ人の王エホヤキムとともに殺害し、約3,000人(『エレミヤ書』によると3,023人)の有力者を捕虜としてバビロンに拉致した。

エホヤキムの息子のエホヤキンが王国を嗣いだが、ネブカドネザル王は謀反を恐れ、エホヤキンや王族をはじめとしてエルサレム市内の若者や職人たちのすべてをバビロンに連行させた。その数は10,832人に達したという。エホヤキン王の叔父ゼデキヤが王位を継承したが、紀元前586年7月11日(ユダヤ暦3175年アヴ9日)、エルサレムは破壊され、ゼデキヤ王以下ユダヤ人たちはバビロンへ連行された。

ユダの捕囚民

ユダの捕囚民の大部はバビロニアにあるニップル市そばの灌漑用運河であるケバル川沿いに移住させられた(『エゼキエル書』による)。この地域はかつてアッシリア人の要塞があったが、新バビロニア勃興時の戦いによって荒廃しており、ユダヤ人の移住先にここが選ばれたのは減少した人口を補うためであったと考えられる。一方で職人など熟練労働者はバビロン市に移住させられ主としてネブカドネザル2世が熱心に行っていた建設事業に従事することになった。

『エゼキエル書』などの記録から、当初ユダの捕囚民達はこのバビロニアへの強制移住は一時的なものであり、間をおかず新バビロニアは滅亡して故国へ帰還できるという楽観論を持っていたといわれている。これに対しエレミヤエゼキエルはエルサレム神殿の破滅が近いことを預言し、繰り返し警告を与えたが「救いの預言者」と呼ばれた人々は楽観論を吹聴してまわり、捕囚民達は滅びの預言に耳を傾けることはなかった。しかし、上述した如く紀元前586年にエルサレム神殿が破壊されると、ユダの捕囚民に広がっていた楽観論は粉砕された。

ユダヤ人とバビロニア文化

すぐに故国に帰れるというユダヤ人の希望は幻と消え、長期に渡ってバビロニアに居住することになったユダヤ人は現地の文化の著しい影響を受けた。1、2世代を経るうちに、捕囚民の中にはバビロニア風の名前を持つ者が数多く現れた。エホヤキン王の孫ゼルバベル(「バビロンの種」の意)の例に見られる如く王族の間ですらその傾向は顕著であった。

また月名にバビロニア月名が採用された。旧来のユダヤ月名は「第一月」「第二月」のように番号でもって呼称されていたが、これが「ニサン月(第一月)」「イヤル月(第二月)」のようにバビロニア名でもって呼ばれるようになった。

そして文字文化にも大きな影響が齎された。旧来の古代ヘブル文字に変わってアラム文字草書体が使用されるようになり、文学にもバビロニア文学の影響が見られるようになった。

一方でバビロンのユダヤ人たちは、バビロニアの圧倒的な社会や宗教に囲まれる葛藤の中で、それまでの民族の歩みや民族の宗教の在り方を徹底的に再考させられることになった。宗教的な繋がりを強め、失ったエルサレムの町と神殿の代わりに律法を心のよりどころとするようになり、神殿宗教であるだけではなく律法を重んじる宗教としてのユダヤ教を確立することになった。また、この時期に神ヤハウェの再理解が行われ、神ヤハウェはユダヤ民族の神であるだけでなくこの世界を創造した神であり唯一神である、と理解されるようになった。バビロニアの神話に対抗するため、旧約聖書の天地創造などの物語も、旧約聖書学で「第2イザヤ」「祭司記者」などと呼ばれている宗教者たちにより記述されていった。後のローマ帝国以降のディアスポラの中でも失われなかったイスラエル民族のアイデンティティはこうしてバビロン捕囚をきっかけとして確立されている。

ヘレニズム
古代ギリシャの精神や文化
人間の自由と平等
合理主義

ヘブライズム
ユダヤ教を含めたキリスト教の精神
「神中心、宗教的、信仰的」で人間が有限であり唯一神への信仰が必要と考える。


イエス・キリストに妻?=記述の古文書見つかる(2012.9.18)

2012年09月18日 | 聖書

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イエス・キリストが結婚していた可能性を示唆する古文書が見つかったと米ハーバード神学大学院の研究者が18日、ローマで開催された学会で発表した。米紙ニューヨークタイムズなどが伝えた。
 この古文書はコプト語で書かれたパピルスの断片で、名刺大の大きさ。4世紀につくられたものとみられる。「イエスは彼らに言った。私の妻は」という字句が読み取れ、「彼女は私の弟子になることができよう」と書かれた部分もあった。
 イエスが自身の妻に言及したとする古文書が見つかったのは初めて。
 発表した同大学院のカレン・キング教授は「伝統的キリスト教は、イエスは結婚していなかったという立場だが、立証されていたわけではない」と指摘する一方、イエスが妻帯者だったことを証明するものでもないと慎重な態度を示している。
 ただ、この文書を契機に、イエスの処刑・埋葬に立ち会い、復活したイエスと対話したとされるマグダラのマリアと結婚していたのか、女性の弟子がいたのかなど、キリスト教の謎をめぐる新たな論争が再燃する可能性がある。
 米作家ダン・ブラウンの世界的ベストセラーとなった小説「ダ・ヴィンチ・コード」はイエスと妻のマグダラのマリアが子どもをもうけたとの仮説を基にしたストーリーを展開している。(2012/09/19-18:53)