譬を理解する上で、イエスの生きた2000年前のローマ帝国およびパレスティナの社会状況と、ユダヤ教の宗教的状況についての最低限の知識が要求されます。これについては、これまでのページでかなり詳しく書いてきましたので、そちらを参照下さい。このページで紹介できる分量を遥かに超えていますので、要点だけをまとめますと・・・
当時のユダヤの民衆は、経済的にはローマ帝国や大土地所有者による搾取の対象とされ、自作農は零落し小作農民となったり日雇い労働者が多数存在していました。宗教的社会的には最下層民・病人や遊女や徴税人などは、パリサイ派などから差別の対象にされる状況下にありました。宗教的権威は、最高機関である最高法院(サンヘドリン)を統括する大祭司を頂点とし、その下に最高評議会組織とその構成メンバーである祭司長や資産家長老やファリサイ派指導者がいて、さらに神殿に仕える祭司が存在し、祭司の生活を支える下級祭司・レビ人が続き、一般民衆、そして最も下には貧民層が位置づけられてました。他に荒野に隠遁しているエッセネ派がいて、ファリサイ派やサドカイ派とは一線を画しており、民衆にはそれなりに人気があったと思われます。新約聖書によれば、イエスが批判したのはパレスチナの一般民衆を「地の民」と呼んで、宗教的に不浄な者として差別し、その差別の上に自らの宗教的清さを立てようとした彼らの偽善的あり方であり、そもそも本来人間の為に存在する律法を形式化・絶対化し、人間を律法によって縛ろうとする律法主義であったと考えられます(しかし、歴史的実在のパリサイ派と完全に対立していたと判断することも難しいと思われます。ファリサイ派の強硬派と対立していたのではないかと言う考え方もあります)。イエスが行っていた宣教と癒しは、神の国の到来(イエスの語りで確証され、現実化しつつある神の支配)を民衆に確認させるものだったでしょう。イエスの問題提起は、このような人々の状況の中で、神の憐れみ(愛)が、どのような方法で差別された者達や民衆へ現実のものとなるうるのかであったのでしょう(これはローマとサンヘドリンの政治的宗教的権力・権威の批判へと徹底化する可能性を孕み、これが結果的に受難に繋がったと思われます)。
譬で重要な項目は、主体-対象-論争の場を取り巻く人(イエスの語りを聞く聴衆)の3者の関係ですが、イエスの譬では、その場にいた聴衆が誰であったのかが、伝承される過程で欠落したものが多いと思われます(福音書書記者間の記述の違いから)。