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一身二生 「65年の人生と、これからの20年の人生をべつの形で生きてみたい。」

「一身にして二生を経るが如く、一人にして両身あるが如し」

4つの国民食

2019年04月07日 | 社会
4つの国民食(ラーメン・カレーライス・そば・うどん)ではどれが好き?

「47都道府県別 生活意識調査2018-19年版(マネー・旅行編)」では、現在住んでいる都道府県民の特徴について自慢できる点を聞きランキングを算出しています。4つの国民食(ラーメン・カレーライス・そば・うどん)を好きな順に順位をつけてもらい、1位をつけた人の割合の高さ順にランキングを作成しました。日本各地で味わうことのできるラーメンやカレーライス、そば、うどんといった国民食は、日本人にとって定番のメニューとなっていますが、都道府県によって好きな順位に違いはみられるのでしょうか。

中西進

2019年04月06日 | 社会

中西 進(なかにし すすむ、1929年8月21日 - )は、日本文学者、比較文学者、万葉学者、奈良県立万葉文化館名誉館長、池坊短期大学学長、国際日本文化研究センター・京都市立芸術大学・大阪女子大学各名誉教授、高志の国文学館館長。


2013年11月3日、文化勲章親授式後に静岡県理事長本庶佑(左端)、書家高木聖鶴(左から3人目)、東北工業大学理事長岩崎俊一(右から2人目)、俳優高倉健(右端)と皇居宮殿東庭で記念撮影
東京出身。旧制武蔵中学校、広島大学附属高校を経て、東京大学文学部国文学科卒業。同大学院博士課程修了。久松潜一に学び、30代で博士論文『万葉集の比較文学的研究』により1963年第15回読売文学賞受賞。以後日本古代文学の中国文学との比較研究を始める。漢字本文・現代語訳・注を収めた、文庫『万葉集』のテキスト講談社文庫『万葉集』(全4冊と万葉集事典1冊)を編集。研究・評論も多く著書は100冊を超える。
東京学芸大学附属高校教諭、成城大学教授、プリンストン大学客員教授、筑波大学教授、1988年国際日本文化研究センター教授、トロント大学客員教授、1995年帝塚山学院大学教授、同国際理解研究所所長、姫路文学館館長、1997年大阪女子大学学長、2001年帝塚山学院理事長・学院長、2001年奈良県立万葉文化館館長。2004年京都市立芸術大学学長。1993年から1999年まで日本比較文学会会長。歌壇賞選考委員、日本ペンクラブ副会長も務める。1994年歌会始召人。1997年全国大学国語国文学会会長(当初「代表理事」、組織改編後「会長」)。2011年池坊短期大学学長。2012年7月6日開館高志の国文学館初代館長に就任.

世界の宗教的和解を目指すインドの仏教高等研究センター「ナーランダ大学」の復興・創設の賢人会議・理事会メンバー。

役職
奈良県立万葉文化館館長、京都市中央図書館館長、同右京中央図書館館長、田辺聖子文学館館長、堺市博物館名誉館長、奈良テレビ放送文化スタジオ・こころ大学学長、平城遷都1300年記念事業協会理事も務めた。NARA万葉世界賞・親鸞賞・読売あをによし賞・大阪文化賞・山片蟠桃賞各選考委員、高志の国文学館館長。

消滅した「人物教育」の機会

2019年04月05日 | 社会
消滅した「人物教育」の機会
 では、どう再建するべきか。
 私が考えるポイントは2つです。1つは、自由な教育の推進です。
 現在の教育は、私立大学であっても文科省の規制の中で行われています。教育内容や単位数、教員となるための論文の数など、あれこれ細かく縛られているのが実態なのです。
 しかし、教育はもっと自由度があってしかるべきでしょう。幕末は、各地の藩校や私塾が、それぞれの哲学に基づいた教育を施し、そこから国を引っ張る人物が育っていったのです。教育に多様性が多くの有為な人物を生みました。学校にもっと独自性を発揮させ、自立的に考え、行動できる人物を育てるべきです。
 もう1つのポイントは、人物教育の推奨です。というのも、なぜ幕末や戦後の混乱期に個性的なリーダーが生まれたのかを考えると、それは家庭教育と地域教育がしっかりしていたからではないか、と思うのです。
 日本に学制が発布されたのは明治5年(1872年)です。それまで義務教育はありません。寺子屋などで読み書き算盤を習わせる習慣はありましたが、それ以上に地域や家庭での「社会教育」が機能していたのではないかと思うのです。その中心が人物教育です。
 つまり、自分の父母、祖父祖母や先祖の立身出世話や失敗談といったファミリーヒストリー。あるいは地域のために尽力した地元の偉人にまつわる伝承。こうした身近な人たちの生きざま、人生観といったものは、対象が非常にリアルであるがために、感情移入しながら心に刻み付けることが出来ます。それは、一人の人間が成長していく過程で、極めて大きな影響を与えるものです。
 自身のことを振り返ってみると、両親は典型的なニュータウン族で、都心からちょっと離れたベッドタウンで私は育ちました。そのため先祖のことをあれこれ教えてくれる親戚も身近におらず、周りも同じような家庭ばかりですから地域の偉人にまつわる伝承を聞くこともありませんでした。結局、「人間」とか「生きざま」について学ぶ機会があまりありませんでした。
 昭和の初期のころまでは、誰もが当たり前のようにそういう機会に接していたはずです。その機会が急激に消失していったことで、日本人の人間性の厚みが縮小していったように思われるのです。
 ポスト「平成」の時代は、AIが発達する時代です。その時代には、単なる知識やノウハウを持った人間ではなく、人の生き方、社会の在り方を自分自身で考えていけるような人材の存在が重要になるはずです。今の教育システムでは不十分です。私自身は、8年前に青山社中リーダー塾を立ち上げ、自ら塾頭として教鞭を取っていますが、そうとう思い切った教育改革を社会全体で考えていかなければならないと痛切に感じています。

Dr. werhor mohr

2019年04月04日 | 社会

DR. WERNER MOHR: NEW PATHWAYS CREATED BY 5G TECHNOLOGY

15/09/2018-09:01
SOURCE
Currently, 5G mobile communication systems is a major global research area in academia and industry with a wide scope from radio physical layer technologies in many different frequency bands, advanced radio spectrum access methods for better exploitation of available frequency bands and very flexible network architectures and management. 5G is now in the international standardization and development phase. Compared to former systems like 3G and 4G/LTE, which were mainly designed for communication between humans and mobile Internet access 5G is extending the application domains especially to vertical sectors in society and economy. That results in a wide range of system requirements beyond today’s systems, which need an advanced very flexible network architecture. However, with respect to the huge installed base architectural changes are introduced in an evolutionary manner.

Research on systems beyond 5G is under preparation. From the today’s perspective the focus will be on advanced network architectures by increasingly introducing means of Artificial Intelligence and Machine Learning as well as advanced software technologies to manage the growing complexity. In addition, new means like nanodevices and bio-nano-things are extending today’s communication and open new application domains; Blockchain technology and quantum computing are promising concepts for improved network security. Such “Smart Networks” are significantly extending future communication.

EU vs China

2019年04月03日 | 社会

 主要7カ国(G7)が「一帯一路」に参画するのは初めてだ。中国にとって東欧諸国との関係構築が欧州進出への第一歩だったとすれば、イタリアとの覚書は西欧の取り込みに向けた第二歩といえる。習氏は、欧州大陸の大地に両足を着け、西欧への影響力投射をにらむ戦略は前進したと計算しているはずだ。
EUが対中戦略の見直しへ
「16プラス1」のメンバーではないが、中国企業に首都アテネ近郊のピレウス港の運営権を委ねたギリシャが、すっかり中国の影響下に取り込まれた事実が重大な先例としてEUに記憶されている。2016年夏、中国による南シナ海での人工島建設や軍事要塞化に関して仲裁裁判所は中国の「権益」を一切否定した。EUは対中非難決議を採択しようとしたが、ギリシャが拒否権を発動して不発に終わった。17年にはEUが国連人権理事会で中国の人権状況を批判する声明の採択を試みたが、この時もギリシャが反対し、EU外交を毀損した。
 中伊の急速な接近に対し、フランスのマクロン大統領やEU執行機関・欧州委員会のユンカー委員長らが強く反応したのも無理はない。マクロン氏は22日にブリュッセルで行われたEU首脳会議の場で記者団に、「中国に関して欧州がお人好しでいる時代は終わった。長い間、われわれは対中政策で共同歩調を取らず、中国は欧州の分断から利益を吸いあげてきた」と警戒感を直截に表現した。ユンカー氏の中国に関する発言は「トランプ米大統領並みだった」との報道もある。
 EU首脳らは会議で、欧州委員会による対中戦略の見直し計画を承認した。この文書は中国について「全体的なライバルである」と明記し、気候変動対策や核不拡散問題では従来型の協調維持を掲げつつも、「お人好し」一辺倒の路線とは明確に決別するトーンで貫かれている点が目新しい。
 中国の対欧投資を規制することや、中国に市場開放をより厳しく求めること、中国が積極的に輸出する次世代通信5Gの通信網整備については安全保障上の脅威の有無について検討すべきことなども盛り込んでいる。ある欧州外交官は「中国による分断工作をはねつけるための対策だ」と語っている。首脳会議では、サイバー分野についてはコンテ伊首相も「懸念を共有する」と述べ、この分野で中国と協力する場合には、透明な形でEUに情報提供すると約束した。EU内で高まる懸念に一定の配慮を示さざるを得なかったのだ。
 マクロン氏は26日、習氏が国賓として滞在中だったパリにユンカー氏とメルケル独首相を呼び、4者会談を行った。EUの中軸をなす独仏と欧州委員会の共同歩調をアピールするために設定したものだ。この場でもマクロン氏は「中国はEUの一体性と価値観を尊重しなければならない」と述べ、カネにものを言わせて欧州の分断を図る試みを率直に批判したのである。
鷹揚な対中観の背景に
 中国に対する欧州の鷹揚な態度は、長く日米にとっては頭痛の種だった。例えば、2010年ごろには、EUが天安門事件(1989年)後に発動した対中武器輸出禁止措置を解除する動きが表面化、米国が猛烈な圧力をかけて思いとどまらせた経緯がある。「米国の力」によって平和が保たれているアジアの安全保障に対中軍事援助がどう影響するかという問題意識は、遠く離れた欧州の関心事ではなかったのである。
 筆者のフランス取材の経験から他にもいくつかの要因が考えられる。
 例えば、中国研究に従事する専門家の多くは左派に属し、容共的ですらある。共産党が支配する中国に一定の親近感を抱く人は少なくない。かつての最高指導者・鄧小平がフランスへ留学した歴史も関係しているのか。もっともこの傾向は欧州以外でも見られる。対中関係に関する議論を主導する立場にあり、「中国も豊かになれば将来は民主化するのではないか」との夢すら抱いてきた専門家たちの多くが、中国を脅威とみる視点を生理的に拒否しているのだ。
 遠いアジアの安全保障情勢は、欧州ではニュースになりにくく、一般国民が関心を持つこともほとんどない。中国への関心は、米国を猛追する経済成長や巨大な市場、人権問題あたりに集中する。実際に中国は欧州から非常に遠い。中国が欧州を侵略した過去もなく、互いの文化への憧れが大衆レベルでの関心の中心を占めてきた。大半の政治指導者の対中認識も、多かれ少なかれこれと似通っている。
 もちろん外交当局やEUの次元では、中国を安全保障の文脈でとらえる視点も存在はする。トランプ政権が「離脱」したイランの核開発をめぐる多国間合意には、EUやロシアと並び、国連安保理の常任理事国である中国が合意当事国として関与した。中国海軍はアデン湾では海賊対策に参加し、各地の国連平和維持活動(PKO)にも積極参加しているからだ。
 一方、欧州の対中経済関係が深まった結果、中国を安保上の脅威と位置づける議論が軍需産業を含む財界にとっては面倒なものとなる一面は否めないだろう。
浮沈をかけた改革はなるか?
 こうした背景を踏まえると、マクロン氏がストレートな物言いで習氏の面前でその野心をけん制し、EU首脳会議でも新たな対中戦略を採択した事実の重みが分かるだろう。欧州は今や、世界で覇権を競う米中の競争力やロシアの複合的な脅威を前に、強力なプレーヤーたちに“捕食されかねない”という弱者としての危機感を抱いているのだ。
 問題の一因は、EU加盟国が自国の国家安全保障政策に関する主権をまだEUに移譲していない制度にもあろう。例えば、中国の通信大手「華為技術(ファーウェイ)」を5G通信網整備に関与させるか否かについての最終的な判断は、EUではなく、加盟国が下す。安保政策の「統合不足」は、中国による分断工作を許す弱点だろう。マクロン氏が中国に注文をつける一方で、300機のエアバス機売却について習氏の同意を得たことが示すように、対中関係は是々非々のバランスも難しい。
 マクロン氏はさる3月5日、EU加盟国の28のメディアに寄稿し、「欧州の再生」を呼びかけた。ドイツを怒らせるユーロ圏の共通予算構想など従来の主張は封印し、米国が強く求める国防費の増額をEUが義務化することや、内実の伴う共同防衛計画の策定、EUから離脱するであろう英国を取り込んだ「欧州安全保障理事会」の創設、相互防衛条約の締結をなど提唱した。通商政策では、租税、データ保護、環境などのEU基準や戦略的利益を無視した商取引を禁じることや、米中並みの産業・調達政策を導入すべきことも主張した。
 EUが今後、マクロン氏の問題提起をどこまで議論するかは不透明だ。28カ国の総意で重要案件を決めていくEUの意思決定は確かに時間がかかる。だが、こうした大手術が必要であることは間違いない。第2次大戦後の欧州は「平和構築」「繁栄の共有」「民主制度の改革」という発展指向の試みによって運命共同体を築いた。その欧州はいま、文明を共有する一体的な空間の「防衛」、つまり自らの浮沈をかけた闘いに直面している

平成とはなんだったか 保坂政康

2019年04月02日 | 社会


2018年05月16日 14:00 〜 15:30 10階ホール
「平成とは何だったのか」(1) ノンフィクション作家・保阪正康氏

会見メモ

「平成時代は、天皇、政治、災害の3つの組み合わせで語ることができる」という。
個別の特徴を次のように説明した。
*象徴天皇の具現化
*55年体制の完結と小選挙区比例代表並立制導入による国会議員の質の劣化
*東京電力福島原発事故に見られるような人災の天災へのすり替え

司会 倉重篤郎 日本記者クラブ企画委員(毎日新聞)

「平成天皇論」講座
倉重 篤郎 (企画委員 毎日新聞社専門編集委員)
 来年4月に平成が終わるのを受けてシリーズ企画をスタートした。この30年を多角的に振り返り、現在の立ち位置を確認し、未来への視座を得ようと言う狙いだ。政治、経済、エネルギー、文化と各界の一級の識者を毎月数人ずつお呼びして、平成という時代を総括してもらう。
 初回は、近現代史ジャーナリストの第一人者である保阪正康さんに総括的な話をしていただいた。
 興味深かったのは、昭和と平成の差を国体と政体の位置関係で分析した点であった。保阪氏によると、制度面で見ると、戦前の明治憲法で政体の上に位置付けられた国体は、戦後の日本国憲法では政体と妥協的に並列された。ただ、帝王学で育った昭和天皇にはなお国体の下に政体があるとの意識が残っていた。だが、平成天皇は、むしろ政体の下に国体があるとの認識だ。それは、平成天皇が皇位継承した時に「日本国憲法を守り、これに従って責務を果たす」と護憲を強調して以来一貫した姿勢だ。その意味するところは、昭和の反省から皇位継承のためにも二度と戦争という手段を選ばないという強い決意と、非戦を保証している日本国憲法体制(政体)を最上位に置く、という考えだ。
 保阪氏は改憲問題にも触れ、その戦争を手段として全否定する立場と、国家として戦争という手段を留保することとの間には、大きな亀裂ができる可能性があり、時間をかけ慎重に議論する必要があると述べた。
 保阪氏はまた平成という時代を解くキーワードとして「天皇」「政治」「災害」の3つを挙げた。天皇とは、戦争という手段を否定したことであり、憲法にある象徴天皇のあり方を全身全霊で作り上げたことだ。政治とは、55年体制が崩壊し一見進化したように見えたが、実は政治家の劣化が進んだ時代だった。平成の次は「ナショナリズム」「科学技術」が鍵になる、とも予告した。
ゲスト / Guest

保阪正康 / Masayasu Hosaka
日本 / Japan
ノンフィクション作家 / Nonfiction Writer
研究テーマ:平成とは何だったのか

新しい元号は「令和(れいわ)」

2019年04月01日 | 社会
菅義偉官房長官は1日午前11時40分ごろ、首相官邸で記者会見し、新しい元号は「令和(れいわ)」と発表した。典拠は奈良時代に完成した日本に現存する最古の歌集「万葉集」。日本で記された国書に由来する元号は確認できる限り初めてとなる。元号を改める政令は即日公布され、皇太子さまが新天皇に即位する5月1日に施行される。
 天皇退位に伴う改元は憲政史上初めて。1989年1月に始まった「平成」は、残り1カ月で幕を閉じる。
 新元号は645年の「大化」から数えて、248番目。「大化」から「平成」までは、確認されている限り中国の儒教の経典「四書五経」など漢籍を典拠としており、安倍政権の支持基盤である保守派の間には国書由来の元号を期待する声があった。政府は今回、国書を専門とする複数の学者にも考案を依頼していた。
 元号の選定手続きは1日午前9時ごろから始まった。政府の要領に沿って、菅氏は横畠裕介・内閣法制局長官の意見を聴いたうえで、元号の原案として数案を選定した。午前9時半すぎから、ノーベル賞受賞者の山中伸弥京大教授ら、各界の有識者9人による「元号に関する懇談会」に原案を提示。元号候補とその典拠、意味などについて説明し、メンバーそれぞれから意見を聴いた。

過去の元号の出典はこれまでに判明しているだけで77。すべて中国の古典に由来する。出典を和書に求めたのは初めてとみられるが、これまでにも日本の古典から選ぶという考え方はあり、万葉集などの歌集はその有力候補だった。
「令和」の文字を引いたのは、万葉集巻五に収録された梅花の歌の「序」。この梅花の歌は32首あり、大伴旅人を中心とするグループが詠んだとされる。漢字の音だけをあてて表記された「歌」と違い、「序」は表意文字としての漢字を使った漢文体であることも出典として適していた。
 初春の令月にして、気淑(よ)く風和らぎ、梅は鏡前の粉を披(ひら)き、蘭は珮後(はいご)の香を薫らす
漢字に詳しい京都大の阿辻哲次名誉教授は「万葉集によると、『令月』とあるのは『素晴らしい月』という意味。まさに天皇の代替わりに伴う季節感と、平和を謳歌しているというイメージを受ける」と指摘。「令」には、「令嬢」「令息」といった言葉に使われるように「よい」という意味がある。
また「令」の漢字の構造は、ひざまずいている人に申しつけているという形で「命令」の意を含む。このため、令和を漢文調にすると「和たらしむ」とも読める

平成の三大構造変化

2019年03月31日 | 社会


「平成」の30年、なぜ日本はこれほど凋落したのか

© Japan Business Press Co., Ltd. 提供 「平成」の元号は、1989年1月7日、首相官邸で、小渕恵三官房長官から発表された(写真:Fujifotos/アフロ)
 間もなく新元号が発表され、およそ30年続いた「平成」も終わりを告げようとしています。昭和のように戦争にも巻き込まれることなく、一見平穏だった30年間のように思えますが、実は大変な激動の時代でもありました。そこで改めて、平成という時代を振り返ってみたいと思います。

平成の三大構造変化
 平成には、3つの大きな構造変化がありました。
 1つは、戦後レジームの崩壊です。平成が始まった1989年は、ちょうどベルリンの壁が崩壊に向かう年でした。そこから、それまで厳然としてあった東西冷戦構造が一気に終結に動き始め、2年後には東側陣営のリーダーであるソ連までもが崩壊してしまいます。まさに戦後レジームは、平成の始まりとともに崩れ、その結果、アメリカ一強状態が現出しました。
 2つ目の構造変化は、中国の台頭です。日本で平成という時代が始まった頃の中国はといえば、国際政治や国際経済の舞台で、それほど影響力を持った存在ではありませんでした。確かに人口は多く国土も広く可能性を秘めた国ではありましたが、当時はまだまだ開発が進んでいませんでした。それが平成というわずかな期間に、目覚ましい発展を遂げていったのです。
 平成の初期、中国がここまで発展を遂げることを予想している人は多くはありませんでした。むしろ当時盛んに予想されていたのが、「日米欧三極体制」の出現でした。欧州諸国が結束しEU創設を定めたマーストリヒト条約の調印が行われたのは平成4年。これによりヨーロッパがEUという巨大な統一市場を形成し、日本、アメリカとともに経済の中心になるという観測です。しかし平成の終わりを迎え、結果的に登場したのは、アメリカと中国による二極体制でした。
 そして3つ目の構造変化は、日本の凋落です。残念ながら、平成の30年間は、国際社会における日本の存在感が圧倒的に小さくなっていくプロセスでした。
 データを見てみましょう。平成6年、世界のGDPに占める日本のGDPの割合は17.6%でした。同じ年にアメリカは24.8%です。つまり日米両国で世界のGDPの4割以上を叩き出していたのです。これが平成29年になると、日本の割合は6.1%。存在感はほぼ3分の1になってしまいます。
 またスイスのビジネススクール「国際経営開発研究所(IMD)」が毎年発表している、国際競争力ランキングで、日本は平成元年から4年まで1位でした。それが2018年には25位。この数年は20位代後半をさまよっています。
 世界の時価総額ランキングも、世界のトップ50社を見ると、平成元年には日本企業が32社も占めていたのに、平成30年ではトヨタ1社が35位にランクインしているのみ。なんともお寒い状況です。
 国際経済の舞台で、日本は凋落の一途を辿っていった。それが平成という時代でした。
 冷戦体制とは、イデオロギー的に言えば、共産主義や社会主義と、資本主義との対立構造です。これが終焉したということは、やや乱暴に言えば、「共産主義や社会主義の考え方は誤りで、資本主義が正しかった」と世界中が認識したのです。フランシス・フクヤマの『歴史の終わり』の原論文が出たのも、平成元年でした。
 もちろん、共産党一党支配のもと、社会主義共和国体制で急成長を果たした中国の一部の人々は違う意見を持っているかも知れませんが、世界全体で見れば、「最終的には資本主義が勝利した」という認識が非常に強くありました。平成当初、日本人は「資本主義が正しかった。その先頭ランナーの一人であるわれわれは、これからも世界経済の中心になっていくだろう」と考えていたと思います。
 冷戦が終わり、共産主義や社会主義という対立するイデオロギーの存在感が非常に小さくなると、今度は資本主義の原初的な特徴が非常に強く出てくるようになりました。どういうことかと言えば、「カネがカネを生む」という資本投下の仕方を、より効率的に行おうとする動きが出てきたのです。
 具体的に言えば、日本が得意としてきた製造業中心の資本主義から、もっと資本効率の良い金融業やIT産業が経済のメインストリームになっていったのです。この過程で、アメリカはウォールストリートの金融業や、シリコンバレーのIT企業、特にGAFA(Google、Apple、Facebook、Amazon)と呼ばれるIT界の巨人が経済成長を支えてきました。中国も、巨大な国内市場を強みにして、IT企業や金融機関が成長し、経済をけん引しています。
 この変化に日本はついていけませんでした。それが日本凋落の原因なのです。
「教育敗戦」が招いた「人的資源の劣化」
 では、日本はなぜこの変化についていけなかったのでしょう? もともと日本人は、時代の大きな変化に柔軟に対応していくことが得意な人たちでした。
 典型は明治維新です。それまでの徳川幕府の時代からすれば、明治維新は社会構造を根本的にひっくり返すような改革です。各地に君臨した殿様の権限を全部取り上げて廃藩置県を行ったり、米で納めさせていた税金をお金で納めさせるようにしたり、国民全員に初等教育を受けさせる義務教育を導入したり・・・。
 どれをとっても「消費税率を8%から10%に」などというレベルの改革ではありません。明治維新というのは、本当に無茶苦茶な改革でした。近代西洋とぶつかり合って、「あ、そういう時代なんだ、このままじゃ生き残れないんだ」と、鍵となる日本人たちが認識したからこそ、過去をかなぐり捨てて、時代の変化に食らいついていったのだと思います。
 戦後も同様です。日本はアメリカとガチンコの戦争をし、徹底的に叩き潰されました。はっきり言って「終わった国」だったはずです。しかしその状況から、日本人は、欧米型の民主主義、資本主義に対応していきました。自動車も家電も、日本人が発明したものはありませんでしたが、欧米企業にキャッチアップし、ついには抜き去るようにして、経済大国へとのし上がっていきました。1979年には『ジャパン・アズ・ナンバーワン』という本もアメリカで出ました。
 つまり歴史を振り返ってみると、新しい時代、新しいゲームについていくことは、本来、日本人はどこの国の人たちよりも得意なはずなのです。
 ところが、平成の時代に起きた世界の構造変化には、さっぱりついて行けなかったのです。その原因は、一つしか考えられません。それは「人的資源の劣化」です。もう少し突き詰めて言うならば、平成に起こった日本の凋落は、「教育の敗戦」の結果だったと言えるでしょう。
 高度成長期から平成の最後まで、日本人の教育は、「受験していい学校に入り、いい会社に入り、そこで頑張って出世する」というゲームをするための教育でした。学校教育の仕組みというレベルを越えて、社会全体でそういうゲームを作ってしまったわけです。その結果、イノベーティブな人が多数出てきたり、活躍したりしにくい社会になりました。
エリート中心主義の末路
 これは実は、中国のかつての凋落の歴史に近いと思います。例えば、17~18世紀にかけての中国の清朝は世界に冠たる帝国で、世界中のどの国と争っても負けるはずがないスーパー大国でした。しかも科挙という試験によって、あの広大な中国大陸の中から、とびっきりの秀才だけをかき集めて国家運営をしていたのです。世界最強の国が、最高の人材を集めて国家運営しているのだから、負けるはずがありません。
 ところが19世紀になるとその勢いが衰え、西欧諸国に事実上植民地化され、敗れていくことになります。私はこれは、科挙という超難関試験を突破することだけを考えて勉強するようになったエリート中心主義に失敗の原因があったと思うのです。
 既存の枠組みの中で、試験を突破していいところに入り、そこで同じような教育を受けていた仲間との競争に勝って出世して――という志向の人材を集めてしまうと、大きな変革の時代には対応できません。全体として大きく躓いてしまうのです。なぜなら、こういう教育の中からは、全体の枠組みを考えたり作ったり、新しいチャレンジをする人材は生まれてきにくいからです
 かつて日本人は学ぶことを「学問をする」と言っていました。学問とは、問いを学ぶ、ということです。そこには、「自分で問題を見つけ出し、その答えを自分で考える」というニュアンスが含まれています。
 しかし昭和の後半から平成の時代の学びは、「学問」ではなく「勉強」でした。これは、自分で問いを立てたりすることはなく、与えられた問題に対する正解を覚える・選ぶという行為です。あらかじめ決まった正解を、どれだけ多く覚えられるかを競うのが「勉強」でした。こういった「勉強」中心の教育になってしまったことが、日本凋落の原因だと私は感じています。
 たとえ答えが見つからなくとも、自分で問いを立て、自分で考える。自立的にものごとを考え、自ら行動を起こせるような人材を育てる教育こそが、本当は必要だったのです。
 ちなみに、猛烈な経済成長を実現している現代の中国の教育ですが、実はこれも「勉強」型の教育スタイルです。一人っ子政策が続いてきたお陰で、中国の家庭では一人の子どもの教育に多額の資金を投じます。そのため語学のような基礎学力などではものすごくレベルの高い人材が非常にたくさん生まれています。
 ただし、それでも激しい受験競争を勝ち抜くことが“ゲーム”の本質になっていて、例えるなら日本の受験競争システムをもっと激しく大規模にしたようなものです。そのため若者たちは、ゼロベースから自分で思考していくという面では、ちょっと弱いような印象です。今はイノベーティブな野心家がたくさんいますし、人材の層が厚いこともあり、しばらくは中国の成長は続くと思いますが、このままの教育システムが続けば、長い目で見れば日本のように時代の変化に取り残されてしまう可能性があるのではないかというのが私の予想です。
 それはさておき、日本の教育システムが時代の流れに食らいついていけないようなものであるならば、元号が変わる今こそ、変革していく絶好の機会です。

聖徳太子

2019年03月30日 | 社会
日本各地には聖徳太子が仏教を広めるために建てたとされる寺院が数多くあるが、それらの寺院の中には後になって聖徳太子の名を借りた(仮託)だけで、実は聖徳太子は関わっていない寺院も数多くあると考えられており、境野黄洋は聖徳太子が建立した寺院について「法隆寺と四天王寺は確実である」と述べている[10]。
四天王寺
大阪市天王寺区。『日本書紀』によれば、蘇我氏と物部氏の戦いにおいて、蘇我氏側である聖徳太子は戦いに勝利すれば、四天王を安置する寺院を建てると誓願を立てた。見事勝利したので、摂津国難波に四天王寺を建てた。『書記』によれば593年(推古天皇元年)のことという。四天王寺には、敬田院、施薬院、療病院、悲田院の4つの四箇院を設置したという。なお、聖徳太子の佩刀とされる七星剣と丙子椒林剣が現在、四天王寺に保管されている。本尊は救世観音で、四天王寺では聖徳太子の念持仏の如意輪観音とも同一視される。
法隆寺(斑鳩寺)
奈良県生駒郡斑鳩町。金堂薬師如来像光背銘によれば、法隆寺は用明天皇が自らの病気平癒のため建立を発願したが、志を遂げずに崩御したため、遺志を継いだ推古天皇と聖徳太子が推古天皇15年(607年)に寺と薬師像を造ったという。『日本書紀』には天智天皇9年(670年)に法隆寺が全焼したとの記事がある。この記事をめぐり、現存する法隆寺(西院伽藍)は聖徳太子の時代のものか、天智天皇9年(670年)以降の再建かについて長い論争があったが(法隆寺再建・非再建論争)、若草伽藍の発掘調査により、聖徳太子時代の伽藍は一度焼失し、現存の西院伽藍は7世紀末頃の再建であることが定説となっている。「夢殿」を中心とする東院伽藍は太子の営んだ斑鳩宮の旧地に建てられている。
斑鳩寺(播磨)
兵庫県揖保郡太子町。聖徳太子は推古天皇から賜った播磨国揖保郡の地を「鵤荘」と名付け、伽藍を建立し、法隆寺に寄進をした。これが斑鳩寺の始まりと伝えられている。斑鳩寺は創建から永らく法隆寺の別院(支院)であったが、焼失、再建の後に天台宗へ改宗した。現在も「お太子さん」と呼ばれて信仰を集めている。なお、俗に「聖徳太子の地球儀」と呼ばれる「地中石」という寺宝が伝わっている。聖徳太子生誕地の橘寺と、墓所の叡福寺を結んだライン延長上にこの太子町の斑鳩寺が位置している。
太子建立七大寺 
四天王寺、法隆寺、中宮寺(中宮尼寺)、橘寺、蜂岡寺(広隆寺)、池後寺(法起寺)、葛木寺(葛城尼寺)は『上宮聖徳法王帝説』や、『法隆寺伽藍縁起并流記資財帳』によって聖徳太子が創建した七大寺と称されている。
河内三太子
聖徳太子ゆかりの寺院とされる叡福寺、野中寺、大聖勝軍寺はそれぞれ上之太子(かみのたいし)、中之太子(なかのたいし)、下之太子(しものたいし)と呼ばれ、「河内三太子」と総称されている[注釈 16]。

平成の経済史 経済学者 野口悠紀雄

2019年03月29日 | 社会

2018年09月27日 13:30 〜 15:00 9階会見場
「平成とは何だったのか」(11) 平成の経済史 経済学者 野口悠紀雄氏
平成とは日本人が世界経済の大きな変化に気づかず、取り残された時代と定義する。戦後経済の基礎になった1940年体制が限界を迎え、経済の停滞を招いた。世界経済の構造変化や国内の少子高齢化などへの対応を誤れば、10年後にはソ連が崩壊したときのような経済・社会状況に陥る可能性もあるとした。


会見リポート

世界に置き去りにされた日本
竹田 忠 (企画委員 NHK解説委員)
 「日本人はバブル崩壊にも世界経済の大変化にも気付かなかった」。刺激的な話の見出しが満席の会場の関心をさらに高める。
 氏は平成を三つに分ける。第一期は主に1990年代。戦後経済を支えた1940年体制(戦時経済体制)がバブル崩壊によって大きく変質。金融機関を通して政府が経済を間接コントロールする仕組みが弱まった。同時に中国の工業化とIT技術の進展で世界経済の構造が変わったことに日本は気付かず、遅れを取った。
 第二期の2000年代は〝偽りの回復〟。政府による空前絶後の為替介入で危機的な円高が抑えられ、日本の輸出産業は息を吹き返した。しかし所詮は円安頼みの回復であったことが2008年に明らかに。リーマンショックでアメリカから資金が逆流して急激な円高となり、車などの輸出産業は壊滅的な打撃を受けた。
 この過程で氏が大きな問題として指摘するのが、製造業の政府への依存が強まったこと。メーカーなどが政府にあからさまに直接的な補助を要請するようになった。結果、自動車産業を救うためのエコカー減税などの施策が次々と取られた。そしてこれに対する強い批判も起きなかった。かつて通産省が特定の産業へのテコ入れを目指して「特振法」を通そうとしたことに財界が猛反発して阻止した時とはあまりに大きな違い(動画の41分過ぎ)。日本の言論界の批判的な能力も衰えたのではないかと、会場に向けて強い疑義を呈した。さらに今の成長戦略や働き方改革にしても、政府がどうするかを問うだけで、自分たちで改革しようという考えがなくなったのではないかという重い問いかけも。
 第三期はリーマンショックの後から今まで。問題の本質は日本が置き去りにされていることに気付き、国際的な水平分業体制や規制緩和に正面から取り組むことだと指摘する。

平成の経済 吉川洋・立正大学教授

2019年03月28日 | 社会
見リポート

2018年05月31日 15:00 〜 16:30 9階会見場
「平成とは何だったのか」(3) 吉川洋・立正大学教授

バブル崩壊からアベノミクスまでに平成の経済を幅広く論じた。
小泉内閣時代に経済財政諮問会議の民間議員として不良債権処理問題に関わった経験も詳しく述べた。

司会 播摩卓士 日本記者クラブ企画委員(TBS)

平成経済「閉塞感拭えず」
播摩 卓士 (TBSテレビ報道局編集主幹 )
 「平成の30年は、全体として閉塞感の拭えない時代であった」
 吉川教授は、30年の間にはアップダウンもあり、経済低迷の原因はその時々に異なると、慎重に言葉を選びつつも、「閉塞感」という言葉で時代を表現した。同時代を生きてきた者として、その実感に異論はあるまい。
 1989年に始まった平成。この年の暮れに日経平均株価は史上最高値をつけたものの、翌年から急落、地価も1年遅れで下げに転じた。平成時代は、まさにバブル崩壊の過程と重なる。吉川教授は、2003年のりそな銀行への公的資金注入までを、バブル崩壊に伴う不良債権問題がのしかかった一つの時代と括り、バブル崩壊は「隕石で恐竜が滅びたほどのインパクト」と表現した。もちろん「バブルのかなりの部分は人災だ」が。
 その後、2008年のリーマンショックまでは「まずまず好調」と評価したが、「構造改革の結果というより、中国ブームに伴う輸出主導が実態だった」と手厳しい。現在のアベノミクスについては、景気循環の視点から「まことに運が良かった」とクールに評した。
 昨今、経済低迷を「人口減少だから仕方ない」とする風潮に、「人口減少は随分前から分かっていたこと。かつてそんな議論をした人はいなかった」と疑問を投げかけた。
 ならば、閉塞感から抜け出せない最大の理由は? 「日本企業のイノベーションの力の後退が一番の問題」と明言。確かに「最大の貯蓄超過部門が法人部門」というのは、その証拠か。でも、「イノベーション力の後退」と言われると、いよいよ根が深い。
 「閉塞感」の犯人捜しをずっと続けた平成の30年、次の時代の展望どころか、いまだ、その決着もつけられていないように思う。
ゲスト / Guest

吉川洋 / Hiroshi Yoshikawa
日本 / Japan
立正大学教授 / professor, Rissho University

平成の政治 佐々木毅・元東京大学学長

2019年03月27日 | 社会

2018年05月18日 14:00 〜 15:30 10階ホール
「平成とは何だったのか」(2)  佐々木毅・元東京大学学長

21世紀臨調の共同代表として平成の政治改革を振り返った。
「政治に求心力を高めるために、権力と政策の責任の一体化」を議論することが出発点だったとした。政治資金・選挙制度改革で生まれた現政治体制について、「確かなことは元に戻ることはできない。自分たちが道をふせぎ、ほとんど出口がない状況にある」と述べた。
『平成デモクラシー 政治改革25年の歴史』(講談社 2013年)

倉重篤郎 日本記者クラブ企画委員(毎日新聞)

「政党の主役化」めざしたが…
清水 真人 (日本経済新聞社編集委員  )
 衆院に小選挙区制を導入した政治改革の旗を振った有識者として、「平成デモクラシー」を振り返った。
 政治改革はリクルート事件という「政治とカネ」問題が起爆剤と見られがちだが、佐々木氏はそれに先立つ1987年の著書『いま政治になにが可能か』(中公新書)で早くも自民党長期政権の限界や政党中心の選挙制度への改革に触れていた。
 当時は政官業トライアングルと呼ばれた「あらゆる個別利益の面倒を見る政治」の爛熟期。経済人や有識者の土光臨調が政治に成り代わって行政改革に奮闘し、「米国という野党」がプラザ合意による円高や貿易摩擦で「横からの入力」となって政官業に揺さぶりをかけていた。
 「権力は分散し、政策全体の方向性は共有されず、責任がどこにあるかはっきりしない」統治から「日本全体の方向性に責任を持つ政治の集中化」を目指したのが政治改革だ。政権交代可能な小選挙区制と政党への公的助成金をセットにし、権力・政策・責任の一体化の主役として「政党にゲタを預けた」改革だった。
 国民も「派閥政治への反対」と「透明性という価値観」への志向を強めた。大銀行が次々に経営破綻した90年代後半の金融危機を通じ、利益政治や官主導体制は市場経済の透明性の論理の前に屈服した、と説く。
 21世紀に入り、政党は「透明性」に2つの答えを探る。第1は顔の見えるトップリーダー個人への期待を煽ること。第2は体系的なマニフェスト(政権公約)の試みだ。佐々木氏も政権公約を「政党のガバナンスを整え、アイデンティティーを選挙民に示す」ツールとして重く見た。
 だが、マニフェスト選挙の壁となったのが、事前運動や文書配布を規制する公職選挙法と「いつでも衆院解散する余裕のない政治」だ。特に後者は「政治改革は頻繁な選挙を前提にしていない」と見直しを訴えた。
 冷戦終結や日米摩擦の大状況が後押しした政治改革。「元のような政治には戻りたくても戻れない。歴史が道を塞いでいる」とも述べた。
ゲスト / Guest

佐々木毅 / Takeshi Sasaki
日本 / Japan
元東京大学学長 / former rector, Tokyo University

「好きな90年代ドラマヒロイン」

2019年03月26日 | 社会
女優の山口智子が、約1万人が選ぶ「好きな90年代ドラマヒロイン」の第1位に輝いた。第2位には松嶋菜々子、第3位には常盤貴子が選ばれている。

 今回の結果は、「株式会社CMサイト」が2019年2月28日、インターネットリサーチを実施。30~60代の男女を対象に、有効サンプルを集計したもの。

 回答者1万978名に「好きな90年代ドラマヒロイン」をきいたところ、『ロングバケーション』(フジテレビ系)の葉山南役、『29歳のクリスマス』(同系)の矢吹典子役などで知られる山口が第1位となった。「全く違う人物を演じ分けることができ、すごい女優さんだと衝撃を受けた」「自然体で、今でも素敵です」「90年代ドラマ最高作品ロンバケの最強ヒロイン」という声が集まった。

 第2位は、『GTO』(フジテレビ系)の冬月あずさ役、『救命病棟24時』(同系)シリーズの小島楓役、『魔女の条件』(TBS系)広瀬未知役で知られる松嶋。第3位は、『愛していると言ってくれ』(同系)の水野紘子役、『悪魔のKISS』(フジテレビ系)柘茉莉子役などで知られる常磐がランクインした。

 続く第4位は、『踊る大捜査線』(フジテレビ系)シリーズの恩田すみれ役が印象的な深津絵里。第5位は『甘い生活』(日本テレビ系)、『氷の世界』(フジテレビ系)などがある内田有紀、第6位は『ピュア』『バージンロード』(ともにフジテレビ系)などの和久井映見、第7位は石田ゆり子、第8位は中山美穂、第9位は小泉今日子、第10位は『高校教師』の桜井幸子など、90年代のドラマを代表する顔ぶれ。

宿命の地=カナン(パレスチナ)

2019年03月26日 | 社会
宿命の地=カナン(パレスチナ)を舞台にくり返された、長く根深い対立の歴史。流血の抗争はなぜ起こったのか? 宗教や民俗紛争、石油資源をめぐる思惑、難民問題など、複雑にもつれた中東問題を、国際政治のダイナミズムの中に位置づけ、解明する。

パレスチナ人とは?――パレスチナ人は、国を持たず、アラブ世界で常に差別されてきた。表面上はアラブの大義という看板の下で受け入れられても、内心ではけっして仲間うちとしては扱われてこなかった。またパレスチナ人は、国による保護を得られないため、個人の努力、そしてパレスチナ人同士の団結によって人生を切り開いてきた。ある国から追放されるようなことがあっても、命ある限りけっして奪われることのないものに投資してきた。つまり教育であった。
パレスチナ人の勉強熱心はアラブ社会では際立っている。パレスチナ人は、医者であり、作家であり、画家であり、弁護士であり、大学教員であり、ジャーナリストであり、研究者である。――本書より


宿命の地=カナン(パレスチナ)を舞台にくり返された、長く根深い歴史。流血の抗争はなぜ起こったのか?宗教や民族紛争、石油資源をめぐる思惑、難民問題など、複雑にもつれた中東問題を、国際政治のダイナミズムの中に位置づけ、解明する。

著者について
1951年、北九州市に生まれる。1974年、大阪外国語大学ペルシア語科卒業。1976年、コロンビア大学で修士号取得。1982年よりクウェート大学客員研究員。現在、放送大学助教授。お茶の水女子大学講師、東京大学講師も兼ねる。著書に、『燃えあがる海』――東京大学出版会――など。

堺屋 太一 2019

2019年03月25日 | 社会
堺屋太一さん【追悼】

1997年からの約1年間、『朝日新聞』に連載された近未来小説。
20年以上も前、平成9年の地点から 平成三十年の日本を予測して書かれました。

もちろん、細かい数字など、当たっていない項目も多いのですが、
堺屋さんの言葉通り、時代の雰囲気はおそろしいほどに当たっています。
堺屋さんの『先見の明』はやっぱりすごかった!


【内容】
(上) 何もしなかった日本
1ドル=300円、ガソリン代1リットル1000円、消費税は20%へ―。
平成30年(2018)の日本はまだ何も“改革"できないでいた!
インフレと不況、少子高齢化と高失業、国際収支の大幅赤字が加速する日本の窮状を救う道はあるのか?“警告と提言"の大ベストセラー

(下) 天下分け目の「改革合戦」
日本改革会議が結成され、国家再生への端緒が開かれる。
産業情報省大臣・織田信介は、官房長の明智三郎、企画課長の木下和夫らとともに、国を二分する改革合戦に打って出るが。
日本は先端国として甦ることができるのか? 緻密な予測で描く近未来巨篇、堂々の完結。


【著者略歴】
堺屋 太一(さかいや たいち)
1935(昭和10)年、大阪市生まれ。東京大学経済学部卒業とともに通産省に入省。通産省時代に、日本万国博覧会を企画、開催にこぎつける。その後、沖縄海洋博、サンシャイン計画の推進などに携わる。1978年通産省を退官後、執筆・テレビ・講演と幅広い活躍を続ける。
1998年7月、経済企画庁長官に就任、2000年12月に退任。以後、安倍晋三内閣の内閣官房参与などを歴任。12年に旭日大綬章を受章した。19年、逝去。
著書に、『油断! 』『団塊の世代』『巨いなる企て』『峠の群像』『知価革命』『日本とは何か』『組織の盛衰』『向い風の朝』『秀吉』『欣求楽市』『あるべき明日』『時代末』『明日を読む』『明日を診る』『明日を想う』『堺屋レポート1997-2001』『「平成三十年」への警告』『団塊の後 三度目の日本』『堺屋太一が見た 戦後七〇年 七色の日本』など多数。