goo blog サービス終了のお知らせ 

一身二生 「65年の人生と、これからの20年の人生をべつの形で生きてみたい。」

「一身にして二生を経るが如く、一人にして両身あるが如し」

アカシヤ

2014年07月19日 | 聖書

荒れ野に杉やアカシヤを ミルトスやオリーブの木を植え 荒れ地に糸杉、樅、つげの木を共に茂らせる。(イザヤ41:19)
幕屋の壁板をアカシヤ材で作って立てなさい。(出エジプト記26:15)

イザヤ書の記載を除いてすべてアカシア材になっていてエッツェイ・シティームまたは類似語となっている。そこでこれらは木材に使用できるアカシアということになる。またヨシュア記2:1などには地名としてシティムというアカシアのヘブライ語が複数形で書かれている。
A. tortillisはアラバの谷に自生しているが、A.raddianaはより広範囲に自生し、シナイの現フェイラン・オアシスにも自生している。A.tortillisよりも気温の低いところにも耐える。A.albidaはアフリカ原産の木で、イスラエルには海岸沿いや下部ガリラヤなどに見られる鋭い白いとげのある木である。

Shokubutu02


イエスの譬の歴史性

2014年07月05日 | 聖書

譬を理解する上で、イエスの生きた2000年前のローマ帝国およびパレスティナの社会状況と、ユダヤ教の宗教的状況についての最低限の知識が要求されます。これについては、これまでのページでかなり詳しく書いてきましたので、そちらを参照下さい。このページで紹介できる分量を遥かに超えていますので、要点だけをまとめますと・・・

当時のユダヤの民衆は、経済的にはローマ帝国や大土地所有者による搾取の対象とされ、自作農は零落し小作農民となったり日雇い労働者が多数存在していました。宗教的社会的には最下層民・病人や遊女や徴税人などは、パリサイ派などから差別の対象にされる状況下にありました。宗教的権威は、最高機関である最高法院(サンヘドリン)を統括する大祭司を頂点とし、その下に最高評議会組織とその構成メンバーである祭司長や資産家長老やファリサイ派指導者がいて、さらに神殿に仕える祭司が存在し、祭司の生活を支える下級祭司・レビ人が続き、一般民衆、そして最も下には貧民層が位置づけられてました。他に荒野に隠遁しているエッセネ派がいて、ファリサイ派やサドカイ派とは一線を画しており、民衆にはそれなりに人気があったと思われます。新約聖書によれば、イエスが批判したのはパレスチナの一般民衆を「地の民」と呼んで、宗教的に不浄な者として差別し、その差別の上に自らの宗教的清さを立てようとした彼らの偽善的あり方であり、そもそも本来人間の為に存在する律法を形式化・絶対化し、人間を律法によって縛ろうとする律法主義であったと考えられます(しかし、歴史的実在のパリサイ派と完全に対立していたと判断することも難しいと思われます。ファリサイ派の強硬派と対立していたのではないかと言う考え方もあります)。イエスが行っていた宣教と癒しは、神の国の到来(イエスの語りで確証され、現実化しつつある神の支配)を民衆に確認させるものだったでしょう。イエスの問題提起は、このような人々の状況の中で、神の憐れみ(愛)が、どのような方法で差別された者達や民衆へ現実のものとなるうるのかであったのでしょう(これはローマとサンヘドリンの政治的宗教的権力・権威の批判へと徹底化する可能性を孕み、これが結果的に受難に繋がったと思われます)。

譬で重要な項目は、主体-対象-論争の場を取り巻く人(イエスの語りを聞く聴衆)の3者の関係ですが、イエスの譬では、その場にいた聴衆が誰であったのかが、伝承される過程で欠落したものが多いと思われます(福音書書記者間の記述の違いから)。

51ors8jlkrl__sl500_aa300_


ソロモンの知恵

2014年06月19日 | 聖書

ソロモン(ヘブライ語: ????? Š?lōmōh Shlomo, ギリシア語: Σολομών, ラテン語: Salomon, アラビア語: ?????? Sulaymān, トルコ語: Suleyman, 紀元前1011年頃 - 紀元前931年頃)は、旧約聖書の『列王記』に登場する古代イスラエルイスラエル王国)の第3代の王(在位紀元前971年 - 紀元前931年頃)。父はダビデ。母はバト・シェバエジプトに臣下の礼をとり、ファラオの娘を降嫁されることで安全保障を確立し、古代イスラエルの最盛期を築いた。

王位継承に伴う混乱が収まり、イスラエル「王国はソロモンによって確立した」(Ⅰ列王記2:46)そのとき、神様がソロモンの夢のうちに現れて「あなたに何を与えようか。願え。」(Ⅰ列王記3:5)と仰せられました。するとソロモンは「善悪を判断してあなたの民をさばくために聞き分ける心をしもべに与えてください。さもなければ、だれに、このおびただしいあなたの民をさばくことができるでしょうか。」 (Ⅰ列王記3:7~9)と答えます。「この願い事は主の御心にかなった」(Ⅰ列王記3:10)ことでした。そこで神様は「あなたがこのことを求め、自分のために長寿を求めず、自分のために富を求めず、あなたの敵のいのちをも求めず、むしろ、自分のために正しい訴えを聞き分ける判断力を求めたので、今、わたしはあなたの言ったとおりにする。見よ。わたしはあなたに知恵の心と判断する心とを与える。あなたの先に、あなたのような者はなかった。また、あなたのあとに、あなたのような者も起こらない。」(Ⅰ列王記3:11~12)と知恵の心と判断する心をお与えになりました。


恩寵(神の恵み)」

2014年06月17日 | 聖書

「恩寵(神の恵み)」の概念の祖形はヘブライ語旧約聖書およびギリシャ語訳旧約聖書(七十人訳聖書)に存在する。ヘブライ語版旧約聖書において、「恵み」と、これに関連のある「憐み」とは、別の語彙で言い表されている。

  • ヘーン(「恵み」「恩寵」) - 恩恵的意味。神が敬虔な者・苦しんでいる者を好意を以て省みる事を意味する。旧約における多くの場合に、契約において明らかになったように、選ばれるに値しない民が神によって選ばれた事を言い表している。
  • ヘセド(「憐み」) - 契約に基づく親愛の関係。神の民に対する神の態度のみならず、人々が助け合う義務を負いながら互いに向け合う感情などについて、誠実な親切心といった心情を言い表すために用いられる。
  • ラハミーム - 罪のゆるしに

贖う者

2013年10月09日 | 聖書

主は贖う者として来られる

 イザヤ書59章12~20節。イザヤ書の第三部、56章以下を読むと、バビロンから帰還したイスラエルの民は夢と現実の間の落差に失望し、ひどく落胆していたことが分かります。人々は前途に明るい希望を抱いて祖国に戻ってまいりました。彼らをバビロンから解放してくれた神も、その歩みを導いてくれるはずでありました。しかし、その歩みが困難を極めますと、期待が大きかっただけに、人々は落胆の底に沈んでいくのであります。59章9節では、「わたしたちは光を望んだが、見よ、闇に閉ざされ、輝きを望んだが、暗黒の中を歩いている」というつぶやきの声が聞こえてきます。11節では「救いを望んだが、わたしたちを遠く去った」と言われます。そして、その背後には、神に対する不信と疑いが渦巻いていたのです。

『創世記』

2013年08月23日 | 聖書

『創世記』(ヘブライ語: ???????, ギリシア文字転写: Γένεσις ゲネシス、: Genesis)は、古代ヘブライ語によるユダヤ教キリスト教の聖典で、イスラム教啓典である聖書旧約聖書)の最初の書であり、正典の一つである。写本が残っており、モーセが記述したとされている。

いわゆるモーセ五書は、ユダヤ教においてはトーラーと呼ばれている。創世記はヘブライ語では冒頭の言葉をとって ???????(ベレシート ヘブライ語で「はじめに」という意味)と呼ばれており、ギリシャ語名の「ゲネシス」は「誕生、創生、原因、開始、始まり、根源」の意である。

Adam2


『出エジプト記』『レビ記』

2013年08月23日 | 聖書

『出エジプト記』(ヘブライ語: ?????、英語: Exodus)は、旧約聖書の二番目の書であり、『創世記』の後を受け、モーセが、虐げられていたユダヤ人を率いてエジプトから脱出する物語を中心に描かれている。モーセ五書(トーラー)のひとつであり、ユダヤ教では本文冒頭の言葉から『シェモース』と呼ぶ。全40章から成る。

『レビ記』(ヘブライ語: ??????、: Leviticus)とは旧約聖書中の一書で、伝統的に三番目に置かれてきた。モーセ五書のうちの一書。ヘブライ語では冒頭の言葉から「ワイクラー」と呼ばれるが、これは「神は呼ばれた」という意味である。内容は律法の種々の細則が大部分を占めている。

Syutuejiputo


『サムエル記』『列王記』

2013年08月23日 | 聖書

サムエル記』は旧約聖書におさめられた古代ユダヤの歴史書の1つ。元来、『列王記』とあわせて1つの書物だったものが分割されたようである。また『サムエル記』自体も上下にわかれているが、これはギリシャ語聖書以来の伝統である。また、正教会においては列王記第一、列王記第二と呼称される。内容的には『士師記』のあとを受け、『列王記』へと続いていく。タイトルは最後の士師であり、祭司であったサムエルに由来。ユダヤ教の分類では『ヨシュア記』『士師記』『列王記』と共に「前の預言者」にあたる。

この書物の原作者は、サムエルナタンガドであると伝えられている(歴代誌上 29:29)。

『列王記』は旧約聖書におさめられた古代ユダヤの歴史書の1つ。元来、『サムエル記』とあわせて1つの書物だったものが分割されたようである。また『列王記』自体も上下にわかれているが、これは七十人訳聖書以来の伝統である。また、正教会においては『列王記第三』、『列王記第四』と呼称される。内容的には『サムエル記』のあとを受け、『歴代誌』へと続いていく。ユダヤ教の分類では『ヨシュア記』『士師記』『サムエル記』と共に「前の預言者」にあたる。

この書物の原作者は、伝統的にエレミヤであると伝えられている。

Samueru Retuou


『民数記』『申命記』

2013年08月23日 | 聖書

『民数記』(ヘブライ語: ??????、英語: Numbers)とは旧約聖書中の一書で、伝統的に四番目に置かれてきた。モーセ五書のうちの一書。イスラエルの民の人口調査に関する記述があることから、七十人訳聖書では『アリスモイ』(数)と呼ばれ、そこから民数記という名称が生まれた。ヘブライ語では冒頭の語から『ベミドバル』と呼ばれるが、これは「荒れ野に」という意味である。

物語は出エジプトの出来事から二年二ヶ月後に始まり、ヨルダン川にたどりつくのが40年目であるとしている。

『申命記』は、伝承では死を前にしたモーセがモアブの荒れ野で民に対して行った3つの説話をまとめたものであるとされている。

  • 第1の説話(1章~4章)では、40年にわたる荒れ野の旅をふりかえり、神への忠実を説く。
  • 第2の説話(5章~26章)は中心部分をなし、前半の5章から11章で十戒が繰り返し教えられ、後半の12章から26章で律法が与えられている。
  • 最後の説話(27章~30章)では、神と律法への従順、神とイスラエルの契約の確認、従順なものへの報いと不従順なものへの罰が言及される。
  • 最後の説話の後、モーセは来るべき死への準備をし、ヨシュアを自らの後継者として任命する。その後、補遺といわれる部分が続く。
    • 32章1節~47節は、『モーセの歌』といわれるものである。
    • 33章では、モーセがイスラエルの各部族に祝福を与える。
    • 32章48節~52節および34章では、モーセの死と埋葬が描かれて、モーセ五書の幕が閉じられる。

Minnsuu


『ヨシュア記』『士師記』

2013年08月23日 | 聖書

『ヨシュア記』( ヘブライ語: ??? ??????)は聖書の書物である。

そこには、ヨシュアの指導の下、イスラエル人がカナンに住む諸民族を武力で制圧し、約束の地を征服していく歴史が記されている。この書物は、キリスト教においては「歴史書」に、またユダヤ教においては預言書に分類される。

『士師記』は聖書の書物である。

ヨシュアの死後、サムエルの登場に至るまでのイスラエル人の歴史が含まれており、他民族の侵略を受けたイスラエルの民を、「士師」と呼ばれる歴代の英雄達が救済する内容である。この書物は、キリスト教においては旧約聖書に、また、ユダヤ教においては預言者に分類される。この書物の原作者は、伝統的にサムエルであると信じられている。

Yosyia


『哀歌』

2013年08月23日 | 聖書

『哀歌』(????? ???? ’ēykhāh エーハー, Klagelieder (Jeremias), Book of Lamentations)はヘブライ聖書の中の一書。『エレミヤの哀歌』とも。ユダヤ教が用いるマソラ写本では「諸書」に分類されるが、キリスト教聖書が底本として用いた七十人訳聖書ではエレミヤの作であることが冒頭で触れられ、『エレミヤ書』の後に収められている(作者はユダヤ教でもキリスト教でも預言者エレミヤに帰せられる)。

哀歌というとおり、本書には5つの歌がおさめられている。それぞれは紀元前586年におきたエルサレムの陥落とエルサレム神殿の破壊を嘆く歌であり、バビロン捕囚の時代につくられたものと考えられている。

ちなみに第1~第4の歌はヘブライ文字アルファベットが各連のはじめに来るような技巧を凝らした歌になっている。第5の歌は厳密には哀歌でなく、民の祈りになっている。

Ruthu