goo blog サービス終了のお知らせ 

一身二生 「65年の人生と、これからの20年の人生をべつの形で生きてみたい。」

「一身にして二生を経るが如く、一人にして両身あるが如し」

ひとり酒場

2019年02月22日 | 社会
おひとり様ブームの昨今、酒場や食堂にもその波はやってきています。
好きな店で、好きな酒と肴、食事を頼み、好きなように時間を過ごし、好きな時に帰る。
自分ならではの時間を愉しむことができるのが醍醐味。
本誌では、そんな“ひとり時間"を過ごすのにぴったりのお店100軒を
ピックアップしてご紹介。
いざという時、知っているときっと役に立つお店ばかり。
保存版として是非ご活用ください。


[企画内容]
・一度は行きたい! 老舗酒場&大衆食堂

・詳しいデータで比較&検索! ひとり酒場&大衆食堂早見表

・ジャンル別 ひとり酒場と大衆食堂案内
立ち呑み/昭和酒場/コの字/串/魚/日本酒/角打ち/ビール/ワイン/大衆食堂

・エリア別 駅チカでサクッと定食ランチ
新橋/新宿/渋谷/池袋

東京酒場

2019年02月21日 | 社会
「ちょっと酔ってく? 170 軒」 東京に酒場は数あれど、老舗とまでいわれる酒場はひと握り。 時がうつろい、街が変貌しても、変わらず人を惹きつけ続ける酒場には 一体どんな魅力が潜んでいるのだろう。 その秘訣を自分の目と舌と喉で味わってみませんか? さあ、東京の名酒場へ。
出版社からのコメント
心地よいとはこういうこと 散歩の達人 東京名酒場

居酒屋百名山

2019年02月20日 | 社会
北海道から沖縄まで、その土地に行くとなぜか自然に足が向いてしまう店…共通するのは、店全体と集う人々が醸し出す居心地のよさだった。地元の歴史や風土、気質まで映すその佇まいに誘われるように、季節を変え時間を変え、通い詰めた特選百軒。いつもの席から眺めて綴る、百店百様の至福のとき―。二十余年にわたり居酒屋探求を続けてきた著者渾身の集大成。各店住所データ付。
著者略歴
太田/和彦
1946(昭和21)年生れ。資生堂宣伝制作室デザイナーを経てデザイン事務所設立。2001~08年東北芸術工科大学教授。本業のかたわら日本各地の居酒屋を訪ね、著作を発表(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

新橋酒場

2019年02月19日 | 社会
東京を代表する飲み屋街「新橋」の酒場が1冊にまとまりました!
巻頭特集ではお酒好きで知られる、俳優・角野卓造さんが登場!
意外にも新橋で呑むのは、ほぼ初めてだそう。
酒場の魅力やご自身のお酒にまつわるお話を伺いました。
そして、新橋で外せないのが、「ビル系酒場」。
ディープで足を踏み入れずらいと思っている方も必見!
事前に情報をチェックしておけば安心です。
その他、老舗や名物料理のお店などもたっぷり紹介しています。
新橋呑みには欠かせない一冊。
ぜひ保存版としてご活用ください。

[企画内容]
・角野卓造さん、ほぼ・初 新橋で呑む

・混雑時間、ビールの値段、メニュー数などあらゆるキーワードで比較&検索!
新橋酔い処早見表

・テーマ別新橋名酒場案内
老舗・名店/大将・女将/名物料理/立ち呑み/串/魚/せんべろ/ニューウェーブ/銘酒/ビール/BAR

・ひと足のばしてわざわざ行きたい! 新橋周辺の名酒場

新橋はビルが面白い!
・新橋駅前ビル1号館・2号館
・ニュー新橋ビル

コラム
・実食!実飲! リアルはしご酒
・新橋名酒場の評判ランチ

・新橋酔い処地図
・角野さんサイン色紙プレゼントも! 読者プレゼント

吉田類 酒場

2019年02月18日 | 社会
各地を巡る旅の日々を送り、ときにほろ酔い、ときに酩酊しつつ、出会った人々と酒縁を結ぶ。月刊『中央公論』連載エッセイを書籍化。
内容
『土佐日記』の作者・紀貫之は、国司の任を終えた送別の宴で連日、熱烈に歓待された。酒好きが多く、酔うほどに胸襟を開く土地柄なれば、開放的な酒宴は今なお健在、と高知出身の著者は言う。福沢諭吉の名言ならぬ「酒は人の上に人を造らず」を地でいく著者は、東京の下町をはじめ、北海道、福島、京都、愛媛、熊本など各地を訪ね、出会った人たちと縁を結ぶ。酒場の風情と人間模様を描く、読みごたえたっぷりの紀行エッセイ。

哲学者の梅原猛さん死去

2019年02月17日 | 社会
哲学者の梅原猛さん死去 日本古代史に大胆な仮説を展開

2019/01/14 01:11

国連部会「恣意的拘束だ」日本に通知
「節操なし」細野氏が自民入り模索
 独自の理論で日本古代史に大胆な仮説を展開した哲学者で、国際日本文化研究センター(日文研、京都市西京区)の初代所長を務めた文化勲章受章者の梅原猛(うめはら・たけし)さんが12日、死去した。93歳だった。
 1925年、仙台市生まれ。京都大学哲学科卒業後、立命館大学教授や京都市立芸術大学長などを歴任した。
 60年代から日本文化研究に傾倒し、72年に奈良・法隆寺は聖徳太子の怨霊を鎮めるために建てられたとする「隠された十字架―法隆寺論」を出すと、73年には万葉歌人の柿本人麻呂は流刑死したとする「水底(みなそこ)の歌―柿本人麿論」を刊行。通説を覆す独創的な論は「梅原古代学」と呼ばれ、大きな反響を呼んだ。
 80年代前半には、日本文化を総合的に研究する中心機関の必要性を訴え、当時の中曽根康弘首相に直談判するなど政府関係者を説得。日文研の創設にこぎ着け、87年に初代所長に就任した。

ドリアン助川

2019年02月16日 | 社会
ドリアン助川(ドリアン すけがわ、1962年6月17日 - [1])は、日本の作家、詩人、歌手、道化師。日本ペンクラブ理事。日本ペンクラブ「子どもの本」委員長。日本文藝家協会会員。

東京都生まれ。中学卒業迄神戸市で育ち[1]。アメリカンフットボールが出来る進学校に憧れ、名古屋市へ単身引っ越し東海高等学校に進学[2]。同校卒業後、1浪して、早稲田大学第一文学部東洋哲学科に進学し、同大学を卒業[1][3]。日本菓子専門学校通信課程卒業[4]。早稲田大学時代には劇団を主宰し、卒業後は雑誌ライター、放送作家などを経て、1990年、東欧革命取材をキッカケに「叫ぶ詩人の会」を結成。芸名である「ドリアン助川」で「言葉の復権」をテーマに、世の中の森羅万象を激しいロックに乗せて独自のスタイルで叫ぶそのパフォーマンスで話題になる。
1995年10月、現役高校教諭の後藤鮪郎が出演していたラジオ番組の後を受け、相談番組『ドリアン助川の正義のラジオ!ジャンベルジャン!』のパーソナリティを担当。また、並行して若者の人気を集め、海外のアーティストを紹介する『金髪先生』(テレビ朝日)などに出演するようになる[1][3][5]。
しかし、1997年11月にバンドメンバーが薬物所持で逮捕された事で所属レコード会社との契約も打ち切られ、1999年に叫ぶ詩人の会を解散。 2000年3月、語学留学を名目に前述のラジオ番組を降板し[6]、単身ニューヨークに渡米。9.11発生で、ニューヨーク滞在中も番組に出演[7]し、2002年9月末迄に滞在。
日米混成バンドAND SUN SUI CHIE(アンド・サン・スー・チー)を結成し、ライブハウスで歌う。帰国後は芸名を変更し、の執筆とライブ活動を主な生業とする。2007年4月より2008年3月までNHK総合テレビ「未来観測 つながるテレビ@ヒューマン」において、全国の頑張っている人に会いに行き、歌を届けるコーナー『哲也の陽はまた昇る』を担当。ギタリストのMITSUとともに、年間48曲をオンエア。これを機にMITSUとともに、「アルルカン洋菓子店」のユニットを結成し、歌うアルルカン(道化師)として朗読と歌をミクスチャーしたステージを2011年12月まで展開[1][3]。その後は、新たにギタリスト・ピクルス田村を得て、「アルルカン・ヴォイス・シアター」のユニット名で活動。[要出典]
2015年4月からは、15年振りにニッポン放送にて放送している『テレフォン人生相談』でパーソナリティを務めている[5]。
著書も多数ある。小説『あん』がフランス、ドイツ、イタリア、英国など世界12カ国で、『ピンザの島』がフランス、ドイツ、台湾などで翻訳刊行されている。2017年、フランスの2つの文学賞、「DOMITYS文学賞」と「Le Prix des Lecteurs du Livre du Poche(文庫本読者賞)」を得る。またアメリカ横断ウルトラクイズでは構成作家を務めていたこともあった。

臨済録

2019年02月15日 | 社会
臨済の弟子の三聖慧然によってまず編纂された。その後も円覚宗演によって増補され、宣和2年(1120年)に印刷された。その後、広く流布し、「語録の王」と呼ばれている。
北宋の馬防による序文の「序」、弟子たちとの問答集の「上堂語」、弟子への講義録の「示衆」、他の禅僧との問答集の「勘弁」、伝記の「行録」、「眞定十方臨濟慧照玄公大宗師道行碑」「臨濟正宗碑銘」の碑文2つの「塔記」から構成される。
版本・訳注[編集]
『続古尊宿語要』
『古尊宿語録』
「五山版」
「古活字版」
『大正新脩大蔵経 巻48』
『臨済録』(朝比奈宗源訳注、岩波文庫、1935年、のち改版→タチバナ教養文庫、2000年/一穂社、2004年)
『臨済録』(柳田聖山訳、中央公論新社・中公クラシックス、2004年)、旧版・其中堂、1961年
『臨済録』(古田紹欽訳註、角川文庫、1962年)
『佛典講座 30 臨済録』(柳田聖山、大蔵出版、1972年、新版2008年)
『禅の語録 10 臨済録』(秋月龍珉訳著、筑摩書房、1972年、新版2016年)
『世界の名著 18 禅語録』(新版・中公バックス、1978年)
『臨済録』(入矢義高訳注、岩波文庫、1989年→ワイド版1991年)
『臨済録』(山田無文著、禅文化研究所、2001年)
関連書籍[編集]
『臨済録講話』(釈宗活著、光融館、1924年)
『臨済録 - 聖典講話』(間宮英宗著、新興出版社、1935年)
『臨済及臨済録の研究』(陸川堆雲著、喜久屋書店、1949年)
『臨済録提唱』(足利紫山著、大法輪閣、1954年)
『臨済録の思想』(古田紹欽著、春秋社、1956年)
『提唱臨済録』(上・下、平田精耕著、柏樹社、1984年)
『臨済録物語』(中村文峰著、大蔵出版、1992年)
『臨済録一字索引』(ウルス・アップ編、花園大学国際禅学研究所、1993年)
『臨済録 - 禅の神髄』(里道徳雄著、NHKライブラリー、1995年)
『臨済録講話』(大森曹玄著、春秋社、1980年、新装版2005年)
『臨済録をめぐる断章 - 自己確立の方法』(西村惠信著、禅文化研究所、2006年)
『臨済録 - 禅の語録のことばと思想』(小川隆著、岩波書店「書物誕生」、2008年)
『生きてるだけでいいんだよ -『臨済録』自由訳による-』(町田宗鳳著、創美社、2009年)
『『臨済録』を読む』(有馬頼底著、講談社現代新書、2015年)
『臨済録提唱』(中村文峰著、春秋社、2016年)
『柳田聖山集 第4巻 臨済録の研究』(法蔵館、2017年)
参考文献[編集]
『禅の歴史』(伊吹敦著、法蔵館、2002年)p68
『禅学大辞典』(大修館書店、1978年)p1296

維摩経

2019年02月14日 | 社会

維摩経は初期大乗仏典で、全編戯曲的な構成の展開で旧来の仏教の固定性を批判し在家者の立場から大乗仏教の軸たる「空思想」を高揚する。
内容は中インド・ヴァイシャーリーの長者ヴィマラキールティ(維摩詰、維摩、浄名)にまつわる物語である。
維摩が病気[3]になったので、釈迦が舎利弗・目連・迦葉などの弟子達や、弥勒菩薩などの菩薩にも見舞いを命じた。しかし、みな以前に維摩にやりこめられているため、誰も理由を述べて行こうとしない。そこで、文殊菩薩が見舞いに行き、維摩と対等に問答を行い、最後に維摩は究極の境地を沈黙によって示した。
維摩経は明らかに般若経典群の流れを引いているが、大きく違う点もある。
一般に般若経典は呪術的な面が強く、経自体を受持し読誦することの功徳を説くが、維摩経ではそういう面が希薄である。
般若経典では一般に「空」思想が繰り返し説かれるが、維摩経では「空」のような観念的なものではなく現実的な人生の機微から入って道を窮めることを軸としている。
不二法門[編集]
維摩経の内容として特徴的なのは、不二法門(ふにほうもん)といわれるものである。不二法門とは互いに相反する二つのものが、実は別々に存在するものではない、ということを説いている。例を挙げると、生と滅、垢と浄、善と不善、罪と福、有漏(うろ)と無漏(むろ)、世間と出世間、我と無我、生死(しょうじ)と涅槃、煩悩と菩提などは、みな相反する概念であるが、それらはもともと二つに分かれたものではなく、一つのものであるという。
たとえば、生死と涅槃を分けたとしても、もし生死の本性を見れば、そこに迷いも束縛も悟りもなく、生じることもなければ滅することもない。したがってこれを不二の法門に入るという。
これは、維摩が同席していた菩薩たちにどうすれば不二法門に入る事が出来るのか説明を促し、これらを菩薩たちが一つずつ不二の法門に入る事を説明すると、文殊菩薩が「すべてのことについて、言葉もなく、説明もなく、指示もなく、意識することもなく、すべての相互の問答を離れ超えている。これを不二法門に入るとなす」といい、我々は自分の見解を説明したので、今度は維摩の見解を説くように促したが、維摩は黙然として語らなかった。文殊はこれを見て「なるほど文字も言葉もない、これぞ真に不二法門に入る」と讃嘆した。
この場面は「維摩の一黙、雷の如し」として有名で、『碧巌録』の第84則「維摩不二」の禅の公案にまでなっている。
原典・主な訳注[編集]
渡邊海旭 『國譯維摩詰所説經』(國譯大藏經 第十巻 解題・原文) 国民文庫刊行会、1917年、原文は弘教藏より収録
同上(復刻)第一書房、1974年 ISBN 978-4-8042-0251-8
長尾雅人 『維摩経、首楞厳三昧経』(新版) 中央公論社「大乗仏典7」、中公文庫、2002年 ISBN 978-4122040786、チベット語訳からの現代語訳、後者は丹治昭義と共訳。
『梵蔵漢対照 維摩經』、『智光明莊嚴經』解説、大正大学綜合仏教研究所梵語佛典研究会編、大正大学出版会、2004年 ISBN 4-924297-16-X
『梵蔵漢対照 維摩経』大正大学綜合仏教研究所梵語佛典研究会編、大正大学出版会、2004年 ISBN 4-924297-17-8
高橋尚夫[4]・西野翠[5] 『梵文和訳 維摩経』 春秋社、2011年 ISBN 978-4-393-11308-0
植木雅俊 『維摩経 梵漢和対照・現代語訳』 岩波書店、2011年 ISBN 978-4-00-025413-7(パピルス賞受賞)
石田瑞麿 『維摩経 不思議のさとり』 平凡社東洋文庫、1966年、ISBN 978-4582800678 漢訳仏典に基づく。
主な解説講話[編集]
鎌田茂雄 『維摩経講話』 講談社学術文庫、1990年 ISBN 978-4-06-158919-3
紀野一義 『維摩経』 大蔵出版〈佛典講座〉 新装版、2004年 ISBN 978-4804354514
菅沼晃 『維摩経をよむ』 日本放送協会出版〈NHKライブラリー〉、1999年 ISBN 978-4140841020
増訂版 『誰でもわかる維摩経』 大法輪閣、2011年 ISBN 9784804613208
『ひろさちやの『維摩経』講話』 春秋社、2012年 ISBN 9784393135525
長尾雅人 『『維摩経』を読む』 岩波現代文庫(新版)、2014年 ISBN 978-4-00-600320-3。旧版:岩波書店<岩波セミナーブックス>、1986年

独裁者ヒトラー 演説の魔力

2019年02月13日 | 社会
BS1スペシャル「独裁者ヒトラー 演説の魔力」


ヒトラーが大衆を熱狂させた最大の武器は「演説」だった。飛行機で全国を飛び回って恐慌に苦しむ国民の心を演説でつかみ、ナチス政権を打ち立てた。特に心酔したのは若者たちである。現在彼らは90歳を越え、その証言を聞くチャンスは残り少ない。番組ではヒトラーの演説を聞いて熱烈に支持した人々をドイツ各地に訪ねると共に、ヒトラーが行った25年間の演説150万語のデータを分析。謎に包まれた演説の実態を解き明かす。

【語り】光岡湧太郎

ビリヤニ

2019年02月12日 | 社会
ハイダラバードビリヤニ。他のインド料理と共に。

ビリヤニ、ビリヤーニー(Biryani,birianiもしくはberiani)は、パキスタン料理の一種。スパイスと米(通常バスマティ米)、肉、魚、卵や野菜などから作る米料理である。同じ米料理であるプラオとビリヤニとの違いは、プラオは生の米から炊き込むのに対して、ビリヤニは米とカレー(肉か野菜のカレー)を別々に作る点にある。特にビリヤニの製法において米とカレーを層状に重ねることは、カレーと米が融合した香り高い一品を生み出すために非常に重要である。

福永光司

2019年02月11日 | 社会
福永 光司(ふくなが みつじ、1918年7月26日 - 2001年12月20日)は、日本の中国思想史の研究者、特に老荘思想・道教研究の第一人者であった。京都大学名誉教授。

広河隆一

2019年02月10日 | 社会


“人権派ジャーナリスト”広河隆一氏、女性への壮絶な性行為強要&パワハラに世間震撼

株式会社サイゾー 2019/02/02 17:25

慰安婦像2500円「反日グッズ」の実態

ダム決壊、押し寄せる濁流映像を公開
 フォトジャーナリスト・広河隆一氏によるセクハラ&パワハラ問題に関して、新たな証言が続々と浮上している。それにより、報道写真誌「DAYS JAPAN」(デイズジャパン)編集長という立場を利用した、おぞましい行為の数々が明らかになってきている。
 広河氏によるセクハラが知れわたるきっかけとなったのは、2018年12月に「週刊文春」(文藝春秋)が掲載した告発記事。被害を訴えた女性によると、編集部在籍時に広河氏から「君は写真が下手だから僕が教えてあげる」と声をかけられ、指定されたホテルで抵抗できないまま関係を持たされたという。同誌では7人もの女性が被害を訴えており、広河氏によるセックス要求やヌード撮影などについて証言している。
 一方、直撃取材を受けた広河氏は「望まない人間をホテルには連れていかない」「僕に魅力を感じたり憧れたりしたのであって職を利用したつもりはない」と反論した。

© Business Journal 提供
 その後、被害女性がセックス強要時の状況をニュースサイト「BuzzFeed News」で詳細に告白。そこでは、ジャーナリストを目指す身として見捨てられたくない思いがあったことや、ささいなことで激昂し罵声を浴びせる広河氏の性格が明かされた。こうした証言の数々に広河氏は対応を一転させ、「DAYS JAPAN」(2019年2月号)で被害女性らに「心からお詫びいたします」と謝罪している。
 広河氏の謝罪以降も被害女性による証言は相次ぎ、「週刊文春」(2019年2月7日号)は、「2週間、毎晩レイプされた」という元アルバイトの女性の証言を掲載している。広河氏からの依頼で海外取材に同行した際、現地で部屋がひとつしか用意されておらず、取材先の男性スタッフたちから性交渉の依頼があることを伝えられた上で「彼らとセックスするか。それとも僕と一つになるか。どっちか」と迫られたという。それから2週間は「悪夢のような日々」であったと語っている。
 また、被害女性のひとりが毎日新聞に実名で手記を寄せ、編集部の劣悪な労働環境や広河氏の壮絶なパワハラについて告発している。それによると、入社初日から長時間労働が続き、深夜手当も出ない上に初任給は当初の話より少なかったという。そして、事あるごとに恫喝されるようになり、「いつでもクビにできる」「もし君の実力を知っていたら雇うことはなかった」などと人格を否定するような発言が続いた。この女性は、「彼による洗脳は社員の自尊心の破壊から始まっていた」と振り返っている。
 現在75歳の広河氏は、これまでパレスチナ問題、チェルノブイリ原子力発電所事故、福島第一原発事故などを取材し、「DAYS JAPAN」を創刊したのは2004年3月。人権派ジャーナリストとして世界的に知られる存在だが、裏では数々のハラスメント行為を行っていたことになる。
 一連の報道を受けて、ジャーナリストの江川紹子氏はツイッターで「事実なら、信じがたい蛮行」と断罪。高須クリニックの高須克弥院長も「性の活動家。絶倫じいちゃん」とツイートしている。インターネット上でも「どこが人権派だよ、聞いてあきれる」「セクハラとブラック労働の問題が密接にからみ合っているから根が深い」「女性としてというより、人間としての尊厳を失わせているのがひどい」「性欲強すぎて本当に気持ち悪い」と批判が殺到している状況だ。
 問題発覚後にデイズジャパン代表取締役を解任された広河氏。ジャーナリストとして、自身の愚行をどのように捉えているのだろうか。
(文=編集部)

小野正嗣

2019年02月09日 | 社会
小野 正嗣(おの まさつぐ、1970年11月27日 - )は、日本の小説家、比較文学者、フランス文学者、立教大学教授、放送大学客員准教授。

大分県蒲江町(現佐伯市)出身。大分県立佐伯鶴城高等学校から一浪した後、東京大学文科I類に入学するも法学部には進まず、教養学部比較日本文化論専攻に進学、卒業。同大学院総合文化研究科言語情報科学専攻博士課程単位取得退学。マリーズ・コンデを論じた博士論文でパリ第8大学Ph.D。
1996年、新潮学生小説コンクールでデビュー。2001年、「水に埋もれる墓」で第12回朝日新人文学賞受賞。2002年、『にぎやかな湾に背負われた船』で第15回三島由紀夫賞受賞。2003年、「水死人の帰還」で第128回芥川龍之介賞候補。2006年に東京大学教養学部助手、2007年に明治学院大学文学部専任講師に就任(現代フランス語圏文学)。2013年准教授。2014年立教大学文学部文学科文芸・思想専修准教授、2016年教授。
2008年、「マイクロバス」で第139回芥川龍之介賞候補。2012年から朝日新聞書評委員。2013年、「獅子渡り鼻」で第148回芥川龍之介賞候補、同年、早稲田大学坪内逍遙大賞奨励賞を受賞し、『獅子渡り鼻』で第35回野間文芸新人賞候補。2015年「九年前の祈り」で芥川龍之介賞受賞。
2016年より、放送大学客員准教授。

政府四演説

2019年02月08日 | 社会
政府四演説(せいふよんえんぜつ)とは、日本の国会において毎年1月(かつては12月)に召集される通常国会(または通常国会に変わる特別国会)において、内閣総理大臣と国務大臣が行う4つの演説のこと。

政府四演説は以下の4つの大臣による演説である。

内閣総理大臣 - 施政方針演説(所信表明演説)
外務大臣 - 外交演説
財務大臣(旧大蔵大臣) - 財政演説
内閣府特命担当大臣(経済財政政策担当)(旧経済企画庁長官) - 経済演説
演説は衆議院と参議院の両院本会議で行われ、それに対して各会派代表から代表質問が行われる。通例では、通常国会の召集日が決まった時点で議院運営委員会理事会による大まかな調整、召集日に理事会での調整内容を確定する作業を経て、演説実施の前日に内閣総理大臣から議長宛てに発言の通告が行われる。議運は発言の通告を受け取った時点で、国会中継を行うNHKのスタッフを議場に入れる許可を