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一身二生 「65年の人生と、これからの20年の人生をべつの形で生きてみたい。」

「一身にして二生を経るが如く、一人にして両身あるが如し」

10月消費税10%ストップ!ネットワーク

2019年05月21日 | 社会
10月消費税10%ストップ! ネットワーク   
【呼びかけ人】 有田芳子(主婦連合会会長)
       斎藤貴男(ジャーナリスト)
       庄司正俊(全国FC加盟店協会会長)
       住江憲勇(全国保険医団体連合会会長)
       醍醐聰(東京大学名誉教授)
       富岡幸雄(中央大学名誉教授)
       浜矩子(同志社大学大学院教授)
       本田宏(NPO法人医療制度研究会副理事長)     
       室井佑月(小説家・タレント)
       山田洋次(映画監督)
「10%ストップ!」
5・24 日比谷野音に響かせましょう
  5月24日(金)13時から、東京・日比谷野外音楽堂で「消費税 いま上げるべきではない 5・24中央集会」を開きます。
全国のネットワークのみなさん、「10月消費税10%増税はストップを」と願うみなさん、ぜひご参加ください。
  集会終了後は、銀座、東京駅方面にサウンドデモを行います。



「10月消費税10%ストップ!ネットワーク」アピール
 14日、「10月消費税10%ストップ!ネットワーク」の結成記者会見で発表されたアピールは次のとおりです。
   ◇   ◇
 国民のみなさん
 政府は予定通り、2019年10月から消費税率を10%に引き上げようとしています。
 家計消費は低迷し、深刻な消費不況が続いています。実質賃金は伸びず、年金受給額はさらに削られようとしています。金融資産を持たない世帯が全世帯の3割を超えるなど、格差と貧困は拡大する一方です。
 このまま税率が引き上げられれば、地域経済をさらに疲弊させ、中小企業や小規模事業者の営業を脅かし、雇用不安を招くなど国民生活は大変な影響を受けることになります。
 国民のみなさん
 政府が行おうとしている消費税増税のための景気対策は、一時的で対象も限定され、富裕層ほど大きな恩恵を受けるものです。「軽減」と宣伝されている複数税率による混乱も心配されています。
 消費税率引き上げのために莫大(ばくだい)な予算をつぎ込むなど本末転倒であり、本気で景気対策を行うというのなら、消費税10%への増税こそ中止すべきではないでしょうか。
 国民のみなさん
 景気悪化を招き、低所得者ほど負担が重いのが消費税の特徴です。「いま、消費税を上げる時なのか」といった疑問の声が大きく広がっています。
 私たちは「10月消費税10%ストップ!ネットワーク」を立ち上げ、2019年10月からの消費税増税を中止させるために、あらゆる手段を尽くして活動します。
 こうした趣旨に賛同いただき、ともに声をあげていただくことを呼び掛けます。

山口厚史

2019年05月19日 | 社会
山田 厚史(やまだ あつし、1948年1月1日 - )は、日本のジャーナリスト。元朝日新聞社編集委員、デモクラシータイムス代表。

東京都新宿区戸塚町生まれ。筑波大学附属小学校卒業[2]。同志社大学法学部政治学科卒業後、毎日放送制作局ディレクターを経て、1971年12月朝日新聞社入社。青森支局、千葉支局を経て、東京経済部に異動。大蔵省、外務省、日本銀行、自動車業界、金融業界などを担当する。その後ロンドン特派員として欧州経済を担当したのち、大阪経済部次長。1993年4月から経済部編集委員で「国際経済と金融」担当に。同年9月にはハーバード大学ニーマンフェロー。1996年4月、経済担当の特別編集委員となる。2000年8月にはバンコク特派員(アジア経済担当)。
2003年4月、東京経済部兼AERA編集局。2005年4月には朝日新聞編集委員(経済担当)となる。2008年1月より、朝日新聞シニアライター。
1996年からテレビ朝日コメンテーターとして『サンデープロジェクト』や『朝まで生テレビ』などテレビへの出演を開始する。1997年4月に政策NPO「構想日本」運営委員に就任。2007年よりイー・ウーマンのサーベイ・キャスター。
2013年4月に株式会社インターネット・ニュース・ジャパンを設立し、同社代表となる。同社はデモクラTVという名で会員向けに時事問題の解説や、討論番組の配信を行っている。
2017年4月からインエターネットメディア デモクラシータイムスにて「山田厚史の闇と死角」などの番組を担当。
2017年の第48回衆議院議員総選挙に立憲民主党公認で千葉5区より立候補するも、落選。

斎藤貴男

2019年05月18日 | 社会
東京都生まれ。東京都立北園高等学校、早稲田大学商学部卒業、英国・バーミンガム大学大学院修了(国際学MA)。『日本工業新聞』、『プレジデント』編集部、『週刊文春』の記者を経てフリー。
主に時事、社会、経済、教育問題等に関して、格差社会や新自由主義、政府による情報統制に対する批判などで知られている。
2007年、『週刊現代』にて「社史から「消えた」創業者とあの「七三一部隊」との関係-“タブー”を追うと見えてきたもの」に寄稿。御手洗冨士夫と七三一部隊が特別な関係にあるという報道をした[1]。キヤノン株式会社と御手洗はこれを名誉棄損として、2億円の損害賠償と謝罪広告を求めて民事訴訟を提起した[2][3]。1審の東京地方裁判所では見出しの内容に名誉棄損があったとして、講談社に200万円の支払いを命じたが、2審の東京高等裁判所でキヤノン側が逆転敗訴。最高裁でも御手洗らの上告が退けられた[4]。
ゴミ屋敷の発生原因を「モノが溢れている現代社会」「人との繋がりが失われた現代社会」に求める。『追跡!AtoZ』(NHK)に出演した際は、「派遣村などの発生からもこの問題は分かる」と、ゴミ屋敷問題と派遣切り問題を結び付けて語った[5]。
消費税の構造に早くから疑念を呈する。2011年11月20日、『日曜討論』(NHK)に出演した際は、「消費税は下請け、つまり赤字経営の中小自営業者に転嫁される。最下層を助けるために、底辺から二番目の層を犠牲にしていいのか」「このままでは自殺者がさらに増えることになる」と前原誠司に詰め寄った[6]。
「九条の会」傘下の「マスコミ九条の会」呼びかけ人を務めている[7]。
2012年、『「東京電力」研究 排除の系譜』で、第3回いける本大賞を受賞[8]。
2013年4月より、放送倫理・番組向上機構(BPO)放送倫理検証委員会委員[9]。

西田 亮介

2019年05月17日 | 社会
西田 亮介(にしだ りょうすけ、1983年5月10日 - )は、日本の社会学者。専門は公共政策、情報社会論。東京工業大学リベラルアーツ研究教育院准教授。国際大学グローバル・コミュニケーション・センター客員研究員、北海道大学大学院公共政策学連携研究部附属公共政策学研究センター研究員。

國分 功一郎

2019年05月15日 | 社会
國分 功一郎(こくぶん こういちろう、1974年7月1日 - )は、日本の哲学者[1][2]。東京工業大学教授。最終学位は博士(学術)(東京大学・2009年)[3]。海外の学位としてはDEA・哲学(パリ第10大学・2001年)、DEA・言語学(社会科学高等研究院・2002年)を取得している[3]。

早野 透

2019年05月14日 | 社会
早野 透(はやの とおる、1945年 - )は、日本のジャーナリスト、コラムニスト。前桜美林大学教授。元朝日新聞編集委員。神奈川県生まれで東京都育ち。

経歴
1964年3月、東京教育大学附属中学校・高等学校(現・筑波大学附属中学校・高等学校)卒業。
1968年に東京大学法学部を卒業し、朝日新聞社に入社[1]。
1974年より、東京本社政治部に勤務[1]。西部本社社会部次長、東京本社政治部次長、ラジオテレビ本部副本部長を経て、1993年に編集委員(政治担当)に就任。政治記者として、田中角栄の番記者などを皮切りに歴代政権を取材した。また、田中の地元を取材するため、自ら希望して1980年1月から1年半、新潟支局に勤務している[1][2]。
新聞連載で取材を担当した主な記事として、1991年、自民党幹事長として湾岸戦争での日本の対応に取り組んでいた小沢一郎の政治手腕に迫った「論考小沢一郎」にて担当キャップ。1993年、細川政権の成立から崩壊までを検証した「連立回り舞台」にて担当キャップ。2005年4月からは、さまざまなテーマを「人脈」から解き明かす朝日新聞夕刊連載「ニッポン人脈記」を率いた。
1996年4月から署名入りコラム「ポリティカにっぽん」を2010年3月まで担当した[1]。
2010年3月、朝日新聞社を退職。同年4月より、2016年3月まで桜美林大学教授[3]。
2012年9月から朝日新聞にて政治時評コラム「新ポリティカにっぽん」の連載を開始した。

むのたけじ

2019年05月13日 | 社会
秋田県仙北郡六郷町(現美郷町)の小作農民の家に生まれる。県立横手中学校(現・秋田県立横手高等学校)から東京外国語学校(現・東京外国語大学)スペイン語科卒業。報知新聞記者を経て、1940年(昭和15年)朝日新聞社に入社、中国、東南アジア特派員となるが、敗戦を機に、1945年(昭和20年)8月15日、太平洋戦争の戦意高揚に関与した責任をとり退社した[2]。戦前・戦中期には近衛文麿、東条英機、鈴木貫太郎ら政権中枢の政治家・軍人、また、画家の藤田嗣治、小説家の火野葦平らにインタビューした経験があるという[2]。
1948年(昭和23年)元旦、妻子4人を連れて秋田県横手市に帰郷、2月にはタブロイド版の週刊新聞「たいまつ」を創刊、反戦の立場から言論活動を続けた。以後「休刊」の1978年(昭和53年)の780号まで出し続けた[2]。
1955年(昭和30年)の第27回衆議院議員総選挙には秋田2区から無所属で立候補したが落選している。
2011年2月27日に放送された、NHKスペシャル『日本人はなぜ戦争へと向かったのか』シリーズ、第3回「“熱狂”はこうして作られた」の終盤に出演し、96歳で健在な姿を見せた[3][4]。
2011年8月14日NHK BSプレミアム放送の『100年インタビュー「96歳のジャーナリスト・むのたけじ」』にて、従軍記者の体験を踏まえて、戦後の言論のあり方、戦争のない未来とはどのようなものかについて語った[5]。
2012年、花巻市の「宮沢賢治学会 イーハトーブセンター」から第22回イーハトーブ賞を受賞した[6][7][8]。
2013年5月10日放送の『報道ステーション』に出演し、自ら体験した戦前・戦中の表現の自由、言論統制を振り返りつつ、憲法改正の議論に対してジャーナリストの立場から意見を述べた[9]。
2015年10月10日放送の『ETV特集 むのたけじ 100歳の不屈 伝説のジャーナリスト 次世代への遺言』では、戦後70年の節目の年に100歳を迎えたむのが、沖縄で講演会を行う様子が映しだされた[10][11]。
同年、東京外国語大学(一橋大学と共に東京外国語学校を前身に持つ)より、80年越しの卒業証書が手渡されている[12]。
2016年1月31日放送のBS-TBS『関口宏の人生の詩』(毎週一人のゲストを呼びその半生に迫る)にて、ゲストとして出演した[13]。同年8月21日、老衰のため、さいたま市内の次男宅で死去[1]。101歳没。

緒方 竹虎

2019年05月12日 | 社会
緒方 竹虎(おがた たけとら、1888年(明治21年)1月30日 - 1956年(昭和31年)1月28日)は、日本のジャーナリスト、政治家。朝日新聞社副社長・主筆、自由党総裁、自由民主党総裁代行委員、国務大臣、情報局総裁、内閣書記官長、内閣官房長官、副総理などを歴任。栄典は正三位勲一等旭日大綬章。三男の緒方四十郎は元日本銀行理事。

中野正剛

2019年05月11日 | 社会
ジャーナリストとしての活躍と政界進出[編集]
1909年(明治42年)早大を卒業し、同級生だった風見章とともに、東京日日新聞(現・毎日新聞)を発行していた日報社に入社し、次いで朝日新聞に移る。朝日新聞には、「戎蛮馬」のペンネームで「朝野の政治家」「明治民権史論」などの政治評論を連載し、政治ジャーナリストとして高い評価を得た。 この間、1913年(大正2年)に三宅雪嶺の娘・多美子と結婚している。仲人は、頭山満と古島一雄であった。
1916年(大正5年)に朝日新聞を退職し、東方時論社に移って社長兼主筆に就任。 東方時論社に移った翌年の1917年(大正6年)、衆議院議員総選挙に立候補するも、落選(立候補した選挙区の当選者は松永安左エ門)。
しかし、日本外交を批判的に論考した『講和会議を目撃して』がベストセラーとなり、勢いをつけ、1920年(大正9年)の総選挙で当選する。以後、8回当選。当初は無所属倶楽部を結成するが、1922年(大正11年)に革新倶楽部結成に動く。その後も憲政会・立憲民政党と政党を渡り歩いた。
民政党時代は、党遊説部長として、永井柳太郎と臨時軍事費問題や張作霖爆殺事件を田中義一内閣に迫り、反軍派政党人として名を馳せた。また、政府では、内務大臣だった濱口雄幸の推薦で、三木武吉の後任の大蔵参与官や逓信政務次官などを歴任した。

深代 惇郎

2019年05月10日 | 社会
深代 惇郎(ふかしろ じゅんろう、1929年4月19日 - 1975年12月17日)は、日本の新聞記者。

経歴
東京出身。海軍兵学校(78期)を経て、第一高等学校、東京大学法学部を卒業し、朝日新聞社に入社。同期には後の朝日放送社長・会長を務める柴田俊治がいた。社会部時代には、読売新聞社の本田靖春と、同じ警察担当記者として接点があった[1]。
ロンドン、ニューヨーク各特派員。東京本社社会部次長、1968年論説委員(教育問題担当)を経て、1971年ヨーロッパ総局長(ロンドン)、1973年論説委員、同年2月15日から1975年11月1日[2]に入院するまで「天声人語」の執筆を担当。日本のマスコミ史上、最高の知性派の一人と言われたが、46歳で急性骨髄性白血病で死去。

デモクラシータイムス

2019年05月08日 | 社会
デモクラシータイムスは、2017年4月から本格始動した、インターネットメディア。主にYouTubeで番組を公開している。
デモクラTVを卒業したメンバーを中心にした新しい取り組みであり、新しいグループでの再出発。テーマは政治・経済・憲法・原発問題など。主な出演者は、山田厚史、田岡俊次、荻原博子、早野透、佐高信、山岡淳一郎、池田香代子。 
定期配信映像として、「山田厚史の闇と死角」「新沖縄通信」「早野透の永田町フ~ゥン録」「荻原博子の危ないお金の話」「経済の深層」「池田香代子の世界を変える100人の働き人」「佐高信の新・ニッポンの会社探検」「山岡淳一郎がゆく『ニッポンの崖っぷち』」「田岡俊次の目からウロコ」がある[3]。

A S I C S

2019年05月07日 | 社会
asics アシックス

1949年、オニツカ創業から半世紀、ASICSとなって四半世紀の大手スポーツ用品メーカー。
創立者鬼塚喜八郎氏が、スポーツを通じて青少年を健全に育成することを願い、斬新なアイデアや画期的な技術を投入し、
伝統を育ててきた。
社名の由来は古代ローマの作家ユウェナリスが唱えた「もし神に祈るならば、心身ともに健康でありますように、
と祈るべき(Mens Sana in Corpore Sano)という言葉のMens(才知)より動的な意味を持つAnima(生命)に置き換え、
その頭文字を並べたものである。