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一身二生 「65年の人生と、これからの20年の人生をべつの形で生きてみたい。」

「一身にして二生を経るが如く、一人にして両身あるが如し」

バウハウス 1919年

2019年03月24日 | 社会
バウハウス(ドイツ語: Bauhaus)は、1919年、ヴァイマル共和政期ドイツのヴァイマルに設立された、工芸・写真・デザインなどを含む美術と建築に関する総合的な教育を行った学校。また、その流れを汲む合理主義的・機能主義的な芸術を指すこともある。学校として存在し得たのは、ナチスにより1933年に閉校されるまでの14年間であるが、その活動は現代美術に大きな影響を与えた(モダニズム建築、20世紀美術の項を参照)。
バウハウスはドイツ語で「建築の家」を意味する。中世の建築職人組合であるバウヒュッテ (Bauhütte, 建築の小屋) という語をヴァルター・グロピウスが現代風に表現したものである。

三井 秀樹(みつい ひでき、1942年 - )は、日本の美学者、造形評論家。専攻は構成学、メディアアート。現在、学術団体「形の文化会」会長。
出身校の東京教育大学では、高橋正人に師事した。

橋爪大三郎 平成の精神 混迷の30年

2019年03月23日 | 社会
加藤典洋 敗戦後論 1997
柄谷行人 世界史の構造 2010
東浩紀 動物化するポストモダン 2001
佐藤優 国家の罠 2005

橋本治 草薙の剣 2018
縁もゆかりもない6人の男の人生を、その父母、時に祖父母にまで遡りながら、大正末期から平成の終わり迄にかけて描く長編小説だ。
「大勢登場するけれど、名前を持つのは6人だけ。昭生(あきお)、豊生(とよお)、常生(つねお)、夢生(ゆめお)、凪生(なぎお)、凡生(なみお)。漢字には意味があります。昭和の時代に豊かになり、一億総中流が常になり、バブルが弾けて夢想するしかなくなって、災厄続いて時代が凪いで、相変わらず皆、凡夫(笑)」

最年長の昭生は62歳、10歳ずつ若くなり最年少の凡生は12歳。6人全員が戦後生まれだが、彼らよりずっと貧しい戦前戦中派の親達、祖父母達の方が充たされて立派に見えるのに驚く。
「昔の方が困難があったから頑張るんです。苦労した時代は初詣でも『家内安全』を唱えるので精一杯。高度成長をある程度達成しちゃってから、皆“もっと幸せになれますように"と願うようになりました」
戦前の農家に生まれ、子のいない伯父夫婦に貰われた豊生の父。「上の学校へも行かせてやる」と大事に育てられるが、国民学校高等科2年の時に養父が空襲で焼死。戦後は誰もが中学校に通えるようになり、彼の戦前の「学歴」は無効になった。しかし自棄になることもなく、豊生の父は夜間の簿記学校に通い、経理マンとして地道に働く。
一方、父の苦労を知らぬ豊生は、自由人を任じ企業への就職を拒否、アルバイトを続けるが40歳を過ぎ仕事が減って、52歳の現在、老母と2人暮らしでほぼ引き籠っている。32歳の夢生も引き籠るが、それは神戸連続児童殺傷事件、佐賀バスジャック事件の犯人と同世代で、自分も人を殺しかねないことに怯えたからだ。東日本大震災後のボランティアに行く凪生、両親の離婚で多大な迷惑を蒙る小学生の凡生ら、6人それぞれ事情を抱えながら今の時代を生きている。

読後、まざまざと浮かび上がるのは「平成日本」の姿だ。この凪の時代の困難を、凡夫たる我々はどう切り拓いていけばいいのか?

ヤマトタケルのミコトが剣で草を薙ぎ払い、火を点じ、敵を迎え撃つエピソードが終盤に挿入される。

「平家滅亡の時、壇ノ浦に沈んだとされるのが草薙の剣(天叢雲剣[あめのむらくものつるぎ])。タイトルには“剣を持たない男達"という意味もある。でも元々剣は、闘うためのものではなく魔除けだった。危機というものはどこにあるか分らない。一見役立たずでも、事態を打開できるかもしれない剣や火打石を、実は誰もが持っているんですよ」
評者:「週刊文春」編集部

新刊書 イチロー引退 4367安打

2019年03月22日 | 社会
谷脇 康彦 サイバーセキリティ
三浦 瑠璃 21世紀の戦争と平和

子供のころから、人に笑われてきたことを常に達成してきている、という自負はある。
やりたいと思うから挑戦する。そうすれば、どんな結果でも後悔はない。
自分のはかりを使い、自分の限界を見ながら、少しずつ自分を超えていった結果。

銚子醤油

2019年03月21日 | 社会
銚子は漁業だけでなく、醤油の町としても発展した。 銚子醤油が発展した条件として、気候や地理的条件が関係し、 沖合で黒潮と親潮が交わる銚子の気候は、夏冬の気温差が少ない温暖多湿で、醤油醸造の麹菌や酵母に適した。 原料は常陸の大豆、小麦が入手し易い位置にあり、 大消費地の江戸の町へ利根川、江戸川の水運を利用して醤油を運ぶことができた。
たまり醤油は鎌倉時代、紀州興国寺の覚心が湯浅ではじめた。 1603年に江戸幕府が開かれ、中心は江戸に移っていき、 紀州出身の崎山次郎右衛門が銚子外川港を作って大成功をおさめ 1616年(元和2年)、下総銚子の豪農、田中玄蕃が、摂津西宮の酒造家、 真宜九郎右衛門の勧めで醸造を始めたのが関東で最古の醤油業。 醤油発祥の地紀州湯浅隣り広村出身の濱口儀兵衛が 1645年(正保2年)紀州から銚子に渡り、商売を始めヤマサ醤油を創業した。 山笠にキを横向きとしたサにし「ヤマサ」とした。 1697年(元禄10年)田中玄蕃が、こいくち醤油の醸造法を確立した。 江戸の町人に関西と違って薄味ではなく甘辛い濃い醤油が好まれ 1770年頃に地回り醤油が上方の下りものを凌駕した。
濱口家は、紀州広村本家と銚子を行き来していた。 1854年(安政元年)南海大地震に際し、 紀州広村にいた濱口儀兵衛は大津波が来ることを予期し村民の命を救いました。 1855年(安政2年)に堤防建設しました。 ヤマサ醤油が1864年(元治元年)に、幕府より最上醤油の称号を得た。 濱口儀兵衛は招かれ和歌山藩の勘定奉行や和歌山県会議長を経て、 政府に召され初代駅逓頭になり郵便制度創設した。
1888年に銚子醤油同業組合を設立した。 1895年(明治28年)に、ヤマサ醤油は関東初の宮内省御用達に選ばれた。 ヤマサ醤油は明治時代に醤油研究所を設立し醤油醸造を科学的に解明した。 1914年(大正3年)に、ヒゲタ・田中家とジガミサ・濱口家と・カギタイ・深井家の3家が 三蔵合弁して銚子醤油を設立した。 濱口儀兵衛商店は1928年(昭和3年)株式会社設立、社名をヤマサ醤油株式会社とした。 銚子醤油は1937年に野田醤油と資本提携した。 ヤマサ研究所は、1955年(昭和30年)鰹節のうま味成分が、イノシン酸であることを発見、 1957年(昭和32年)椎茸のうま味が成分グアニル酸であることも発見した。 銚子醤油は、1976年(昭和51年)にヒゲタ醤油株式会社に社名変更した。

ファーブル昆虫記

2019年03月20日 | 社会
『昆虫記』(こんちゅうき、フランス語:Souvenirs entomologiques、1879年 - 1907年)は、ジャン・アンリ・ファーブル(1823-1915)の代表作。世界各国で翻訳されており、日本でも『ファーブル昆虫記』として親しまれている。


日本ではファーブル昆虫記として、作者の名を冠して流布されることが多い。昆虫の習性に関する読み物として、非常に広く読まれている。この本は第1巻が1878年の出版で、以降約30年にわたって全10巻で出版されたものである。内容は、彼が若いときから手がけたさまざまな昆虫の習性、およびそれを知るための彼の行った研究について記した物である。ただし研究論文のような体裁はとらず、読み物的な語り口と、擬人化した表現が多い。
この本は科学書ではなく、むしろ一般的な読み物として評価が高くなり、ロマン・ロランやメーテルリンクなども愛読者であったという。彼は最晩年に高い評価を得、その偉業をたたえる記念式典が1910年に行われたが、それらはこの著書のためである。その内容には科学的に重要なものも数多いが、彼がノーベル賞候補に上がったとき、その対象は文学賞であった。


昆虫記の内容は、主としてさまざまな昆虫の生態観察とその結果である。非常に広範囲の昆虫が扱われ、他にサソリやクモなど昆虫でないものについても少数ながら取り上げている。特にハチ類と糞虫に関するものが多い。これは彼の興味の中心であり、特に複雑で興味深い行動が見られたためであろう。しかしそれほど複雑な習性を持たない昆虫にも多く触れており、特に後半はそれが増えているのは、対象として扱って面白い昆虫が身の回りからいなくなったためとも言われる。
また、昆虫に関係しつつもそれを主題としない章、たとえば回想や進化論批判を取り上げた章もある。

スカラベやフンコロガシ

2019年03月19日 | 社会

フランスの生物学者であるジャン・アンリ・ファーブルが自身の著書『昆虫記』の中で研究したスカラベ・サクレには、タマオシコガネやフンコロガシという和名が充てられて紹介され、有名になった。ただ、その後にサクレはファーブルの誤同定であったことが判明し、和名もヒジリタマオシコガネへ改められている。スカラベやフンコロガシは、糞を食料とする糞虫に含めて紹介される。

食性
動物の糞を球状にして食として持ち運ぶ習性で知られている。糞を見つけたスカラベは、頭の先端にある突起を使って糞の塊を切り出し、後足で糞を球形に整えながら前足で糞を付け足すという動作を続け、その場で球を大きくしていく。球が十分に大きくなると、逆立ちして後足で転がし始める。糞球は安全な場所まで運んで食料とするが、運ぶ最中に別のスカラベが現れて糞球を奪ってしまうこともある[1]。
2012年現在、ファーブルの観察や採集のフィールドであった南仏各地は開発が進み、スカラベが激減している。
スウェーデン・ルンド大学の研究者たちは、フンコロガシが糞を転がす直線方向を、天の川の明かりを道しるべにして決めていることを突き止めた[2]。
古代エジプトにおけるスカラベ[編集]


王家の谷の壁画に描かれたスカラベ
古代エジプトでは糞塊を転がして大きな球体を作るスカラベの習性を神秘的なものと考え、その球体を太陽に見立て、スカラベを太陽の運行を司る神である太陽神ケプリと同一視した[1]。太陽は再生や復活の象徴でもあり、スカラベは聖なる甲虫として崇拝され、スカラベをかたどった石や印章なども作られている。また、スカラベはオスしか存在しない昆虫で、自分の精液を糞の玉の中へ注ぎスカラベが繁殖すると解釈していた。
2018年11月、エジプトのカイロ南方にあるサッカラの古代エジプトの共同墓地で、甲虫類に属するスカラベの希少なミイラが複数と、手付かずとみられる第5王朝時代(紀元前2500 - 同2350年)の墓が見つかった。

ホモ・デウス

2019年03月18日 | 社会
ホモ・デウスの内容を図解すると上記のようになります。そして、その主張を一言にまとめると、
人類は過去3つの革命を経験し、いま新たな革命に直面している。そして、その革命の結果、一部の人間が神のような能力を手にし、その他大勢とは大きな差が生まれる。
ということになります。
人類が過去に経験した革命は、この3つです。
認知革命
農業革命
科学革命
この3つの革命を解説する前に、人類がいま直面している革命の結果、どのような未来が訪れるのかを紹介します。
著者は、
ホモ・サピエンス
ホモ・デウス
の2極化が起きると言っています。ホモ・サピエンスとは、現存する人類の生物学的な呼び名です。ホモ・デウスは著者の造語で、デウスは神の意味です。つまり、ホモ・デウスとは、神性を獲得した人類という意味です。
二一世紀初頭の今、進歩の列車は再び駅を出ようとしている。そしてこれはおそらく、ホモ・サピエンスと呼ばれる駅を離れる最後の列車となるだろう。これに乗りそこねた人には、二度とチャンスは巡ってこない。この列車に席を確保するためには、二一世紀のテクノロジー、それもとくにバイオテクノロジーとコンピューターアルゴリズムの力を理解する必要がある。これらの力は蒸気や電信の力とは比べ物にならないほど強大で、食糧や織物、乗り物、武器の生産にだけ使われるわけではない。二一世紀の主要な製品は、体と脳と心で、体と脳の設計の仕方を知っている人と知らない人の間の格差は、ディケンズのイギリスとマフディーのスーダンの間の隔たりよりも大幅に拡がる。それどころか、サピエンスとネアンデルタールの間の隔たりさえ凌ぐだろう。二一世紀には、進歩の列車に乗る人は神のような創造と破壊の力を獲得する一方、後に取り残される人は絶滅の憂き目に遭いそうだ。
それでは、次章以降で人類が経験した3つの革命と新たな革命を解説していきます。

第4の革命
これから起きる可能性のある革命です。
この第四の革命が起きる理由は、現在のイデオロギーが根幹から揺らいでいるからです。現在のイデオロイギーは自由主義の人間至上主義です。
そして、この自由主義は
個人主義
人権
自由市場
によって成り立っています。ところが、科学の進化が、この3つを正当化する根拠を覆しつつあるのです。
つまり「人間の思考や感情、判断、意味づけは、神聖なものではない」と判ってきているのです。
例えば、結婚で考えてみましょう。結婚相手を自分の判断で選ぶよりも、AIが最適な相手をマッチングした方が、幸せな結婚生活を送れるようになる可能性は高いです。そうすると、自分の意思で判断するより、AIにマッチングしてもらう方が合理的ではないでしょうか?
「運命」は自分の心よりも、AIに聞いたほうが正確なのです。こうした変化の結果、人間至上主義はデータ至上主義に移行する可能性があります。
その過程で、データ至上主義は従来の学習のピラミッドをひっくり返す。これまでは、データは長い一連の知的活動のほんの第一段階と見なされていた。人間はデータを洗練して情報にし、情報を洗練して知識に変え、知識を洗練して知恵に昇華させるべきだと考えられていた。ところがデータ至上主義者は、次のように見ている。もはや人間は形大なデータの流れに対処できず、そのためデータを洗練して情報にすることができない。ましてや知識や知恵にすることなど望むべくもない。したがってデータ処理という作業は電子工学的アルゴリズムに任せるべきだ。このアルゴリズムの処理能力は、人間の脳の処理能力よりもはるかに優れているのだから。つまり事実上、データ至上主義者は人間の知識や知恵に懐疑的で、ビッグデータとコンピューターアルゴリズムに信頼を置きたがるということだ。
これはイデオロギー上の変化ですが、一方でコンピュータアルゴリズムとバイオテクノロジーによって



をアップデートするようなプロダクトが生まれ、
不老不死
至福
神性
を手にするようになります。こうしたテクノロジーの恩恵を享受する人たちはホモ・デウスとなり、享受できない人たちはホモ・サピエンスにとどまります。
その結果は、冒頭で引用した通りです。ホモ・デウスとホモ・サピエンスの間は、サピエンスとネアンデルタールの格差よりも大きくなります。

サピエンス全史

2019年03月17日 | 社会
内容は3つのパートからなります。

1つ目のパートでは、約10万年前はホモ・サピエンス以外にも、ネアンデルタール人(ホモ・ネアンデルターレンシス)など、複数種類の原人(人種)がいたなかで、なぜホモ・サピエンスだけが生き残ったのかを説明しています。

そして、その答えを「認知革命」と呼んでいます。
認知革命の詳細は記事後半で説明します。

2つ目のパートでは、数百人程度の集団を構成して生活していたホモ・サピエンスが、約1万年前からなぜ数千人規模の都市や国家を生み出せるようになったのかを説明しています。
その答えを「農業革命」と呼んでいます。

最後に3つ目のパートでは、西暦1500年ごろには世界人口が5億人程度であったサピエンスが、500年後の2000年代に70億人にも増加し、現代の国家、資本主義、民主主義的な体制がどのようにして生まれたのかについて説明しています。
その答えを「科学革命」と呼んでいます。

またこれら3つの革命が起こせた理由として、「空想的虚構」を挙げています。

空想的虚構とは、「実際には存在しないが広く信じられる空想、想像上の産物」のことです。
空想的虚構によって、サピエンスは大集団を形成・維持し、発展していくことができました。

「空想的虚構で集団が維持できる」とは分かりにくいと思いますので、例を挙げて説明します。

私たちは知らない人と出会って会話をしていると、心理的に距離があります。
ですが、あるときお互いに同じ市の出身であったと分かると、突然距離が縮まって、仲良くなり親近感がわきます。

これは別に目の前に現金や食物という実物が現れて、それで協力しようとしたわけではありません。
目の前の現実は一切変わらないのに、出身地という概念(一種の空想的虚構)を介して、心理的距離が縮まっています。
※出身地は現実にある場所なので虚構ではありませんが・・・

このように実際には存在しないもの(空想的虚構)を介して、サピエンスは1対1では心の距離を縮めることができ、集団レベルでは、より大きな集団を形成することができます。

空想的虚構は3つの革命それぞれに対して、
認知革命:言語体系、原始信仰(アニミズム=自然崇拝)
農業革命:民族神話→宗教、古代法律と文字(書記体系)
科学革命:資本主義経済、民主主義政治
が対応します。

以上がサピエンス全史の概要となります。


青木奈緒

2019年03月15日 | 社会
<全4回> 文筆家・エッセイスト…青木奈緒

「人間を考える 思いを伝えることば」。第1回は文筆家、エッセイストの青木奈緒さんです。青木さんの母方の曾祖父は幸田露伴、祖母は幸田文そして母のたまさんも文筆家として知られています。青木さんは、心を表すのが言葉だといいます。今回は曾祖父の幸田露伴、祖母の幸田文、母のたまさんそして青木奈緒さんと代々伝えられてきた言葉や座右の銘について、その言葉が発せられた背景や込められた思いと共にお話しいただきます。

中世のキリスト教

2019年03月14日 | 社会

「中世ヨーロッパ社会の光と影」(8)

【教会改革と教皇庁】 上智大学文学部准教授…藤崎衛

第8回は「教会改革と教皇庁」。世俗権力と教皇との協力関係は双方にメリットがありました。キリスト教的理念を王権に付加し統治を行った典型的な人物がカール大帝(在位768~814)でした。その後この秩序は長続きせず952年、オットー1世がイタリア王になると教皇ヨハネス12世は「ローマ皇帝」として加冠し教皇は再び強力なひご者を持つことになりました。今回は中世の教会改革と教皇庁との歴史をお話しいただきます。


「中世ヨーロッパ社会の光と影」(9)

【教皇権の光と影】 上智大学文学部准教授…藤崎衛

第9回は「教皇権の光と影」。「ローマ司教」は古代ローマ帝国首都の教会のトップとして大きな存在感を有しました。中世に入ると教皇はその職務と地位が帯びる権限「教皇権」と呼ばれる権力を有するようになります。中世の「教皇権」の歴史は、ローマやイタリアで、また全ヨーロッパおよびそれ以外の世界の歴史的事象と深く関わっていきます。今回は中世ヨーロッパで教皇権がどのような歴史をたどったのかをお話しいただきます。

【巡礼の十字軍】 上智大学文学部准教授…藤崎衛

第10回は「巡礼の十字軍」。1095年、フランスのクレルモンで開かれた教会会議で、教皇ウルバヌス2世は“トルコ人によって東方のキリスト教徒が苦しんでいる”と中東遠征を提唱、多くの人々が共感し翌1096年、第1回の十字軍が始まりました。第1回十字軍はあらゆる階層で構成され、非戦闘員が全体の4分の3を占めその目的は巡礼のためにエルサレムを目指したのでした。今回は十字軍の発足の経緯をお話しいただきます。

ひとりゆく思想

2019年03月13日 | 社会

こころの時代~宗教・人生~ アンコール「ひとりゆく思想」

山折哲雄さん、86歳。宗教学者として、日本人の死生観や無常感を見つめ続けてきた。今、山折さんの心を捉えるのは、鎌倉の動乱の世を生きた親鸞や一遍、そして歌人の西行や、後世の俳人芭蕉など、信仰と美に生きた先人たちの姿。心臓の大手術をした山折さんは、自らの「存在の軽み」を感じたという。老いの体験を交えながら、彼らの生と死の哲学、その「ひとりゆく」思想について語っていただく。【初回放送2018年2月4日】

【出演】国際日本文化研究センター名誉教授…山折哲雄

天皇 運命の物語

2019年03月12日 | 社会
天皇 運命の物語 第1話「敗戦国の皇太

天皇 運命の物語 第1話「敗戦国の皇太子」
放送 2018年12月23日(日)午後7時30分~[NHK総合]
昭和から平成へ-。「天皇 運命の物語」は、天皇陛下が皇后さまと共に歩まれた激動の歳月を、NHKの秘蔵映像、発掘資料、側近や学友の証言などを通じて、4回シリーズで放送します。
第1回は「敗戦国の皇太子」。昭和8年に生まれ「戦争しか知らない」少年として育った天皇陛下が、学友との交流や恩師との出会い、19歳の時のイギリスへの訪問などを通じて、「未来の天皇」に向けて成長していく姿を描いていきます。
語り 山根基世

4回シリーズ「天皇 運命の物語」
平成31年4月30日、天皇陛下は退位され、「平成」が幕を下ろします。昭和8年生まれの天皇陛下と翌9年生まれの皇后さま。両陛下はともに、敗戦、戦後の高度成長を経て平成へと連なる激動する日本社会と向き合われてきました。そして、憲法に定められた「象徴」のあるべく姿や現代にふさわしい皇室について、模索を続けてこられました。
番組では天皇皇后両陛下の足跡を、NHK皇室取材班による発掘秘話、NHKや海外に保管されている貴重な皇室映像、そして両陛下ゆかりの方々の証言や資料などから振り返り、「私たち日本人にとって両陛下はどのような存在なのか」を4回シリーズでお伝えします。年末に放送する第1回・第2回では、天皇陛下の出生から日本中を熱狂させたご結婚、皇太子・皇太子妃としての活動までを描きます

天皇 運命の物語 第1話「敗戦国の皇太子」
天皇 運命の物語 第2話「いつもふたりで」

明治150年

2019年03月11日 | 社会

セレクション「明治維新150年を考える」

東京大学名誉教授…姜尚中

明治から平成へと歩んできた日本の光と影を追いながら、現代社会が直面するさまざまな問題を見つめてきた姜さんは、2018年1月に「維新の影 ~近代日本150年、思索の旅~」を出版しました。今回はその取材で訪れた場所の中から長崎の端島(通称:軍艦島)や福島第一原子力発電所などを取り上げエネルギーと格差の問題を中心に考えていきます。(初回放送2018年11月18日)

トランプ政権と中東

2019年03月10日 | 社会

「トランプ政権と中東」

国際政治学者/放送大学名誉教授…高橋和夫

アメリカでトランプ政権が誕生してから2年余りになります。アメリカファーストの合い言葉をもとにさまざまな政策を打ち出す中、その中東政策に関しては非合理的と批判されることが多いようです。国際政治学者の高橋さんは、アメリカ国内政治の視点から見るとそれは非常に合理的だ、と言います。今回、トランプ政権の中東政策がアメリカ国内、更にはサウジアラビアやロシアなど世界の産油国に与える影響などについて解説します。